ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
今回紹介させていただくのは、
遠藤周作さんの歴史小説、
私、遠藤周作さんの作品の多くは、
既読なのですが、
何故か発作的に
読み返したくなる時があり(^^;
その時の気分で、
手に取るのですが、
最近、九州に出張に行く
機会があったからなのか(?)、
久しぶりに再読してみた
いやあ、
「こんなに骨太な作品だったっけ」
と思えるほどに、
読み応えがありましたよ(^^;
主人公は、
豊後(今の大分県)の切支丹大名、
最盛期には何と九州6か国!
(今の大分県、福岡県、熊本県、宮崎県)
を支配した、大大名でしたが、
やがて、島津氏との戦いに敗れて、
衰退していくことになります・・・
彼は、名門の守護大名の出で、
お坊ちゃん育ちに見えますが、
実は、なかなかヘビーな
経歴を辿っています。
目が不自由な母親を
早くに亡くし、
父からは愛されず、
自分の守役にも裏切られ、
その騒動で父は殺害され、
急に家督を継ぐことになります。
その後も、
度重なる、謀略や裏切り・・・
(信じられぬ、
誰も信じられぬ)
人間不信に陥いるのですが、
そりゃ、無理もないです。
自分を育ててくれた
守役にも裏切られ、
その後も、
酷いことが続いたわけですから。
そんな彼は、
有名なフランシスコ・ザビエル
と面会し、言葉を交わします。
「まず殺すなかれ、
奪うなかれ、
偽りを申すなかれ・・・
だがそれはできぬぞ、
この余には」
(宗麟)
「なぜ、でございますか」
(ザビエル)
「大友家の家形であり、
九州数国の領主である余には、
養わねばならぬ一族、
重臣、家来がいる。
そのためには
敵とも戦わねばならぬ。
敵から奪わねばならぬ。
敵を殺しだまさねばならぬ。
家形である限り、
尊師の教えを守れば、
領国を失うことになる。
そうですね・・・
気持ち、わかります。
程度の差こそ、
かなりありますが、
私も、家族を養うために、
所属する組織のために、
ライバル会社から、
シェアを奪ったり、
出し抜いたりすることも、
あるわけですから。
(もちろん、合法の範囲ですが)
しかし、ザビエル氏は、
容赦ない(^^;
この時、
神父は間髪を入れず、
きびしく鋭い答えを
返しました。
「殿、魂の至福を得ることは、
家形を守ることより
大事でございます。
もし殿が我らの神を
御信心になる時には、
神は今の殿よりも
もっと大きな栄光を
お与えになりましょう」
もっと大きな栄光・・・
う~ん、
よくいわれるように、
大友宗麟(義鎮)は、
当初、貿易の利点があるために、
キリスト教を利用しようとしたのですが、
このザビエルとの出会いが、
終生、彼の心に痕跡を残すことに
なるのですね。
「理想」と「現実」
「人生」と「生活」
その狭間で葛藤する・・・
遠藤周作さんの作品によく現れるテーマが、
この作品にも含まれています。
彼は、教養もある聡明な君主で、
特に中央政権との外交には
手腕を発揮するのですが、
いかんせん、
戦は苦手だったようです(^^;
頭がよく、繊細だったからこそ、
迷い、あれこれ考えすぎてしまうという、
「弱さ」を抱えていたことが
描かれています。
その「弱さ」ゆえに、
正室との関係に苦しんだり、
ある女性に対して、罪を犯し、
それが一生消えない心の傷になったり・・・
「善」と「悪」の二面性があり、
揺れ動く自分とはいったい
何なんだろう・・・
そんな彼は、
「禅」に傾倒したりもしますが、
そこでは心の平安が訪れることもなく、
しだいに、ザビエルのいう、
「キリスト教」の世界に惹かれるように
なっていきます・・・
宗麟は
禅を捨てて切支丹にすがるのは
自分が弱いゆえだと知っていた。
(中略)
(他にすがらず、
おのれによって
おのれを救う者がいる。
禅はかかる強さを
持つ者に向いている。
だが余のごとき者には、
何かにすがらねば
安らぎを得られぬ)
禅は、自力の宗教だといわれますが、
たしかに、
自分一人で自分を見つめるというのは、
けっこうしんどいですよね(^^;
ある意味、
「強さ」が必要かもしれません。
ちなみに、
私は、なんちゃって坐禅や
瞑想が好きですが、
とても無我の境地など至りません(^^;
(ただ、
いま・ここの自分の気持ちに気付けたり、
リラックスや癒されたりする
マインドフルネスの効果は、
すごくあると思います)
(されど、なにゆえ、
切支丹の神でなければ
ならぬのか。
おなじ仏門でも
一向宗と申し
阿弥陀如来にひたすらすがる
宗門があるではないか)
そうですね・・・
私も、キリスト教と浄土真宗は、
(素人目ですが)
割と似ていると感じているのですが、
物語に登場する、
カブラル神父は、こう答えます。
(遠藤周作さんの考えを
代弁している?)
「あのお方は
ユダヤと申す国にて生き
そこで死にました。
だが
阿弥陀如来は
人々の頭にて作られた想念、
理念でございます。
想念、理念に我らがすべてを
頼み参らせることはできません。
我らが頼みと致せますのは
あきらかにこの世に生まれ、
この世にて生き、
苦しみ、死なれた
あのお方のみでございます。
なるほど・・・
「実在した人物」か
「想念、理念」か、
たしかに、そこは、
大きく違う。
私は、
特定の宗教の信者ではないのですが、
遠藤周作さんの描くキリスト教には
とても共感します。
というのは、
人間らしいイエスを
モチーフにしているからだと思います。
実際に存在した人物だからこそ、
信じられるし、親しみが湧く。
もちろん阿弥陀如来のような
超越した存在に
包みこまれるような安心感もいいですが、
(私は仏像はとても好きです)
やっぱり、
人は人に理解してもらいたい。
自分の至らなさ、
ずるさや、弱さ、虚栄心、
理不尽さ・・・
遠藤周作さんの描く、
人間イエスなら、
わかってくれそうな気がします(^^;
そういう意味では、
人の悩み、苦しみに、
寄り添い、共感してくれる
カウンセラーという存在は、
現代人にとって、
人間イエス・キリストのような
存在なのかな~
とも思います。
ちょっと大きく出てしまいましたが(^^;
私はそんなカウンセラーでありたいと
思っています😊
--------------------------------------------------------
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
次回へ続きます(^^;
--------------------------------------------------------
近所の鶴見川で動禅!
空気がクリアな感じがして、
気持ちよかったです(^^)
夕陽・・・
陽が落ちるの早いですね。


