Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -19ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

吉川晃司と布袋寅泰による伝説のユニット「COMPLEX」。2024年1月1日に起きた「令和6年能登半島地震」を受け、被災地のために力になりたいと、二人の熱い思いが融合。再び「日本一心」の旗を掲げて、この5月15日(水)と16日(木)、東京ドームのステージに立った。

 

そのニュースは遍く行き渡り、多くの方が知るところになる。実際、ライブだけでなく、ネットやテレビ、新聞など、二人の雄姿を見届けた方も少なくないだろう。そのステージに彼がいたことを書き留めておきたい。そのステージには井上富雄がいたのだ。彼は布袋の全国ツアーに帯同し、2021年の大晦日には同じく布袋のサポートで“紅白”にも出ている。親戚のおじさんではないが、彼を昔から知るものなら、それは誇らしく、嬉しい気持ちになるだろう。おそらく、そう思う古参のファンは意外と多いのではないだろうか。

 

 

■極彩色の輝きと成熟したリアルなAORを「Live Diamond Planet」で披露する!

 

 

井上富雄自身はサポートやプロデュースなどの活動の傍ら、ソロとしても活動している。いうまでもなく、2020年から2023年まで、“コロナ禍”のため、サポート活動だけでなく、ソロ活動などにも制限や規制がかかったという。彼に限らず、ライブやエンターテイメントに関わるものは、いろいろ試行錯誤しながら、その活動を継続せざるを得なかった。

 

そんな渦中、2020年の年末に彼から声がかかった。井上富雄の新しいソロアルバム『遠ざかる我が家』に封入するライナーノートの件である。彼にインタビューして、それをまとめて欲しいと言われた。すぐに音源と資料を送ってもらい、その数日後、彼に会って、取材をしている。それについては現物を見ていただきたいが、彼との会話で印象に残っているのは “ソーシャルディスタンス”や“3密回避”のため、スタジオにミュージシャンが集まってレコーディングができなかったということ。基本的に自宅での打ち込み作業になり、ダビングなどはデータのやりとりによる“リモートレコーディング”になったそうだ。ご時世である。ロックンロールもその影響を受けざるを得なかった。逆にもろもろのスケジュールが飛んでしまった分、思わぬ時間が出来、制作に専念することができたらしい。

 

同作は、当初の予定では曲数を少なくして、フルアルバムではなく、ミニアルバム的な作品を連作するはずだった。しかし、時間が出来、その分、創作意欲も上がったため、立派なフルアルバムが出来上がった。同作は2021年3月3日にリリースされている。その勢いは留まることなく、サポート活動の傍ら、間隙を縫うように『DIAMOND PLANET』の制作に入り、前作に続き、フルアルバムとして2023年に完成させ、同年9月7日にリリースされている。井上のファーストソロアルバム『up! up and away』(2003年9月1日)からセカンドソロアルバム『AFTER THE DAWN』(2019年11月1日)まで16年かかったことを思えば、通常のアルバムがあまり時を経ず、リリースされる。彼のファンにとってはこんな嬉しいことはないだろう

 

 

『DIAMOND PLANET』は前作同様、DAWを駆使して一人で制作しているが、前作と違うのはゲストミュージシャンが多数、参加していること。彼のセルフライナーノートによると“小倉在住で世界的に活動しています尺八奏者の山崎箜山さんに一曲、サックス奏者に八幡出身、高倉健や大江慎也の母校・東筑を出て東大に行ったというかわり経歴?の田中邦和君に二曲。エンジニアには門司出身の天才、YMO関係云々な飯尾芳史さんにミックスを頼みました。アートワークはこの方も門司出身の佐藤祐作さん。80、90年代はさくさんアルバムジャケットを手がています。ジャケット写真は北九州の隣町出身ですが、石川浩太郎さんで、撮影場所は小倉の平尾台で。とここまで北九州近辺でまとまりました。数曲生のドラムに差し替えたいと思い、やはりドラムはいつもバンドでやってもらっている田中徹くんに頼みました。それと今回のリーサルウェポン的存在のギタリスト、松田文さんに数曲弾いてもらいました。みなさん最高にカッコいい演奏を披露してもらいました”という。

 

“今回のアルバムの裏テーマは北九州というのをなんとなく掲げて”いたそうだ。それは実際に井上も取材を受けた、175RのShogoが中心になって編集している『北九州音楽全史』の影響も大きかったらしい。

 

また、“前作『遠ざかる我が家』の制作はコロナ禍真っ只中だったのでほとんど誰とも会わずデータのやり取りだけでしたから、今回は数曲だけでもスタジオで面と向かって作業できたのはやはり楽しかったですね”と続けている。

