ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)


皆さま、

前向きに生きることに、

疲れることってありますか?


私は、やっぱり、

あります(^.^;


ということで、

今回は、

禅宗(曹洞宗)の、

南直哉(みなみ じきさい)

さんの本、

 

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

 

 

(今回は、キンドルで

読ませていただきました)

 

を読んで、

印象に残ったところを、

皆さまとシェアさせて

いただければと思います(^^)

 

南直哉さんは、

永平寺で修行されたのち、

青森県恐山菩提寺院代(住職代理)

を務められているお方です。

 

私は、仏教関係の本は

好きでよく読むのですが、

南直哉さんの本を読むのは、

初めてでした(^^;

 

読んでみての感想は・・・

 

そうですね~、

 

なかなか、

手厳しいところもありますが、

けっこう、

現実を直視されているというか、


きれいごとではなく、

ほんとうのことを

おっしゃっている、

とても誠実な方だという印象です。

(少し五木寛之さんの思想に

近いような気もします)

 

目次を見ても、

いわゆる一般論とは、

ちょっと違う感じです(^^;

 

一部を抜粋しますと、

 

 

・「生きる意味」

は見つけなくてもいい

 

・「置かれた場所」

で咲けなくていい

 

・「夢」や「希望」

がなくても人は生きていける
 

・「生きがい」や「やりがい」

をつくる必要はまったくない

 

 

「ええっ、そうなの?」

という感じですが、

 

本書を読むと、

「たしかに

そうかもしれないな・・・」

と思えてくる

説得力があります(^^;

 

「はじめに」

には、

こんなことが書かれています。

 

 

この本は、

今まで会ってきた方たちとの

対話の中で感じたことや、

日頃私が僧侶として

考えてきたことを

お話ししていきます。

 

仏教そのものを学ぶ本では

ありません。

 

仏教というツールを使って、

こだわりや執着から起こる

苦しみの正体を知り、

その取り扱い方を

身につける本だと

思ってください。
 

 

仏教という

「ツール」を使うという

発想ですね(^^)

 

 

もし今、

あなたの中に

重苦しい気持ちがあるのなら、

その思いをなくしたいと

願ってもむずかしいでしょう。

 

「ないほうがいい」

とわかっているのに

持ち続けているのは、

そもそも

捨てられるものではない

ということですから。

 

ただ、

苦しみをなくすことは

できなくても、

悩みや問題を

解きほぐしていくことは

できます。

 

もっと言えば、

「つらくても大丈夫」

と思える生き方を

することはできます。
 

 

苦しみを、

なくすことはできないが、

解きほぐすことはできる。

 

「つらくても大丈夫」

と思える生き方を

することはできる・・・

 

そんな生き方、

したいです(^^;

 


もちろん、

日々幸せに

生きられるのなら、

それに越したことは

ありません。

 

実際、

生きるのに

さほど四苦八苦せず、

人生を謳歌している人も

たくさんいます。

 

それはそれで、

大変けっこうなことです。

仏教の出る幕はありません。

 

むしろ、私は

そんな方たち

ばかりになって、

仏教など

なくなったほうがいいと

思っているくらいです。

 

しかし、

もしあなたが

今の状況を変えたいと

感じているのなら、

 

仏教というツールを

試すのも悪くないはずです。
 

 

この発想、

私は好きです(^^)

 

たしかに、

悩みもなく、

日々幸せに生きられるのなら、

それに越したことはない。

 

皆がそうなって、

仏教の出る幕など、

なくなったほうがいい。

 

私もそう思います。

 

しかし、

現実はなかなか

そうはならない。

 

だとしたら、

仏教というツールを

試してみる価値があるのでは、


ということですね。


 で、内容の紹介に入りますが、

こんな印象的な話があります。

 

 

以前、 ある中学校に

講師として招かれまし た。
 

司会をしていた教師に、

「これから、

ためになるお話を

していただけます」

と紹介されたので、


「そんな話は、

私にはできませんが・・・」

と断って、

こう切り出しました。

 

「私は60歳前の

おじさんですから、

みなさんの気持ちは

少しも分かりません。

 

これからする話が

ためになるかはわからないが、

私にも中学生だった

時代があります。

 

当時のことを

思い出しながら話すので、

自分の役に立つと

思ってくれたことだけを

覚えていてくれれば

十分です」

 

それから話したことを

かいつまんで言うと、

次のようなものです。

 

 

どんな話でしょうか?

