ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

 

三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために

 

 

という本を紹介、解説しています。

 

 

アサーション(アサーティブ)とは、

 

「自他尊重のコミュニケーション」

すなわち、

「自分も相手も大切にした自己表現」

 

いわば、

「さわやかな自己表現」

のことです。

 

前回、

ステーキを注文した例を引用して、

 

自己表現には、

3つのタイプがある、

すなわち、

 

「非主張的」

「攻撃的」

「アサーティブ」

 

があると紹介しましたが、

それぞれ、深堀りしていきますね。

 

まず、

「非主張的」な自己表現、

 

 

<非主張的>とは、

自分の気持ちや考え、

意見を表現しなかったり、

 

しても伝わらないような、

あいまいな言い方や、

言い訳がましい言い方を

したりすることです。

 

また、

自分を抑えて、

相手を優先する気持ちや

態度があります。

 

 

これ、

けっこう私、

やってしまいます(^^;

 

一見、

慎ましいようですが・・・

 

 

「自分はやっぱりだめだ」

といった劣等感や、

 

「どうせ言っても

わかってもらえないに

決まっている」

といった

あきらめの気持ちが

つきまといます。

 

また、

相手に対しては、

 

「譲ってあげたんだ」

といった恩着せがましい

気持ちや、

 

「人の気も知らないで」

といった

恨みがましい気持ちが

残ります。

 

 

そうなんです・・・

 

謙譲の美徳のようですが、

無理に抑圧していますので、

 

恩着せがましさや、

恨みがましい気持ちが、

残るんですね(^^;

 

 

もし本当に

相手を配慮し、

尊重して同意したり、

譲ったりしたのであれば、

 

自分の決断で

そうしているので、

 

気持ちはさわやかで、

未練は残らないと

思われます。

 

逆に

非主張的な言動を

した後では、

 

わかってもらえなかっと

思う気持ちや

傷ついた感じが

残りがちなので、

惨めになります。

 

そもそも

自己表現していないので、

相手にわかってもらおうと

期待することは

欲ばりなのですが、

 

つい

「黙って引いてあげたのに」

とか、

 

「相手を立てたのに

わかってくれない」

といった甘えた気持ちや、

 

「思いやりのない人だ」

とか、

「鈍感な人だ」

といった

相手への軽蔑の気持ちを

もったりもします。

 

 

そうですね・・・

 

自己表現しないのって、

「察してほしい」という、

いわば、

「甘え」なんですね。

 

比較的日本人に多いタイプだと

思いますが(^^;

 

私は、会議の場で、

うまく自己表現が出来ずに、

あとで後悔することがあるのですが、

 

相手の意見に対して、

その場でとっさに

言葉に出てこないことがあるんです。

 

あまり頭の回転が

早くないということもあるのですが(^^;

 

やっぱり、

「甘え」や、

否定されることへの

「怖れ」があるのかな~。

 

で、後になってから、

何だか、もやもや、

むかむかしてきたり・・・

 

「その時に言えよ~」

という感じですが(^^;

 

 

このような不快な経験が

重なると、

 

不快感は欲求不満や

怒りとなって

心の中にたまっていきます。

 

たまった怒りは、

何度も同じ思いをさせている

相手への恨みとなり、

 

あるいは

関係ない人への

不当な八つ当たりや

意地悪となって

表現されることがあります。

 

いわゆる

「キレる」とは、

 

「もの言わぬは、

腹ふくるる技」の挙句、

非主張的な言動が転じて、

ある日突然、

攻撃的になるのです。

 

 

ううっ・・・

 

ガマンして、

ため込んでしまうと、

それは消えることなく、

 

関係ない人にも、

攻撃的になってしまうわけですね。

 

私も、

仕事のストレスをため込んだ時、

妻に対して、

やってしまっているかも

しれません(^^;

 

(今はだいぶ少なくなったとは

思いますが(^^;)

 

 

逆に、

不快な体験をじっと我慢して

耐え続ける人もいます。

 

相手との関係に

波風をたてないように

するには、

自分でその場を治める

責任を取ろうとするのです。

 

過剰なストレスを

自分にかける結果、

 

頭痛、肩こり、

神経性の胃痛などの

心身症やうつ状態になったり、

 

人とつき合うのが

おっくうになったりします。

 

その場では優しく、

いい人なのですが、

生き生きした感じはなく、

 

無表情で、

慇懃無礼な振る舞いを

したりすることにも

なりかねません。

 

 

自分を責めてしまい、

結果的に、

自分の心身を痛めてしまう・・・

 

ちなみに、私は、

若い頃、酒量が多くて、

それが一因で体を壊したのですが(^^;

 

その時は、

あまり自覚はなかったのですが、

こういうことだったのかな・・・

 

 

・・・ということで、

「非主張的」な自己表現は、

しょせん、その場しのぎであり、

 

あとで結局、

他人に攻撃的になってしまったり、

また、

自分を痛めつけてしまう結果に

なりかねないのですが、

 

