ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
ユング派の大家、
河合隼雄さんの名著、
(これ意外にも処女作なんですね)
の中から、
印象に残った箇所を紹介して、
私なりに解説をしています。
今回で、4回目です(^^;
ユング心理学で、
「ペルソナ」と「シャドー(影)」
は有名な概念ですが、
「ペルソナ」とは、
いわば「外の顔」
「シャドー(影)」とは、
「無意識に抑圧しているもの」
ですね。
ペルソナは、
決して悪い意味ではなく、
社会生活をつつがなく営むためにも、
必要なものだと考えますが、
ただ、ペルソナが
あまりにも硬直化しすぎて、
シャドー(影)が肥大化すると、
いろいろと弊害が出てくるんですね。
われわれが
普通に考えてみても
ジキルとハイドほどに、
際立った白と黒の部分が
心のなかで交代することは
少ないにしても、
酒に酔ったときとか、
勤務を終えて
家庭に帰ったときとか、
われわれの自我の制御力が
弱まるときに、
普段の性格とは
逆の性格が現れる例を
容易に認めることができる。
実際、我々の影は、
親しいひとの前ほど、
よく現れる傾向があるので、
どんなに偉大なひとでも、
その奥さんや女中さんからは
尊敬されないどころか、
少しは軽蔑されていることも
多いものである。
どきっ・・・
私は決して
偉大なひとではありませんが、
外で気を遣う分、
家では無意識に
横柄な態度が出ているのかも
しれません(^^;
(たまに妻に指摘されます・・・)
そして、
シャドー(影)は、
家族に影響することも
あるんですね。
ある個人が、
その影をあまりにも
抑圧しているときは、
結局その影の犠牲になる例の
多いことをさきに述べたが、
この犠牲が
他人に及ぶような
場合もある。
すなわち、
両親の影を
子どもが生かされているとでも
いいたいような例である。
これ、
「家族心理学」(家族療法)で
よく出てくるケースですが、
けっこうあるんです(^^;
父親がまったく道徳的で、
誰から見ても
非の打ちどころのない
教育者であるのに、
その子どもはまったく逆の、
手に負えない放蕩息子で
あるような例が、
ときどき存在する。
「子は親に似るもの」
と単純に信じているひとは、
このような例に驚くのであるが、
この場合も、
この子は親に似たのである。
ただ、
それは親の生きていない半面、
その影に似たわけである。
親の「影に」似た・・・
つまり、
子どもが、親のシャドーの
肩代わりをしているわけですね。
あるいは、
いわゆる聖人の影を、
その夫人が背負わされて
生きている例もある。
ソクラテスやトルストイの妻は、
悪妻だったといいますが、
つまり、
こういうことだったのかも、
しれませんね。
ちなみに、
ウチの場合は・・・
聖人でないから関係ないか(^^;
このようにして、
一つの家族が
一つの人格構造を
もっているような感じを
抱かせるような例は
非常に多い。
この場合、一見すると
徳の高い教育者が、
その放蕩息子のために
名誉を傷つけられたり、
心の清い聖人が
悪妻に悩まされているように
感じられるが、
実のところ、
この放蕩息子や悪妻は、
「有徳の」ひとの
影の犠牲者であるとの見方も
できるのである。
このようにいったとしても、
もちろん、
すべての宗教家や教育者が
家族を苦しめている
などという気はない。
実際、
自分の影に直面して
苦闘している
真の宗教家や教育者は
たくさん存在しているから、
影の問題は
生きていく上において、
確かに厄介なものであるが、
厄介なものであるだけに、
これを他人に負わすことなく、
自分で責任を取って
生きてゆくのが、
本当の生き方であろう。
そうですね・・・
シャドー(影)を受け容れて、
統合するというのは、
ひじょうに厄介で、
多くの人にとっては、
一生のテーマなのですが、
やっぱり、
家族や身近な人に背負わせるのではなく、
できることなら、
自分で何とかしたいですよね(^^;
-------------------------------------------------
ヒントになるのが、
私の好きな作家、
遠藤周作さんの生き方です(^^)
遠藤周作さんは、
「沈黙」や「深い河」など、
宗教をテーマにした、
深い作品を残されています。
「海と毒薬」のような、
人間の暗部をえぐるような
作品もありますが、
このようなシリアスな作品ばかりを
執筆していると、
それこそ、息がつまりますよね。
いかにも、
シャドーが肥大化しそうです(^^;
そこで、
遠藤周作さんは、
「正反対」の部分を意識されたそうです。
たとえば、
「狐狸庵もの」といわれる、
ユーモアエッセーを書いたり、
素人劇団「樹座」を立ち上げて、
本人も一緒に楽しんだり、
つまり、
「アホ」なことを
意識してやることによって、
精神のバランスを取った。
そうすることで、
ペルソナを固定化することなく、
人生の様々なチャネルを回すことで、
遠藤周作さんは、
人の何倍も人生を楽しんだと、
述懐されています。
おかげで、
破滅型の作家が陥るような、
精神を病んだり、
家庭を崩壊させたりすることも、
なかった・・・
・・・参考になりますね。
ただし、
自分で自分のシャドー(影)を
認知して受け入れるというのは、
ほんと難しいんですね。
なぜなら、
人は、
自分の中にある、
認めがたいシャドー(影)を、
他人に「投影」するからです。
「こうあるべきだ」
というペルソナは、
(自分の中にあるものとして)
自分に「投影」するくせに、
「こうあってはいけない」
というシャドー(影)は、
自分ではなく、
(他人の中にあるものとして)
つい他人に「投影」してしまう。
だから、
「正しいのは自分」で、
「悪いのは相手」、
となってしまいがちなんですね・・・
・・・・続きは次回に(^^;
----------------------------------------------
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回に続きます(^^;
----------------------------------------------
川崎市宮前区の
等覚院というお寺。
つつじで有名なお寺だそうです。
額堂(というのでしょうか)
の中から見上げると・・・
素敵な額や絵馬がありました(^^)


















