ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

望まない孤独

 

 

という本を紹介しています。

 

著者は、

大空幸星さん。

 

慶応義塾大学在学中に、

NPO法人

あなたのいばしょ

を立ち上げたという、

素敵な若者です(^^)

 

この、

あなたのいばしょ

では、無料・匿名の

「チャット」を通じて、

悩みを聴くんですね。

 

電話ではないのです(^^;

 

考えて見たら、

特に若い人は、

あまり電話を使いません。

(おじさんの私ですら、

プライベートでは

あまり使わなくなりました)

 

ほとんどの

コミュニケーションのやり取りは、

メールかチャットですよね。

 

そんな時代に合わせたやり方で、

悩み相談を受け入れているNPOが

あなたのいばしょ

なのですが、

 

前回、現代社会で、

「望まない孤独」

が広まっている要因は、

「懲罰的自己責任論」

が世の中に蔓延しているからではないか、

という、

著者の主張を紹介しました。

 

私も、

それは多分にあるような気がします。

 

では、なぜ、

「懲罰的自己責任論」

が蔓延してしまったのでしょうか。

 

ひと昔前は、違ったようです。

 

 

アメリカの政治学者

ヤシャ・モンクは著書

「自己責任の時代」

(みすず書房2019年)で、

 

「年長者世代は、

責任とは

人助けの義務のことだと

考えてきた。

 

 

いわゆる、

ノブレス・オブリージュ

(力のある者は、

人のために尽くす義務がある)

にも通じる考え方ですね。

 

しかし、今は・・・

 

 

一方、

今日広く浸透している

責任像は、

極めて懲罰的(punitive)

なのである」

 

と述べている。

 

すなわち、

責任という言葉のもつ意味が、

他者に対する義務的な責任から、

いつしか

「自分」の選択によって

引き起こされる結果への責任に

変質していったのだ。

 

 

責任の定義が、

「人助けの義務」

だという考え方から、

 

いつの間にか、

「自分が選んだことの結果責任は、

自分で負う」

 

という形に変わってしまった・・・

 

 

こうした変化は、

1980年代から

90年代の米レーガン政権や

英ブレア政権などによって

広がってきた。

 

(中略)

 

こうした責任に対する

考え方は、

米国内の右派・左派問わず

共感を呼び、

急速に広がっていき、

世界に波及した。

 

 

いわゆる、

新自由主義の考え方ですね。

 

日本の小沢一郎氏や、

小泉純一郎氏も、

その影響をうけたといます。

 

 

今日、自己責任論は、

日本社会に

深く根差している。

 

いまの社会に根づいている

この自己責任論とは、

 

「己の人生の責任は

すべて自らが負うべきである」

 

という考え方に基づき、

不本意な結果への責任を

懲罰的なやり方によって

負わそうとするものである。

 

この考え方は次第に

「自業自得」

という考え方へと

変換されていく。

 

結果への責任と

行動への責任とが混在し、

仮にネガティブな結果が

生じたとしても、

それは個人が選択して

行動した結果として

起きたことであるため、

社会の構造や環境要因に

責任を求めるのは

違うというわけだ。

 

 

こういった

懲罰的な自己責任論は、

世の中全体に蔓延しているため、

 

たとえば、

多くの子供たちを、

自己否定ループに追いやっている要因

にもなっているのではないかと、

著者は主張します。

 

いじめられても、

DVを受けても、

「自分が悪いからだ」

と思ってしまったり、

「親や先生に心配をかけたくないから」

と考えて、

一人で抱え込んでしまったり・・・

 

悲しいことに、

スクールカウンセラーが

多く配置されているにもかかわらず、

近年、子どもの自殺者は、

増え続けているわけです・・・

 

 

2018年に

英エコノミスト誌と

米カイザー・ファミリー財団が

共同で実施した調査では、

 

「孤独は自己責任である」

と答えた

日本人の割合は44%で、

 

アメリカ人の23%、

イギリス人の11%

と比べても

突出して高かった。

 

 