 

 

ほかの大人は

君たちに

夢や希望を持てと

言うかもしれない。

 

もちろん、

夢や希望どおりに

生きられた人間は、

けっこうな人生を

送れたのだから

すばらしい。

 

拍手を送ろう。

 

しかし、

私が今まで生きて

わかったことがある。

 

それは、

人生では

夢が叶わなかったり、

希望どおりにいかなかったり

することのほうが

ずっと多いということだ。

 

現実では、

ほとんどの人間は

夢破れる。

 

でも、心配するな。

 

夢が破れても

人は生きていくことができる。

 

そのほうが

もっと大事なことだ。

 

その証拠に

まわりを見てみるといい。

 

先生や君たちの親が、

子どもの頃の夢を叶えて、

理想の人生を

生きているか?

 

畑仕事したり、

公園のベンチに座っている

おじいちゃんや

おばあちゃんに、

 

いまさら

夢や希望が要ると思うか?

 

そんなものを

叶えていなくても、

みんな十分元気で

いるのだろう。

 

だから、

夢や希望なんて

持たなくても大丈夫。

 

なんの問題もないから、

安心していいのだ。

 

 

そうですね・・・

 

私、中学生のころは、

「夢」といわれても、

ピンとこなかった記憶が

あります(^^;

 

受験が近くなってから、

何となく、

「勉強やらねば・・・」

と思った程度でして。

(成績もトップクラスでは

ありませんでしたし(^^;)


ちなみに、

たしか、小学校卒業の頃だったか、

将来なりたい職業を、私、


「弁護士か秘書か政治家」

と書いた記憶があります(^^;

 

我ながら、

嫌なガキですね(苦笑)


どんな仕事かも、よくわからずに、

ただ、偉そうだとか、

尊敬されそうだからといった、

浅はかな理由で書いた記憶が・・・


ああ、恥ずかしい(^^;


で、話は戻りますが、

もちろん、

「夢」を持って、

それに向かって努力するに

越したことはありませんが、

 

無理矢理、

「夢」を持とうとしたり、

「夢」がないからといって、

焦る必要はないということですね。

 

 

未来ある中学生に、

身もフタもないことを

言っていると

思うかもしれません。

 

しかし、

彼らは明らかに

話に食いついてきました。

 

つまり、

リアルな話だったのです。

 

 

中学生も、

意外と、きれいごとではない、

人生のリアルを見抜いているのかも

しれません(^^;

 

 

(中略)

 

私が本当に

偉いと思うのは、

 

夢や希望を叶えて

生きる人では

ありません。

 

夢に破れても

生きていく人です。

 

「この目標を叶えたい」

という願いが

叶わなくても、

しぶとく生きていく

人です。

 

 

「しぶとく生きていく」

 

いいですね・・・

 

世の中は、

思い通りにならないことが多い。

 

だからこそ、

たまに、思いが叶ったときには、

喜びを感じられるわけですが、

 

それにしても、

思いどりにならないことのほうが

はるかに多いというのが

実感です。

 

その中でも、

「しぶとく生きていく」

 

大切にしたいです・・・

 

 

-------------------------------------------------

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今、話題のベストセラー!

 

地球の歩き方 ムー

 

 

を紹介しています(^^)

 

「地球の歩き方」シリーズ

と月刊誌「ムー」がコラボした、

企画本なのですが、

 

「地球の歩き方」らしく、

マジメに解説している箇所と、

「ムー」的に、

もしかしたら・・・

と解説してある箇所があり、

なかなかおもしろいです。

 

たとえば、

ペルーの「ナスカの地上絵」。

 

 

紀元前後~800年頃

にかけて、

海岸から80Kmほどの

乾燥地帯にひとつの文明が

栄えていた。

 

謎の地上絵で知られる

ナスカ文明である。

 

ナスカの人々は

広大な大平原

(パンパ・インヘニオ)

に何を思ってか

数百にわたる直線を引き、

三角形の図形、動物、魚、

植物などの絵を描いた。

 

それも空中からしか

わからないほどの

巨大な大きさで。

 

いったいこれらは、

何を意味しているのだろうか。

 

 

ほんとそうですよね~、

 

私は、子供の頃から

すっと疑問に感じているのですが、

 

たとえば、有名な、

ハチドリの絵、

 

ナスカ|コンドル

(写真お借りしました)

 

これ、

飛行機ぐらい

空中のかなり高いところからでないと、

何が描かれているのか

分からないんですね・・・

 

 

溝は深さ10cm、

幅20cmほどで、

近くで見ると

車のわだちのようにしか

見えない。

 

地上に立って

そこから巨大な絵を

イメージするのは

不可能というものだ。

 

 

では、いったい、

地上絵は何のために

描かれたのでしょうか。

 

「地球の歩き方」

的には、

こう解説されています。

 

 

古代のカレンダー?

