Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -34ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

訃報が続く。ちょっと、やりきれなくなる。海外の伝説や神話の域にあるアーティストなら、それはやがて来るものとして諦めもつく。しかし、国内の何度もライブを見たり、度々、取材をしてきた同世代のアーティストとなると、やりきれない思いが募る。悲しい気持ちで心と身体がいっぱいになる。

昨日、元LIZARD(リザード)のベーシスト、ワカ(若林一彦)さんが亡くなったという情報がSNS上に駆け巡った。モモヨ自身も弔意を表明していた。しかし、詳らかにはされていなかった。調べて見ると、元THE LOODS、THE GROOVERS、現LOUD MACHINE、西村組の西村茂樹さんのSNSに詳細が公開されていた。


https://twitter.com/nissie_loud/status/1624061964271104002

 

 


残念ながらワカさんは亡くなった。西村さんによると「亡くなったのは1月27日頃で、急性心不全による」とのこと。改めてお悔み申し上げます。いまだに信じられません。

ここ何十年も交流がなく、時々、AUTO-MODなどとの活動を噂に聞くくらいだった。多分、最後に見たのは、2009年に発売されたLIZARDの10枚組(10CD+1DVD)アルバム『ブック・オブ・チェンジズ コンプリート・ワークス・オブ・リザード』の発売を記念する新宿ロフトでのLIZARD復活ライブだったと思う。モモヨ(Vo、G)、ワカ(B)、コー(Kb)、キース(Dr)というラインナップ。往時と変わらないパフォーマンスを見せてくれた。

 

 

リザード完全復活!!! | フェティッシュダディーのゴス日記 (jugem.jp)

 

 


LIZARDというと、モモヨのカリスマ性がどうしても際立つが、しかし、彼を支えるワカやカツ、コーなどの手堅く、巧みな演奏も忘れてはならない。特にワカのベースは和製ジャン・ジャックの趣きで、多くのパンクスに影響を与えている。今回の訃報に際して、彼に影響を受けたことを語る方も多かった。改めて、器用ではないものの、革新的なベーシストだったことを再確認する。多くの方が彼の写真を上げているが、Ovationのベースを持ってるものが少なくない。その写真には「これを使えば恐い者なしだぜ! 俺のパワーにバッチリ……。」というコピーが添えられている。実はワカさんは同社のモニターをしていて、同写真はOvationの広告になる。これは同社が彼の実力と人気を認めてのことになる。Ovationは渡辺香津美などもモニターとして起用していた。ワカさんがどれだけすごいベーシストだったか、わかるというものだ。

 



SNSにはたくさんの呟きで埋まる。いかに彼が人々の記憶の中にあるか、教えてくれる。呟きを見ると、被災地支援や反原発運動など、特に名乗らず、裏方としても活動していたことも書き込まれていた。寡黙で実直な彼らしいエピソードである。合掌。

なお、高木完がブログでLIZARDの奇跡を追っている。とても興味深い事実も公開されている。読んでいただき、彼らの活動と功績の一端に触れて欲しい。井出靖が所有するポスター&フライヤーを展示する『JAPANESE MUSIC POSTER FLYER EXHIBITION 井出 靖が見た東京の景色 PART.2』」にもキャロルやRCサクセション、ルースターズのポスターやフライヤーとともにLIZARDのフライヤーもあった。彼が見て来たものの正しさの裏付けだろう。


https://be-at-tokyo.com/projects/inthecity/11691

 

 

 

 

 

2月5日(日)の深夜、TBSで放送された鮎川誠さんに密着したドキュメンタリー『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』を見ることが出来た。鮎川さんへの愛と思いが溢れ、詰まった番組だったのだ。福岡のRKB毎日放送がシーナさんの亡くなった2015年から密着して、この3月に映画として上映することを前提に制作された。2月10日(金)には未公開映像を追加したオリジナル版がRKB毎日放送で午前10時25分から放送される。当然だが、撮影中には鮎川さんが病気を隠し、演奏をしていたことなどは一切、明かされていない。改めて、そのことを思うと、彼のやり遂げようと言う強靭な意志と胆力、周りに心配をかけたくないという配慮と思いやりに頭が下がる。内容は詳述しないが、多くの方に見ていただきたい作品である。

 

 

鮎川誠さん 密着ドキュメンタリー番組 2月5日深夜TBSで放送

https://news.yahoo.co.jp/articles/859a291b1688605409bb2238780182bedf1c2235

 

