ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

GWが始まりましたね!

皆さんいかがお過ごしですか?

 

コロナが

落ち着いているということもあり、

観光地は大盛況のようですね(^^)

 

私は、ちょっとした車中泊一人旅に、

出かけようと思っています😊

 

で、今回紹介する本は、

今、もっとも旬な本!

 

村上春樹さんの最新刊、

 

街とその不確かな壁

 

 

村上春樹さんの本、

意外にも、まだ、

1冊も紹介していませんでした(^^;

 

学生時代は、

よく読んでいて、

 

社会人になっても、

1Q84

などの主だった作品は

読んでいますが、

 

近年は、短編集

女のいない男たち

(映画「ドライブ・マイ・カー」

の原作が入っています。

あの映画、よかったな~)

 

を読んで以来、

ご無沙汰していました(^^;

 

で、今回の、

街とその不確かな壁

 

この作品は、

村上春樹さんの初期の代表作、

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

に関連があるとのこと・・・

 

「世界の終わりと・・・」

内容は詳しくは覚えていないのですが、

たしか、高校生か大学生の頃読んで、

とても印象に残った作品だったので、

 

今回の、

街とその不確かな壁

 

661ページというページ数に

ちょっとビビりながらも、

チャレンジしてみました(^^;

 

 

・・・いやあ、

はまりました!

 

結局、

3日間で読み切ってしまいましたよ!

 

それくらい、

先の展開が気になって、

とまらなくなる小説なのですが(^^;

 

ネタバレに注意しながら、

解説すると・・・

 

主人公は、

中年の男性なんですね。

 

高校生の頃、出会って、

その後、忽然と姿を消した女性のことが、

忘れられません。

 

長年勤めた仕事をやめて、

ある地方の図書館の館長として、

勤務するようになるのですが・・・

 

物語は、

「現実の世界」と、

「壁に囲まれた不思議な街」と、

交差するように進展します。

 

現実の世界の自分は

「影」で、

 

壁に囲まれた街にいる自分が

「本体」?

 

はたまた、それは逆なのか?

 

「意識」と「心(無意識)」

の世界の往還。

 

何だか、

心理学者ユングの世界観を

想起するものがあります。

 

ストーリーを詳しく紹介すると、

ネタバレになってしまうので(^^;

 

細切れになりますが、

私が印象に残った文章を、

紹介していきますね。

 

 

きみは

いろんなことを

包み隠さず

素直に語っているように

見える。

 

でも本当のところは

誰にもわからない。

 

ぼくは思うのだが、

この世界に

心に秘密を抱かないものは

いない。

 

それは、

人がこの世界を

生き延びていくためには

必要なことなのだ。

 

そうじゃないのだろうか。

 

 

そうですね・・・

 

たしかに、

心に秘密を抱かない人は

いないと思います。

 

そうやって、皆、

現実世界に折り合いをつけて、

生きている。

 

しかし、

その抱いた秘密は、

消えてなくなることはありません。

 

現実的に現れなくても、

深層心理の中では、作用している。

 

そして、しかるべきときに、

私たちの人生に影響を及ぼしてくる。

 

それが、

「運命」というものかもしれませんが、

 

別の言い方をすれば、

「影」の統合、

(少し飛躍しますが)

ユングのいう自己実現(個性化)への過程

なのかもしれません。

 

 

「ときどき自分が

なにかの、

誰かの影みたいに

思えることがある」と

 

きみは

大事な秘密を

打ち明けるようにいう。

 

「ここにいるわたしには

実体なんかなく、

私の実体は

どこか別のところにある。

 

ここにいるこのわたしは、

一見わたしのようであるけれど、

 

実は地面やら壁やらに

投影された

影法師にすぎない・・・

 

そんな風に

思えてならない」

 

 

哲学者プラトンの、

イデア論「洞窟の比喩」

を私は想起しましたが、

 

この「どこか別のところ」が、

「壁に囲まれた街」なんですね。

 

その街とは、

単角を持つ獣がいたり、

姿の見えない夜啼鳥の声色がしたりする、

摩訶不思議な世界なのですが、

(まさに村上ワールドですね)

 

そこは、

人々に「影」がなく、

時間も存在しない世界・・・

 

主人公から分離した

「影」はいいます。

 

 

「あんたはおれと

もう一度一緒になって、

壁の外の世界に

戻るべきだと思います。

 

(中略)

 

いいですか、

おれの目からすれば、

あっちこそが

本当の世界なんです。

 

そこでは人々は

それぞれ苦しんで歳を取り、

弱って衰えて

死んでいきます。

 

そりゃ、

あまり面白いことじゃ

ないでしょう。

 

でも、

世界って

もともとそういうものじゃ

ないですか。

 

そういうのを

引き受けていくのが

本来の姿です。

 

そして

おれも及ばずながら

それにおつきあいしています。

 

 

・・・さて、

 

主人公は、それを受けて、

どのような行動を

とるのでしょうか?

(それは読んでのお楽しみ!)