 

雨がほとんど降らない

ナスカでも、

ナスカ川とその支流は

たびたび氾濫した。

 

洪水や渇水、

種まきや収穫は

農耕文化最大の関心事で、

神官たちが暦づくりや

予言のために

このような

大がかりな地上絵を

準備したとしても

不思議ではない。

 

地表に描かれた

動物のうち、

シャチ、クモ、オウム

の解釈については、

農耕に関する特定の時期を

示したものとする説や、

プレ・インカ時代に共通する

呪術的文様の一種とみなす

説などもある。

 

 

なるほど・・・

農耕に関するカレンダー的なもの

だという説があるのですね。

 

しかし、

地上からみても、

何が描かれているのか

分からないし、

 

この時代に、

飛行機は存在しないし、

 

いったい何故?

 

「ムー」的な解釈だと、

こうなります(^^;

 

 

ペルーの

古い言い伝えによると、

地上絵はピラコチャと

深い関わりがあるという。

 

これはインカ帝国で

信仰されていた神で、

彼らに文明を与えた者である。

 

もしかすると

滑走路と呼ばれる地上絵は、

本当にピラコチャの宇宙船

(UFO)が

使用していたのかもしれない。

 

 

ええっ、

神=異星人のための

滑走路?

 

デニケンという人の説が

紹介されています。

 

 

ナスカの地上絵は、

地球外生命体からの

指示により、

当時の人々が

宇宙船の飛行場として

造ったものとされる。

 

またいくつかの

絵については、

実際の地球外生命体を

描いたものも存在すると

主張した。

 

デニケンはさらに、

ナスカの地上絵だけでなく、

エジプトのピラミッドや

ストーンヘンジ、

イースター島のモアイ

などもすべて、

同様に地球外生物体の

知識に基づいて

造られたものだと主張。

 

古代の壁画や遺物にも

地球外生命体の姿を

描いたものが

多く含まれており、

それがやがて

宗教の誕生にも

つながっていったと

解釈したのだ。

 

 

な、なんと!

 

エジプトのピラミッドや

ストーンヘンジ、

イースター島のモアイ

なども、

地球外生物体の知識に基づいて

造られたと・・・

 

たしか、

私の大好きな映画

「インディージョーンズ」

シリーズの中にも、

異星人が登場する回があったのを、

想起しました(^^;

 

もちろん、これは、

ファンタジーの世界なのですが、

しかし、あながち

100%空想とは言い切れない・・・

 

私は、もしかしたら、

古代文明は、

異星人が関わっていたのかもしれないと、

密かに思っています(^^;

 

 

ペルーのナスカの現地には、

私は行ったことがないのですが、

実際に行ったことがあるところも、

新たな発見があったりして、

楽しめます(^^)

 

たとえば、

カンボジアのアンコール遺跡。

 

私が今まで訪れた

数少ない世界遺産の中では、

かなりの、おすすめスポットです(^^)

 

有名な、

アンコール・ワット

(ここの日の出の風景は感動ものです)

はもちろんのこと、

 

周辺の、

アンコール・トムや、

(遺跡の中を登って進めます)

タ・プロ―ム

(木の根っこが遺跡に

侵食していて迫力があります)

 

など他の遺跡もすばらしくて、

死ぬまでにもう一度

再訪したいと思っているのですが、

 

ここでも、

「ムー」的なミステリーが

紹介されていますよ(^^;

 

 

タ・ブロームの南西角に、

レリーフが複数掘られた

柱がある。

 

そのレリーフのひとつは、

なんと

ステゴサウルスそのもの。

 

1000年ほど前の人が

なぜ、恐竜の姿を

知っていたのか!?