では、対して、

「攻撃的」な自己表現の場合は・・・

 

 

<攻撃的>とは、

自分の意志や考え、

気持ちを

はっきりと言うことで、

 

自分の言動の自由を守り、

自分の人権のために

自ら立ちあがって、

自己主張してはいるのですが、

 

相手の言い分や気持ちを無視、

または軽視して、

 

結果的に、

相手に自分を押しつける

言動をいいます。

 

 

「非主張的」な自己表現とは、

対極ですね・・・

 

 

このような言動を

している人は、

 

一見、表情豊かで、

ハキハキものを

言っているように見えますが、

 

相手を無視、

あるいは軽視して

自分のことだけを

主張していることになり、

 

相手を踏みにじっている

ことにもなります。

 

その場の主導権を

握りたいだけで

「自分が一番」

とか

「あなたはだめ」

といった態度を取り、

 

相手より優位に立とう、

「勝ち負け」で

ものごとを決めようとする姿勢が

見え隠れしています。

 

 

今どきの言葉だと、

「マウントを取る」

というのでしょうか(^^;

 

これが行き過ぎると、

いわゆる、

「自己愛性パーソナリティ障害」

傾向となりますが、

 

権力者がそうなると、

「パワハラ」や「セクハラ」問題を

引き起こすおそれがありますね。

 

 

このような

言動をしている人は、

堂々としているように

見えるわりには

どこか防衛的で、

 

必要以上に威張っていたり、

強がっていて

自分に不正直です。

 

また、

自分の意向は通っても、

その強引さのために

後味の悪いことが多く、

 

それが自分の本意では

なかったことに気づき、

後悔することになります。

 

 

いわば、

虚勢を張ってしまうわけですね(^^;

 

で、結局、

後味が悪くて、

この場合も後悔してしまうことに・・・

 

 

また、

攻撃的な対応をされた相手は、

 

自分の意に反して

服従させられた気持ちになり、

軽く見られ、

バカにされた気持ちが

残るでしょう。

 

その結果、

傷つき、恐れて

相手を敬遠し、

 

同時に、

怒りを感じて、

復讐心を抱くかもしれません。

 

 

そうですね、

相手も人間ですからね・・・

 

悪質なクレーマー

の対応をしたときなど、

こういう気持ちに

なるのかもしれません。

 

 

・・・ということで、

 

「非主張的」な自己表現、

「攻撃的」な自己表現、

 

それそれ問題がある訳なのですが(^^;

 

私なりに、

心理学的に考察をすると、

 

そうなるのは、

やはり、

自分の「ほんとうの気持ち」

に気づいていない、

 

もしくは、

気づいているけど、

それを受け入れていない

(特にネガティブな感情を)

のが原因だと考えます。

 

その時その時の

自分の気持ちに、

 

まずは、気づいて、

そして、受け入れて、

 

相手の権利や自由も尊重しつつ、

自己表現するのが、

 

「アサーティブ」

な自己表現なのですが、

 

表現できないまでも、

まずは、

自分の「ほんとうの気持ち」

に気づくこと。

 

「今、自分は、

いったい何を感じてる?」

 

それが第一歩として

大切なのではないかと

思います(^^)

 

(ただ、無意識の信念と

いうものが邪魔をするので、

これが意外と難しいのですが(^^;)

 

 

で、望ましい表現方法、

すなわち、

「アサーティブ」

な自己表現についてですが・・・

 

次回、詳しく掘り下げていきますね。

 

 

---------------------------------------------------

 

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

---------------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

丹沢の三ノ塔に登りました(^^)

 

 

 

 

左の山は大山です(^^)

右の奥の方に江ノ島が見えましたよ!

 

 

 

 

富士山は、残念ながら

雲に隠れていました(^^;

 

そろそろ、すぎ花粉の影響か、

けっこう鼻ずるずるの

山歩きでした💦

 

 

 

 

にゃんもないと。

胎児にも見えます(^^;

 

この子は、花粉症とは無縁かな😸

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、まずはご案内から😊

 

私の心の学びの師匠のひとり、

古宮昇先生の

無料オンライン・セミナーがあります!

 

『50代から始まる、

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50代以降の方はもちろんのこと、

そうでない方にも、

とても有益だと思います。

 

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以下、ご案内です(^^)

 

 

 

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心理学博士で現役カウンセラーの
古宮昇(こみやのぼる)さんが


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講師プロフィール
古宮昇(こみやのぼる)
・心理学博士・臨床心理士・公認心理師
・カウンセリング・ルーム輝(かがやき)代表
・カウンセラー歴は、日米ニュージーランドで合計28年、

来談者数はのべ約8000人。
・著書は32冊。
心理学の学術専門論文は60本を超える。
講演やセミナーは日本全国および米国、
中国、ニュージーランドで計600回以上。 

 

 

 

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で、本題に入ります。

 

今回、ご紹介する本は、

 

三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために

 

 

著者は、

臨床心理学者の平木典子先生。

 

「アサーションといえば、平木先生!」

といっても過言ではない、

臨床心理学の世界では、有名な先生ですね。

 

平木先生は、

日本にアサーティブ(アサーション)

の考え方を広められた第一人者で、

この本は、なんと30年を超えるロングセラー!