 

 

主人公は、

「コーヒーショップ」

を一人で切り盛りしている女性と

出会うのですが、

 

ある場面でこういいます。

 

 

「待つことには慣れている」

 

彼女はまた少しのあいだ

考えていた。

 

そして言った。

 

「そんなに我慢強く

待つだけの価値が、

私にはあるかしら」

 

「どうだろう」

と私はいった。

 

「でも長い時間をかけても

待ちたいと思う気持ちには、

それなりの価値があるんじゃ

ないかな」

 

 

これが、

主人公のある決断に、

繋がっていくのですが・・・

 

それは読んでのお楽しみ(^^;

 

 

初対面の人に、

生年月日を聞いて、

その曜日を即座に当てるという、

 

「イエローサブマリン」

が描かれたパーカーを着た天才少年が、

登場するのですが、

 

こういいます。

 

 

 

「あなたの心は

新しい動きを求め、

必要としているのです。

 

でもあなたの意識は

まだそのことを

じゅうぶん

把握してはいません。

 

人の心というのは、

そう簡単には

捉えがたいものですから」

 

まるで

春の野原の若い兎のように、

 

と私は思った。

 

 

捉えがたい人の心の

比喩として、

 

「まるで春の野原の若い兎のように」

 

村上春樹さんらしい、

素敵な表現ですよね。

 

ご多分に漏れず、

この小説にも、

おもしろい表現の比喩が、

たくさんちりばめられています。

 

たとえば、

今、目についたところだけでも、

 

 

部屋は暖かく静かだ。

 

時計がなくても、

時間は無音のうちに

過ぎていく。

 

足音を殺して

塀の上を歩いて行く

細身の猫のように。

 

 

「猫」の使い方、

うまいですね~

 

 

「あんたに言いたいのはね」

 

と門衛はもったいぶって

私に忠告を与えた。

あるいは警告した。

 

「頭に皿を載せてるときには、

空を見上げない方が

いいってことさ」

 

 

たしかに(^^;

 

どうやったら、

こんな比喩が思いつくのでしょう(^^;

 

 

・・・ちょっと、

横道にそれましたが、

 

「イエローサブマリン」

の少年に戻ります。

 

 

「心配することは

ありません。

 

自分の心の動きに

素直に従っていけば

いいのです。

 

その動きを見失いさえ

しなければ、

 

いろんなことは

きっとうまくいきます。

 

そしてあなたの

大事な分身が

きっとあなたの復帰を

強くささえてくれるはずです」

 

 

このセリフは、

物語の最後に近いところで、

語られますが・・・

 

・・・これ以上は

ネタバレになるので(^^;

 

他に、

この小説のキーマンとして、

子易さんという、

図書館館長の前任者が登場します。

 

この元館長、

育ちのいい紳士なのですが、

 

何故か、

(男性なのに)

スカートをはいているんですね(^^;

 

物語が進むにつれて、

その理由も

明らかになってくるのですが・・・

 

 

 

------------------------------------------------

 

 

 

以上、ネタバレに気を付けながら、

紹介しましたので、

意味不明だったかもしれません(^^;

 

この物語の解釈は、

人それぞれだと思いますが、

 

私の読後感としては、

 

「意識」と「心(無意識)」

の世界を旅したような、

心地よい疲労感を感じるとともに、

 

何というか、

日々の生活が愛おしくなるような、

日常を大切にしたくなるような、

 

そして、

ちょっぴり優しい気持ちになりました😊

 

 

600ページ以上の大作ですが、

その分、読み進めていくと、

 

物語の世界に、

どっぷり浸かることができますよ(^^)

 

GWに時間のある方は、

村上春樹ワールドに、

深く深く沈澱してみるのは

いかがでしょうか。

 

 

 

***********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

どうぞ素敵なGWをお過ごしください!

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

***********************************

 

 

 

おまけ

 

 

金太郎伝説の地、

足柄の地蔵堂。

 

 

 

 

矢倉岳に

登りました!

 

富士山は雲隠れ(^^;

 

 

 

 

箱根大涌谷方面。

 

 

 

 

夕日の滝、

予想以上にダイナミックでした!

 

 

 

 

大雄山最乗寺。

 

ああ、緑が美しい!

 

 

 

私の好きなお寺、

ベスト5に確実に入ります!

 

 

 

 

 

ここの風景は、

ホント美しいです😊

 

 

 

 

シャガという花が、

たくさん咲いていました(^^)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

エックハルト・トールさんの

世界的なベストセラー

 

ニュー・アース

 

 

を紹介・解説してきました。

 

今回で6回目、最終回です(^^;

 

この本のメインテーマのひとつは、

「いま・ここ」

にあることの大切さなのですが、

 

それに関して、

印象的な逸話が述べられていますので、

 

今回は、

そこからスタートします。

 

 

日本のある町に

白隠という禅の老師が

住んでいた。

 

彼は人々の尊敬を

集めており、

 

大勢の人が

彼の教えを聞きに

集まってきていた。

 

 

「白隠」とは、

臨済宗中興の祖と称される、

江戸時代の有名なあの

「白隠禅師」のことでしょうか。

(ちょっとわかりませんが・・・)

 

 

あるとき、

寺の隣の

十代の娘が妊娠した。

 

怒り狂った両親に、

子どもの父親は誰だと

問い詰められた娘は、

 

とうとう

白隠禅師だと答えた。

 

両親は激怒して

白隠のもとに怒鳴り込み、

 

娘は白状したぞ、

お前が父親だそうだな、

 

となじった。

 

白隠は

「ほう、そうか?」

と答えただけだった。

 

 

ええっ、

まさか・・・

 

白隠禅師さん、

そ、それは、

まずいでしょ?