 

 

シェムリアップ最終日。<br /><br />シェムリアップ19時40分発の飛行機ですので、まだまだ時間はあります。<br /><br />部屋も16時まで使用可能。<br /><br />さて、今日はどうしますかねー?と夫と相談の結果、昨日は時間が無くて探しきれなかった「タ・プローム」で、恐竜のレリーフをもう一度探しに行く事になりました。

(写真お借りしました)

 

私は、現地ではたぶん見逃しましたが、

(記憶にはありません)

 

たしかに、

ステゴサウルスそのものだ・・・

 

1000年前に、

恐竜が実在した・・・

わけはないので、

 

やはり、

異星人が時空を超えて・・・???

 

 

妄想が膨らみます(笑)

 

 

 

--------------------------------------------------

 

 

 

以上、

今、話題のベストセラー、

 

地球の歩き方 ムー

 

 

から、

私の印象に残ったところを、

ちょっとだけ紹介しました(^^;

 

世知辛く、息苦しい世の中。

 

たまには、

こういった本を読んで、

世界中の古代遺跡やパワースポットを

空想の中で旅しながら、

 

「ムー」的な説に対しては、

 

「それは、ありえない!」

とツッコミを入れたり、

「それは一理あるかも・・・」

と妄想を膨らませるのも、

なかなか楽しいと思いますし、

 

ある意味、

視野が広くなったり、

頭も柔らかくなるような気がします。

(ほんとうか(^^;)

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、

別の本を紹介しますね(^^)

 

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

丹沢の大野山に登りました。

おかげさまで、富士山絶景でした🗻

 

皆さまにも、

🗻パワー届け!

 

 

 

 

登山道に咲いていました。

 

センス・オブ・ワンダー

自然の造形物は、なんて美しいのでしょう・・・

 

 

 

 

近所の鶴見川も、

だいぶ緑が濃くなってきました。

 

新緑の匂いがします🍀

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

皆さま、

GWはいかがお過ごしでしょうか。

 

とても天気がいいので、

私は、明日あたり、

丹沢の低山に山歩きに行こうと思いますが、

 

(ちなみに、

さきほど、ワークマンプラスで、

アウトドア用の服を買ってきましたが、

びっくりするほど安かったです。

おすすめです!)

 

GWは基本的に遠出はせずに、

の~んびり過ごしております😊

 

で、今回紹介する本は、

今、話題の本!

 

地球の歩き方 ムー

 

 

です(^^)

 

皆さま、

海外旅行をよくされる方は、

「地球の歩き方シリーズ」

はお馴染みだと思いますが、

 

「ムー」ってご存知ですか?

 

ムー 2022年5月号 雑誌

 

1979年の創刊以来、

「世界の謎と不思議」に

ずっと挑み続けている月刊誌。

 

モアイ像やピラミッドの謎、

未確認生物UMA(ネッシーやビックフット)、

幻の大陸ムーやアトランティス、

果てはUFOや宇宙人、

オカルト現象まで扱うという、

かなり怪しい雑誌なのですが(笑)

 

福山雅治さんをはじめとした

芸能人や出版業界にも、

コアなファンが多い、

知る人ぞ知る雑誌です(^^;

 

その「ムー」と、

「地球の歩き方」がコラボしたのが、

この本!

 

(ちなみに、

お馴染みの「地球の歩き方シリーズ」は、

コロナ禍でさっぱり売れなくなり、

苦境に陥っているようですが、

こちらは大ヒット!よかったです)

 

で、この本は、

「地球の歩き方」のノリで、

主に、世界中の古代遺跡や

パワースポットを中心に

紹介がされているのですが、

(世界ふしぎ発見のミステリーハンターの

インタビュー記事もあります)

 

今の海外旅行になかなか行けない時代、

 

「たしかに、

これは宇宙人の仕業かも???」

 

と妄想を膨らませながら読むと、

けっこう楽しめますよ(^^;

 

巻頭の、

地球の歩き方編集部×ムー編集部の、

 

「旅をしよう」

 

というメッセージがいいです(^^)

 

引用します。

 

 

旅をしよう

 

知らない世界を見るために

旅をしよう

 

知らない誰かに会うために

 

想像をはるかに超えて

私たちの前に現れる何か

 

言葉にはできない

何かを探しに行こう

 

私たちが知っている過去は、

歴史のほんの一瞬

 

未来も、

やがて過去となる

 

いま、あなたが住んでいる町も

いつかは廃墟となり、

遺跡となるかもしれない

 

時間軸は、

私たちを超えていく

 

水は生けるものを潤し

木々はぬくもりをあたえ

星は未来への指針を成す

大地にはすべてを包む

チカラがある

 

旅に出よう

知らない世界を見るために

 

携えるのは、

ほんの少しの好奇心

 

 

 

ああ・・・

私も旅に出たい(笑)

 

知らない世界を見たい!