 

2021年に三訂版、

今の世相を反映して、

新しく生まれ変わりました(^^)

 

 

・・・で、皆さん、

「アサーティブ」(アサーション)

という言葉は、

聞いたことのある方が多いと思いますが、

 

そもそも、

「アサーティブ」とはいったい何ぞや・・・

 

・・・はい、アサーティブとは、

 

「自他尊重のコミュニケーション」

すなわち、

「自分も相手も大切にした自己表現」

 

のことなんですね。

 

この本のサブ・タイトルにもなっている、

「さわやかな自己表現」

ともいえます。

 

 

ある北米の心理学者は、

人間関係の持ち方には、

大きく分けて

三つのタイプがあると

言っています。

 

第一は、

自分よりも他人を優先し

自分のことを後回しにするタイプ、

 

第二は、

自分のことだけを考えて

他者を踏みにじるタイプ、

 

第三は、

第一と第二の

黄金比ともいえるあり方で、

自分のことをまず考えるが

他者にも配慮するタイプです。

 

アサーションとは、

第三のタイプをいいます。

 

そして、

アサーション・トレーニングでは、

 

第一のタイプを

「非主張的」

または

「ノン・アサーティブ」、

 

第二のタイプを

「攻撃的」

または

「アグレッシブ」、

 

第三のタイプを

「アサーティブ」

と呼びます。

 

 

3つのタイプ、

「非主張的」

「攻撃的」

「アサーティブ」

がある・・・

 

具体例が挙げられています。

 

たとえば、

 

中村さんが、

友人とレストランで

夕食をとっていて、

ステーキの焼き加減を

レアで注文しましたが、

 

ウエイターが運んできたステーキが、

ウエル・ダン

(肉の内部までよく火を通したもの)

に焼かれていた場合・・・(^^;

 

 

<非主張的>

 

友人に、

「こんなに焼けてしまっている。

もうこのレストランにはこないぞ」

と愚痴をこぼすが、

 

ウエイターには何も言わず、

笑顔で受け答えをする。

 

せっかくのステーキはまずく、

こんなところに

友人を連れてきてしまったことを

後悔する。

 

何だか自分が

すっかり委縮してしまった

感じになる。

 

 

ううっ・・

 

私、時と場合によっては、

このパターンかもしれません(^^;

 

ストレスたまる・・・

 

 

<攻撃的>

 

大声でウエイターを呼び、

ステーキが注文通りに

焼けていないことを

必要以上に怒鳴り、

 

もう一度注文通りの

ステーキを注文する。

 

中村氏は、

自分の要求が通ったことには

満足したが、

怒鳴ったことで

その場が気まずい雰囲気になった。

 

友人に対しては、

ややきまりが悪く、

また、

夕食の雰囲気は台無しに

なってしまった。

 

一方、

ウエイターは

侮辱された感じがして、

不愉快な気持ちになった。

 

 

ウチの妻はどちらかといえば、

このタイプか・・・

 

あっやばい、言ってしまった(^^;

 

 

<アサーティブ>

 

ウエイターに合図をして

テーブルに呼び、

 

「自分はステーキを

レアで注文したこと。

しかし、

ウエル・ダンのステーキが

きてしまったこと」

を伝えて、

 

ていねいに、

しかしはっきりと

「レアのステーキと

取りかえてほしい」と頼む。

 

ウエイターは

間違いを謝り、

まもなくレアのステーキを

運んでくる。

 

中村氏も友人も

夕食を満喫し、

中村氏は自分の取った

言動にも満足して、

夕食を終える。

 

もちろん、

ウエイターも

客が気持ちよく過ごしたことで、

気分がよい。

 

 

これが、

アサーティブ(^^)

 

WIN-WIN、

近江商人の「三方よし」

といった感じですね。

 

私も、さすがに、

人生経験を積んできたので、

 

最近は、

アサーティブな表現ができることが

多くなってきましたが、

 

やっぱり、

非主張的や攻撃的な対応を

してしまうこともあります(^^;

 

皆さんは、

いかがでしょうか?

 

 

非主張的だったり、

攻撃的だったりすると、

いろいろと問題があるわけですが、

 

次回以降、

それを心理学的に

深堀りしていきますね・・・

 

 

 

-----------------------------------------------

 

 

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

-----------------------------------------------

 

 

 

おまけ(^^;

 

 

三重県津市、

真宗高田派の本山、

専修寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすが本山!

とても大きくて立派なお寺でしたよ。

 

 

 

 

津城跡🏯

 

 

 

 

藤堂高虎公、

築城の名手ですね!

 

 

 

 

 

・・・おい、早くどいてくれ😸!