 

 

噂は町じゅうどころか

近隣の地域にまで

広がった。

 

禅師の評判は地に堕ちた。

 

だが禅師は

意に介さなかった。

 

誰も説法を

聞きに来なくなった。

 

だが禅師は

落ち着き払っていた。

 

赤ん坊が生まれると、

娘の両親は禅師のもとへ

連れてきた。

 

「お前が父親なんだから、

お前が面倒を見るがいい」。

 

禅師は

赤ん坊を慈しみ、

世話をした。

 

 

・・・う~ん、

これでいいのか?

 

 

一年たち、

慚愧(ざんき)に

耐えられなくなった

娘が両親に、

 

実は赤ん坊の父親は

近所で働く若者だと

白状した。

 

 

やはり!

そういうことだったのか(^^;

 

 

両親はあわてて

白隠禅師のもとへ

駆けつけ、

 

申しわけなかったと

詫びた。

 

「ほんとうに

すまないことをしました。

 

赤ん坊を引きとらせて

もらいます。

 

娘が、

父親はあなたでないと

白状しましたんで」。

 

「ほう、そうか?」。

 

禅師はそう言って、

赤ん坊を返した。

 

 

・・・いかがですか。

 

あっさりと、

「ほう、そうか?」

 

さすがにこれは、

聖人レベルの対応で、

 

ふうつの人は、

最初から、

 

「冗談じゃない!」

「これはとんだ濡れ衣だ!」

 

と、徹底的に抗議しますよね(^^;

 

あまりにも理不尽ですし、

はっきりNO!と言わなければ、

どんどん、

つけ込まれてしまう気がします。

 

それが、

あたりまえの反応なのですが、

 

白隠禅師は、

「ほう、そうか?」

と受け入れてしまう。

 

「白隠さん、それでいいの?」

 

と思わず、

突っ込みたくもなりますが(^^;

 

ただ・・・

 

よくよく考えて見ると、

結果的には、

白隠禅師が、

抵抗せずに受け入れたことで、

すべてがうまくいったのですね。

 

 

禅師は

偽りにも真実にも、

悪い知らせにも

良い知らせにも、

 

「ほう、そうか?」

 

とまったく同じ

対応をした。

 

彼は良くても悪くても

いまという瞬間の形を

そのまま認めて、

 

人間ドラマには

加わらなかった。

 

彼にとっては

あるがままの

この瞬間だけがある。

 

起こる出来事を

個人的なものとして

捉えない。

 

彼は誰の被害者でもない。

彼はいまこの瞬間に

起こっている出来事と

完璧に一体化し、

 

それゆえに

起こった出来事は

彼に何の力も

振るうことができない。

 

起こった出来事に

抵抗しようとするから

その出来事に翻弄されるし、

 

幸福か不幸かを

よそから

決められることになる。

 

赤ん坊は慈しまれ、

世話をされた。

 

抵抗しないという

力のおかげで、

 

悪い出来事が

良い結果になった。

 

つねに

いまという瞬間に

求められたことをする

禅師は、

 

時が来たら

赤ん坊を手放したのだ。

 

 

これは、有名な、

「人間万事 塞翁が馬」

(これは私の座右の銘のひとつです)

 

という故事にも、

ちょっと通ずるものがありますね。

 

「つねに、いまという瞬間に

求められたことをする」

 

う~ん・・・

 

エゴまみれの私が、

この白隠禅師のような域に達するのは、

今回の人生では

とうてい無理なのですが(^^;

 

一歩でも、近づきたいと

思っています。

 

 

「エゴ」は、

(この本では、無意識の思考、

妄想、欲望などを指します)

 

現在という瞬間とは

仲良くできないといいます。

 

「エゴ」は必死に、

「いま・ここ」を無視し、

抵抗しようとするのです。

 

そのやり方は、

3つあるといいます。

 

 

・目的のための手段

として対応する

 

・障害として対応する

 

・敵として対応する

 

 

詳しく見ていきます。

 

 

エゴにとって、

現在という瞬間は

せいぜい目的のための

手段でしかない。

 

もっと大事だと考える

未来に連れていってくれる

手段だ。

 

ただし

その未来は

現在という瞬間として

到来する以外にはなく、

 

したがって

未来は頭のなかの

思考としてしか存在しない。

 

言い換えれば、

このパターンが

働いていると、

 

あなたはいつも

どこかに行こうとして

忙しく、

 

決して

「いま、ここに」

腰を落ちつけることは

できない。

 

 

どきっ・・・

 

「いま」が

「未来」という目的のための

手段でしかなくなる。

 

目的は、つねに先送りで、

地に足が着かない感じ。

 

たとえば、

スケジュール表の先ばかりを

見てしまったり・・・

 

これは、

気を付けないと、

私も、つい

陥ってしまいがちです(^^;

 

 

このパターンが

ひどくなると

(そういうことは

まったく珍しくない)、

 