なんと、

日本は、アメリカやイギリスよりも、

孤独は自己責任だと

考えている人が多い・・・

 

つれない世の中になったものです。

 

新自由主義は、

もちろん、いい面もあり、

すべてを否定することは

ないと思いますが、

 

そのせいで、

「懲罰的自己責任論」

が世の中に蔓延しているのであれば、

 

そこの部分は、

是正したほうがいいと私は考えます。

 

「望まない孤独」

は他人事ではないからです。

 

長い人生、

いつ、自分が、

「望まない孤独」に陥るとも、

限らない。

 

人間関係で陥るのはもちろんのこと、

病気や、災害に遭う可能性だって

あるわけです。

 

寂しい時、つらい時には、

「弱みを見せてはいけない」

というスティグマ(呪い)

を感じることなく、

気軽に、人に頼ったり、

相談できる社会。

 

「弱さ」を否定するのではなく、

受け容れ合い、助け合う社会。

 

それが、

自分自身が生きやすい

世の中になりますし、

 

ひいては、

すべての人々が、

安心して生きられる世の中に

繋がるような気がします。

 

 

著者の、

大空幸星さんは、

「望まない孤独」

をなくすために、

 

あなたのいばしょ

という、無料・匿名の

チャット相談窓口の運営や、

メディア露出によるアピールなどに、

全力を尽くされているわけですが、

それだけでは、

なかなか抜本的な解決はしない。

 

「望まない孤独」

を生み出す「源流」に

アプローチしなければならない

と考えたといいます。

 

それは、つまり、

国の「政策課題の対象」

にするということです。

 

著者のすごいところは、

実際に、政府に対して、

具体的な、

「孤独対策の実現に向けた提言」

をして、

 

なんと、それが、

2021年菅内閣時の、

「孤独担当大臣」

設置に繋がったんですね!!

 

発足時の、

坂本大臣のメッセージです(^^)

(現職は野田聖子さんです)

 

 

 

いち大学生の提言が、

政府を動かした!

 

そのいきさつなどは、

本書に述べられていますが、

 

この提言とは、

大きく、

 

 

1,国として孤独対策に取り組む

意思の明確化

 

2,効果的な対策のため、

孤独に関する調査研究を推進する

 

3、社会全体で孤独対策を実施する

体制を整える

 

4,孤独に対するスティグマの低減と

正しい理解の普及

 

5,すべての人が頼れる存在に

アクセスできる体制を整える

 

 

の5つになります。

 

次回、その中身を、

少し紹介・解説させていただきますね。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

 

---------------------------------------------------

 

 

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

 

知多半島の

尾張高野山宗総本山 岩屋寺

(意外にも)見どころの多い、

すばらしいお寺でした!

 

 

 

奥の院。

とても神秘的でスピリチュアルな空間でした🍀

おすすめします!

 

 

 

 

新幹線富士川鉄橋より。


富士山頂付近の雪は、

ほとんどなくなってきた感じですね。

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

望まない孤独

 

 

という新書本を紹介します(^^)

 

著者は、

大空幸星さん。

 

慶応義塾大学在学中に、

NPO法人

あなたのいばしょ

を立ち上げたという、

志があるのはもちろんのこと、

実行力もある、

すばらしい若者です!

(最近、新聞や報道番組などでも

よくお見かけしますね)

 

あなたのいばしょ

とは、

「望まない孤独」

をなくすという理念のもと、

24時間365日、

無料・匿名のチャットで

相談を受け付けるというNPO法人で、

多くのボランティア相談員の方に、

支えられています。

 

皆さんご存知のように、

社会全体のつながりが

希薄化している中、

新型コロナの長期化によって、

孤独・孤立の問題が

より一層、顕在化している

といいます。

 

この本では、

「孤独」について、

こう書かれています。

 

 

「孤独を愛せ」や

「孤独が人を強くする」

といった

非科学的な精神論を

説く者もいる。

 

しかし、孤独は

愛するものでも、

人を強くするものでもない。

 

孤独は

社会的なつながりが

不足している状態であり、

そこから生起される

孤独感は、

誰かとのつながりを

求めている、

身体のサインだ。

 