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ユング派心理学者の大家、

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

内容がとても濃い本なので、

過去6回にわたって、

解説してきましたが、

 

今回で7回目、

最終回です(^^;

 

今回は、

まとめ的な感じになりますが、

 

自我(ego)と自己(self)

について、

紹介、解説していきます。

 

 

今まで、

人間のタイプや、

ペルソナ、

アニマ・アニムス等について

述べてきたが、

 

これらの間に

つねに相補的な関係が

存在していることに

気づかれたことと思う。

 

たとえば、

内向と外向、

思考と感情、

ペルソナとアニマ(アニムス)

等はお互いに他と対極となし、

相補的な性格をもっている。

 

 

相補的というのは、

「互いに不足を補うような

関係にあること」

ですね。

 

 

人間の心が

これらの対極の間の

ダイナミズムに支えられて、

一つの全体性・統合性を

もっていることは、

 

ユングがつねに

注目してきたところである。

 

もっとも我々の意識も

自我(ego)を中心として、

ある程度の安定性をもち、

統合性を持っている。

 

そして、

そのためにこそ、

われわれは一個の人格として

他人に認められている

わけである。

 

 

ユングのいう「自我(ego)」

 

このegoは、

いわゆる利己的という意味ではなく、

「意識」

の中心的機能という意味ですね。

 

決して悪い意味ではなく、

社会生活を営むうえで、

「自我」の確立は、

とても大事ですが、

 

 

しかしながら、

その安定した状態に

人間の自我はとどまることなく、

 

その安定性を崩してさえ、

より高次の統合性へと

志向する傾向が、

人の心の中に認められる。

 

 

なるほど・・・

 

安定した状態にとどまることなく、

それを崩してまで、

 

人は、対極の部分を統合して、

成長したいという志向性があるのですね。

 

 

個人に内在する

可能性を実現し、

 

その自我を

高次の全体性へと

志向せしめる努力の過程を、

 

ユングは個性化の過程、

あるいは

自己実現の過程と呼び、

 

人生の究極の目的と考えた。

 

そして、

われわれが

心理療法において

目的とするところも、

 

結局はこのことに

ほかならないのである。

 

 

自分の無意識に抑圧してきた

感情や欲求をも受け入れて、

 

それを自分の中に統合し、

成長・成熟する。

 

それが、ユングのいう

「個性化」「自己実現」なのですが、

 

 

(中略)

 

危険をおかしてさえ、

高い次元の統合性に

向かう働きが生じたのであるが、

 

その意識を超えた

働きの中心として、

 

ユングは自己なるものを

考えたのである。

 

自我が意識の中心で

あるのに対して、

 

自己は意識と無意識とを含んだ

心の全体性の中心であると

考えた。

 

自己は意識と無意識の

統合の機能の中心であり、

 

そのほか、

人間の心に存在する

対立的な要素、

 

男性的なものと、

女性的なもの、

 

思考と感情などを統合する

中心とも考えられる。

 

 

「自我」と「自己」

 

似たような言葉で、

ちょっと区別が

つきにくいのですが(^^;

 

「自我(ego)」

は意識の中心。

 

「自己(よくselfといいます)」

は、意識と無意識とを含んだ

心の全体性の中心。

 

言葉だとイメージしにくいので、

よく図で表されることが

多いのですが、

 

こうなります。

 

 

自我と自己の関係図

 

(画像お借りしました)

 

球体の上の部分が「意識」で、

その中心が「自我(ego)」

 

「意識」「無意識」(こちらのほうが大きい)

が合わさって球全体になり、

その中心が「自己(self)」

 

ですね。

 

 

フロイトが

これらの現象を

無意識内の性的な動因に

還元しようと

努めたのに対して、

 

ユングが心の全体性という

考えによって、

目的論的な観点を

導入したことは、

 

両者の明らかな相違を

示すものである。

 

 

そうですね。

 

同じ精神分析的立場でも、

フロイトとユングは、

明らかに違う。

 

ユングの心の全体性を

志向する考え方、

 

すなわち、

自己(self)が対極を統合して、

成長しようとするという

目的論的な考え方、

 

私は魅力を感じます(^^)

 

しかし、

何度か申し上げましたが、

統合の道のり、

個性化、自己実現の道のりは、

 

けっこうリスクがありますし、

簡単なものではないんですね(^^;

 

 

自己(self)との対決を

行おうとするひとは、

相当な自我(ego)の強さを

もつことが要請される。

 

(中略)

 

まず自我を

相当に強化し、

 

その強い自我が

自ら門を

無意識の世界に対して開き、

 

自己との相互的な対決と

共同を通じてこそ、

 

自己実現の道を

歩むことができると

するのである。

 

 

トランスパーソナル心理学、

インテグラル理論で有名な思想家の

ケン・ウィルバーが、

 

人の発達段階は、

 

プレ・パーソナル

パーソナル(自我の確立)

トランスパーソナル(自己実現)

 

の順だといいましたが、

 

まずは、

「自我の確立」をしっかり行わないと、

「自己実現」には至らないんですね。

 

実際、

自我が脆弱なまま、

自己に飲み込まれて

同一化をしてしまうと、

「自我肥大」が生じてしまい、

 