現在という瞬間が

克服すべき障害に

見えてくる。

 

そこで

苛立ちや欲求不満、

ストレスが生じるのだが、

 

私たちの文明では、

それが多くの人の日常、

あたりまえの状態に

なっている。

 

こうなれば

人生は「問題」で、

あなたは問題だらけの

世界に暮らし、

 

問題を解決しなければ

幸せになれず、

満たされず、

ほんとうに生き始めることも

できないと思い込む。

 

 

問題を解決しなければ、

幸せになれず、

満たされず・・・

 

何だか、これ、

ビジネスの世界ですね(^^;

 

 

ところが問題を

一つ解決するたびに、

次の問題が現れる。

 

現在という瞬間を

障害として見ている限り、

問題に終わりはない。

 

人生、つまり

「いま」という時は、

 

「あなたの期待どおりに

なってあげるよ」

 

と言う。

 

「あなたがとる姿勢に

応えよう。

 

あなたが問題だと思うなら、

私は問題になる。

 

障害だと思うなら、

障害になる」と。

 

 

「いま」を

受け入れることなく、

それを問題だと見れば、

それは問題となり、

 

それを障害だと見れば、

それは障害になる。

 

つまり、現実的に

問題や障害を創り出してしまうと

いうことですね。

 

そして、

常に何か満たされない

感じがする・・・(^^;

 

 

最悪なのは、

(これもまったく

珍しくない)、

 

現在という瞬間に

敵として対応することだ。

 

自分がしていることが

嫌だとか、

状況に不満だとか、

 

起こっていることや

起こったことを

憎んでいるとき、

 

あるいは

頭のなかの対話が

 

こうすべきだとか

すべきでないという

判断や不満や非難で

あふれているとき、

 

あなたは

「あるがままのいま」

に反論し、

すでにある現在に

文句をつける。

 

人生を

敵に仕立てているので、

人生のほうも、

 

「闘いが望みなら、

闘わせてやろう」

 

と応じる。

 

外部的な現実は

つねにあなたの

内側な状態の反映だから、

 

あなたは当然、

敵対的な世界を経験する。

 

「私は現在という瞬間と

どんな関係にあるだろう?」

 

と、終始自分に

問いかけることが大切だ。

 

 

いつも何かしらの敵がいて、

闘い続ける人は、

こういう思考なのかもしれません。

 

「外部的な現実は

内側の状態の反映」

 

これは、本当にそう思います。

 

心理学だと、

「投影」といいますが、

 

やはり、

自分自身のモノの見方、捉え方が、

外の世界に、投影されるんですね。

 

投影といえば、

こんな小話があります。

 

 

------------------------------------------------------

 

 

旅人が、

あるオアシスの街にたどり着いた。

 

入り口にいる

老人にたずねた。

 

「この街はどんな街ですか?」

 

「前に君がいた街はどうじゃった?」

 

旅人は、

こう答えた。

 

「人々は意地悪で、いやな街でした」

 

老人は言った。

 

「だったら、この街もそうじゃろう」

 

 

別の旅人は、

こういった。

 

「人々は親切で、素敵な街でした」

 

老人は言った。

 

「だったら、この街もそうじゃろう」

 

 

----------------------------------------------------

 

 

・・・外部的な現実は、

人の内側の状態の反映なんですね(^^;

 

「私は現在という瞬間と

どんな関係にあるだろう?」

 

つまり、

「いま・ここ」と、

友好的な関係であるかどうか。

 

忘れずにいたいですね😊

 

 

----------------------------------------------------

 

 

以上、6回にわたって、

アメリカ屈指のスピリチュアル・マスター

エックハルト・トールさんの

世界的なベストセラー

 

ニュー・アース

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきました。

 

紹介できたのは、

この本の一部にすぎませんが、

内容的には、とても密度が濃くて

示唆に富んでいます。

 

皆さまも、たとえば、

今度のGWの休みに、

じっくり腰を据えて、

本格的なスピリチュアルの世界に

浸ってみるのはいかがでしょうか(^^)

 

「意識」が一段高まったような

感覚になりますよ!

 

 

 

************************************

 

 

 

今回も最後まで

お読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

私がブログを続けられるのも、

読んでくださる

皆さまがいるおかげです。

 

次回は、

別の本を紹介します(^^;

 

 

 

************************************

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

 

昭和大学病院前、

今の時期、ツツジきれいですね!

 

 

 

 

世田谷の九品仏

 

大きな仏像をたくさん拝める、

素敵なお寺です!