愛することで

乗り越えられるものでも、

人を強くするものでもない。

 

 

「孤独を愛せ」

「孤独が人を強くする」

というのは、

当てはまる場合もあると思いますが、

 

その場合は、

「ある程度、満たされている人間が、

いつも仲間とつるんでいるのではなく、

時には一人になって、

自分の内面を見つめることも必要だ」

というような意味だと思います。

 

しかし、

慢性的な孤独は、時に、

生きる希望を失うことに

なりかねません。

 

 

孤独とはすなわち、

本人の意志に関係なく、

社会的なつながりの質と量が

不足している時に生じる、

不快な経験なのだ。

 

平たく言えば、

頼りたいと思っていても

頼れない、

話したいと思っていても

話せない、

「望まない」

ものと言える。

 

しかし、

前述したように、

さまざまな孤独の定義を

試みる者がいる中で、

孤独について

自らひとりで耐えるものだとの

「誤解」が広がらないよう、

あえて

「望まない孤独」

という言葉をつくった。

 

 

「望まない」孤独。

 

時にはあえて一人になる、

というのは、望む孤独であって、

望まない孤独ではないですよね(^^;

 

「望まない」孤独。

 

「質と量」とありますが、

社会的なつながりの「量」

が少ないのはもちろんのこと、

いくら「量」があっても、

「質」が伴っていない場合、

「望まない」孤独に陥っていることも

あるわけです。

 

 

家族やコミュニティとの

接触が頻繁にある状態でも、

孤独を感じることはある。

 

家族や友人、同僚がいても、

自らの悩みについて

打ち明けられなければ

孤独を感じる。

 

それは社会的つながりの

量が充足していたとしても、

質が不足しているからだ。

 

 

「周りの人に、

悩みを打ち明けられない」

 

これは、現代社会が抱える

大きな盲点だと考えます。

 

この本にも紹介されていますが、

いじめられている子供が、

「親や先生に心配をかけたくない」

といった理由で、

一人で抱え込んでいるケースがあります。

 

むしろ、

親との関係が良好な子供に、

当てはまることが多いようです。

 

組織の中で責任のある立場の、

40代男性が、

上司、部下、家族、

誰にも頼ることができず、

追いこまれてしまったケースもあります。

 (うう、他人事ではない・・・)


何故か。

 

何故、追い込まれてしまうのか?

 

本書では、

「懲罰的自己責任論」

が蔓延しているからではないかと

主張します。

 

 

「責任ある立場」

という役割によって、

周りに自らの弱みと

認識される可能性のある

「頼る・相談する」

という行為が制約される。

 

そうした状況に置かれると、

「悩んだり苦しんだりするのは

自分が至らないせいだ」

という自業自得な感覚を

自然に抱きはじめるのだ。

 

そして、

社会もそれを容認するため、

懲罰的な自己責任論に基づく

自己否定ループに陥っていく。

 

 

これ、わかります(^^;

 

「責任ある者は、強くあらねばならぬ」

「部下に、弱みを見せてはいけない」

「悩みを吐き出すことは、弱い人間である」

 

といった

「スティグマ」

(負のイメージ・烙印)

を自ら抱えてしまうということですね。

 

だから、人を頼ったり、

相談したりすることが、

できなくなる。

 

これは、男性に多いですが、

近年、管理職が増加している女性にも、

当てはまる問題ですね。

 

もちろん、

管理職や社会人だけでなく、

「懲罰的自己責任論」

は、今の時代、

老若男女、あらゆる人々の中に、

蔓延しています。

 

実際、

いじめについて相談してくる

子供の多くは、

「自分が悪いけど・・・」

という言葉を用いるそうです。

 

NPO法人

あなたのいばしょ

では、

そんな、望まない孤独を抱える人々に、

ボランティア相談員さんが、

チャットを通じて、

傾聴・共感しながら、寄り添う・・・

 

そのうえで、

「本当によく頑張っておられますね・・・」

とねぎらって差し上げると、

 