たとえば、

宗教家や心理療法家が、

無意識のうちに、

鼻持ちならぬ高慢さを

さらけ出してしまったり

するようです(^^;

 

また、

自我の確立ができていても、

あまりにも

抑圧が激しすぎた場合、

スムーズに自己実現ができず

破滅してしまう例、

 

たとえば、

仕事命でやってきて、

功成り名を遂げた印刷所の経営者が、

長い間抑圧していた、

幼年時代に絵が好きだったことを思い出し、

 

急激に自社の製品を、

自分の幼児的な趣味に合わせて

作り始めたところ、

数年で会社をつぶしてしまったケースが

紹介されています。

 

 

事業と趣味を

同一視したりせずに、

 

彼の幼児的な世界を

徐々に受け入れてゆく

工夫をすれば、

 

彼の自己実現は、

このような破局的な結末に

至ることはなかったと

思われる。

 

 

過ぎたるはなお及ばざるが如し、

 

自己実現は、

あせらずじっくりやっていく

ものなのですね。

 

 

自分の意識体系を

強化させ、

発展せしめると同時に、

 

無意識なもの、

すなわち、

非合理的なもの、

劣等なものを

抑圧してきたひとは、

 

その強い自我によって

地位や財産を

築くことになるだろう。

 

しかし、

このようなひとは、

 

ふとあるとき

自分の地位や財産や、

その仕事など、

 

彼の誇りとしてきたものの、

「意味」がわからなくなったと

感じ出すかもしれない。

 

簡単にいうならば、

そのひとたちは、

自分が自分のたましいと

切れた存在であることに

気づきはじめるのである。

 

(中略)

 

このようなひとたちの

失われた「こころ」を

求める焦りに、

しばらくの間の

忘却のときを与えるために、

 

近代文明は

多くの発明をしている。

 

多くのひとは、

ただ刺激を求めて、

低俗な映画をみたり

競輪にこったりしはじめる。

 

われわれ人間の

時間節約のため

多くの発明を生み出した

近代文明は、

 

時間の浪費のための

テレビなども発明して

なんだか変な

折り合いをつけているが、

 

これによって、

失われたこころとの接触を

回復することは難しい。

 

 

そうですね。

 

失われた「こころ」を

求める焦りに、

しばらくの間の

忘却のときを与えるため・・・

 

今なら、

やはりネットやスマホ

でしょうか(^^;

 

 

それでは、

われわれは

テレビも洗濯機もなげすてて、

禅寺にでも

こもるべきであろうか。

 

実際、

日本古来の伝統に

支えられている方法として、

禅によって、

こころの回復を試みるひとも

多くあり、

その意義もはっきりと

認められる。

 

 

過去ブログでも紹介した、

稲盛和夫さんも、

禅宗で得度されましたね。

 

 
(よかったらご覧ください)
 
 
しかし問題は、
あれかこれかと
いうことではなく、
 
あれもこれもという点に
あるのではないか。
 
つまり、
外界との接触を
失うことなく、
 
しかも
内界に対しても
窓を開くこと、
 
近代的な文明を
消化しながら、
 
古い暗い心の部分とも
つながりをもとうとしなければ
ならないこともある。
 
ここにおいて、
ユングが東洋の思想に
大いに心ひかれながら、
 
あくまで
自我の重要性を強調し、
自我(ego)と自己(self)との
相互作用と対決ということを
主張することの意味が
 
十分に感じ取られる
ことと思う。
 

 

「あれもこれも・・・」

同感です(^^)
 
外界との接触を失うことなく、
しかも、
内界に対しても窓を開く、
 
近代的な文明を
消化しながらも、
古い暗い心の部分とも
つながりをもつ、
 
これが、
現代を生きている私たちが
「自己実現」していくために、
大切なことだと思います。
 
(稲盛和夫さんは、
これを実践されたのだと思います)
 
自分の中の対立する部分、
陰と陽を統合しながら、
 
らせんのように少しずつ
成長・成長していくイメージ。
 
焦ることなく、
コツコツ、一生かけて、
やっていきたいものですね😊
 
 
 
 
------------------------------------------------------------
 
 
 
 
以上、

ユング心理学入門

 

 

を、7回にわたって

紹介・解説させていただきました。

 

ユング心理学は奥が深くて、

うまく説明できたか

自信がありませんが(^^;

 

興味を持たれた方は、

是非、本書をお読みくださいね。

 

 
今回も、
最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
 
次回からは、
別の本を紹介・解説します。
 
 
 
 
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おまけです(^^;
 

 

三重県尾鷲に行きました!

朝散歩。

 

 

 

 

尾鷲神社の大楠2本。

 

 

 

 

周囲10メートルだそうです!

 

 

 

 

尾鷲で出会った野良ちゃん。

 

 

 

 

お腹出してくれました!

 

 

 

 

うまく撮れました!