 

 

 

 

新緑のもみじが美しいです。

 

 

 

 

本堂から、

枯山水の庭を眺めていたら、

 

あれっ・・・

 

 

 

 

妙に溶け込んでいました😸

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的に有名な

スピリチュアルマスター、

エックハルト・トールさんの、

 

全米580万部突破のベストセラー、

ニュー・アース

 

 

から、私の印象に残ったところを、

紹介しています。

 

この本では、

過去や未来にとらわれずに、

「いま・ここ」にあるためには、

 

「呼吸」を観察すること

 

が効果的だと述べられています。

 

私も同感です(^^)

 

 

思考の流れを中断して、

内なる空間を発見しよう。

 

この中断がないと、

思考は創造の火花のない

平凡な繰り返しになるが、

 

いまでも

地球上のほとんどの人は

そんな状態にいる。

 

 

無意識の信念から生じる

(自動)思考を繰り返すと、

創造性はなかなか

生まれないということですね(^^;

 

 

中断の長さは

気にしなくてもいい。

数秒でも充分だ。

 

努力しなくても、

中断時間はだんだん

長くなっていく。

 

大事なのは長さよりも頻度で、

日々の活動や思考の流れを

この空間で頻繁に

さえぎることである。

 

 

長さよりも頻度が大切。

 

 

呼吸を観察してみよう。

 

呼吸を感じてみる。

 

空気が動いて

身体のなかに入っていくのを

感じる。

 

息を吸ったり吐いたり

するたびに、

 

胸と腹が

わずかに広がったり

収縮したりするのを

感じる。

 

一つの呼吸を

観察するだけでも、

 

それまでは途切れない

思考が続いていたところに

空間ができる。

 

 

たしかに、そうですね。

 

集中して、呼吸に意識を向けると、

思考は止まります!

 

ちなみに、

サーチ・インサイド・ユアセルフ

 

 

という、

グーグル社のマインドフルネス実践法

が書かれた本には、

 

 

「命がかかっているかのように

呼吸をする」

 

 

という印象的な言葉があります。

 

皆さんもよかったら、

今、この瞬間、

 

「命がかかっているかのように」

 

集中して

呼吸をしてみてください・・・

 

・・・思考が止まりますよ!

 

 

本書に戻ります(^^;

 

 

呼吸は意図しなくても

起こっている。

 

身体のなかの知性が

起こしている。

 

あなたはそれを

観察するだけ。

 

緊張も努力もいらない。

 

 

そうですね。

 

あたりまえですが、

生きている以上、

呼吸は常にしているわけで(^^;

 

ただ、そこに意識を向ければいい。

 

 

それから

呼吸の短い中断に

注目してみる。

 

とくに息を

吐き終わったあとに、

再び吸うまでの

わずかな中断を

観察しよう。

 

多くの人は

呼吸が不自然に浅い。

 

呼吸に気づけば

気づくほど、

 

呼吸は自然な深さを

取り戻す。

 

 

無意識ですが、

たしかに、

私たちの日頃の呼吸は、

かなり浅いと思います。

 

ちなみに、

私は、人前で発表する際に、

緊張すると、

息が切れることがあります(^^;

 

つまり、

呼吸が浅くなっているのですね。

 

「とくに息を

吐き終わったあとに、

再び吸うまでの

わずかな中断を観察する」

 

これをやると、

結果的に呼吸が深くなるので、

おすすめです!

 

 

呼吸を観察すると、

いやおうなしに

いまこの瞬間に「在る」

ことになる―

 

これがすべての

内なる変容の鍵なのだ。

 

呼吸を観察するとき、

あなたは絶対的に

「いまに在る」

 

それに、

考えながら

呼吸を観察することは

できないことにも

気づくだろう。

 

 

そうなんです。

 

呼吸を観察すると、

否応なしに、思考は止まる。

 

不思議ですが、

呼吸に集中することと、

考えることは、

同時には、できないんですね。

 

そして、

必然的に、

過去でも、未来でもなく、

「いまに在る」

ことになる・・・

 

 

・・・そうはいっても

 

そのうち

呼吸への意識が薄れてきて、

どうしても、

思考(雑念)が生じてしまいますが(^^;

 

・・・そうしたら、

また、呼吸に意識を向ける・・・

 

意識が薄れたら、

また・・・

 

・・・を繰り返せば

いいのだと思います(^^)

 

思考(雑念)が浮かんでも、

再び、呼吸に意識を戻せばいい。

 

これがいわゆる、

坐禅や瞑想の

基本的な考え方だと思います。

 

呼吸するたびに、

1から10まで数を数えたりするのも、

集中力を高めるのに有効ですよ!

 

私の場合は、

それに、感謝の言葉を添える。

(古宮昇先生に教わったやり方です)

 

たとえば、

息を吐くときに、

 

「い~ち、ありがとうございま~す」

「に~い、愛してま~す」

「さ~ん、ありがとうございま~す」

「よ~ん、愛していま~す・・・」

「・・・」

 

と交互にささやきます。

 

あたたかい気持ちになりますので、

おすすめです(^^)

 

ただし、くれぐれも一人の時に!

 

人前でささやくと、

かなりアヤシイ人になりますので(笑)

その場合は、心の中で(^^;

 

 

意識的に呼吸すると

心が停止する。

 

それは

茫然自失とか

半睡状態とは大違いで、

 

完全に目覚め、

意識が研ぎ澄まされている。

 

思考より下に落ちる

のではなく、

思考の上に上るのである。

 

そしてさらによく

観察すると、

 

この二つは

 

―完全にいまこの瞬間に

在ることと、

 

意識を失わずに

思考を停止することは―

 

実は同じだと

気づくだろう。

 

空間の意識の

現れである。

 

 

意識を失わずに、

思考を停止することとは、

すなわち、

「いま・ここ」にあること。

 

もちろん、

思考は必要な時もあります。

 

特に、

(意識的に)