「はじめてほめられました。

なんか涙が出てきました。生きてみます」

 

と相談員に伝えてくれるケースも

あるようです。

 

いかに、現代社会において、

肯定や承認をされる機会が少ないかと

いうことですね。

 

 

この懲罰的自己責任論は、

自己否定ループを

生み出すだけでなく、

孤独を抱えても

誰にも頼ってはいけないという

スティグマを強化していく。

 

そのため、

「自業自得」

という考えに近い

懲罰的自己責任論を

いかにして乗り越えるか

ということこそ、

望まない孤独のない社会を

形成するための

重要なポイントとなる。

 


「懲罰的自己責任論」

が蔓延する現代においては、

誰もが、望まない孤独に陥る可能性が

あるわけです。

 

どうして、

「懲罰的自己責任論」

が蔓延してしまったのか?

 

そして、

どうすれば社会から

「望まない孤独」

を減らせるのか?

 

本書には、

具体的な提言がなされていますが・・・

 

 

 

----------------------------------------------------

 

 

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

禅宗(曹洞宗)の、

南直哉(みなみ じきさい)

さんの本、

 

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

 

 

から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で4回目。

最終回です(^^;

 

今回のテーマは、

「不動心」についてです。

 

 

人は、「他人の海」で

生きなければならないの

ですから、

ストレスや葛藤がないわけが

ありません。

 

感情に左右されないほうが

いいと思っている人は

多いかもしれませんが、

感情が揺れたり

乱れたりするのは当然です。

 

 

そうですね~

私も、情けないことに、

いい歳こいて、

けっこう、感情が揺れたり、

乱れたりしてしまいます(^^;

 

 

大事なのは、

その波に巻き込まれたり、

流されたりしないように

することです。

 

つまり、

感情が「心」という器から

こぼれさえしなければ

いいのです。

 

 

なるほど、

感情が心の器から、

こぼれなければ、いい。

 

 

「不動心」

という言葉があります。

 

これは私に言わせれば、

何があっても

岩のように動かない心

のことでも、

まったく波立たない

水面のように静かな心

のことでもありません。

 

生きているうちは、

そんな心を持つのは

無理な話です。

 

喜怒哀楽がなければ、

死んでいるのと、

同じですから。

 

 

・・・安心しました(^^;

 

「不動心」というと、

何事にも動じない、

鋼のような強靭な心をイメージします。

 

それは私には、

とても無理だと思いましたが(^^;

 

そうではないのですね。

 

 

私が考える不動心とは、

揺れてもいいが

こぼれない心のこと。

 

ヤジロベエのように

ゆらゆら動いたとしても、

軸は一点に

定まっている心のことです。

 

 

ヤジロベエ・・・

イメージしやすいですね(^^)

 

 

ヤジロベエは

どんなに大きく揺れても、

決して台から落ちません。

 

見事なものです。

 

不測の事態に動揺したり、

理不尽な目に遭って

怒りが込み上げたとしても、

しなやかに揺れて、

またスッと元に戻る。

 

 

なるほど・・・

 

別の本で読んだ話ですが、

一般人と、禅僧とで、

「びっくりした」際の、

心の動揺度(脳波)を、

機械で測定したことがあるそうです。

 

びっくりする出来事があると、

禅僧も、実は、

一般人と同じくらい

動揺するのですね(^^;

 

ただし、違うのは、

禅僧の場合は、

一般人よりも早く、

平常心に戻ることができる。

 

つまり、

心が、ヤジロベエだということです。

 

 

感情の問題の

十中八九は、

ものの考え方と

見方の問題です。

 

事態を正しく

認識していれば、

いったん感情が乱れても

それに翻弄されることは

ありません。

 

感情の波に

飲み込まれているときは、

自分の中の何かが

判断を誤らせています。

 

認識を誤らせるのは、

自分の立場やプライドを

守りたいという

気持ちかもしれません。

 

あるいは、

ひとつの観念に

執着しているからかも

しれません。

 

 

「自分の立場やプライドを守りたい」

「ひとつの観念に執着している」

 

どきっ・・・

 

