ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今週から、

通勤時の服装を半袖にしました(^^;

 

今回紹介させていだく本は、

こちら!

 

町田そのこさんの小説、

52ヘルツのクジラたち

 

 

今年ではなく、

「2021年」

の本屋大賞受賞作品です(^^)

 

当時かなり話題になっていて、

「読みたいなあ~」

と思いつつも、

月日だけが流れておりましたが、

 

この度、文庫版が発売になり、

書店さんにドーンと

平積みになっているのを見かけ、

 

「これは読めということだ!」

と思い、さっそく読んでみました。

 

小説なので、

ネタバレに注意しながらの解説になりますが、

 

この本のテーマのひとつは、

「虐待」です・・・。

 

虐待されて育った

主人公の若い女性・貴瑚(きこ)と、

「ムシ」と呼ばれる少年が

出会うのですが、

 

この小説のタイトルにも使われている、

印象的な語りがあります。

 

 

「わたしね、

寂しくて死にそうなときに、

聴く声があるんだ」

 

・・・

 

イヤホンの片方を彼に渡し、

もう片方を自分の耳に挿した。

 

・・・

 

「このクジラの声はね、

誰にも届かないんだよ」

 

少年が目を微かに見開き、

首を傾ける。

 

「普通のクジラと

声の高さが―

周波数って言うんだけどね、

その周波数が全く違うんだって。

 

クジラもいろいろな

種類がいるけど、

どれもだいたい

10から39ヘルツっていう

高さで歌うんだって。

 

でもこのクジラの歌声は

52ヘルツ。

 

あまりに高音だから、

他のクジラたちには、

この声は聞こえないんだ・・・」

 

(中略)

 

「他の仲間と周波数が違うから、

仲間と出遭うことも

できないんだって。

 

例えば

群れがものすごく

近くにいたとして、

すぐに触れあえる位置にいても、

気付かないまま

すれ違うってことなんだろうね。

 

本当はたくさんの仲間がいるのに、

何も届かない。

何も届けられない。

 

それはどれだけ、

孤独だろう。

 

「いまもどこかの海で、

届かない声を待ちながら

自分の声を届けようと

歌っているんだろうなあ」

 

 

そんな52ヘルツのクジラと

同じように、

 

愛に飢え、孤独の中で育った

貴瑚(きこ)なのですが、

 

そんな主人公を、

とても親身になって助けてくれた、

アンさんという人物が

登場します。

 

しかし、

アンにはある秘密があり・・・

 

・・・やがて、

貴瑚(きこ)は、

勤め先の次期社長に、

見初められるのですが・・・

 

・・・と、これ以上は、

ネタバレになりますので、

止めておきますが(^^;

 

この物語のラスト、

 

 

いまこのとき、

世界中にいる52ヘルツの

クジラたちに向かって。

 

どうか、

その声が誰かに届きますように。

 

優しく受け止めて

もらえますように。

 

わたしでいいのなら、

全身で受け止めるから

どうか歌声を止めないで。

 

私は聴こうとするし、

見つけるから。

 

わたしが二度も

見つけてもらえたように、

きっと見つけてみせるから。

 

だから、お願い。

 

52ヘルツの声を、

聴かせて。

 

 

世の中には、

人知れず苦しんでいる人や、

マイノリティの人がいる。

 

実は私たちの身近にも

いるのかもしれない。

 

私は、そんな人々の声なき声を、

聴ける人になりたい。

 

そんな気持ちになりました。

 

この物語は、

虐待や生きづらさを扱っているので、

テーマとしては、

重たく、切ないものがありますが、

 

著者の町田そのこさんの

筆致が優しいせいか、

 

読後感は、暖かいです。

 

ちなみに、

物語の主な舞台は、

大分県の海辺の片田舎なのですが、

 

田舎は、

人間関係がとても窮屈な反面、

 

やっぱり、まだ、

人情味溢れる世界があるんだろうなあ

と思えました(^^;

 

冒頭、主人公の貴瑚(きこ)に、

軽い感じで、

「風俗やってたの?」

といって、

平手打ち!をくらう

村中という男が、

いい味だしています(笑)

 

それと、

読了後に気づいたのですが、

カバーの裏にしかけが!

 

外伝が書いてありますよ(^^)

 

 

 

************************************

 

 

 

以上、

2021年本屋大賞受賞作!

