ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

新年度がスタートしましたね!

 

街では、フレッシュマンっぽい人を、

多く見かけるようになりました(^^)

 

今回から、

エックハルト・トールさんの、

 

ニュー・アース

 

 

という本を紹介・解説します。

 

エックハルト・トールさんは、

世界的なスピリチュアル・マスターとして

有名ですが、

 

この本、なんと全米で580万部以上、

売れているんですね!

 

他にも、

飯田史彦さんが監修した、

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

という代表作もあります。

 

過去ブログで紹介しましたので、

よかったらご覧ください。

 

 

 

私、スピリチュアルの世界観は

とても好きなのですが、

 

少々理屈っぽいところがあるせいか、

あまりにもフワフワとした、

スピリチュアルというのは、

ちょっと苦手です(^^;

 

しかし、

エックハルト・トールさんの本は、

骨太で、かつ、

地に足がついた感じがするので、

とても納得感があります。

(少し難解な部分もありますが(^^;)

 

アプローチこそ違えども、

結論は、

臨床心理学の理論に通ずるところも、

あるような気がします。

 

本書のいちばんの目的は、

 

「意識を変化させること、

つまり、目覚めさせること」

 

たと述べられています。

 

 

目覚めに不可欠なのは、

目覚めていない自分を

自覚すること、

 

エゴイスティックに考え、

話し、行動する自分と、

そういう目覚めていない状態を

持続させている、

人類に刷り込まれた

思考プロセスを

認識することである。

 

 

まずは、

目覚めていない自分を

「自覚」する・・・

 

 

エゴと戦っても

勝ち目はない。

 

闇と戦えないのと、

同じである。

 

必要なのは

意識という光のみである。

 

そして、

その光は

あなたなのだ。

 

 

エゴとは、闇のようなもの、

「無意識」の世界の一部

ともいえます。

 

戦うのではなく、

そこに、

「意識」(自覚)という光をあてる。

 

そして、

その光は、あなたである・・・

 

この表現、素敵ですね(^^)

 

 

人間の歴史は、

おおまかに言えば

狂喜の歴史であると、

述べられています。

 

二十世紀に、

同じ人類の手で

暴力的な死を遂げた人々の数は、

 

なんと1億人を

上回るそうです・・・

 

それは、

恐怖と貪欲さと、

権力欲から生まれるという・・・

 

 

多くの

スピリチュアルな教えは、

恐怖と欲望を捨てなさいと言う。

 

だがこの試みは

たいていはうまくいかない。

 

機能不全の根源に

取り組んでいないからだ。

 

 

ここでいう

機能不全とは、

「エゴ」のことなんです。

 

で、エゴの根源とは?

 

 

もっと良い人間になろうと

努力するのは

確かに立派で

ほめられるべきことの

ようだが、

 

当人の意識に

変化が起こらない限り、

結局は成功しない。

 

 

どういうことでしょうか・・・

 

 

良い人間に

なろうとするもの

また同じ機能不全の一部で、

 

微妙にわかりにくい

形ながら、

やはりエゴイスティックな

高揚感、自意識や

自己イメージの強化を

求める欲であることに

変わりはない。

 

 

たしかに、

良い人間になろうとするのも、

エゴの一部かもしれません・・・

 

 

良い人間、

それは、

なろうとしてなれる

ものではない。

 

すでに

自分のなかにある善を発見し、

その善を引き出すことでしか、

良い人間にはなれない。

 

だがその善を

引き出すためには、

意識に根本的な変化が

起こる必要がある。

 

 

良い人間になるためには、

「自分のなかにある善」を発見し、

その善を引き出すしかない・・・

 

なるほど・・・

 

しかし、そのためには、

「意識」の根本的な変化が

必要だといいます。

 

いくら、

外的要因、制度をいじくっても、

上手くいかない。

 

もともと高潔な理想から始まった

共産主義がうまくいかなかったのも、

そのせいだと、

エックハルト・トールさんはいいます。

 

では、

「意識」の根本的な変化とは?

 

 

新しい意識の核心は

思考の枠を超えることにある。

 

思考よりも高い場所に上り、

思考よりもはるかに広い次元が

自分自身のなかにあることに

気づく新たな能力だ。

 

そのとき人は

自分のアイデンティティを、

自分が何者であるのかの根拠を、

 

いままで自分自身と

同一視していた

絶え間ない思考の流れには

求めなくなる。

 

 

「思考」は

「自分そのもの」ではないと

自覚する・・・

 

ここでいう、

「絶え間ない思考の流れ」

というのは、

心理学でいうところの、

「自動思考」のことでしょうか。

 

無意識の信念から生じる思考に、

反応的になってしまったり、

ぐるぐると悲観的になってしまう

ことですね。

 

 

「自分の頭のなかの声」

が実は自分ではないと気づくと、

すばらしい開放感を味わう。

 

では自分とは何なのか?