これ、私の中で、

あるあるです(^^;

 

 

それをあらわにするには、

いったんテクニカルに

感情を止めればいいのです。

 

 

この、

「感情を止める」

というのは、

 

感情を無視するのではなく、

心理学的にいえば、

「自動思考」を止める。

 

ということだと、

私は捉えます。

 

感情の波にのまれると、

無意識にぐるぐると

「自動思考」が始まってしまい、

多くの場合、

悪い方向にどんどん妄想が

膨らんだりします。

 

それをふせぐために、

一時的に感情を止める

ということですね。

 

では、

「感情を止める」

クールダウンさせるには、

具体的にどんな方法が

あるのでしょうか。

 

 

頭で渦巻いている

感情や思考は、

自分の意志で

止めようと思って

止まるものではありません。

 

感情や思考の動きを

鎮静化させ、

意識の方向を

切り換えるためには、

体のほうから

感情をコントロールする

テクニックが必要なのです。

 

僧侶としては、

まず坐禅をおすすめします。

 

 

「坐禅」ですね。

 

私も、なんちゃって坐禅や瞑想

(あぐらも満足にかけないレベルですが)

をたまにするのですが、

 

ちなみに、

臨済宗青年僧の会さんの

オンライン坐禅会

はZOOMで気軽に参加できます(^^)

(顔出しをしなくても大丈夫です)

 

予約不要で、しかも無料😲

ほぼ毎夜、日替わりで

全国各地の臨済宗のお寺が

開催して下さいます。

 

ああ、ありがたや~。

おすすめです!

 

・・・この本に戻りますが、

坐禅の他にも、

 

 

散歩する、

 

昔の愛読書を読む、

 

お茶をじっくり味わう。

 

食事をひとりで

味わって食べる、

 

肌の感覚に

意識を向けながら

お風呂に入る。

 

 

などが、紹介されています。

 

気軽にできそうなもの

ばかりですね😊

 

その際には、

五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)

に集中することが、

大切とのことです。

 

 

「怒り」や「嫉妬」

が収まらない時の

対処の仕方に関しても、

この本に書かれていますが、

とても有益です(^^)

 

 

頭の中に

嫉妬心や怒りが

渦巻くときは、

「首から上」と

「首から下」を

切り離すイメージを

してみてください。

 

首から上、

つまり「頭」は、

感情の嵐が荒れるに

まかせます。

 

しかし

首から下の「体」は、

淡々と日常生活を

送るのです。

 

怒りで頭の中が

いっぱいだったとしても、

朝いつもの時間に

起きて支度し、

普通に食事をして、

昨日と同じように

仕事に出かける。

あるいは、

家事をする。

 

体はいつもどおりの

振る舞いを続けます。

 

 

嫉妬心や怒りが渦巻く時こそ、

決められたルーチンを

やり続けるということです(^^;

 

 

いったん

波立った感情は

しつこく居すわるので、

こちらも粘り強さが

必要です。

 

しばらく意識して、

行動し続けなければ

なりません。

 

しかし、

そうしていると

決定的な事態になる前に、

嵐のようだった感情は

枯れていきます。

 

 

感情的に振る舞ってしまうと、

あとで後悔することが

多いですよね(^^;

 

そうならないように、

ルーチンの作業に没頭して

怒りや嫉妬の感情が

枯れていくのを待つというのは、

現実的にとても有効だと思います。

 

こんな方法も紹介されています。

 

 

試しに、

腹が立っているときや

不満がつのるとき、

自分の思っていることを

ひとりで口に出してみるか、

紙に書き出してみてください。

 

長らく頭の中を

支配していた感情なのに、

意外にすぐ書き終わることに

驚くはずです。

 

そして、

フラットな状態で

その言葉を見てください。

 

いかに自分が

どうでもいいことを

思っているのかが

よくわかるはずです。

 

 

本人にとっては、

「どうでもいこと」とは、

なかなか思えないのですが(^^;

 

ただ、その感情を

実際に外に出す、

アウトプットしてみると、

客観視できるようになるのは

事実ですね。

 