 

とっても愛らしい野良ちゃん(^^)

有り難うね😸

 

 

 

 

のどかで素敵な港町でした😊

 

 
 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ユング派の心理療法家として有名な、

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

を紹介しながら、

私なりに解説をしています。

 

この本、

内容がとても濃いということもあって、

今回で6回目になりました(^^;

 

これでも紹介できるのは、

ごく一部なのですが・・・

 

今回は、

「アニマ」「アニムス」

から入って、

母性、父性についても、

考えていきたいと思います。

 

この本では、

「ペルソナ」(外の顔)

に対比する元型として、

「アニマ」「アニムス」

が語られているのですが、

 

「アニマ」とは、

男性の内面にある女性性(女性像)

 

「アニムス」とは、

女性の内面にある男性性(男性像)

 

のことを指します。

 

実際に、夢の中に出てきたり、

物語で語られたりすることもありますが、

 

恋愛感情とは、

この「アニマ」「アニムス」

の投影であるともいえるのですね(^^;

 

で、

男性は「アニマ」(女性性)

女性は「アニムス」(男性性)

をうまく取り入れて、

統合できると、

 

人生の後半が豊かになり、

自己実現にも繋がるのですが、

 

これが、なかなか難しいんですね(^^;

 

おもしろい例が

挙げられているのですが、

 

たとえば、

男性(アニマ・女性性)

の統合の場合、

 

 

・・・

どれほど強がりをいっており、

あるいは実際に強いひとでも、

 

いざ恋愛になると

弱くなったり、

愚かになったりすることにも

示されるように、

 

実際、アニマは

男性に「弱さ」を

経験を通じて

教えてくれる。

 

そして、

このような弱さの

内的体験を通じてこそ、

 

男性はほかのひととの、

真の「関係」を

打ち立てることが

できるのである。

 

強いばかりの男性は

支配し、命令することはできても、

 

他人と深い、

対等の交わりを

結ぶことはできない。

 

 

そうですね(^^;

 

強いばかりの男性は、

実際にモテませんし、

 

魅力的な男性というのは、

自分の「弱さ」「至らなさ」

を受け容れていて、

それを自然体で表現できる人だと

思います。

 

ただし、アニマは、

ペルソナと「統合」するものであって、

「同一化」するものではないんですね。

 

 

アニマとの同一化が

行われると、

 

その男性は

いわゆる女々しい男となったり、

むやみに感情的になったりする。

 

あるいは

甘い感傷的な考えに陥って、

現実との対決を

さけたりする。

 

カウンセラーといわれる

男性のなかに、

女らしい感じや

甘い感じのひとがあるが、

 

これらのひとは

アニマとの同一化の危険に

おかされているというべきである。

 

 

男性カウンセラーは、

アニマとの同一化のリスクがある?

 

ちょっと、どきっとしますが(^^;

 

 

一般には、

男性としての強さや判断力などが

まず期待されるので、

 

このような

外的な期待にそえる

ペルソナを作り上げることが

大切であり、

 

このようなペルソナを

人生の前半において築いた後に、

アニマの問題との対決は

人生の後半(35~40歳以降)

になされるのが普通であると

ユングはいっている。

 

確かに、

外界に対する

ペルソナをもたないで、

内界における

アニマとの対決を

なそうとするときは、

 

腹背に敵を受けて

真に危険な状態に

陥るものである。

 

 

これは、

私も基本的に同感です。

 

男性は、

まずは人生の前半で

ある程度、男性的なペルソナを

確立しておいたほうが、

 

人生の後半の、

アニマ(女性性)の統合は

やりやすいと思います。

 

(両方同時は厳しすぎるので(^^;)

 

もちろん、

LGBTが尊重される

今の時代においては、

 

これが当てはまらないケースも

あると思いますが。

 

ちなみに、

私の場合は、

若いうちに、ペルソナの確立は、

割とできたと思いますが、

 

40代に入ってから

妻とぶつかったり、

仕事で行き詰ったりして、

 

アニマ(女性性)を

統合せざるを得ない状況に、

徐々に追い込まれていった感じで、

 

コロナ禍になって、

猫を飼い始めてから、

割とスムーズに統合が進んでいる

(弱さを受け入れ、少し優しくなった)

ような気がしています(^^;

 

(宮音のおかげです😸有り難う)

 

 

では、

女性(アニムス・男性性)

の統合の場合は、

どうなのでしょうか。

 

これも、

けっこう難しいようです(^^;

 

印象的な箇所を引用します。

 

一般の主婦(母親)

の場合だと・・・

 

 

(男性的な)

余ったエネルギーは

もっぱら子どもへと

注がれることになる。

 

現在の夫に

アニムスの像を見出せず嘆き、

・・・

子どもへの期待へと

変わってゆく。

 

願望にいろどられた考えは

すべて子どもへ投影され、

子どもは母親のアニムスを

生きねばならぬことになる。

 

子どもはやさしい口づけで、

百年にわたる女性の眠りを覚ます

美しい王子であることが期待され、

 

あるいは、

名演奏によって

万雷の拍手を浴びる

少年音楽家となることが

要請される。

 

 