 

自分とは、

思考する自分を見ている者だ。

 

思考よりも前にある

気づきであり、

 

思考が

―あるいは感情や知覚が―

展開する場である。

 

 

「ほんとうの自分」とは、

「思考そのもの」ではなく、

思考する自分を「見ている者」。

 

すなわち、

「気づく自分」

 

心理学でいうところの

「観察自我」

に近いイメージでしょうか。

 

 

エゴとは、

形への自分の同一化にすぎない。

 

その形とは

何よりも思考の形である。

 

 

つまり、エゴとは、

無意識の(自動)思考から

「形」として生じる、

ということでしょうか。

 

・・・まとめると、

 

「気づく」自分が、

「意識」という「光」を当てれば、

 

「無意識」の自動思考、

すなわち、

「エゴ」という「闇」は小さくなる。

 

そうすれば、

そこに「善」を発見して、

引き出すことができる。

 

ということですね。

 

 

「悪」についても、

述べられています。

 

 

悪に現実性が

あるとしたら

 

―絶対的な現実性ではなく

相対的な現実性だが—

 

それもまた形

(物質的な形、

思考の形、感情の形)

との全的な同一化と

定義できる。

 

そのために、

自分が全体と

つながっていること、

 

すべての

「他者」及び

「生命の源」と

本質的に

結びついていることを

まったく認識できない。

 

この結びつきを

忘れること、

 

それが原罪であり、

苦しみであり、

妄想なのだ。

 

 

「悪」とは、

 

私たちが、

他者や生命の源と結びついていることを、

忘れること。

 

つまり、

バラバラだという意識。

 

それが、

苦しみや妄想につながる・・・

 

 

この分離、分裂が

すべての考え、言葉、

行動の底流にあり、

それらを律しているとしたら、

 

人はどんな世界を生み出すか?

 

その答えを知るには

人間同士の関わりを眺めれば、

歴史書をひもとけば、

 

あるいは

今夜のテレビニュースを

見ればいい。

 

人間の心の構造が

変化しなければ、

 

私たちはいつまでも

基本的に同じ世界を、

同じ悪を、同じ機能不全を

 

繰り返し

創造し続けるだろう。

 

 

狂喜の歴史・・・

今夜のテレビニュース・・・

 

同じ悪を、同じ機能不全を、

繰りかえす・・・

 

考えさせられます。

 

たしかに、

わたしたちはバラバラだという

分離、分裂の意識が、

世界中の不幸の

根本原因なのかもしれません。

 

 

スピリチュアルの世界では、

よく、

「世界はひとつ」

「わたしたちはひとつ」

だといいます。

 

もちろん、

「個」は尊重すべきですし、

それがあまりにも行き過ぎると、

多様性の否定にもなりかねないのですが、

 

やはり、

私たちは、つながっていて、

本来は、ひとつの存在であると捉えた方が、

 

世界は平和になるような気がします(^^)

 

「世界はひとつ」

「わたしたちはひとつ」

 

 

・・・う~ん、

 

何だか抽象的で、

正直、ぴーんとこない感じもします。

 

なかなか実感として湧かない

自分がいるのも事実(^^;

 

では、

「ひとつ」だと

納得できるようになるには、

どうすればよいのでしょうか。

 

具体的に、何か私たちにできることは、

あるのでしょうか?

 

 

・・・参考までに、

 

私が、対人関係で、

人を見る時に、

心がけていることがあります。

 

 

この人も

私と同じだ。

 

幸せでありたいと

願っているんだ。

 

この人も

私と同じだ。

 

苦痛を避けたいと

願っているんだ。

 

この人も

私と同じだ。

 

人生を通じて

学んでいるんだ・・・

 

 

 

カウンセリングの学びで、

野口嘉則先生から教わった言葉です。

 

まずは、目の前の人、

私と縁のある人に対して、

 

どんなに、腹が立っても、

ムカッとしても、

おかしいと思っても、

理解できなくても、

 

「この人も私と同じだ・・・」

 

「幸せでありたいと願っているんだ」

「苦痛を避けたいと願っているんだ」

「人生を通じて学んでいるんだ・・・」

 

という見方をする。

(事実そうですよね)

 

もちろん、

いつも出来るわけではありませんが(^^;

 

なるべく、私は、

このような捉え方をしようと

意識をしています。

 

ささやかですが、

それを積み重さねていくことで、

 

「わたしたちはひとつである」

 

という言葉が腑に落ちるように

なりたいと思っています😊

 

 

 

*********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます!

 

 

*********************************

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

東丹沢の仏果山に登りました!

 

この山、暖かくなると、

ヤマビルが出始めるので、

今のうちに(^^;

(幸いにも、まだいませんでした💦)

 

 

 

併せて高取山も!

 

 

 

山頂より

 

 

 

宮ケ瀬湖

 

 

 

雄大です!

 

 

 

東京方面?

 

 

 

 

踊り念仏で有名な、

時宗の一遍上人ゆかりのお寺、

無量光寺

 

 

 

一遍上人の銅像が建っていました。

 

 

 

水面に桜の花びら🌸

これも趣がありますね。

 

 

 

 

誰もいない境内を、

一人で散策しました。

 

静かで広々として緑豊か、

素敵なお寺です😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

遠藤周作ファン垂涎の的、

新刊です!

