ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

じめじめした日々が

続きますね。。

 

今回は、まず、

私の心の学びの師匠、

古宮昇先生の、

【無料】オンライン・セミナー

のご案内をシェアさせていただきます。

 

必ず、皆さまのタメになると思います!

おすすめします😊

 

 

 

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古宮昇(こみやのぼる)
・心理学博士・臨床心理士・公認心理師
・カウンセリング・ルーム輝(かがやき)代表
・カウンセラー歴は、日米ニュージーランドで合計28年、

来談者数はのべ約8000人。
・著書は32冊。
心理学の学術専門論文は60本を超える。
講演やセミナーは日本全国および米国、
中国、ニュージーランドで計600回以上
 

 

 

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で、ブログに戻りますが、

前回は、

三浦綾子さんの名作、

 

氷点

 

を紹介させていただきました。

 

そこで、

「原罪」について、

触れさせていただきましたが、

 

今回、そこを、

もう少し深堀しようと思って、

三浦綾子さんのエッセーを、

再読してみました。

 

そのエッセー集が、

 

光あるうちに

 

 

「道ありき」

というエッセー三部作の、

第三部、信仰入門編になります。

 

この中で、

 

「罪とは何か」

 

という話があります。

 

その中に、

こんな一節があります。

 

 

「罪を罪と感じないことが、

最大の罪なのだ」

 

 

・・・具体例が、

述べられています。

 

 

「もし、子供さんが、

花びんをこわしたりしたら、

どうするか。

 

いつも不注意だからよ、

そそっかしいからよ、

 

などと言って、

自分は今まで

皿も花びんも

一切割ったこともなく、

今後も一生割ることは

ないような顔つきで、

しかるのではないか。

 

しかし、もし、

自分が割った時はどうするか。

 

ちょっと舌を出した程度で、

自分の過失はゆるし、

決して、

子供を叱る時のようには、

自分を叱らない」

 

 

・・・たしかに、

そうですね。

 

自分の場合は、

何だかんだ

自己正当化したりして(^^;

 

こんな例も述べられています。

 

 

わたしの知人は、

車で子供をひいた。

 

彼は、

急に飛び出してきた方が悪い。

 

子供をよく躾けていなかった

親が悪いと言っていた。

 

ところが、

その後自分の子供が

車にひかれて死んだ。

 

彼は半狂乱になり、

 

「こんな小さな子供を

ひき殺すなんて」

 

と、運転手に食ってかかり

殴りつけた。

 

「金をどれだけ積んでも、

子供は返らん。

金など要らん、子供を返せ」

 

とわめき、

手がつけられなかった。

 

 

・・・これはかなり

辛辣なケースですが、

 

これが、私たち人間の、

偽らざる姿ですよね・・・

 

 

わたしたちは、

自分を「罪人」だなどと

思ってはいない。

 

罪深いなどと

考えたりはしない。

 

「わたしは、

人様に指一本指されることも

していません」

 

わたしたちは、大てい

そう思っている。

 

それは、そうなのだ。

 

なぜなら、

前にも記したように、

わたしたちは常に、

尺度を二つ持っているからだ。

 

「人のすることは

大変悪い」

 

「自分のすることは、

そう悪くない」

 

その二つの、

はかりが心の中にあるからだ。

 

 

「人のすることは大変悪い」

 

「自分のすることは、そう悪くない」

 

・・・う~ん、

正直、私の中にも、

その気持ちは、あります。

 

自分の場合は、

「そうせざるを得なかったんだ」

というような、

 

つい、

自己正当化してしまうような気持ち・・・

 

 

つまり、

「自己中心」なのだ。

 

「自己中心」の尺度で、

ものごとをはかる限り、

自分は悪くないのである。

 

なぜなら、それは、

 

「自分のすることは、

そう、悪くはない」

 

というものさしなのだから。

 

それどころか、

「自分のすることは

すべてよい」

というものさしを

持っている人さえいる。

 

 

・・そうですね。

 

いわゆる、

「正義と正義の戦い」

というのも、

こういった心境から

生れるものだと思います。

 

 

エゴを抱えて生きている以上、

私たちは、つい、

 

「自己中心」

「自分は悪くない」

 

という思いに

とらわれてしまいがちなのですが、

 

親鸞聖人の話を集めた、

歎異抄」には、

有名な一節があります。

 

 

善人なをもて

往生をとぐ、

 

いはんや

悪人をや。

 

 

善人でさえ、

救われるのだから、

 

悪人が救われるのは、

いうまでもない。

 

ということです。

 

えっ・・・

 

これ、一般論と、

逆ですよね。

 

ふつうは、

善人が救われて、

悪人は救われない

と考える。

 

しかし、

悪人こそが、救われるという。

 

どういうことなのか。

 

いろいろな捉え方が

あると思いますが、

 

私は、この悪人とは、

自分の罪を

「自覚している人」

だと考えます。

 

逆に、善人とは、

自分の罪を

「自覚していない人」

 

すなわち、

「自分は常に正しい」

と思っている人。

 

こんな話があります。

 

善人ばかりいる家族は、

争いが絶えず、

悪人ばかりいる家族は、

平和である・・・

 

えっ、逆ではないか。

 

違うのです(^^;

 

たとえば、

先に引用した、

花びんの話を例にすると、

 

善人ばかりの家族、

すなわち、

「自分は常に正しい」

と思っている場合だと、

 

「花びんを割るなんて、

アンタの不注意だぞ!」

 

こう言われたら、

こう反発したくなります。

 

「こんなところに

花びんを置いた

オマエが悪いんだ!」

 

・・・まるで、

私と妻を見ているようですが(^^;

 

一方で、

悪人ばかりの家族だと、

 

「ごめん、

うっかり花びんを

割っちゃった・・・」

 

「いいのよ、

こんなところに置いておいた

私も悪いから」

 

お互い、

自分が罪人だと自覚していると、

平和が訪れるのです(^^)

 

 

 

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人はエゴを抱えて生きている以上、

「原罪」

すなわち、

「自分は悪くない」

という思いからは、

なかなか逃れられませんが、

 

まずは、

そんな自己中心的で

不完全な自分を、

「自覚」する。

 

そして、

そんな至らない自分を

「受け入れる」。

(これが独力ではなかなか

難しいのですが)

 

そうすれば、

世界は、もう少し平和になるのではないか。

 

ウチの家庭も・・・(^^;

 

そんなことを、

三浦綾子さんの「原罪」、

歎異抄」の逆説的な表現を通じて、

考えてみました。

 

なお、

歎異抄」は、過去ブログで、

詳しく解説したことがあります。

 

 

よかったらご参照くださいね😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

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おまけ(^^;

 

ちょうど、

大河ドラマ「どうする家康」

でタイムリーですね!

 

長篠を訪れました(^^)

 

 

 

長篠城址・史跡保存館。

 

 

 

 

本丸跡。

 

 

 

 

鳥居強右衛門

磔の場所を望む・・・

 

 

 

 

布陣図、

戦況がとてもよく理解できました!

 

 

 

 

設楽原合戦。

(長篠の戦い)

 

 

 

馬防柵。

 

 

現地に、

とてもリアルに再現されていました!

 

 

 

突撃してくる武田騎馬隊を、

鉄砲で迎撃・・・

 

 

 

土屋昌次

ああ無念・・・