夫に男性性の魅力を

感じられないので、

その分、エネルギーが

子どもに向くのですね(^^;

 

だから、子どもに、

アニムスを投影してしまう・・・

 

子どもからしてみれば、

「美しい王子」を期待されても、

それは、かなり重いですが(^^;

 

ただ、この本が出たのは

1967年なので、

ちょっと時代背景が古いですね。

 

今の時代、

男性的なエネルギーを注ぐ対象は、

 

子ども以外にも、

仕事やボランティアといった

社会的な活動が、

いろいろあると思います(^^;

 

 

アニムスの発展を

一途に願う母親に、

 

科学的な育児法や、

合理的な教育法などという

適切な武器を供給する

親切な男性も多いので、

 

ここに悪名の高い

「教育ママ」が誕生する。

 

しかし、

自分の妻の教育ママぶりに

困惑したり、

冷笑したりしている男性が、

 

多くの場合いまだ

「母ちゃん」

のひざに乗っている男性として、

 

女性のアニムスの

正しい発展の道をとめ、

 

教育ママの生産に

大きい力ぞえをしていることに

気づいていないことも多い。

 

われわれが内的な世界にまで

視野を広げて

物事を見るときは、

 

夫婦のうち

どちらか一方だけが悪く、

一方が良いなどという場合は、

非常に少ないように思われる。

 

 

そうですね・・・

 

夫が、気持ちの中で、

まだ母離れできていない

「マザコン」

つまり、

「父性」が確立できていないから、

 

妻は子どもに走ってしまうんですね。

(もしくは性的冒険に

走ってしまうケースも紹介されています)

 

ちなみに、

「母性」の元型としては、

「グレートマザー」元型があります。

 

これは、

慈しむもの、包み込んでくれるもの、

といったプラスのイメージもあるのですが、

 

一方で、包み込むことは

呑む込むことに通じ、

 

子どもを独占・束縛しようとする

マイナスなイメージもあるのです。

 

神話や物語のいわゆる「魔女」は、

このグレートマザー元型の

負の部分からきているようです(^^;

(たとえば、ディズニー映画、

「塔の上のラプンツェル」の魔女)

 

河合隼雄さんいわく、

日本社会は、西洋諸国に比べると、

「母性社会」なので、

 

男性、女性問わず、

「父性原理」を

意識的に発揮する必要があると、

述べられているのですが、

 

母性社会日本の病理

という本もありますね。

(まだ読んだことはないのですが(^^;)

 

「父性」とは、

 

・切り分ける

・区別する

・境界線を引く

 

「母性」とは、

 

・包み込む

・差をなくす

・一体化する

 

ちなみに、

私が教わって

意外だったことがあるのですが、

 

アニメ「巨人の星」

の父親の星一徹。

 

一般的には、

父性のかたまりのような

イメージですが、

 

実は、

母性のかたまりなんですね(^^;

 

息子の星飛雄馬を束縛して、

猛特訓させて、

「大リーグボール養成ギブス」

をつけたりする・・・

(これ今だったら虐待ですよ)

 

これは、

母性、グレートマザー元型の、

負の部分ですよね。

(すなわち教育パパ)

 

そう考えると、

昭和の時代というのは、

 

表面的には、

「父性の時代」に見えますが、

 

実は、

「母性の時代」だったのかも

しれません。

 

もちろん、母性にも

いい面がたくさんあって、

 

たとえば、遠藤周作さんが描く、

日本的なイエス像などは、

母性的で私は惹かれるものがあるのですが、

 

母性に、バランスよく、

父性を取り入れていく。

 

それが日本人には、

必要なのかもしれませんね😊

 

 

 

 

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次回に続きます(^^;

(次回、この本の紹介の最終回にします)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ(^^;

 

 

 

東丹沢の

高取山、仏果山に登りました!

 

高取山の展望台から、

 

宮ケ瀬湖と丹沢山系・・・

 

 

 

 

 

 

東京方面・・・

 

天気もよくて、

気持ちよかったです!

 

この地域、

春~秋はヤマビルが出るので(^^;

今の時期がおすすめです。

 

 

 

 

愛川ふれあいの村。

 

外国みたいな風景でした!

 

 

 

 

ところかわって、

恒例の新幹線、富士川鉄橋🗻

 

頂の雪が減っているような・・・

 

春遠からじ(^^)

 


 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

で、印象に残ったところを引用しながら、

私なりに解説をしています。

 

今回で5回目になります(^^;

 

前回の続きからですが・・・

 

 

自分で自分のシャドー(影)を

認知して受け入れるというのは、

ほんと難しい。

 

なぜなら、

人は、

 

自分の中にある、

認めがたいシャドー(影)を、

他人に「投影」するからです。

 

「こうあるべきだ」

というペルソナは、

(自分の中にあるものとして)

自分に「投影」するくせに、

 

「こうあってはいけない」

というシャドー(影)は、

自分ではなく、

(他人の中にあるものとして)

つい他人に「投影」してしまう。

 