「自分の頭で考える」

ということは、

大切だと思います。

 

私が好きな著作家の

山口周さんは、

ツイッターで、

 

「考えて生きる」は、

「地図を持って生きる」

 

「感じて生きる」は、

「コンパスを持って生きる」

 

だから、

「どっちも大事」

 

と、つぶやいていましたが、

私も同感です(^^)

 

たとえば、

計画を立てる時などは、

意識的な「思考」は

必要不可欠です。

 

しかし、

いわゆる、

「○○○すべき」

に代表されるような、

無意識の信念、

 

自動思考という名の

「エゴ」に乗っ取られると、

 

苦しいし、

主体的に生きづらくなります。

 

そういう時は、

呼吸に意識を向けて、

呼吸を観察する。

 

すなわち、

マインドフルネス瞑想や、

坐禅に取り組むと、

 

頭がクリアになり、

気持ちも軽くなります😊

 

 

ちなみに、

マインドフルネス瞑想は、

 

吉田昌生さんの、

1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門

 

 

が、本格的なCDもついていて、

実践的でオススメです(^^)

 

この内容で税込1,690円は安すぎます!

 

 

坐禅は、

何度か紹介していますが、

臨済宗青年僧の会さんの

オンライン坐禅会

 

 

 

ZOOMで気軽に参加できて、

しかも無料!

 

登録も必要なく、

入退室も自由という、

 

オープンマインドで

とても有り難い座禅会です(^^)

 

ほぼ毎日、全国の臨済宗のお寺が、

順番に開催しています。

 

私もたまに参加しています。

興味のある方は是非!

 

 

 

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次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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近所の鶴見川、

緑がイキイキしてきました!

 

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的に有名な

スピリチュアルマスター、

エックハルト・トールさんの

ベストセラー

 

ニュー・アース

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

この本では、

「エゴ」

(この本では、無意識の、

思考、妄想、欲望など

のことを指します)

 

に乗っ取られないために、

 

過去や未来ではなく、

「いまに在る」

ことが大切だと

述べられているのですが、

 

抽象的で、

ちょっと難解なところもあります(^^;

 

ただ、

具体的なエピソードとして、

わかりやすく述べられているところも

ありますので、

 

今回は、

その箇所を引用させていただきますね。

 

たしか、田坂広志さんの著作でも、

引用されていたお話です。

 

 

担山という禅僧が、

友人の僧と一緒に

豪雨のあとで

ひどくぬかるんだ田舎道を

歩いていた。

 

村の近くまで来ると、

道を渡ろうとしている

若い娘に出会ったが、

 

水たまりが深くて

着ている着物が

汚れそうだった。

 

担山はすぐに

娘を抱き上げて

水たまりを

渡してやった。

 

 

そのあと

二人の僧は

黙々と歩き続けた。

 

五時間ほどして、

その夜の宿になる

寺が見えてきたとき、

 

友人がとうとう

黙っていられなくなって

口を切った。

 

「あなたはどうして

あの娘を抱き上げて、

道を渡してやったのか?」

 

彼はそう言った。

 

「僧というものは、

ああいうことを

すべきではないと思うが」。

 

 

「私はもうとうに

娘を下したのに」

 

と担山は答えた。

 

「きみはまだ、

抱いていたのかね?」。

 

 

・・・いかがですか。

 

このお話は、

いろいろな示唆を与えてくれると

思います。

 

たとえば、

僧としての形式や役割に

縛られすぎることの愚も

感じますが、

 

過去にとらわれ、

それに執着しているところに

見苦しさを感じます。

 

ただ、

これって、けっこう

やってしまいがちですよね(^^;

 

 

この友人のように暮らし、

状況を手放せず、

また手放す意志をもたずに、

心のなかにどんどん溜め込み

積み重ねていたら、

 

どんな人生になるか

想像していただきたい。

 

それがおおかたの

人々の人生なのだ。

 

彼らがこだわって

心のなかに溜め込んでいる

過去という荷物の

なんと重いことか。

 

 

そうですね・・・

 

わたしたちは、つい、

ほんらい溜め込む必要のない

過去という荷物を、

無意識に

ため込んでしまいがちです(^^;

 

 

過去の人生は

記憶として

あなたのなかに生き続けるが、

その記憶自体は問題ではない。

 

それどころか

記憶のおかげで過去から、

そして

過去の過ちから

学ぶことができる。

 

記憶、

つまり過去に関する思考に

あなたが完全に支配され、

それが重荷に変わったときに

初めて記憶が問題となる。

 

そして

あなたの自己認識の一部になる。

 

 

記憶自体が問題なのではなく、

 

過去に関する

「(自動)思考」に支配され、

それが重荷になることが

問題なんですね。

 

 

あなたの物語は

頭のなかの記憶だけでなく

感情的な記憶、

 

すなわち

ありありと甦る

古い感情によっても

構成されている。

 

思考によって

恨みをふくらませつつ、

五時間もこの恨みという

重荷を抱えていた禅僧のように、

 

ほとんどの人は

不必要に大量の

精神的感情的荷物を

一生抱えていく。

 

彼らは

不満や後悔や罪悪感で

自分に小さな枠を

はめてしまう。

 

感情的な思考が

自己になっているから、

 

