Rock 'n' Roll Heart Is Never Die――鮎川誠さんを悼む | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

2月5日(日)の深夜、TBSで放送された鮎川誠さんに密着したドキュメンタリー『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』を見ることが出来た。鮎川さんへの愛と思いが溢れ、詰まった番組だったのだ。福岡のRKB毎日放送がシーナさんの亡くなった2015年から密着して、この3月に映画として上映することを前提に制作された。2月10日(金)には未公開映像を追加したオリジナル版がRKB毎日放送で午前10時25分から放送される。当然だが、撮影中には鮎川さんが病気を隠し、演奏をしていたことなどは一切、明かされていない。改めて、そのことを思うと、彼のやり遂げようと言う強靭な意志と胆力、周りに心配をかけたくないという配慮と思いやりに頭が下がる。内容は詳述しないが、多くの方に見ていただきたい作品である。

 

 

鮎川誠さん 密着ドキュメンタリー番組 2月5日深夜TBSで放送

https://news.yahoo.co.jp/articles/859a291b1688605409bb2238780182bedf1c2235

 

 

 

 

鮎川誠さん 密着ドキュメンタリー番組 未公開映像を追加したオリジナル版を2月10日(金)午前10時25分に放送

https://rkb.jp/article/169214/

 

 

 

 

その放送の前日、2月4日(土)には“ロック葬”へも出席させてもらった。既に報道されている通り、多くの方が弔問に訪れていた。住宅地にある狭い会場だったが、鮎川さんやご家族のことを思い、長蛇の列に並び、粛々と順番を待つ。混乱など、まったくなかった。この日のために駆け付けた鮎川さんを慕う“仲間”たちの献身に胸が熱くなる。会場には彼の息遣いが聞こえてくるギターやアンプ、レコード、ポスターなどが飾られている。“鮎川誠ロック博物館”の趣きだ。ステージや雑誌などで見慣れたものも多かった。それゆえ、生々しい。それらを目に焼き付け、彼の“生きざま”と、その“伴奏者(物)”を心に刻む。

 

 

あまりにも突然のことで、暫く、言葉を紡ぐことができず、鮎川さんの逝去の報道やそのことについての呟きをただ、リツイートするしかできなかった。まずは言わなければいけない言葉を形にさせていただく。

 

改めて、お悔やみ申し上げます。ご家族も突然の会場変更など、大変だったと思います。しかし、見事にやりきりました。適宜、SNSで発信し、受付などの状況を伝え、また、受付が終わり、同会場へ列席できない方へ別会場の案内、さらに時間がなく列席できなかった方への配慮や気遣いなど、頭が下がるばかり。本当にお疲れ様でした。

 

シーナ&ロケッツのステージ、昨2022年は配信を含め、第三の故郷・下北沢のバースディライブ、第一の故郷・久留米のサマービート、第二の故郷・若松の「高塔山ロックフェス」などを見ることができた。そのどれもが心に残るものだった。鮎川さんと、その土地との物語も見せてくれた。ロックと観客と故郷への愛が溢れ、大きな愛で包み込み。唯一無二の存在だろう。誰からも愛されるのもわかる。

 

鮎川さんは多くのものに刺激と影響を与え、先頭に立って、前を向き、ロックンロールという道を切り拓いてきた。そこには鮎川さんの足跡が残り、それを継ぐ者は鮎川誠を目印にして、歩んでいけばいい。シーナ&ロケッツの前身、サンハウスを始まりとしてロックツリーのようなものも作られる。その大きな木の下にいるのかもしれない。それまで意識して可視化されることはなかったが、福岡発のBEAT MUSICにやられたものはその革命を自ら引き継ぎ、それを繋ぎ、続けていく。

 

SNSなどに多くの方が鮎川さんとのエピソードを書かれている。私自身、あまりインティメイトなものはないが、前述通り、昨2022年に開催されたライブやイベントには足しげく通い、リポートを『福岡BEAT革命』のHPやFBページ、また、このアメブロなどに書いている。

 

10/22(土)シーナ&ロケッツ 『高塔山ロックフェス 2022』 北九州市・若松 高塔山野外音楽堂

 

10/16(日)鮎川誠&LUCY MIRROR 『亀戸ハードコア10周忌』下北沢シャングリラ

 

8/14(日)シーナ&ロケッツ、PLAY THE SONHOUSE The 0942ー『久留米SUMMER BEAT 2022 MAKOTO祭り』久留米 石橋文化センター共同ホール

 

5/2(月)シーナ&ロケッツ 『鮎川誠 74thバースディライブ』下北沢シャングリラ

 

そこには故郷と鮎川誠さんの物語があった。単なるライブリポートではなく、そんな物語が生まれる瞬間を書き留めることができたのではないかと思う。よかったら、探して読んでもらいたい。

 

鮎川さんにインタビューをしたことはあるものの、雑誌などで担当していたわけではないので頻繁にというほどはない。直近(というにはかなり前だが)は、2019年に穴井仁吉さんの『MAXIMUM DOWN PICKER 穴井仁吉 12x5 Years Old Birthday』のイベントのパンフレットため、鮎川さんと穴井さんの対談をまとめている。字数の関係で掲載できなかったが、穴井さんが犬を飼う契機は鮎川夫妻だったという。

 

また、その数年前にメールでの質疑応答をもとに原稿を書いている。2017年3月にリイシューされた、サンハウスが1983年9月23日に日比谷野外大楽堂で行った復活ライブを収録した2枚組CD『クレイジー・ダイヤモンズ』のライナーノートをどういう経緯か、書かせてもらった。その際、当時のことを聞くため、鮎川さんとメールでの質疑応答をしている。その回答は実に丁寧で詳細だったことをよく覚えている。その文章からはインテリジェンスとチャーミングが立ち上る。いかにちゃんと伝え、かつ、親しみやすく届けるか。そのための知恵と技術を体得していると同時に崇高なロックの伝道師であるばかりではなく、何か、人としての徳の高さみたいなものを感じていた。鮎川さんというと、そのやりとりをした数日間のことはいまでも忘れられない。

 

 

 

ライブなどで会うと、“イチカワ? ROCK STEADY!”と、嬉しそうに言ってくれる。40年以上も前に、かつて『ROCK STEADY』で表紙にしたことを覚えていてくれる。それがどれだけ、嬉しいか――いうまでもないだろう。

 

3KINGS(鮎川誠・友部正人・三宅伸治)で共演する友部正人が鮎川誠について新聞に追悼文を書いていた。そこには彼の煙草と珈琲についてのエピソードも綴られている。酒の似合う大人には憧れないが、煙草と珈琲の似合う大人には少し憧れる。