そうしてみると、

そんなに深刻にならずとも、

いいのではないかと思えてきたり、

 

現実的な対処法が

見えてきたりもします。

 

ひとりでは、

なかなかうまくいかない時には、

たとえば、

カウンセラーと一緒に

取り組んでみるのも、

有効だと思います😊

 

 

 

---------------------------------------------------------

 

 

 

以上、

南直哉(みなみ じきさい)

さんの本、

 

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

 

 

を4回にわたって、

紹介・解説してきました。

 

なかなか辛口な内容もありますが、

思い通りにならない人生を、

いろいろな視点から捉えるための、

「ヒント」が満載です(^^)

 

このブログで紹介できたのは、

ごく一部ですので、

興味を持たれた方は、

ご一読されることをオススメします!

 

きっと、心に響く文章に

出会われると思います🍀

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

読んでくださる方がいればこそ、

ブログを続けることができます。

 

感謝、感謝です😊

 

 

次回は、別の本を紹介します。

 

 

 

 

-----------------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

長野県佐久市の貞祥寺

 

 

 

苔と新緑が、

とても美しかったです🍀

 

 

 

 

野沢の、ぴんころ地蔵😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

禅宗(曹洞宗)の、

南直哉(みなみ じきさい)

さんの本、

 

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

 

 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で、

3回目になります。

 

本書には、

こんな、どきっとするタイトルの、

章があります(^^;

 

 

「生きがい」や

「やりがい」をつくる必要は

まったくない

 

 

えっ、そんな殺生な・・・

 

「生きがい」や

「やりがい」があるからこそ、

生きていくハリがでるような

気もしますが・・・

 

 

生きがい探しを

したくなるのは、

現状に不満や不安が

あるときです。

 

抱えている問題を

直視して、

不具合を調整すれば、

生きがいなどは

無用でしょう。

 

 

「生きがい探しをしたくなるのは、

現状に不満や不安があるとき・・・」

 

どきっ、

 

痛いところを突かれた

気がしますが(^^;

 

どういうことでしょうか。

 

 

夢や希望が必要ないのと

同じように、

「生きがい」や

「やりがい」の類も、

無くてかまわないと

私は考えます。

 

「せっかく生まれて

きたのだから、

意味のある人生を送りたい」

 

と言う人がいますが、

「せっかく」はなく、

この世に

「たまたま」

生まれてきただけです。

 

 

う~ん、

この世に生まれてきたのは、

「たまたま」ではなく、

「自分の意志」で生まれてきた、

生きがいの創造という本に

書いてあります)

という説を、

私は信じたいと思っているのですが、

 

南さんは、

「たまたま」

生まれてきただけだとおっしゃいます。

 

 

もちろん、

「やりがいのある仕事」や

「生きがいに満ちた毎日」

がある人は、

その日々を謳歌して

いただければいいでしょう。

 

しかし

「生きがいが感じられない」

と、悩むほどの問題では

ありません。

 

そんなものがなくても

十分生きていけます。

 

 

・・・どうしてでしょうか。

 

 

「そうは言っても、

社会とかかわりながら、

充実した毎日を送りたいのです」

 

「誰かの役に立っている

実感を得たいじゃないですか」

 

「自分の使命を見つけて、

人の役に立たなきゃと思って」

 

そう言う方には、

具体的に

「誰」の役に立ちたいかを

尋ねます。

 

すると、

「誰と言われても・・・」

と、ほとんどの方が

口ごもるのです。

 

ある男性に、

「では、

奥さんの役に立つことを

したらいかがですか?」

と言ってみました。

 

すると

「いや、それはちょっと」

と苦笑いされました。

 

「奥さんだって

人の内でしょうに、

おかしな人だ」

と思ったものです。

 

 

ずきっ、

これ、私のことかと思いました・・・

 

痛いところを突かれましたよ(^^;

 

 

「人の役に立ちたい」

と思ったときは、

自分がいったい

「誰」を大事にしたいのかを

考えていけばいい。

 

ごく簡単な話です。

 