町田そのこさんの小説、

 

52ヘルツのクジラたち

 

 

を簡単ですが

紹介させていただきました(^^)

 

優しい気持ちになれる本です。

おすすめします😊

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

 

*********************************

 

 

 

 

おまけ(^^;

 

たまたま近くを通ったので、

浜名湖「湖北五山」のひとつ、

方広寺に立ち寄ってみました。

 

 

 

 

 

参道入り口。

 

 

 

参道に羅漢さんが、

たくさんいらっしゃいました!

 

 

 

 

雨上がりのせいか、

参道には、沢ガニがちらほら・・・

 

 

 

橋を渡り終えたら・・・

 

 

 

立派な本堂です。

500円で建物内を拝観できます。

 

重要文化財の釈迦三尊像もいらっしゃり、

けっこう見ごたえあり!

 

 

 

思ったより、

規模が大きなお寺でした。

 

山の中で雰囲気があり、

静かで、癒されました。

 

たまたま近くを通ったので、

ぶらっと立ち寄ってみただけなのですが、

とてもよかったです!

 

日本全国には、

まだまだ、

こういった素敵なお寺が、

たくさんあるんだろうなあ~

 

 

 

 

12年近く乗った、

愛車ヴィッツ!

 

たくさんの思い出を、有り難う😊

ホントいい車でした。感謝です!

 

 

 

 

そして、10か月待った、

待望の新車が納車されました!

 

ヤリスクロスのハイブリット。

嬉しいです(^O^)

 

よーし、乗りまくるぞ!

 

 

 

 

 

ボクも忘れないでね・・・

 

ここ1~2か月、

パパが不在がちで寂しかったよ。

By宮音

(と思いたい(^^;)

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

じめじめした日々が

続きますね。。

 

今回は、まず、

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****************************************

 

 

 

で、ブログに戻りますが、

前回は、

三浦綾子さんの名作、

 

氷点

 

を紹介させていただきました。

 

そこで、

「原罪」について、

触れさせていただきましたが、

 

今回、そこを、

もう少し深堀しようと思って、

三浦綾子さんのエッセーを、

再読してみました。

 

そのエッセー集が、

 

光あるうちに

 

 

「道ありき」

というエッセー三部作の、

第三部、信仰入門編になります。

 

この中で、

 

「罪とは何か」

 

という話があります。

 

その中に、

こんな一節があります。

 

 

「罪を罪と感じないことが、

最大の罪なのだ」

 

 

・・・具体例が、

述べられています。

 

 

「もし、子供さんが、

花びんをこわしたりしたら、

どうするか。

 

いつも不注意だからよ、

そそっかしいからよ、

 

などと言って、

自分は今まで

皿も花びんも

一切割ったこともなく、

今後も一生割ることは

ないような顔つきで、

しかるのではないか。

 

しかし、もし、

自分が割った時はどうするか。

 

ちょっと舌を出した程度で、

自分の過失はゆるし、

決して、

子供を叱る時のようには、

自分を叱らない」

 

 

・・・たしかに、

そうですね。

 

自分の場合は、

何だかんだ

自己正当化したりして(^^;

 

こんな例も述べられています。

 

 

わたしの知人は、

車で子供をひいた。

 

彼は、

急に飛び出してきた方が悪い。

 

子供をよく躾けていなかった

親が悪いと言っていた。

 

ところが、

その後自分の子供が

車にひかれて死んだ。

 

彼は半狂乱になり、

 

「こんな小さな子供を

ひき殺すなんて」

 

と、運転手に食ってかかり

殴りつけた。

 

「金をどれだけ積んでも、

子供は返らん。

金など要らん、子供を返せ」

 

とわめき、

手がつけられなかった。

 

 

・・・これはかなり

辛辣なケースですが、

 

これが、私たち人間の、

偽らざる姿ですよね・・・

 

 

わたしたちは、

自分を「罪人」だなどと

思ってはいない。

 

罪深いなどと

考えたりはしない。

 

「わたしは、

人様に指一本指されることも

していません」

 

わたしたちは、大てい

そう思っている。

 

それは、そうなのだ。

 

なぜなら、

前にも記したように、

わたしたちは常に、

尺度を二つ持っているからだ。

 

「人のすることは

大変悪い」

 

「自分のすることは、

そう悪くない」

 

その二つの、

はかりが心の中にあるからだ。

 

 

「人のすることは大変悪い」

 

「自分のすることは、そう悪くない」

 

・・・う~ん、

正直、私の中にも、

その気持ちは、あります。

 