 

文豪ナビ 遠藤周作

 

 

前回、

この本で紹介されている、

 

「人生に効く!遠藤周作の名言」

 

をいくつか

紹介させていただきましたが、

 

今回は、その続きになります。

 

なお、名言に関しては、

本書に素晴らしい解説が

なされていますので、

 

今回は引用だけにして、

私の解説は、やめようと思ったのですが、

 

やっぱり、ちょっとだけ、

触れさせていただきますね(^^;

 

まずは、

「侍」の続きから、

 

 

(侍「長谷倉」の言葉)

 

人間の心の

どこかには、

 

生涯、

共にいてくれるもの、

裏切らぬもの、

離れぬものを

 

―たとえ、

それが病みほうけた

犬でもいい―

 

求める願いが

あるのだな。

 

あの男は

人間にとって

そのような

あわれな犬に

なってくれたのだ。

 

 

長い旅路の果ての、

主人公の侍の述懐。

 

そうですね・・・

 

私の中にも、

その願いはあります・・・

 

 

(与蔵の言葉)

 

「ここからは・・・

あの方がお供なされます」

 

突然、背後で与蔵の

引きしぼるような

声が聞こえた。

 

「ここからは・・・

あの方が、

お仕えなされます」

 

侍はたちどまり、

ふりかえって

大きくうなずいた。

 

そして黒光りする

つめたい廊下を、

 

彼の旅の終わりに向かって

進んでいった。

 

 

与蔵とは、

主人公の侍の長い旅路に、

ずっと同行していた

従者なのですが、

 

あの方とは・・・

 

同伴者のこと。

 

時に、

犬になったり、

ネコになったり、

従者になったりも、

される方・・・

 

 

ちなみに、この作品は、

過去ブログで、

私なりに詳しく解説しています。

 

よかったらご参照ください(^^;

 

 

 

 

続きまして、

「女の一生

 二部・サチ子の場合」

 

この作品は、

けっこうマイナーだと思いますが、

(まだ一部のほうがメジャー?)

 

私は、多大なる影響を受けました。

 

特に、アウシュビッツの

コルベ神父を描いた場面・・・

 

 

(コルベ神父の言葉)

 

ここに愛がないのなら・・・

 

(中略)

 

我々が愛をつくらねば・・・

 

 

・・・実際、

コルベ神父は、究極の愛を、

身をもって示すことになるのですが、

 

その愛は、伝播していきます・・・

 

 

この本も、過去に解説しました。

よかったらご参照ください。

 

 

 

 

続きまして、

代表作「深い河」より、

 

 

(美津子の祈りの言葉)

 

信じられるのは、

それぞれの人が、

それぞれの辛さを背負って、

深い河で祈っている

この光景です

 

(中略)

 

その人たちを包んで、

河が流れていることです。

 

人間の河。

 

人間の深い河の悲しみ。

 

そのなかに

わたくしもまじっています。

 

 

美津子は、

主人公ともいえる女性ですが、

 

人生の紆余曲折を経て、

このような境地に達するのです・・・

 

 

 

(大津の言葉)

 

これで・・・いい。

 

ぼくの人生は・・・

これでいい

 

 

大津は、

落ちこぼれの神父であり、

この作品の主人公ですが、

 

物語の最後のこの場面、

 

「あの人」とも重なる

感動的な場面です・・・

 

 

 

(大津の手紙の言葉)

 

神とは

あなたたちのように

人間の外にあって、

仰ぎみるものではない

と思います。

 

それは人間の中にあって、

しかも人間を包み、

樹を包み、

草花をも包む、

 

あの大きな命です。

 

 

大津が、

リヨンの修道院の先輩に

述べた言葉です。

 

ちなみに、

私も、神の存在を、

このように捉えています。

 

 

「深い河」は、

人生経験を重ねれば重ねるほど、

沁みる小説だと思います。

 

過去ブログでも取り上げました。

 

よかったらご覧ください(^^;

 

 

 

 

続きまして、

講演録「人生の踏絵」より、

 

 

(「人生の踏絵」の言葉)

 

人生が

魅力あるもの、

美しいもの、

キラキラしたものでは

ないからこそ、

 

われわれは

捨ててはいけないと

思うんだ。

 

捨てるというのは、

自殺したり

自暴自棄になったり、

いろんな形がありますよ。

 

そんなふうに

人生を放棄しちゃいけない。

 

 

・・・同感です。

 

醜いものだからこそ、

それを最後まで抱きしめれば、

やがてそれは光り輝く・・・

 

別の本になりますが、

フローベルの短編を通じても

遠藤周作さんは述べています。

 

そう信じたい。

 

 

(「人生の踏絵」の言葉)

 

抑え込まれている自分、

外面でない自分、

道徳や世間や社会から

否定される自分こそが、

 

神や仏が

語りかけよう、

助けよう、

愛そう、

抱きしめようとする

対象ではないか。

 

 

そうですね・・・

 

まさにこれが、

「自己受容」の世界

ではないかと感じます。

 