現実的に言えば、

大切にしなければ

ならないのは、

自分と縁の深い人間、

身近にいる人間でしょう。

 

でも多くの人は、

具体的に問題を

考えているのではありません。

 

「社会的に

意味のあることをして

生きがいのある人生を送れば、

この重苦しい気分が

軽くなるはず」

 

と、なんとなく思っている

だけです。

 

 

ぐさっ・・・

 

告白しますが、

私は、身近な人を大切にするのが

めんどうで、

そこから逃避する意味で、

「人様の役に立ちたい」

と考えているところがあります(^^;

 

それにようやく気が付いて、

今は、なるべく、

まずは身近な人々

(日々接している妻や、職場の人)

から大切にするように

心がけてはいるのですが・・・

(でも、まだまだ実践は甘いかも(^^;)

 

たとえば、

「世界平和」を望む活動家の、

実は、家族がいがみ合っているとしたら、

 

「まずは、家庭の平和から!」

 

と突っ込みたくなりますもんね(^^;

 

 

このように

悩んでいる方の話を聞くと、

現状に不満や問題を

抱えていて、

それを直視できないでいる

場合が多いようです。

 

しかもそれは、

感情を抜きにして

問題を解きほぐせば、

すぐに打開策が見つかりそうな

ことです。

 

たとえば、

人間関係が希薄なのであれば、

自分から人の中に

出かけていくようにする。

 

それが苦手なら、

身近な人間関係を

見直してみる。

 

人生で不具合を

起こしているところ、

自分が抱えている

不満や問題を

調整できれば、

わざわざ「生きがい」を

探す必要はないのです。

 

 

たしかに・・・

そうかもしれません。

 

 

それでも、

生きがいややりがいが

必要だと言うのなら、

近所を散歩している人たちを

見てみてください。

 

夢や生きがいを糧に

生きているように見えますか?

 

あるいは、

誰かの役に立たなければ、

生きている価値がないと

思っているように見えますか?

 

 

生きがいや、やりがいが、

既にあって、

それが、幸せな人生に

繋がっているとしたら、

それはそれで、

とてもいいことだと思います。

 

ただし、焦って、

無理矢理、

生きがいや、やりがいを、

外に探す必要はないのかもしれません。

 

日々の暮らしや、

身近な人を大切にしながら、

「いまを生きる」

 

そのうえで、

(1回目でも紹介しましたが)

思いどりにならない人生を、

「しぶとく生きる」

 

・・・忘れずにいたいです😊

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

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おまけ(^^;

 

岐阜県の郡上八幡に

ちらっと立ち寄りました。

 

郡上八幡城。

 

 

 

美しい外観です。

 

山の上にそびえ立つので、

そこからの景色も絶景でしたよ!

 

 

 

古き良き街並み・・・

 

こじんまりとした、

静かで美しい街でした😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

禅宗(曹洞宗)の、

南直哉(みなみ じきさい)

さんの本、

 

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

 

 

から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています(^^)

 

前回は、

 

「本当に偉い人は、

夢や希望を叶えた人ではなく、

夢にやぶれても、

しぶとく生きていく人である」

 

という考え方を、

紹介しました。

 

続けて、引用します。

 

 

私は、

人間にとって挫折は

大事だと思います。

 

なぜなら、

そのとき人は

損得勘定から

離れられるからです。

 

「自分の欲を満たしたい」

 

「人から認めてもらいたい」

 

「自分のためになることを

したい」・・・。

 

ふだん、

人は得をしたいと

思うところから

動いています。

 

「こうすればうまくいくかも

しれない」

 

「これをやれば得になるから、

やってみよう」

 

と考えがちです。

 

 

そうですね。

私も、やっぱり、

なんだかんだ、ふだんは、

「損得勘定」

で動いています・・・

 

特に、

「人から認めてもらいたい」

という承認欲求(^^;

 

これ、

どうにかしたいのですが(苦笑)

 

もちろん、

生活するうえでは、

「損得勘定」は必要であって、

有効に働けば、

向上心やよりよい生活に、

繋がるとは思いますが・・・

 