だから、

「正しいのは自分」で、

「悪いのは相手」、

となってしまいがちなんですね・・・

 

 

自分の内部にある

認めがたい影を

他人に投影し、

 

とかく悪いのは他人で、

自分はよしとするのである。

 

 

そして、怖いのは、

この傾向は、

民族や国民、国家にも当てはまるのです。

 

 

たとえば、

ある国によっては、

 

他の一つの国民を

まったく馬鹿にするとか、

悪人であるとか

きめつけて

考えるようなことが

非常に多い。

 

われわれ日本人にしても、

戦争中は鬼畜米英などと

教えられ、

 

アメリカ人は

すべて鬼のように

恐ろしいと信じ、

 

また、

アメリカ人も、

日本人の残虐さを

確信していたことだろう。

 

実際、

一国のひとすべてが

鬼に等しいなどという

単純な現象は

起こりようもないが、

 

この単純な考えを、

一国のほとんどのひとが

信じるという現象が、

 

しばしば起こるという事実を

認識することは

大切なことである。

 

内部にあるはずの悪を

他にあるように信じることは、

 

何と便利なことか。

 

 

たしかに、

悪を他人に責任転嫁できるので、

楽ですよね(^^;

 

国家間の争いも、

もとをただせば、

 

「自分の内部にある

認めがたい影を

他人に投影し、

 

とかく悪いのは他人で、

自分はよしとする」

 

という個人の集合意識

だというのです。

 

たしかに、

そうかもしれません・・・

 

たとえば、

元ソニー上席常務の思想家、

天外伺朗さんは、

 

ヨーロッパ中世の魔女狩りや、

歴史上の大虐殺も、

 

実は、「シャドーの投影」

が引き起こしているのだと

述べています。

 

過去ブログでも、

紹介しました。

 

 

 

ありとあらゆる争いは、

極論をいえば、実は、

「シャドーの投影」が源だとも

いえるわけです。

 

 

このことを知っている

狡猾な為政者は、

 

適当に影を投影する方法を

探し出すことによって、

全体の団結を高める。

 

その顕著な例として、

ヒトラーによる

ユダヤ人の排斥を

あげることができるだろう。

 

ヒトラーの

強力な全体主義体制によって

生じる問題を、

 

すべて

悪としてのユダヤ人に

国民の目を転じさせることに

よって、

 

免れようとしたとも

考えることができる。

 

「結局悪いのはユダヤ人だ」

 

という標語によって、

 

個々のひとは

責任逃れの団結を

固めてゆくことができる。

 

 

人は、自分のシャドー(影)を

なかなか直視することができないので、

 

そこから目をそらさせてくれる為政者に、

まんまと利用されてしまう・・・

 

 

この現象は、

人間がグループをなすところ、

 

つまり、

 

一つの村で、

学級で、

家族内で、

あるいは

友人間にさえ、

 

つねに起こる現象である。

 

 

学校での「いじめ」も、

結局、同じ原理なのかもしれません。

 

子どもは、

自分のシャドー(影)を

受け入れられないから、

(大人でも難しいのですから、

無理もないです・・・)

 

親も、なかなか

ありのままの自分を

受け入れてくれないから、

 

投影する対象を見出し、

その特定の人を、

スケープゴートにするという・・・

 

子どもは、

大人の背中を見ていますので、

模倣するわけですね・・・

 

 

・・・悲しいかな、

やっぱり、人というものは、

本質的に弱い存在なのかもしれません。

 

 

しかし、

他に悪を作ることによって

得られた団結は、

 

みせかけの強力さにも

かかわらず、

 

きわめてもろい反面を

もっているものである。

 

真の団結は、

グループの個々の成員が、

その影を認識し、

 

責任をもって

同化に努めることによって

維持されるものである。

 

 

そうですね・・・

 

仮に、人々が、

自分のシャドー(影)を

抑圧しすぎることなく、

 

それに気づいて、

受け入れるようになれば・・・

 

もちろん、

それは簡単なことではないし、

 

ユングがいうように、

少なくとも、人生の後半に達しないと

難しいと思いますが、

 

それができる人が、

増えれば増えるほど、

 

世界は平和になっていくのだと思います。

 

そのカギを握っているのは、

やっぱり自己受容、

 

自分の至らない部分や、

ダークな部分も、

 

受け入れ、統合する。

 

私は、まだまだ道半ばですが、

 

まずは、

自分がそれを

少しでもできるようになって、

 

周りにも、

影響の輪を広げていきたいと

考えています😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回もこの本の紹介を

続けさせていただきますね。

 

 

 

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おまけです(^^;

 

 

近所の鶴見川で、

よく、なんちゃって動禅(太極拳のようなもの)

をします。

 

冬は、ちょっと寒いけど、

空気が澄みきっていて、気持ちいいです!

 

今の時期は、

オオバンという、

黒くて、くちばしが白い渡り鳥が、沢山います。

 

鳴き声がかわいいです!

 

 

 

 

 

巨大な鯉が出現しました!

(写真では巨大さがよく分かりませんが(^^;)