自分の場合は、

「そうせざるを得なかったんだ」

というような、

 

つい、

自己正当化してしまうような気持ち・・・

 

 

つまり、

「自己中心」なのだ。

 

「自己中心」の尺度で、

ものごとをはかる限り、

自分は悪くないのである。

 

なぜなら、それは、

 

「自分のすることは、

そう、悪くはない」

 

というものさしなのだから。

 

それどころか、

「自分のすることは

すべてよい」

というものさしを

持っている人さえいる。

 

 

・・そうですね。

 

いわゆる、

「正義と正義の戦い」

というのも、

こういった心境から

生れるものだと思います。

 

 

エゴを抱えて生きている以上、

私たちは、つい、

 

「自己中心」

「自分は悪くない」

 

という思いに

とらわれてしまいがちなのですが、

 

親鸞聖人の話を集めた、

歎異抄」には、

有名な一節があります。

 

 

善人なをもて

往生をとぐ、

 

いはんや

悪人をや。

 

 

善人でさえ、

救われるのだから、

 

悪人が救われるのは、

いうまでもない。

 

ということです。

 

えっ・・・

 

これ、一般論と、

逆ですよね。

 

ふつうは、

善人が救われて、

悪人は救われない

と考える。

 

しかし、

悪人こそが、救われるという。

 

どういうことなのか。

 

いろいろな捉え方が

あると思いますが、

 

私は、この悪人とは、

自分の罪を

「自覚している人」

だと考えます。

 

逆に、善人とは、

自分の罪を

「自覚していない人」

 

すなわち、

「自分は常に正しい」

と思っている人。

 

こんな話があります。

 

善人ばかりいる家族は、

争いが絶えず、

悪人ばかりいる家族は、

平和である・・・

 

えっ、逆ではないか。

 

違うのです(^^;

 

たとえば、

先に引用した、

花びんの話を例にすると、

 

善人ばかりの家族、

すなわち、

「自分は常に正しい」

と思っている場合だと、

 

「花びんを割るなんて、

アンタの不注意だぞ!」

 

こう言われたら、

こう反発したくなります。

 

「こんなところに

花びんを置いた

オマエが悪いんだ!」

 

・・・まるで、

私と妻を見ているようですが(^^;

 

一方で、

悪人ばかりの家族だと、

 

「ごめん、

うっかり花びんを

割っちゃった・・・」

 

「いいのよ、

こんなところに置いておいた

私も悪いから」

 

お互い、

自分が罪人だと自覚していると、

平和が訪れるのです(^^)

 

 

 

***********************************

 

 

 

人はエゴを抱えて生きている以上、

「原罪」

すなわち、

「自分は悪くない」

という思いからは、

なかなか逃れられませんが、

 

まずは、

そんな自己中心的で

不完全な自分を、

「自覚」する。

 

そして、

そんな至らない自分を

「受け入れる」。

(これが独力ではなかなか

難しいのですが)

 

そうすれば、

世界は、もう少し平和になるのではないか。

 

ウチの家庭も・・・(^^;

 

そんなことを、

三浦綾子さんの「原罪」、

歎異抄」の逆説的な表現を通じて、

考えてみました。

 

なお、

歎異抄」は、過去ブログで、

詳しく解説したことがあります。

 

 

よかったらご参照くださいね😊

 

 

 

**********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

ちょうど、

大河ドラマ「どうする家康」

でタイムリーですね!

 

長篠を訪れました(^^)

 

 

 

長篠城址・史跡保存館。

 

 

 

 

本丸跡。

 

 

 

 

鳥居強右衛門

磔の場所を望む・・・

 

 

 

 

布陣図、

戦況がとてもよく理解できました!

 

 

 

 

設楽原合戦。

(長篠の戦い)

 

 

 

馬防柵。

 

 

現地に、

とてもリアルに再現されていました!

 

 

 

突撃してくる武田騎馬隊を、

鉄砲で迎撃・・・

 

 

 

土屋昌次

ああ無念・・・

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

5月は北海道に長期出張だったのですが、

その合間に、

旭川の三浦綾子記念文学館

立ち寄りました。

 

その影響で、

久しぶりに、

三浦綾子さんの代表作、

氷点

を読み返してみようとして、

 

本棚を探ったところ・・・

 

ああ、生き残っていました!