 

 

 

鮎川誠さん 密着ドキュメンタリー番組 未公開映像を追加したオリジナル版を2月10日(金)午前10時25分に放送

https://rkb.jp/article/169214/

 

 

 

 

その放送の前日、2月4日(土)には“ロック葬”へも出席させてもらった。既に報道されている通り、多くの方が弔問に訪れていた。住宅地にある狭い会場だったが、鮎川さんやご家族のことを思い、長蛇の列に並び、粛々と順番を待つ。混乱など、まったくなかった。この日のために駆け付けた鮎川さんを慕う“仲間”たちの献身に胸が熱くなる。会場には彼の息遣いが聞こえてくるギターやアンプ、レコード、ポスターなどが飾られている。“鮎川誠ロック博物館”の趣きだ。ステージや雑誌などで見慣れたものも多かった。それゆえ、生々しい。それらを目に焼き付け、彼の“生きざま”と、その“伴奏者(物)”を心に刻む。

 

 

あまりにも突然のことで、暫く、言葉を紡ぐことができず、鮎川さんの逝去の報道やそのことについての呟きをただ、リツイートするしかできなかった。まずは言わなければいけない言葉を形にさせていただく。

 

改めて、お悔やみ申し上げます。ご家族も突然の会場変更など、大変だったと思います。しかし、見事にやりきりました。適宜、SNSで発信し、受付などの状況を伝え、また、受付が終わり、同会場へ列席できない方へ別会場の案内、さらに時間がなく列席できなかった方への配慮や気遣いなど、頭が下がるばかり。本当にお疲れ様でした。

 

シーナ&ロケッツのステージ、昨2022年は配信を含め、第三の故郷・下北沢のバースディライブ、第一の故郷・久留米のサマービート、第二の故郷・若松の「高塔山ロックフェス」などを見ることができた。そのどれもが心に残るものだった。鮎川さんと、その土地との物語も見せてくれた。ロックと観客と故郷への愛が溢れ、大きな愛で包み込み。唯一無二の存在だろう。誰からも愛されるのもわかる。

 

鮎川さんは多くのものに刺激と影響を与え、先頭に立って、前を向き、ロックンロールという道を切り拓いてきた。そこには鮎川さんの足跡が残り、それを継ぐ者は鮎川誠を目印にして、歩んでいけばいい。シーナ&ロケッツの前身、サンハウスを始まりとしてロックツリーのようなものも作られる。その大きな木の下にいるのかもしれない。それまで意識して可視化されることはなかったが、福岡発のBEAT MUSICにやられたものはその革命を自ら引き継ぎ、それを繋ぎ、続けていく。

 

SNSなどに多くの方が鮎川さんとのエピソードを書かれている。私自身、あまりインティメイトなものはないが、前述通り、昨2022年に開催されたライブやイベントには足しげく通い、リポートを『福岡BEAT革命』のHPやFBページ、また、このアメブロなどに書いている。

 

10/22(土)シーナ&ロケッツ 『高塔山ロックフェス 2022』 北九州市・若松 高塔山野外音楽堂

 

10/16(日)鮎川誠&LUCY MIRROR 『亀戸ハードコア10周忌』下北沢シャングリラ

 

8/14(日)シーナ&ロケッツ、PLAY THE SONHOUSE The 0942ー『久留米SUMMER BEAT 2022 MAKOTO祭り』久留米 石橋文化センター共同ホール

 

5/2(月)シーナ&ロケッツ 『鮎川誠 74thバースディライブ』下北沢シャングリラ

 

そこには故郷と鮎川誠さんの物語があった。単なるライブリポートではなく、そんな物語が生まれる瞬間を書き留めることができたのではないかと思う。よかったら、探して読んでもらいたい。

 

鮎川さんにインタビューをしたことはあるものの、雑誌などで担当していたわけではないので頻繁にというほどはない。直近(というにはかなり前だが)は、2019年に穴井仁吉さんの『MAXIMUM DOWN PICKER 穴井仁吉 12x5 Years Old Birthday』のイベントのパンフレットため、鮎川さんと穴井さんの対談をまとめている。字数の関係で掲載できなかったが、穴井さんが犬を飼う契機は鮎川夫妻だったという。

 