 

 

GWに遠出する方も、

私のように遠出はしない方も、

 

この本を読んで、

妄想を膨らませながら、

頭の中で不思議の世界を旅するのは

いかがでしょうか。

 

この本は、

ビジュアルが魅力的なので、

それが掲載できないのは

とても歯がゆいのですが、

 

次回、文章のみになりますが、

内容の一部、

ナスカの地上絵や

アンコールワット遺跡あたりを、

ちょっとだけ紹介したいと思います。

 

 

-----------------------------------------------

 

 

次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

皆さま、ステキなGW後半を

お過ごしくださいね🍀

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、道を歩いていると、

あま~い花の香りが

漂ってくることが多いです😊

 

何の花だろう?

 

で、

遠藤周作さんの小説

 

 

 

を3回に渡って

紹介してきました。

 

今回で最終回にします(^^;

 

ネタバレになってしまうので、

ストーリーは、

詳しく紹介しませんが、

 

侍の長谷倉(支倉常長がモデル)は、

苦難の末、

数年ぶりに

日本に帰国します。

 

しかし、

帰国後の日本は・・・

 

 

・・・政に翻弄されつつも、

侍は、こんな境地になります。

 

 

「俺は形ばかりで

切支丹になったと

思うてきた。

 

今でもその気持ちは

変わらぬ。

 

だが御政道の何かを

知ってから、

時折、

あの男のことを

考える。

 

なぜ、あの国々では

どの家にも

あの男のあわれな像が

置かれているのか、

わかった気さえする。

 

人間の心の

どこかには、

生涯、

共にいてくれるもの、

裏切らぬもの、

離れぬものを―

 

たとえ、

それが病みほうけた

犬でもいい―

求める願いがあるのだな。

 

あの男は

人間にとって

そのようなあわれな犬に

なってくれたのだ。

 

 

あまりにも

理不尽な目に遭った

主人公の侍は、

 

その時はじめて、

生涯、共にいてくれるもの、

裏切らぬもの、

離れぬものを求めたくなる

自分の気持ちに

気づいたんですね。

 

主人公の侍だけでなく、

人は皆、生きていれば、

多かれ少なかれ、

思い通りにならないことや、

理不尽なことを経験します。

 

そんな時には、

生涯、共にいてくれるもの、

裏切らぬもの、

離れぬものを求めたくなります。

 

たとえ、病みほうけた

犬でさえも・・・

 

私の場合は・・・

 

飼い猫の宮音(みやお)くん

でしょうか。

 

いや~、

ちょっと気まぐれすぎるかも

しれませんが。

 

そばにいると思ったら、

すぐにどこかに

いってしまいますので(^^;

 

主人公の侍の場合は・・・

 

まるでイエスのような存在が、

実は身近にいることに

気づくのですが、

 

それが何なのかは、

本書を読んでの

お楽しみということで(^^;

 

 

あまたの国を歩いた。

大きな海も横切った。

 

それなのに結局、

自分が戻ってきたのは

土地が痩せ、

貧しい村しかない

ここだという実感が

今更のように

胸にこみあげてくる。

 

それでいいのだと

侍は思う。

 

ひろい世界、

あまたの国、

大きな海。

 

だが人間は

どこでも変わりなかった。

 

どこにも争いがあり、

駆引きや術策が

働いていた。

 

それは殿のお城のなかでも

べラスコたちの生きる

宗門世界でも同じだった。

 

侍は自分が見たのは、

あまたの土地、

あまたの国、

あまたの町ではなく、

 

結局は

人間のどうにもならぬ

宿業だと思った。

 

そして

その人間の宿業の上に

あのやせこけた醜い男が

手足を釘づけにされて

首を垂れていた。

 

「我等、

悲しみの谷に泪して

御身にすがり奉る」

 

テカリ(メキシコ)

の修道士はその書物の最後に

そんな言葉を書いていた。

 

このあわれな谷戸と

ひろい世界とは

どこが違うのだろう。

 

 

主人公の侍は、

形だけ受け入れていたキリスト教を、

 