 

しかし、

人生につまづくと、

そんな算段は吹き飛びます。

 

思いどおりにいかなかったり、

夢破れたときに、

人は損得から離れ、

自分が本当に

大事にするものを

見極めます。

 

そして、

それを見極めた後、

自分の努力が

報われるかどうか

わからなくても、

歩き始めます。

 

そんな人間には、

ある種の凄みが

備わるのです。

 

だから、

夢や希望が叶わなくても、

がっかりすることは

ありません。

 

 

夢を追いかけていても、

多くの場合は、

(程度の差こそあれ)

思い通りにはなりません。

 

たとえば、

この本にも書いてありますが、

オリンピックの競技で、

メダルが取れるのは、

世界中でほんの一握りです。

 

甲子園に行ける高校球児も、

ほんの一握り。

 

自分のやりたい職業に就くことも、

けっこう難しく、

実現したとしても、

そこで成功する人は一握り。

 

大企業に入れても、

役員まで上り詰められるのは、

ほんの一握り・・・

 

もちろん、

いい線まで行く人もいますので、

程度の差こそありますが、

大多数の人の夢は、いわば、

「挫折」するわけですね(^^;

 

理不尽に感じることもありますが、

現実を直視して、

自分の実力をしっかり受け入れる。

 

「諦める」の本来の意味は、

明らかに極めることだといいます。

 

「挫折」した時には、

自分自身をしっかり見つめて、

「明らかに極めること」ができれば、

腹が据わるのかもしれません。

 

 

心理学者のユング博士は、

「ミドルエイジ・クライシス」

(中年の危機)

といいましたが、

 

人生、一面的な価値観で、

夢を追いかけ続けていると、

(個人差がありますが、

多くの場合中年の頃までには)

いずれ、行き詰るケースが多い。

 

たとえば、

仕事一筋だった男性が、

部下から反発されるようになったり、

家庭がうまくいかなくなったり・・・

(私か?)

 

子育て命だった教育ママが、

子どもが思春期になって、

反発されたり、

不登校になったり・・・

 

これは、決して不幸ではなく、

ほんとうに大切なものに

気づく契機となったり、

 

自分が抑圧していた、

他の価値観にも気づいて、

幅の広い、統合的な人格を形成する

きっかけにもなったりするのですが・・・

 

(これがユングのいう、

「自己実現」ですね)

 

 

むしろ、

夢や希望が

人生の妨げに

なるかもしれません。

 

夢も、希望も、

じつは麻薬のようなもの

だからです。

 

いつまでも

叶わない夢を

持ち続けているのは、

夢という麻薬が切れたときの

禁断症状が怖いからに

すぎません。

 

 

なるほど・・・

手厳しい指摘ですが、

そうかもしれません。

 

 

本当は、

夢と希望を持つことに

疲れ切っているのなら、

今後もそれを

持ち続けるのか、

それとも手放すのか。

 

「夢」の後ろに隠れた

自分の本音を、

一度徹底的に

見てみることです。

 

 

そうですね。

 

自分の本音を

見つめるのがしんどいから、

「夢」を隠れ蓑にしているというのは、

あるような気がします。

 

もちろん、夢と希望を持って、

日々充実している場合は、

その限りではありませんが、

 

行き詰まりを感じる場合は、

もしかしたら、その夢や希望が、

自分の本音ではなく、

「~べき」という社会通念や、

(幼少期からの)

周囲の期待からではないか、

 

疑ってみることが、

必要かもしれませんね。

 

そのうえで、

自分の本音と、

現実をしっかり見据えて、

 

自分らしく、地に足をつけて、

人生を歩んでいく・・・

 

心がけていきたいです😊

 

 

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今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます。

 

 

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おまけです(^^;

 

 

愛知県の小牧山城

小高い山の上にある、

鉄筋コンクリート作りの復元城ですが(^^;

 

若き日の織田信長に、

思いを馳せて・・・

 

 

 

 

岐阜県多治見市の虎渓山永保寺

 

 

庭園が、とても美しかったです😊