また、その数年前にメールでの質疑応答をもとに原稿を書いている。2017年3月にリイシューされた、サンハウスが1983年9月23日に日比谷野外大楽堂で行った復活ライブを収録した2枚組CD『クレイジー・ダイヤモンズ』のライナーノートをどういう経緯か、書かせてもらった。その際、当時のことを聞くため、鮎川さんとメールでの質疑応答をしている。その回答は実に丁寧で詳細だったことをよく覚えている。その文章からはインテリジェンスとチャーミングが立ち上る。いかにちゃんと伝え、かつ、親しみやすく届けるか。そのための知恵と技術を体得していると同時に崇高なロックの伝道師であるばかりではなく、何か、人としての徳の高さみたいなものを感じていた。鮎川さんというと、そのやりとりをした数日間のことはいまでも忘れられない。

 

 

 

ライブなどで会うと、“イチカワ? ROCK STEADY!”と、嬉しそうに言ってくれる。40年以上も前に、かつて『ROCK STEADY』で表紙にしたことを覚えていてくれる。それがどれだけ、嬉しいか――いうまでもないだろう。

 

3KINGS(鮎川誠・友部正人・三宅伸治)で共演する友部正人が鮎川誠について新聞に追悼文を書いていた。そこには彼の煙草と珈琲についてのエピソードも綴られている。酒の似合う大人には憧れないが、煙草と珈琲の似合う大人には少し憧れる。

 

ちゃんとした報告がすっかり遅くなったが、先日、1月20日(金)に原宿のBOOKMARCで開催された「井出靖『Rolling On The Road 僕が体験した東京の1960年代から90年代まで』出版記念特別鼎談」へ参加してきた。音楽プロデューサー(他にもアーティスト、レーベル・オーナー、ショップ・オーナーなど、多彩な顔あり!)、井出靖。彼が実際に見て体験してきた東京のリアルな景色を書き留めた自伝の出版を記念したトークイベントである。この日のゲストは現役2番目に最高齢の音楽プロデューサーにして、山下達郎、大貫妙子、竹内まりやのデビューに関わり、加藤和彦のマネージメントを手掛け、忌野清志郎と坂本龍一の“ルージュマジック”を仕掛けて、細野晴臣の「ノンスタンダード」にも参加、80年代後半からはフリッパーズ・ギターなどをプロデュース、そして最近は新しい才能の発掘の傍ら、自らの著書や講座、講演会などでリアルな“都市の音楽”を語り継ぐため、語り部として活動するなど、齢76にして精力的な牧村憲一、アルファレコードで“赤い人民服”を着てYMOをプロモーションする宣伝マンとして華々しく業界デビュー、アルファレコード後は東芝EMIで小沢健二、オリジナル・ラヴ、RCサクセションなどを手掛け、ワーナーミュージック、ユニバーサルミュージックなどを経て音楽事務所「V4 inc」を設立、現在は岡村靖幸をマネージメント&プロデュースしている近藤雅信。

 

実は井出、牧村、近藤は井出の著書のため、昨2022年9月に30年ぶり、3人で再会。よもやま話(鼎談)を繰り広げている。今回の再々会はそのリアルバージョン。生で彼らの話が聞ける貴重な機会である。

 

井出の自伝の価値とこの鼎談の希少性を知るものは多く、会場には溢れるばかりの観客が集まる。席はすべて埋まり、立ち見も出るという盛況ぶり。歴史の目撃者になるべく、金曜の夜にも関わらず、多くの方が駆け付けた。

 

開演時間の7時過ぎに3人が登場する。井出は62歳、板橋生まれ板橋育ち、近藤は65歳、西宮生まれ4歳から練馬育ち、牧村は76歳、渋谷生まれ渋谷育ち。年齢は違えど、ともに“東京者”である。彼らは仕事的にも近いところにいた。そんなことを改めて感じさせる“1時間”になる。

 