カウンセリングの世界にも、

通ずるものが

あるような気がします・・・

 

 

 

以上、

「人生に効く!遠藤周作の名言」

から、

特に、私の心に響いた名言を

紹介させていただきましたが、

 

本書には、

他にも、素晴らしい名言が

掲載されていますし、

 

何より、

解説がとても分かりやすいです(^^)

 

遠藤周作さんのファンの方も、

昔読んだけど、遠ざかっている方も、

まだ読んだことのない方も、

 

本書をきっかけにして、

遠藤周作さんの世界を堪能してみては

いかがでしょうか。

 

 

文豪ナビ 遠藤周作

 

他にも、本書には、

 

スコセッシ監督の映画

「沈黙」についてのコーナーや、

 

「私が狐狸庵につかれたウソの数々」

(笑)

といったコーナーもあり、

楽しめます(^^)

 

氏の息子さん(龍之介さん)の

コラムなんかもあります。

 

コラム名は、

「お父さん、

あなたは大変おかしな人でした」

(笑)

 

ちなみに、

息子さんは、少し前まで

フジテレビの社長だった方です😲

 

やはり大物!

 

 

 

*************************************

 

 

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、別の本を紹介します(^^;

 

 

*************************************

 

 

おまけ

 

 

神奈川県秦野市に、

出雲大社がありました!

 

出雲大社相模分祠

 

 

 

 

立派な大社でした!

 

 

 

 

愛猫の宮音くんは、

島根県出雲市出身なので、

ペットお守り(足あと型)を

お土産で買いました😸

 

 

 

 

寄り添う同伴者・・・

 

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

東京・横浜は、

ここのところ雨の日が続いています(^^;

 

桜が散り始めるところも

ありそうですが・・・

 

桜さん、

もう少し踏ん張ってくれ~い🌸

 

 

で、今回は、

遠藤周作さん関連本で、待望の新刊!

 

文豪ナビ 遠藤周作

 

 

を紹介します!

 

遠藤周作さん、

なんと生誕100年なんですね。

 

その影響で、

今、書店さんには、

比較的多くの遠藤周作さん本が、

平積みで並んでいる気がします(^^)

 

私にとって、遠藤周作さんは、

学生時代から

好きな作家さんのひとりではあるのですが、

 

今の方が、

ますます好きになっているというか、

 

人生経験を積む中で、

作品や人生観を、

より理解・共感できるようになってきて、

 

ますます興味をそそられるように

なってきたという、

稀有な存在なのです。

 

(氏の思想には、カウンセラーとしても、

多大なる影響を受けています)

 

で、今回の本のタイトルは、

 

文豪ナビ 遠藤周作

 

ついに、遠藤周作さんは、

「文豪」の仲間入りです!

 

狐狸庵先生のイメージがあるので、

文豪というのは、

ちょっと違うような気がしますが、

(ご本人も、こそばゆい・・・

とか、いいそうでありますが(^^;)

 

しかし、

「沈黙」「深い河」といった、

いわゆる純文学のクオリティや奥の深さは、

 

文豪の名に恥じないものだと

私は思います。

 

ちなみに、

この新潮文庫の「文豪ナビ」シリーズは、

 

・夏目漱石

・芥川龍之介

・三島由紀夫

・太宰治

・川端康成

・谷崎潤一郎

・山本周五郎

 

といった、

そうそうたるメンバーなのですが、

 

その中で、

遠藤周作さんを文豪ナビシリーズに加えた、

新潮社さんはエライ!

 

きっと、違いがわかる(^^;

素敵な編集者さんが

いらっしゃるのだと思います。

 

ちなみに、新潮文庫は、

氏の作品をまだ絶版にしてしないものが

多いです。

(他社は、絶版がかなり増えました・・・)

 

エールを送ります(^O^)

 

 

で、肝心な内容紹介なのですが、

 

解説の解説になってしまいますので、

今回は詳細は避けたいと思いますが(^^;

 

巻頭のグラビアでは、

遠藤周作を知るための

5つのキーワードが紹介されています。

 

(1)キリスト教の信者として

(2)狐狸庵先生

(3)歴史に斬り込む

(4)違いがわかる男

(5)病との戦い

 

(3)は、私は特に、

遠藤周作さんの歴史小説の視点が好きなので、

興味深いキーワードですね。

 

そして、次に、

ジャンル別の「遠藤周作ナビ」があります。

 

・キリスト教文学

・医療小説

・歴史小説

・青春小説

・エッセイ、講演録

 

それぞれのジャンルの代表作の

「読みどころ」が紹介されているのですが、

 

ここの箇所は、

私的には、

「う~ん・・・」というか、

 

私が考える「読みどころ」とは、

正直ちょっと、

フィットしないものもありました(^^;

 

続いて、

「人生に効く!遠藤周作の名言」

 

この「名言」のコーナーは、

取り上げた作品、

名言のチョイス、解説も含めて、

 

私的には、

すごく共感できるものがありました!