 

 

現行版とは、

表紙が変わっていますが(^^;

 

たしか、もう30年近く前、

私が大学生か20代の頃に読んだ小説。

 

細かいストーリーは、

忘れてしまっていたので、

再度、読み返してみたのですが・・・

 

いやあ、

やっぱり、読ませますね~。

 

内容は、一見、

メロドラマ的な感じなのですが(^^;

 

実際に読み進めてみると、

人間の業、

というか、

本質的なところに迫ってくるものがあります。

 

それは、

「原罪」をテーマにしているから。

 

「原罪」?

 

キリスト教では、

イブが、禁断の果実を取ってしまい、

アダムもそれに従ってしまったことを指し、

 

その罪は、

誰の身にも備わっているものだといいますが、

 

キリスト教信者ではない

私にとっては、

いまいち、ピーンとこない・・・

 

と思っていたら、

 

三浦綾子記念文学館で、

「なるほど・・・」

と思える言葉がありました。

 

 

 

「原罪」とは、

 

どんな人にもある、

自分は悪くない

という思い。

 

 

なるほど・・・

 

「どんな人にもある、

自分は悪くないという思い」

 

つい自己正当化してしまう

気持ち・・・

 

う~ん、それは、

たしかに、ありますね。

 

氷点

前半のあらすじを、

ちょっとだけ紹介させていただきますと・・・

 

エリート医師で

人格者といわれている辻口と、

美貌の妻、夏枝は、

何不自由なく幸せに暮らしていましたが、

 

夏枝のちょっとした浮気心の隙に、

最愛の3歳の娘、

ルリ子が殺されてしまうんですね。

 

やがて、

妻の浮気心を知った辻口は、

嫉妬と憎しみのために、

何と、自殺した犯人の娘を引き取って、

養女、陽子として育てることを決意します。

 

犯人の娘だという事実を、

妻に知らせぬまま・・・

 

ということで、

この後は、

鋭い心理描写で、

登場人物の葛藤が描かれつつも、

ドラマチックな展開が進むのですが・・・

 

辻口も、

妻の夏枝も、

 

「自分は悪くない」

 

という思いが強いんですね。

 

ほんとうは、

自分自身の嫉妬や打算、

虚栄心、弱さ、欲望からくるものなのに、

 

「自分は悪くない」

「自分は被害者だ」

という意識で、

自分の行為を正当化をしてしまう。

 

その積み重ねが、

やがては、次の悲劇を生むことに・・・?

 

この小説では、

つい自分の弱さを

自己正当化してしまう、

人の心の動きが、

とても丁寧に描かれていて、

 

私自身の心の中が暴かれるような感じがして、

心苦しくもなるのですが(^^;

 

反面、心が清らかな、

登場人物も描かれています。

 

養女の陽子がそうなのですが、

 

台風による青函連絡船の沈没事故

(史実の洞爺丸事故がモデルになっています)

のシーンに登場する、宣教師もそうです。

 

 

ふいに近くで

女の泣声がした。

 

胃けいれんの女だった。

 

「ドーシマシタ?」

 

宣教師の声は

落ちついていた。

 

救命具のひもが切れたと

女が泣いた。

 

「ソレハコマリマシタネ。

ワタシノヲアゲマス」

 

宣教師は救命具を

はずしながら、

続けていった。

 

「アナタハ、

ワタシヨリワカイ。

 

ニッポンハワカイヒトガ、

ツクリアゲルノデス」

 

啓造は思わず宣教師をみた。

 

しかし啓造は

救命具を宣教師に

ゆずる気には

なれなかった。

 

 

啓造とは、

エリート医師で人格者といわれている、

辻口啓造のことです。

 

ちなみに、

この宣教師のモデルとなった人物は、

洞爺丸事故における実在の人物。

 

 

(あの宣教師は

助かったろうか?)

 

あの胃けいれんの女に、

自分自身の救命具をやった

宣教師のことを、

 

啓造はベットの上でも

幾度も思い出したことだった。

 

啓造には

決してできないことをやった

あの宣教師は

生きていてほしかった。

 

あの宣教師の生命を

受けついで生きることは、

啓造には不可能に思われた。

 

あの宣教師が

みつめて生きてきたものと、

 

自分が

みつめて生きてきたものとは、

 

全くちがっているに

ちがいなかった。

 

 

遠藤周作さんの小説、

女の一生 二部・サチ子の場合

に登場する、
コルベ神父を想起します。
 

(過去ブログで紹介しました。

よかったらご覧ください)

 

 