最終的には、

心の底から

受け入れたのだと思います。

 

ただし、

権威主義的なキリスト教ではなく、

同伴者イエスのキリスト教を。

 

これは、

心理学的にいえば、

自分の「影」の部分、

 

すなわち、

侍の矜持として

受け入れることのできなかった

自分の「弱さ」の部分を、

統合することができたとも

いえると思います。

 

そして、

実は身近なところにいた、

同伴者イエスのような存在に

気づくことができた・・・

 

しかし、その時には・・・

 

 

・・・これ以上は、

ネタバレになりますので(^^;

 

よかったら、是非、

本書をお読みくださいね。

 

 

 

------------------------------------------------

 

 

 

以上、

3回に渡って、

 

遠藤周作さんの小説

 

 

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を、

紹介、解説してきました。

 

 

人間、生きていれば、

思いどりにならないこと、

理不尽な思いや、つらい経験を、

たくさんします。

 

自分の力だけでは、

どうにもならないこと、

 

「ああ・・・」

と天を仰ぎ、

ためいきをつくしか、

できないこともあります。

 

そんな時に、

ただひたすら

寄り添ってくれる存在・・・

 

 

私は、細々とですが、

カウンセラー活動を続けています。

 

もちろん、

「枠」の中での制約はありますが、

 

微力ながらも、

クライアントの悩みに

共感的に寄り添い続ける、

同伴者のような存在でありたいと

思っています🍀

 

 

ちなみに、

同伴者イエスの生涯については、

同じく遠藤周作さんの、

 

イエスの生涯

 

 

をご一読されるのを

オススメします(^^)

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

------------------------------------------------

 

 

 

おまけです。

 

 

最近のマイブームスポット!

 

葉山の森戸大明神付近から、

裕次郎灯台と海の鳥居を望みます。

(逆光ですみません(^^;)

 

侍の旅に、想いを馳せながら・・・

 

 

 

 

 

帰宅したら、

玄関で謎の踊り・・・

 

「同伴者」というより、

「ダンサー」ですな(^^;

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

遠藤周作さんの小説、

 

 

 

を読んで、

私が印象に残ったところを、

紹介、解説しています。

 

主人公である、

侍の長谷倉(支倉常長がモデル)

ら一行は、

仙台藩の命を受けて、

はるかローマまで、

帆船で向かうのですが、

 

メキシコの地でインディオと暮らす、

日本人の元修道士と出会います。

 

帰路にも再会して、

こんな会話を重ねます。

 

 

「この俺たちも」

 

侍は恥ずかしげに

うつむいた。

 

「やむなく切支丹となった。

心からではないが・・」

 

「今も信じては

おられませぬか」

 

「信じてはおらぬ。

すべて、

お役目のためだった。

 

お前こそ、

まこと、

あのイエスと申す男のこと、

信心しておるのか」

 

「信じております。

前にも申し上げました。

 

だが、

私の信じておりますのは、

教会や神父たちの説く

イエスではございませぬ。

 

主の御名を借りて

インディオの祭壇を

焼き払い、

主の御教を広めるためと言って

インディオを村から追い払った

神父たちと私とは

同じ心ではございません」

 

 

たしかに、

史実でも、神父たちは、

メキシコのインディオたちを

結果的に虐げました。

 

そんな神父たちの説く、

イエスとは違う。

 

 

「あのような、

みすぼらしい、

みじめな男を

なぜ敬うことができる。

 

なぜあの痩せた醜い男を

拝むことができる。

 

それが俺には

ようわからぬが・・・」

 

 

武士として、

権力者である主君に

忠誠を尽くしてきた侍には、

よくわからない。

 

なぜ、みすぼらしいイエスを、

敬うのか・・・

 

 

「私も・・・むかし」

 

と元修道士はうなずいた。

 

「同じ疑いを持ちました。

だが今は、

あの方がこの現世で

誰よりも、みすぼらしゅう

生きられたゆえに、

信じることができます。

 

あの方が

醜く瘦せこけた

お方だからでございます。

 

あの方には

この世の哀しみを

あまりに知ってしまわれた。

 

人間の嘆きや苦患(くげん)に

目をつぶることが

できなかった。

 

それゆえにあの方は

あのように痩せて

醜くなられた。

 

もしあの方が

我らの手も届かぬほど、

けだかく、

強く、

生きられたなら、

このような気持ちには

ならなかったで

ございましょう」

 