 

取り上げられている名言の部分のみ、

いくつか引用させていただきますね。

 

なお、

本書の解説がとても素晴らしいので、

今回は私の野暮な解説はせずに、

引用だけに

とどめさせていただきます(^^;

 

まずは、

代表作「沈黙」の一節、

 

 

(ロドリコの内心の言葉)

 

私がその愛を知るためには、

今日までのすべてが

必要だったのだ。

 

(中略)

 

そしてあの人は

沈黙していたのではなかった。

 

たとえあの人は

沈黙していたとしても、

 

私の今日までの人生が

あの人について語っていた。

 

 

 

続きまして、

「わたしが・棄てた・女」

より、

 

 

(吉岡の内心の言葉)

 

もし、

ミツがぼくに何か教えたと

するならば、

 

それは、

ぼくらの人生を

たった一度でも横切るものは、

 

そこに消すことのできぬ

痕跡を残すということなのか。

 

寂しさは、

その痕跡からくるのだろうか。

 

そして亦(また)、

もし、

この修道女が信じている、

神というものが

本当にあるならば、

 

神はそうした痕跡を通じて、

ぼくらに話しかけるのか。

 

 

 

続きまして、

「おバカさん」

より、

 

 

(隆盛の言葉)

 

生れつき臆病な人もいる。

弱い性格の者もいる。

メソメソした心の

持ち主もいる・・・

 

けれどもね、

そんな弱い、臆病な男が

 

自分の弱さを背負いながら、

一生懸命美しく

生きようとするのは立派だよ。

 

 

 

続きまして、幻の作品

(最近、新潮文庫でも新刊がでました)

「影に対して 母をめぐる物語」

より、

 

 

(母からの手紙の言葉)

 

海の砂浜は歩きにくい。

 

歩きにくいけれど

うしろをふりかえれば、

自分の足あとが

一つ一つ残っている。

 

そんな人生を

母さんは選びました。

 

あなたも決して

アスハルトの道など

歩くようなつまらぬ人生を

送らないで下さい。

 

 

「影に対して 母をめぐる物語」

は、私の過去ブログで、

私なりに詳しく解説しました。

 

よかったらご参照ください。

 

 

 

 

続きまして、

「侍」より、

 

 

(日本人の元修道士の言葉)

 

泣く者は

おのれと共に泣く人を探します。

 

嘆く者は

おのれの嘆きに

耳を傾けてくれる人を

探します。

 

世界がいかに変わろうとも、

泣く者、嘆く者は、

いつもあの方を求めます。

 

あの方はそのために

おられるのでございます。

 

 

・・・

 

いかがでしたか。

 

既に作品を読まれた方は、

その場面を想起された方も

いらっしゃるのではないでしょうか。

 

まだ、読まれていない方は、

本書を読むと、

深くてわかりやすい

解説がなされていますので、

 

それを読むと、きっと、

作品じたいを読みたくなると思います!

 

 

・・・まだ、紹介したい名言が

いくつかありますので、

 

次回に続きますね(^^;

 

 

 

***************************************

 

 

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

過去にも紹介した覚えがありますが、

浜田省吾さんの名曲、

「我が心のマリア」のyoutubeです。

 

 

ロシア出身(故人)のORIGAさんという方が

ボーカルです。

 

ウクライナの風景と、

世界各国の名所旧跡・・・

 

「ああ、世界は美しい・・・」

 

映像も素晴しいので、

可能であれば、大きめの画面でご覧ください!

 

 

 

***************************************

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

丹沢の鍋割山に登りました!

 

かなり、ガス(霧)ってました(^^;

 

 

 

 

かわいらしい山の花、

「アセビ」というのでしょうか。

 

 

 

 

雲の中?

 

 

 

 

山頂から富士山が見えるはずが、

まったく見えず😢

 

こういう日もあるさ。

 

 

・・・下山して車に乗ったとたん、

本格的な雨が降ってきました(^^;

 

ある意味、ラッキーでした😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

勤務先近くの桜並木、

咲き始めました🌸

 

家の近くでは、

ウグイスが鳴いています🐤

 

まだ、鳴き方が

ちょっと、ぎこちない感じですが(^^;

 

 

アサーションの第一人者、

平木典子先生の名著、

 

三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために

 

 

の内容で、

私の印象に残った箇所を

紹介・解説しています。

 

今回で6回目、

最終回です(^^;

 

アサーティブとは、

自分も相手も大切にした

素直な自己表現のことですが、

 

今回のテーマは、

 

「怒りとアサーション」

 

喜怒哀楽の中で、

取り扱いが最も難しいのが

「怒り」の感情だといいます。

(私も身にしみて感じます(^^;)

 

たしかに、

怒りの感情をうまく受け止めたり、

表現することができれば、

人とのコミュニケーションの多くは、

うまくいきそうですよね(^^;

 

有益だと感じたところを、

いくつか引用させていただきます。

 

怒りには、

「マイルドな怒り」

「中程度の怒り」

「最も強度の怒り」

の3つの程度があるといいます。

 

 

できれば

怒りの程度が

マイルドなときに

表現すれば、

それほど抑えようと

する必要もないわけです。

 