 
私はキリスト教の信者ではなく、
特定の信仰は持っていないのですが、
 
キリスト教には、
このような聖者が実際に存在するわけであって、
信仰の力というものは、
やはりすごいと思います。
 
見ず知らずの人のために自らが犠牲になる。
 
この小説では、
「汝の敵を愛せよ」
ということもテーマのひとつなのですが、
 
自分の愛する人のためならともかく、
赤の他人のために自らが犠牲になるというのは、
常人にはできません。
 
やはり、
聖人レベルでないとできないことなのですが、
 
そのような人が、
歴史上、何人か実在したのは事実だし、
いや、実は人知れずそれを実行して死んでいった、
あまたの人がいたのだと思います。
 
しかし、
私たちは、
エゴを抱えて生きている以上、
どうしても、
弱い自分を自己正当化しがちです。
 
 
啓造は
つくづく自分を罪ぶかいと、
思った。
 
そうは思ってもまた、
どこのだれよりも
やはり
自分がかわいいのが
不思議だった。
 
(もし他人が、
おれのように
妻の不貞を憎んで、
陽子を妻に育てさせたと
きいたなら、
 
おれは
その男を罵倒するだろう。
 
第一、
おれ自身が
もし一夜の浮気を
したとしても、
おれは決して
自分を怒りはしない。
 
それなのに
妻の浮気は絶対
ゆるせないのだ。
 
一体これは
どういうことなのだろう。
 
人がやって悪いことは、
自分がやっても
悪いはずだ)
 
人のことなら、
返事の悪いことでも、
あいさつの悪いことでも
腹が立つくせに、
 
なぜ自分のことなら
許せるのだろう、
 
と啓造は
人間というものの
自己中心なのに
おどろいた。
 
(自己中心とは何だろう。
これが罪のもとではないか)
 
 
・・・ほんとそうですね。
 
「自分は悪くない」
「自己中心」
という原罪。
 
ただし、
それは消すことはできない。
 
では、
どうすればいいのか。
 
 
やはり、まずは、
自分の罪を「自覚」することだと
私は考えます。
 
罪といっても、
犯罪のような
おおげさなものではないし、
 
自覚といっても、
自分を責める
というわけではありません。
 
私自身の日常生活のささやかなこと、
悪気のない、時にはよかれと思っての
ちょっとした言動でも、
 
時に、
人を傷つけていることがあるし、
 
それを、
自己正当化することもある。
 
そう自覚することが、
まずは第一歩だし、
 
それが、
他人に対しての寛容さにも
つながるのではないか・・・
 
他人の言動を不快に感じることが
あっても、
 
他人に悪気はないわけだし、
 
たとえ悪気があったとしても、
それは弱さからきているのだから、
 
そして、それは、
私自身も同じなのだから・・・
 
 
 
*********************************
 
 
以上、

三浦綾子さんの代表作、

氷点

 

 
を題材にして、
今回は、
「原罪」について考えて見ました。
 
なお、
氷点のラストは、
その後がちょっと気になる
終わり方なのですが(^^;
 
ちゃんと続きがあります。
 
 
私はまだ読んだことがないので、
いずれ読みたいと思います(^^)
 
 
ちなみに、
私の本棚にある、
三浦綾子さんの他の小説だと、
 
 
 
自らの命を犠牲にして、
多くの乗客の命を救った、
青年の生涯を描いています。
(実在の人物がモデル)
 
こういう日本人が存在したという事実。
人間捨てたもんじゃないですね(^^)
 
今回の出張で、
現地も観てきました。
 
 
 
続いて、
 
 
一本気で私心のない
大工の棟梁の半生を描いた作品。
(これも実在の人物がモデル)
 
隠れた名作だと思います(^^)
 
これらの作品、
氷点も含めて、
まだ読んだことのない方は、
ご一読をおすすめします😊
 
精神性が高まる気がしますよ!
 
 
 
*************************************
 
 
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
 
次回は別の本を紹介します(^^;
 
 
 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの最新刊!

 

人類の未来を語る

 

 

を読んで、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で5回目!