(中略)

 

「あの方は、

生涯、みじめであられたゆえ、

みじめな者の心を

承知されておられます。

 

あの方は

みすぼらしく死なれたゆえ、

みすぼらしく死ぬ者の

悲しみも存じておられます。

 

あの方は、

決して強くもなかった。

 

美しくもなかった」

 

 

侍の一人が、反論します。

 

ローマの都をはじめ、

我らが見てきた教会は、

金殿玉楼のごとく、

飾り立ててあったと・・・

 

 

「あの方が

それを望まれたとお思いか」

 

元修道士は

怒ったように首を振った。

 

「あの方が

そのような飾り立てた教会に

おられるとお思いか。

 

そうではない。

 

あの方が住もうて

おられるのはな・・・

 

そのような

建物ではない。

 

このインディオの者たちの

あわれな家の中と

思います」

 

「なぜ、そうなのだ」

 

「あの方のご生涯が・・・

そうでございました」

 

(中略)

 

「あの方は一度も、

心驕れる者、

充ち足りた者の家には

行かれなかった。

 

あの方は、

醜い者、

みじめな者、

みすぼらしい者、

あわれな者だけを

求めておられた。

 

だが今、

司教も司祭も

この国では心富み、

心充ち足りております。

 

あの方が求められた

人間の姿では

なくなっております」

 

 

そうですね・・・

 

荘厳な教会。

美しく、大迫力で、神々しい。

 

私は、特にキリスト教の信者

というわけではないのですが、

イタリアやドイツの大聖堂を、

観光や出張で訪れたことがあります。

 

やっぱり、大聖堂に入ると、

何だか、圧倒されるような、

心洗われるような、

精神的に高まるような感じがします。

 

「場」の力というものを

ひしひしと感じます。

 

大好きな空間です(^^)

 

しかし、

よくよく考えて見たら、

たしかに、

「イエス」がいる空間ではないのかも

しれません。

 

人知を超えた権威の象徴として、

人々が仰ぎ見る存在として、

作為的に造られただけなのかも

しれない・・・

 

 

「だがな、

俺にはどうしても」

 

と侍は申しわけなさそうに

呟いた。

 

「お前のようにあの男を

思うことはできぬ」

 

 

「あなたさまが

あの方を心に

かけられずとも・・・

 

あの方は

あなたさまをいつも

心にかけておられます」

 

 

「あの男のことなど

考えずとも

生きて参れる」

 

 

「まことにそうで

ございますか」

 

 

侍は、武士として、

おのれの「弱さ」を、

受け入れることができない。

 

というか、

そもそも、

自覚ができない。

 

なぜなら、

忠義という名において、

その気持ちを、ずっと

押し殺してきたから・・・

 

 

「人が一人で

生きうるものならば、

どうして世界の至る所に

歎きの声がみちみちて

いるのでございましょう。

 

あなたさまがたは

多くの国を歩かれた。

 

海を渡り、

世界をまわられた。

 

だがその

いずこにても、

嘆く者、

泣く者が、

何かを求めているのを

眼にされた筈で

ございます。

 

 

世界中、

どんなところでも、

たとえ、一見、

幸せそうで、

悩みなどないように見える人でも、

 

人は皆、悲しみを抱えて

生きているのだと思います。

 

もちろん、

私自身も・・・

 

 

「泣く者は

おのれと共に

泣く人を探します。

 

嘆く者は

おのれの嘆きに

耳を傾けてくれる人を

探します。

 

世界がいかに変わろうとも、

泣く者、

嘆く者は、

いつもあの方を求めます。

 

あの方は

そのためにおられるので

ございます」

 

 

「俺にはわからぬ」

 

 

「いつか、

おわかりになります。

 

このこと、

いつかおわかりになります」

 

 

「いつか、

おわかりになります・・・」

 

思い通りにはならない世の中。

 

理不尽な、

自分の力では抗うことができない、

どうにもならない運命に

翻弄されるとき、

 

人は、ただひたすら、

寄り添ってくれる存在、

 

一緒に歎き、

悲しんでくれる存在、

 

すなわち、

同伴者イエスのような存在を、

求めるのだと思います。

 

侍にも、

それが分かる時がくるのですが・・・

 

 

 

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次回に続きますね(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 


 

庭のコデマリが咲きました🍀