そのアイデンティティを

強化するために

古い感情にしがみつく。

 

 

感情的な思考が

自己とイコールになっている・・・

 

この自己が、まさに

「エゴ」のことですね。

 

そのエゴという名の自己を

強化するために、

古い感情にしがみついてしまう。

 

不必要な荷物を背負いこんで、

気持ちが重くなる・・・

 

 

人間には

古い記憶を長々とひきずる

傾向があるから、

 

ほとんどの人は

エネルギーの場に

古い感情的な苦痛の集積を

抱えている。

 

私はこれを

「ペインボディ」

と呼んでいる。

 

 

「ペインボディ」

 

この言葉は、

エックハルト・トールさんの著作に

よく出てくる言葉ですが、

 

いわゆる、

過去に負った、

「未解決の心の傷つき」

のことですね。

 

幼少期に、身近で大切な人から、

「ありのままの自分(の気持ち)」

を受け入れてもらえなかったことから、

生じるケースが比較的多いのですが、

(その癒されていない傷が、

今の出来事に反応するわけです)

 

ただ、これは、

程度の差こそあれ、

誰にでも生じる経験であり、

 

それをバネに成長できることもあるので、

いいとも、悪いとも

言い切れないものなのですが、

 

しかし、

日常生活で、それが原因で、

つらかったり、しんどいときには、

どうにかしたいですよね。

 

その場合は、

すなわち、

「ペインボディ」を軽くするには、

 

やはり、

カウンセリングが効果的だと思います。

 

人は人との関係でこそ癒される・・・

 

「ありのままの自分の気持ち」

をわかってもらえる体験は、

とても貴重で、

代えがたいものがあると思います。

 

 

では、

カウンセリング以外の方法は?

 

心の傷つきを解消するのは、

ちょっと難しいかもしれませんが、

 

少なくとも、

過去にとらわれずに、

「いま・ここ」にあるためには、

 

「呼吸」を観察すること

 

が効果的だといいます・・・

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

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おまけ(^^;

 

 

 

伊勢神宮の別宮

伊雑宮(いざわのみや)に立ち寄りました。

 

 

 

 

 

森の中で雨模様、

空はどんよりしていたのですが、

 

何故か、この周辺は、

光が差している感じがしました。

 

 

 

 

おおっ・・・

 

 

楠のようですが、

これは、何か、

宿っている感じがしますね・・・

 

 

 

 

この二本杉も・・・

 

 

 

周囲はもっと暗かったはずですが、

写真で改めて見ると、

明るくて、くっきり浮き上がっている・・・

 

まるで生きている感じです!

 

私は、普段、

霊感はほとんど感じないのですが、

 

ここは、

何か感じるものがありました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

世界的に有名な、

スピリチュアルマスター

エックハルト・トールさんのベストセラー

 

ニュー・アース

 

 

を紹介しています。

 

この本、

多くの示唆を与えてくれる

素晴らしい内容なのですが、

 

ただ、

読み解くのに少々骨が折れます(^^;

 

私なりにかみ砕いて、

有益だと思ったところを、

紹介・解説していきますね。

 

 

 

人は、

「エゴ」を本当の自分だと

誤解しているといいます。

 

この本では、

「エゴ」とは、

単純に「自我」という意味ではなく、

 

無意識の、

(自動)思考、妄想、欲望・・・

などのことを指しますが、

 

この「エゴ」というものは、

それ自体では存在できないんですね。

 

何かに自分を

「同一化」するといいます。

 

それによって、

「機能不全」が生じるのですが、

 

その何かとは、モノだけでなく、

地位や名誉といった

「役割」も含まれるのです(^^;

 

 

この世界では

人々はそれぞれ

さまざまな機能を果たしている。

 

それが当然だ。

 

知的、肉体的な能力

 

― 知識、技能、才能、

エネルギーレベル ―

 

は人によって

大きく違う。

 

ほんとうに大事なのは

この世界でどのような機能を

果たすかではなく、

 

その機能への

自分の同一化がゆき過ぎて

機能や仕事が役割になり、

その役割に

なりきってはいないか、

 

ということだ。

 

 

役割になり切るのは、

悪いことではないような

気もしますが・・・

 

何か問題があるのでしょうか。

 

 

役割になりきってしまうと、

無意識になる。

 

あ、役割を演じているな

と意識をすると、

自分と役割に

距離が生まれる。

 

それが役割からの

解放の始まりだ。

 

 

「役割を、演じている」

と「意識」をする、

 

いわば、

眺めるのですね。

 

 

完全に自分を

役割に同一化していると、

 

行動パターンと

自分自身を混同し、

自分を深刻に

受けとめてしまう。

 

さらに他人にも

自分の役割に見合った役割を

自動的に振り当てる。

 

たとえばあなたが

医者にかかったとして、

 

相手が医師という役割に

完全に自分を同一化していれば、

 

彼らにとって

あなたは人間ではなくて患者、

症状の一つでしかない。

 

 

なるほど・・・

 

過去ブログにも

書いたことがありますが、

「役割の同一化」とは、

 

たとえば、

会社などの組織で役割的に

ちょっと偉くなったりすると、

 