最終回です(^^;

 

前回、

「進化の本質」とは、

「多様化」であり、

 

私たちの場合は、

それは、

「複数のパーソナリティを持つ」

ことだという

田坂先生の説を

紹介させていただきました。

 

私たちは、いままで、

一つのペルソナ(仮面)で

硬直化してしまい、

 

自分の中に複数の

「パーソナリティ」があることに

気がつきながらも、

 

それらを

「抑圧」

してしまう傾向にあったといいます。

 

 

なぜなら、

これまでの社会において、

我々は、多くの場合、

一つのパーソナリティで

生きてきたからである。

 

我々は、しばしば、

自分の仕事や生活を

円滑に進めていくために、

最も適した一つの

「ペルソナ」(仮面)を選び、

 

それを被ることによって、

他者との摩擦や混乱を

避けて生きようと

してきたからである。

 

しかし、

その結果、

何が起こったか。

 

「抑圧」である。

 

我々は、

人生の様々な経験を通じて、

自分の中に複数の

「パーソナリティ」があることに

気がつきながらも、

 

それらのパーソナリティを

実際に生きることは、

現実の日々の仕事や生活で、

しばしば大きな誤解や

混乱を生むため、

 

それらの多くを

「抑圧」し、

外に出さないようにして

生きてきたのである。

 

 

これは、時に昭和の時代、

いや、平成や今の時代でも、

名残はありますね。

 

職業のペルソナが強い場合、

たとえば、

エリートと呼ばれる、

大企業の管理職や、大学教授、

校長先生などの場合。

 

あまりにも、

そのペルソナが硬直すると、

それ以外のパーソナリティを

抑圧してしまうので、

 

「人間くさい自分」や

「至らない自分」を受け入れられずに、

虚勢を張ったり、

やたら権威主義的になってしまったり、

 

それは、周りの人にも投影しますので、

周りや家族にも弊害が出てしまったり・・・

 

ペルソナの硬直といえば、

「良妻賢母」という考え方もありましたね。

 

それが高じると、

教育ママになりすぎて、

子どもに悪影響が出てしまったり・・・

 

昔の人でも例外的に、

たとえば、

作家の遠藤周作さんの場合は、

 

「純文学のシリアスな芥川賞作家」

というペルソナに固定されるのを嫌って、

 

意識的に、

「狐狸庵もの」という

ユーモアエッセイを書いたり、

素人劇団を立ち上げたりして、

様々なパーソナリティを開花させました。

 

遠藤周作さんの昭和の時代に比べても、

今の時代は、

様々なパーソナリティで

生きやすくなったと思います。

 

 

「ウェブ2.0/3.0革命」

によって、

その状況は変わった。

 

なぜなら、

これらの革命によって、

 

我々は、

日々の仕事や生活に

混乱を生むことなく、

 

そして、

周囲からの誤解を招くことなく、

 

様々な「パーソナリティ」を

生きることができるように

なったからである。

 

昼は、

企業のマネジャーとしての

パーソナリティを生き、

週末は、

社会起業家の

パーソナリティを生きる。

 

ウェブの世界では、

商品開発に参加する

デザイナーの人生を、

 

自身のSNSでは、

小説家やエッセイストとしての

人生を生きる。

 

そして、ときに、

ウェブサイトでの写真展を開く

写真家の人生や

 

自作の曲を自演する

ミュージシャンとしての

人生を生きる。

 

 

・・・いいですね~

 

たしかに、今の時代は、

昔よりは格段に、

様々な「パーソナリティ」を

生きやすくなったと思います(^^)

 

 

そうした形で、我々は、

これまで「ペルソナ」の影に

抑圧してきた

様々な「パーソナリティ」を表現し、

生きることができるのである。

 

そうした

「脱ペルソナ社会」とでも

呼ぶべきものが、

到来するのである。

 

では、それが、

なぜ、重要な意味を持つのか。

 

「癒し」だからである。

 

 

「癒し」?

 

 

「抑圧された自己」や

「隠れた自己」を発見し、

受容し、表現すること。

 

それは、

人間にとって、

深い「癒し」だからである。

 

それにもかかわらず、

これまでの社会は、

多くの人に、

「一つのパーソナリティ」

で生きることを求めてきた。

 

それは、

ある意味で、

社会秩序を維持するためには

必要なことであったが、

 

一方で、

人々の心の奥に、

無意識の「抑圧」を生み出してきた。

 

そして、それが、

ときに、

個人にとっての

精神的な病の原因となり、

 

ときに、

社会心理学的な病理の

原因になったと言える。

 

 

そうですね・・・

 

あまりにも「抑圧」をしすぎると、

もちろん個人の精神的な病の原因にも

なりますし、

結果的に、周囲の人にも弊害となります。

 

そして、

社会心理学的な病理の原因にもなる・・・

 