せめて中程度のときに

「やめてほしい」

ことをはっきり伝えれば、

 

いやなことが

何度も起きたり、

怒りがたまったりするのを

避けることができます。

 

多くの場合、

「NO」が言えずに、

不満をためた結果、

 

爆発的に怒りが出てしまい、

攻撃的な激怒の表現

になったり、

問答無用の絶交宣言

になったりするのです。

 

 

そうですね・・・

 

「怒り」はため込むと

消えるわけではなく、

心の奥底でマグマのように

ふつふつと湧き上がっていくわけです。

 

そして、いずれ限界が来ると、

爆発してしまう(^^;

 

攻撃的にならずに、

Iメッセージを心がけて、

 

溜めこまずに、

小出しにして、

アサーティブな表現として

伝えていく。

 

それが大切なのだと思います。

 

では、そもそも、

私たちはどんなときに、

怒りを感じるのでしょうか。

 

本書では、

幼い子どもを例に、

解説されています。

 

 

たとえば、

幼い子どもを連れて

歩いているとき、

 

子どもが不意に転んで

泣き出したとしましょう。

 

それは、

素直な感情の表現であり、

子どもがもっている方法で

その時の感情を

表現したのです。

 

泣くという

子どもの表現に対して、

周囲の人が

「大丈夫?」とか

「アー、痛かったね」

など、

子どもの気持ちを

言葉にして対応してみると、

 

子どもはほっとして

泣き止んだり、

甘えた泣き方に

変わったりします。

 

逆に、

「泣くんじゃない」

とか

「はい、立って」

とか言われると、

 

子どもは、

おそらくもっと泣くでしょう。

 

 

たしかに、そうですね(^^;

 

 

その泣き方の中には、

不安や痛みが

理解されなかったことに対する

失望や悲しみも

含まれている可能性があります。

 

その失望や悲しみの涙が

理解されないと、

 

さらに声を大きくして、

憤慨や抗議(怒り)の

泣き声に変わることも

あるでしょう。

 

 

「不安」や「痛み」

といった感情が理解されないと、

それが「悲しみ」になり、

 

それも理解されないと、

「怒り」に転じるのですね。

 

大人になって、

怒りっぽい人というのは、

 

もしかしたら、

子どもの頃に、

「不安」や「悲しみ」

といった感情を、

あまり受け止めてもらえなかった

のかもしれません。

 

こんな例も紹介されています。

 

 

待ち合わせをして

相手が遅れてきたとき、

 

約束をきちんと守るあなたは、

期待がはずれて

がっかりしたり、

不安になったり

するかもしれません。

 

そんなとき、

「どうして遅れたのよ!」

と怒るとすれば、

それは正直な気持ちを

表現していないことになります。

 

 

私も、若い頃は、

遅れてきた相手に対しては、

露骨に「ムッ」とした態度を

取っていましたが(^^;

 

それは正直な気持ちではない?

 

 

がっかりした

自分の気持ちを伝えず、

がっかりさせたと

相手のせいにして怒って、

攻撃しているからです。

 

期待が外れて

がっかりした気持ちは、

最初の感情で、

第一感情と呼ばれます。

 

次に、

自分が起こした

がっかりした感情を、

それは相手がもたらしたと

考えると、

 

相手を責めたくなり、

「けしからん」

となるわけです。

 

「がっかりするような

感情にさせた相手は

けしからん」

 

となる怒りは、

第二感情と呼ばれます。

 

 

「がっかり」や「不安」

といった、最初の感情が、

 

「第一感情」

 

それを

相手がもたらしたと考えて、

「けしからん」となる感情は、

 

「第二感情」

 

つまり、

「怒り」は、

二次的な感情なんですね。

 

自分で勝手に

こしらえている感情。

 

ですので、

アサーティブに表現をするとすれば、

第一感情のほうを伝える。

 

 

期待していた時間に

遅刻してきた人に

第一感情で表現するとすれば、

 

「待ち合わせの時間から

○○分待っていて、

不安になった」

 

と伝えることでしょうか。

 

あるいは、

怖いと感じたときは、

怒るのではなく

 

「怖い」

 

と伝えることが大切です。

 

多くの場合、

怒りで相手を

撃退しようとするよりも、

 

自分は

「困ったり」

「怖れたり」

「がっかり」

していますと伝えた方が、

相手に脅威を与えることなく、

 

あなたの状態が伝わり、

相手が対応しようとしてくれる

可能性が高いでしょう。

 

 

そうですね・・・

 

第二感情、

すなわち、

「怒り」をぶつけられたら、

 

相手は責められた気がして、

言い訳や、

場合によっては、

「逆ギレ」をすることも

ありますが、

 

第一感情、

「不安になった」

「困った」

「怖かった」

「がっかりした」

をIメッセージで

アサーティブに伝えられたら、

 

相手はキレることもなく、

分かってくれたり、

反省したりする確率は、

高まると思います。

 

ただ、

第一感情を素直に表現するのって、

意外と難しいですよね(^^;