お店や家庭内といった、

会社以外の場所でも、

偉そうに振る舞ってしまう

ことですね(^^;

(自戒)

 

 

現代の社会構造は

昔ほど硬直していない

といっても、

 

人々が簡単に

自分を同一化し、

エゴの一部として

取り込んでしまう

 

さまざまな既成の

機能や役割がある。

 

そのために

人間関係は真正なもので

なくなり、

 

人間味を失い、

疎外感を伴う。

 

この既成の役割は

ある種の心地よい

アイデンティティを

与えてくれるかもしれないが、

 

結局は

自分を失う結果になる。

 

軍隊や教会、

役所、大企業などの

階級組織における機能は、

 

簡単に役割としての

アイデンティティと化す。

 

役割になりきって

自分を失うと、

 

ほんとうに人間らしい

つきあいはできない。

 

 

「役割」という名のエゴに、

自分が乗っ取られないように、

 

「役割」にどっぷりつかることなく、

時と場所によって、

意識して距離を置くことも必要ですね。

 

 

実際、

すぐれた仕事をしている人たちは、

仕事をしている時に、

エゴから解放されているといいます。

 

そういう人は、

仕事をしているときには、

完全に「いまに在る」のです。

 

 

私は教師や芸術家、

看護師、医師、科学者、

ソーシャルワーカー、

ウェイター、ヘアドレッサー、

会社のオーナー、

セールスマンなど、

 

自分探しなどしないで、

その瞬間瞬間に

求められることに充分に応え、

賞賛すべき仕事を

成し遂げている人たちに

会ってきた。

 

彼らは仕事とひとつになり、

「いま」とひとつになり、

 

ともにいる人たちや

遂行している業務と

ひとつになっている。

 

(中略)

 

エゴに邪魔されずに

仕事をする人が

大成功するのも

不思議ではない。

 

自分がしていることと

ひとつになれる人は、

新しい地を築く。

 

 

この本では、

エゴに乗っ取られないためには、

 

「いま」とひとつになる

 

ことが重要だと、

繰り返し述べられていますが、

 

仕事でもそうなんですね。

 

「役割」や「名誉」

「地位」や「立場」ではなく、

 

「いま・ここ」の瞬間に集中して、

「ともにいる人たち」や、

「遂行している業務」と、

ひとつになる。

 

それが優れた仕事をために

必要なんですね(^^)

 

 

技術的には優秀なのに、

いつもエゴが

仕事を邪魔している人たちも

大勢知っている。

 

この人たちは

関心の一部だけが

仕事に向かっている。

 

他の部分は

自分自身に

向けられているからだ。

 

彼らのエゴは

認められたがり、

充分な承認が得られないと

恨みがましくなって、

エネルギーを無駄遣いする。

 

しかも

充分認められることなど

あり得ない。

 

「誰かが私より

認められているのではないか?」

 

 

どきっ・・・

これ私の中にもある?

 

 

あるいは利益や権力に

関心が集中して、

 

仕事が目的のための

手段になっている。

 

目的のための

手段と化した仕事には、

質の高さは望めない。

 

こういう人たちは

仕事で障害や困難にぶつかり、

ものごとが予想どおりに

ならないと、

 

または

他人や状況が不利に働いて

協力的ではなくなると、

 

新しい状況とひとつになって

現在の要請に応えるのではなく、

 

状況と対立し、

自分をそこから引き離す。

 

 

利益や権力が目的になると、

 

仕事で障害や困難が生じると、

それに抵抗してしまうんですね・・・

 

 

個人的にむかついたり

恨みがましくなった

「私」に、

 

無駄な抵抗や怒りに

多大のエネルギーが

費やされる。

 

ほんとうはそのエネルギーを

問題解決に注げばいいのに、

エゴが乱用してしまう。

 

しかもこの「抵抗」的な

エネルギーは、

 

新たな障害、

新たな対立を生み出す。

 

実は多くの人にとって

最大の敵は

自分自身なのだ。

 

 

つまり、

この「抵抗」的なエネルギーとは、

 

エゴが、

いわゆる保身に走ること、

そのために、

自己正当化するということでしょうか。

 

または、

エゴが、

プライドを傷つけられたと思いこみ、

「私を認めろ!」

と主張することでしょうか。

 

せっかっくのエネルギーを

問題解決に使うのではなく、

自己正当化や

承認欲求に使ってしまう・・・

 

「組織あるある」ですね(^^;

 

最大の敵は、

他人ではなく、自分自身、

すなわち、

自分の中にある「エゴ」。

 

耳が痛いですが、

その通りだと思います(^^;

 

 

「エゴ」に自分が

乗っ取らないようにするためにも、

 

「いま・ここ」の仕事に集中する。

 

そして、

「ともにいる人たち」や、

「目の前のプロセス」とひとつになる。

 

忘れずにいたいです😊

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

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おまけ

 

 

久しぶりに伊勢神宮(内宮)に参拝しました!

 

 

 

 

宇治橋より、五十鈴川(いすずがわ)。

 

 

 

御手洗場、清らかな流れでした。

 

 

 

あまり時間がなく、

しかも、

あいにくの雨模様でしたが、

 

やはり、内宮の森は、

空気感が違いました!

 

有り難うございました🍀