この世界の争いごとの多くは、

抑圧したネガティブなシャドーを、

自分には存在しないものとして、

相手に投影するからだと考えます。

 

自分の中に、

様々なパーソナリティがあることが、

認められない。

 

すなわち、

「ありのままの自分」

でいられないこと。

 

それが、

この世界の多くの不幸の

原因であるような気もします。

 

そういう意味では、

たとえば、LGBTもそうですが、

現在の多様な価値観を認め合う風潮は、

 

社会心理学的な病理を解消することにも、

繋がっていくのだと思います。

 

自分の中にある、
様々なパーソナリティ。

 

悲観的な自分、

至らない自分、

ずるい自分、

弱い自分、

面白い自分、

積極的な自分、

挑戦する自分、

強い自分、

男性的な自分、

女性的な自分・・・

 

どの自分も、

「抑圧」することなく、

受け入れて、

 

それを今後の人生に、

生かしていきたい。

 

それが、ほんとうの意味での、

「自己実現」なのだと思います😊

 

 

 

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以上、5回に渡って、

田坂広志さんの最新刊!

 

人類の未来を語る

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきました。

 

紹介できなかったところ、

たとえば、

今の国際情勢を踏まえた、

 

人類が直面する「五つの危機」

 

という章などは、

とても興味深く、示唆に富んでいます。

 

「我々一人一人の意識」

が問われるような内容ですが、

同時に、

希望を感じる内容でもあります(^^)

 

「宗教と科学の融合」

「合理的利他主義」

 

興味のある方は、

是非、本書をご一読ください!

 

視界が広がりますよ😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回は、別の本を紹介します(^^)

 

 

 

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北海道写真集。

続きです(^^;

 

 

 

旭山動物園🐧

 

 

 

気持ちよさそう~

 

 

 

泳いでるカバを、

初めて見ました!

 

 

 

こちらは、

三浦綾子記念文学館。

 

 

 

う~ん、

考えさせられます・・・

 

 

 

ここも見てきました。

 

 

 

剣淵絵本の館。

 

 

 

美瑛の青い池。

ほんとに青かった!

 

 

 

美しい池でした。

 

 

 

白ひげの滝。

橋の上から、ぞくっとしました(^^;

 

 

 

ダイナミックな名瀑でした!

 

 

 

旭川空港から帰路。

 

お付き合いいただき、

有り難うございました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ようやく、

2週間以上の北海道出張から、

横浜の自宅に帰ってきました!

 

土日計4日間は休みだったこともあり、

おかげさまで、

たくさん観光もできました😊

 

写真もいっぱい撮れましたので、

最後にアップさせていただきますね(^^;

 

で、

田坂広志さんの最新刊。

 

人類の未来を語る

 

 

を読んで、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で4回目になります(^^;

 

前回の最後に、

「魂を強く」するには、

どうすればいいのか。

 

それは、

「器を大きくする」

 

別の言い方だと、

 

「複数のパーソナリティ」

を持つことだと、

紹介をさせていただきました。

 

それにも

関連してくるのですが、

 

田坂先生は、

「進化」の本質とは、

「多様化」のことだといいます。

 

 

「進化」とは、

単に「古いもの」が消え、

「新しいもの」に

置き換わることではない。

 

昔からある「古いもの」と、

新たに生まれてきた

「新しいもの」が、

 

共存し、共生し、

棲み分けることによって、

 

「世界の多様化」を高めていく

プロセスなのである。

 

 

「商品の進化」に当てはめてみると、

たとえば「本」の場合は・・・

 

「電子書籍」

がかなり普及してきましたが、

「紙の書籍」は、

決してなくならないといいます。

 

「電子書籍」は、

辞書や最新情報には強みを発揮しますが、

 

「紙の書籍」は、

古典的な書物をひもとくときや、

詩集、座右の書としてなど

根強い需要があるためです。

 

私も、最近は、

電子書籍でも本を読むように

なってきましたが、

 

やっぱり、大切な本、

思い入れのある本は、

紙で持っていたい派です。

 

 

市場における

「商品の進化」とは、

 

大きな視野で見るならば、

「商品生態系の多様化」

に他ならない。

 

・・・

 

それは、

言葉を換えれば、

市場や社会が多様性を増し、

 

「豊かな市場」や

「豊かな社会」に

なっていくことを

意味しているのである。

 

 

そうですね。

 

最近、音楽の世界でも、

レコードの売り上げが

復活しているようですし、

 

紙の本も、

決してなくなることはない。

 

「進化」の本質とは、

「多様化」である・・・

 

納得です!