 

いわば、

弱さを表現するわけなので、

勇気がいるというか・・・

 

正確には、

自分のネガティブな感情や、

弱さを受け入れるという

「自己受容」がある程度できていないと、

なかなか難しいと思います。

 

「自己受容」

やっぱり大切です(^^)

 

ただ、自己受容って、

一人でやるのは、

けっこう難しいんです(^^;

 

先に申し上げましたが、

特に、子どものころに、

自分の感情を

なかなか受け入れて

もらえなかったと思われる方は、

 

自力で「自己受容」が

できるようになるのは、

けっこうハードルが高いような気がします。

 

その場合は、

カウンセラーの力を借りることも、

有効かもしれないですね😊

 

 

 

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以上、

平木典子先生のロングセラー、

 

三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために

 

 

を6回に渡って

紹介されていただきました(^^)

 

IT化が進み、

便利な世の中だからこそ、

 

自分も相手も大切にした

言葉による素直な自己表現、

すなわち、

「アサーティブな自己表現」

というのは、

以前にもまして、

重要になってくるものと思われます。

 

それができるようになるのは、

やはり、

知識を身に付けたうえで、

試行錯誤しながら

実践を繰り返すしかないのだと思います。

 

この本は、

初版1993年のロングセラーですが、

2021年までに3訂されていますので、

今の時代にも

十分耐えうる内容になっています。

 

「アサーティブ」に関しての、

知識や理論を身に付けたい方、

 

また、

幅を広げたいと思われている、

カウンセラーの方にも、

ご一読をおすすめします(^^)

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回からは、別の本を紹介します(^^;

 

 

 

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おまけ

 

 

久しぶりに、

宮音くんの、おっぴろげ寝、

見ました!

 

暖かくなってきたからかな?

 

 

 

 

・・・呼んだ?😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

アサーションの大家、

臨床心理学者

平木典子先生のロングセラー、

 

三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために

 

 

の内容を、

私なりに紹介・解説しています。

 

今回で5回目になります(^^;

 

アサーティブとは、

自分も相手も大切にした

さわやかな自己表現のこと。

 

まずは、自分の思いを

素直に、率直に語ることを

奨励しているのですが、

 

しかし、

必ずしも、

いつも自己主張をすべきだと

いう訳ではないんですね。

 

アサーション権というものが

いくつかあって、

 

「自己主張をしない」

という権利もあるのです。

 

 

例えば、

ラーメン店に入って、

塩ラーメンを

注文したのですが、

醤油ラーメンが

きてしまいました。

 

 

これ、

たまにある話ですよね(^^;

 

 

そこで、

自分の注文した物に

取り替えてもらいたいと

伝えることは、

アサーションです。

 

しかし、

急いでいるので

時間が気になるし、

 

醤油ラーメンが

嫌いなわけではないので

食べてしまおうと

決心することは

 

アサーティブな

自己選択、自己決断です。

 

 

なるほど・・・

必ずしも、

無理して言う必要は

ないんですね。

 

気が楽になります(^^;

 

 

あるいは、

自分の話を聞いてくれず、

 

聞いてもらおうとすると

感情的になり

怒りをぶちまける人を

前にして、

 

アサーションをしても

かえって相手の怒りが

高まる可能性を考えて、

 

アサーティブになることを

やめてもいいということです。

 

アサーティブになることを

やめる決心をすることは

アサーションによる選択であり、

自己決断です。

 

 

アサーティブになるかどうかは、

自分で選んで、

自分で決めればいい。

 

 

時間のロスを考えると

アサーションに値しないと

思ったとき、

 

あるいは、

アサーションすることが

身の危険や時間のロスに

つながると考えられるときは、

 

アサーションをしない権利を

使うことができます。

 

ただ、そこで大切なのは、

先にも述べたとおり、

 

その権利を使った後、

相手を恨まないことです。

 

 

「恨みっこなし」

これが肝ですね(^^;

 

アサーションをしない権利を

使うことは、

 

自分で選択して、

自分で決めたことなので、

責任は自分にある。

 

その時点で、

自分がガマンしたことで

相手を恨んだり、

 

相手に察してほしいと、

過度な期待を抱いては

いけないんですね(^^;

 

アサーションの考え方は、

アメリカで生まれましたが、

 

自己選択、

自己決断を尊重するが、

一方で、

それには責任も伴う

 

という考え方は、

欧米社会の成熟した「父性」を感じます。

 

 

日本社会は、

昔から「察することができる人」が、

すぐれた人だという考え方があります。

 

もちろん、

それは素晴らしいことで、

日本人の強み、美徳でもありますが、

 

それがいきすぎると、

空気を読むことが目的になってしまい、

 

息苦しくなったり、

自分を見失しないがちになります。

 

ですので、

そういう意味では、

 

日本社会は、欧米社会以上に、

言葉による

アサーティブな自己表現を

しっかり身に付けることが

必要だと思いますが、

 

ただ、これは、

日本に限らずですが、

 

今の時代、

言葉によるコミュニケーションを

あまりしなくても

不自由なく生きていける時代に

なりました・・・

 