自らのシーンの先頭に立って時代を牽引した3人の言葉は金言ばかり。初めて明かされることも少なくない。井出が初めて買ったレコードが上條恒彦+六文銭の「出発の歌」(1971年)だった。同曲を制作したのは当時、かぐや姫や小室等などに関わり、ヒットを飛ばしたにも関わらず、本人がひた隠す(笑)“フォーク時代”の牧村だったのだ。そして井出がマネージメントしたオリジナル・ラヴを東芝EMIで担当していたのがアルファから東芝EMIに転職した近藤だった。牧村が手掛けたフリッパーズ・ギター解散後、小沢健二をマネージメントしたのが井出であり、東芝EMIで担当したのが近藤である。井出と近藤はその報告と挨拶のため、二人して牧村を訪れてるという。それが30年前のことらしい。個々には会っていたが、3人揃っては約30年ぶり、その契機が井出の自伝の鼎談だった。そして、そのプロモーションのため、ここに再び、3人が揃う。偶然かもしれないが、不思議な縁や所縁を感じさせる。

 

鼎談の裏話など、余計なことを言ってしまわないか、本人たちは心配していたが、見事に“オフレコ”にならず、ほとんどが公開可能になる。これは講演巧者、牧村の巧みな差配によるもの。変な楽屋落ちなどもなく、破綻なく進んでいった。近藤は時差ぼけと飲み過ぎ、井出は寝不足と体調不良といいながらもその口舌は鮮やかで自伝の鼎談がより生々しく、聞こえてくる。この3人のプロデューサーによる「トライアングル」は“マジック”を生む。

 

 

目の付け所が被るところが興味深い。牧村はマーティン・デニーやエル・レーベルなどを日本に紹介するため、リイシューやディストロビューションを画策するが、動き出すと、既に井出がリリースのために動いているという。世代が違うが目線や視線が一緒なのは、この3人ならではことかもしれない。目に見えないところで価値観を共有しているというべきか。

 

 

近藤を伝説の宣伝マンにしたYMOの人民服を着る逸話も聞き逃せないだろう。高橋幸宏がデザインしたものだが、ベースにしたのは人民服ではなく、明治時代のスキー服らしい。生地素材は高級なものを使用しており、近藤がアルファの予算で買い取ったが、17万もしたらしい。いま、それは“後継者”というべき、高野寛が所有している。ちなみに“赤い人民服”ゆえ、某所で某団体と鉢合わせになったというエピソードもあるが、詳細は自主規制(笑)させてもらう。

 

実は、近藤が宣伝マンになる契機は高橋幸宏でもあった。彼はアマチュアドラマーとしてプロ・デビューを目指していたが、ある日、高橋のドラムを聞き、プロになることをきっぱり諦めたという。それだけ、彼のプレイが圧倒的だったということだ。YMOの解散とともにアルファを近藤は離れることになったが、その際、3人から自分のところへ来て欲しいと誘われたという。しかし、その誘いをすべて断る。彼らと等距離でいるため、敢えて他の道を選んだ。この辺の筋の通し方も“東京者”らしいところ。

 

 

YMO絡みで言えば、井出の自伝にYMOの章はないが、高橋幸宏の話は出てくる。井出のソロアルバム『Purple Noon』に高橋幸宏がヴォーカルで参加している。参加時のことやボウリング大会の話もしている。

 

牧村は坂本龍一の還暦祝いのために自主制作し、“近親者”のみに配られた“私家盤”の話をしてくれた。同盤に収録された高橋のヴォーカルは絶品だったという。3人がともに縁ある高橋幸宏について語る時には追悼モードになるが、その語り口調からは彼への深い愛が感じられる。

 

他にも彼らの音楽愛が伺える貴重な話が目白押し。加藤和彦や信藤三雄などの話も出てきた。サイズが合わなくても気に入った服なら金に糸目をつけず、買ってしまう、ジャケットデザインやアーティスト名が“独断”で直前に変わってしまうなど、いい意味でのわがままぶりも彼らならでは、そんなことが許されるのも加藤や信藤への愛ゆえのことだろう(笑)。

 

1時間では物足りない。アンコールをお願いしたいところ。このトライアングル、音楽の魔法を信じさせてくれる。彼らの著書は必読だ。近藤の本が出版される予定はいまのところないようだが、近いうちには刊行されるだろう。井出、牧村、近藤が揃って、新刊を持って出演する鼎談を見てみたいもの。長尺のドキュメンタリー番組も面白いかもしれない。マジカルな“プロデューサートライアングル”の再々々会に期待だ。

 

 

それにしてもYMOの話のところで、井出と牧村がYMO表紙の『MUSIC STEADY』をともに出したのには驚いた。私の名前も出たが、いないふりをしてしまった(笑)。

 

 

 

「Rolling On The Road 僕が体験した東京の1960年代から90年代まで」井出 靖

 

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