 

その考え方は、

商品だけでなく、

私たち人間にも

当てはまるといいます。

 

それが、

「複数のパーソナリティ」

を持つということです。

 

田坂先生は、

これからの時代、

 

誰もが、

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

のように

いくつもの才能を

開花させることのできる

「ダ・ヴィンチ社会」が

到来するといいます。

 

「ダ・ヴィンチ社会」

 

何だか、

ワクワクする響きですね(^^)

 

 

我々は、例えば、

次のような生活を送ることが

できるからである。

 

昼は、一つの企業で

職場のマネジャーとして活動し、

 

週末は、

社会起業家やNPO、

NGOのメンバーとして

活動する。

 

一方、

時間のあるときは、

一人の消費者として、

プロシューマ型開発を行う

ウェブ・コミュニティに属し、

 

企業と対話しながら、

新たな技術、商品、

サービスの開発に取り組む。

 

さらに、

自分のSNSでは、

興味ある社会的テーマや

趣味の分野で、

様々なメッセージを発信し、

多くの人々からの

コメントを楽しむ。

 

また、旅行に出たときには、

自分で撮った写真を、

専門サイトで公開し、

 

ときには、

自分で作った曲を、

自分で演奏し、自分のSNSで

公開する。

 

こうした生活を

送ることができるのである。

 

すなわち、

これから我々が迎えるのは、

敢えて言葉にするならば、

 

「ダ・ヴィンチ社会」

 

 

田坂先生がいうような、

かっこいいものでは

ありませんが(^^;

 

私自身も、

「複数のパーソナリティ」

を持つということは、

意識しています(^^)

 

たとえば、

メインの出版業界の仕事以外にも、

カウンセラー、コーチとしての役割や、

ボランティアで、

NPO団体に協力していますし、

(なかなか時間が取れないのですが(^^;)

 

このようにブログで、

書評の発信も

させていただいております(^^)

(読んでくださる皆さんのおかげです)

 

若い頃は、

「一意専心」的な生き方がカッコいい!

と考えていた時期もありましたが、

 

田坂先生の本を読んだりして、

今は、

「複数のパーソナリティ」

を持ったほうが、

人生を楽しめると感じています!

 

もちろん、

家計を支えるという意味では、

メインの仕事を確立して、

ある程度の収入源は

しっかり確保する必要はありますが、

 

それだけではなく、

意識して、

様々な「パーソナリティ」を

開花させたいと思っています(^^)

 

せっかく生まれてきたのですから、

眠らせていたらもったいない!

 

 

田坂先生は、

複数の「パーソナリティ」を

持つということは、

 

私たちの人生において、

大きなパラダイム転換を

もたらすといいます。

 

 

なぜなら、

これまでの社会において、

我々は、多くの場合、

一つのパーソナリティで

生きてきたからである。

 

我々は、しばしば、

自分の仕事や生活を

円滑に進めていくために、

最も適した一つの

「ペルソナ」(仮面)を選び、

 

それを被ることによって、

他者との摩擦や混乱を

避けて生きようと

してきたからである。

 

しかし、

その結果、

何が起こったか。

 

「抑圧」である。

 

我々は、

人生の様々な経験を通じて、

自分の中に複数の

「パーソナリティ」があることに

気がつきながらも、

 

それらのパーソナリティを

実際に生きることは、

現実の日々の仕事や生活で、

しばしば大きな誤解や

混乱を生むため、

 

それらの多くを

「抑圧」し、

外に出さないようにして

生きてきたのである。

 

 

パーソナリティの

「抑圧」・・・?

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ(^^;

 

北海道写真集です。

 

 

北海道神宮。

 

 

 

寿都の弁慶岬。

 

 

 

日本海の夕日・・・

 

 

 

積丹ブルー、

北海道で意外にも。

 

 

 

神威岬。

雄大でした!

 

 

 

岩内町の道の駅近くの公園で、

野良猫かと思ったら・・・あれっ、

 

 

キタキツネが歩いてました😲

 

 

 

池の水、飲んでいましたよ(^^;

 

 

 

 

ニセコにて、

羊蹄山とダチョウ。

 

 

 

小樽にもチラッと。

 

 

 

札幌、定番のクラーク像!

 

 

おつきあい下さり、

有り難うございました。

 

次回も続きます(^^;