 

現在、

私たちのまわりには

テレビの映像やメールなど

視覚を中心とした

コミュニケーションが

増えています。

 

逆に、

パソコンやメールでの

会話が増えたことに

象徴されるように、

言葉を聞く交流は

少なくなりました。

 

特に便利さや迅速な言動を

よしとする社会では、

 

挨拶もなくなり、

店員とのやり取りが

必要最低限で済む

コンビニやスーパーでの

買い物が多くなりました。

 

 

最近、セルフレジも

多くなりましたよね・・・

 

ちなみに、

大型書店でもセルフレジが

多くなってきていまして、

 

私は、有人レジが混んでいる時は、

つい、空いているセルフレジの方へ

いってしまったり

するのですが・・・(^^;

 

日常生活で、

あまりにも会話が減ってしまうと、

コミュニケーション能力は、

落ちてしまうような気がします。

 

 

現代人は、

一見、多様な生活に

恵まれているようで

ありながら、

 

自己表現の場を

避けることもできるために、

 

その機会は減り、

表現は下手になっています。

 

表現力や対人関係の能力は、

多様な人間関係や

複雑なやり取りの中で

訓練されるので、

 

決まりきった生活パターンや

少ない人間関係の中では

コミュニケーション能力は

発達しにくい状況です。

 

 

たしかに・・・

 

 

例えば、

テレビやマスコミ、

インターネットが

発達していない時代には、

 

生活に必要な情報は

人と話すことによって

得ることが多く、

 

子どもは親の話に

耳をそばだてて聞き、

言葉を覚え、

話し合ったように思います。

 

また、

さまざまな立場や年齢の人と

接する機会も多く、

 

親は、そのような場面の

言葉遣いや表現方法を

子どもにていねいに教えました。

 

それらは

何度か使っているうちに

身について、

 

単に言葉や言い方だけでなく、

やがて

状況や文脈に応じた表現を

することができるように

なっていきました。

 

それがいかに役立つか、

社会人になってみると

よくわかったものです。

 

 

そうですね。

 

いろいろな立場や年齢の人と

接した経験は、

たしかに、社会人になって

とても役立ちました。

 

 

しかし、

IT化された現代は、

そのような訓練の場面が

ないだけでなく、

 

文字による

コミュニケーションが

優勢になって、

 

細かなニュアンスを伝える

視聴覚情報

(声の調子や身振り・表情)

のともなわない

コミュニケーションが

増えています。

 

職場では

隣席の人にメールを送り、

 

家庭でも用事以外の

声かけは減りました。

 

 

う~ん・・・

 

私も、

職場の隣席メールはしますし、

(記録に残るのでいい面もあります)

 

妻との会話は、

用事以外ではしなくなってきたな~

 

あっ、これは別の要因か(^^;

 

たしかに、

ここのところ、

メールでのコミュニケーションが増えて、

直接の会話や

電話で話すことが減ってきましたね。

(ZOOMは増えましたが(^^;)

 

特に電話。

 

私も、仕事では、

まだ、けっこうしますが、

プライベートでは、

激減しました・・・

 

総じて、

いろんな場面で、

声を出す「会話」の量じたいが、

だいぶ減っているような

気がします(^^;

 

 

形式的な挨拶はしても

心はこもっていないとか、

 

お世辞は言っても

心底ほめることはないとか、

 

黙っていることが

同意をしたことになり、

きちんと反対する場面は

少ないなど、

 

はっきり意志や気持ちを

伝え合い、

わかり合って

親密な関係をつくることが

できなくなっているように

思います。

 

これは、

いざというときに

たすけ合えない

典型的な現代人の

孤独な姿を表しています。

 

 

そうですね・・・

 

たしかに、

現代の便利な世の中は、

有り難いです。

 

セルフレジは気が楽だし、

メールも相手に負担をかけることは

少ない。

 

私自身、便利な世の中を

しっかり享受していますし、

昔のほうがよかったとは思いません。

 

しかし、

この便利さに、

どっぷり浸かり過ぎると、

 

やっぱり、

コミュニケーション能力は

退化してしまうと思います。

 

時には、

新しい出会いを求めて、

新しい世界に飛び込んで、

積極的に声をかけてみたり、

 

考え方が違う人に対しても、

面倒くさがらずに、

どろくさい対話を重ねたり、

 

そうすることが、

コミュニケーション能力を

高めることになり、

 

ひいては、

アサーティブな

自己表現ができる能力にも、

繋がっていくような気がします。

 

私自身、

この本を読んで、

意識して実践してみようと

思いました(^^)

 

 

 

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最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回で、

この本の紹介は最終回(^^;

 

「怒り」について、

なかなか有益なことが

書かれていますので、

 

そこを引用・紹介させていただく

予定です。

 

 

 

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おまけです(^^;

 

恒例の新幹線、

富士川鉄橋でパチリ・・・

 

 

白雲なびく霊峰富士🗻

 

有り難いことに、

ここのところ、

富士山がばっちり見えることが多いです😊