 

 

前作と違うのは通常のスタジオでのレコーディングが解禁され、メンバーとセッションもしているということ。『遠ざかる我が家』が静謐で陰影のあるものだったが、『DIAMOND PLANET』がどこかで解放され、躍動感があるというのはそういう環境や状況だったからだろう。わずか、数年間のことだが、やはり、“その前”と“その後”では別世界だろう。

 

 

 

順調なリリースとともにソロとしてのライブも活発になってきた。本2024年1月21日(日)には二子玉川GEMINI Theaterで「Live Diamond Planet」を開催している。

 

メンバーは井上富雄( Vo、B、Ag)、 尾上サトシ( G )、金藤稔人( Key )、田中徹( Dr)、田中邦和 (Sax )、西岡ヒデロー(Per、Tp)というラインナップ。西岡はパーカッション以外にもトランペットも手掛ける。基本的なフォーリズムにホーンセクション、パーカッションも入るという豪華さだ。同作の制作プロセスをライブという形で可視化する。『DIAMOND PLANET』というタイトル通りのゴージャスさだろう。

 

 

 

二子玉川GEMINI Theaterで井上富雄の新作『DIAMOND PLANET』の“レコ発ライブ”。基本的に同作『DIAMOND PLANET』 (2023年)と前作『遠ざかる我が家』(2021年)、前々作『AFTER THE DAWN』(2019年)を中心にした選曲だが、一連のアルバムの大人の手触りがバンドの極彩色の演奏で、艶やかな輝きを増すというもの。洗練されたサウンドがさらに磨きがかかるというところだろうか。

 

井上の歌もその演奏を受けて、大人の色香を纏う。その歌世界を粋で鯔背なものにしていく。どこか、旅情を醸す歌詞を歌う井上富雄をその風景の主人公にする。まるでロードムービーを見ているかのようでもある。

 

『遠ざかる我が家』では英国のカンタベリーのジャズロックへの共感を感じさせていたが、『DIAMOND PLANET』では同じジャズロックでもジョン・メイオール・スクール出身のマーク=アモンド(英国のソフト・セルのヴォーカルのマーク・アモンドとは別人物。ジョン・メイオール・バンドで活躍したセッション・ギタリストのジョン・マークとサックス/フルート奏者のジョニー・アーモンドを中心としたジャズ・ロック・ユニット)を彷彿させる。彼らは1978年にトミー・リピューマのプロデュースで、ジョン・トロペイ(G)、ウィル・リー(B)、スティーブ・ガッド(Dr)などともにレコーディングした『Other Peoples Room』という“AOR”の名盤があるが、『DIAMOND PLANET』は、同作を彷彿させる。洗練され、熟成されたサウンドはシティ・ポップ以前、大人の嗜み、紳士淑女は必聴だろう。考えてみればルースターズ脱退後、結成したブルー・トニックで“早過ぎた渋谷系”と言われた彼だが、月日を経てリアルAORへと成長。そのキャリアを集大成しつつも、まだ、伸びしろがある。そんなことを改めて感じさせたのが、このステージだった。

 

総勢6名がステージに並ぶ、そんな姿を見るだけで感慨深く、その演奏には解放感が溢れる。まだ、予断は許さないものの、漸く、山は越えた。困難な時間が通り過ぎたといっていいだろう。メンバーが音を確かめ、サインを交わしながら演奏を楽しんでいるのを目の当たりにする。袋小路の中で足掻きながらもようやく普通のことが普通にできる――そんな時間と空間、井上を始め、メンバーが身体に感じ、楽しんでいる。誰もが嬉しそうに歌い、演奏しているのだ。

 

 

そんな解放感は観客にも伝わる。コロナ禍にあって、どこか、余所余所しかった観客も思い切り楽しみ、ここぞとばかりに身体を揺らし、歓声を上げる。こんなライブを待ち望んでいたといっていいだろう。弾き語りや配信なども新しいスタイルとして定着しつあるが、やはりライブハウスは無礼講ではないものの、素敵な音を聞き、心行くまで弾けたくなるもの。

 

何か、井上富雄が帰ってきたという感じだろう。ソロなどのライブアクトは度々、あったが、このライブは彼の帰還、彼の音楽を思い切り浴びることができる、その喜びを感じている。演奏する仲間も息のあった演奏で、楽曲の良さを際立たせる。ソロアーティスト、井上富雄の面目躍如。改めて、日本の音楽シーンになくてはならないミュージシャンであることを再確認させる。いずれにしろ、会場を埋めた観客は彼のライブを見られる幸運を思い切り享受したはずだ。

 

 

バンドセット

01.夜更けのサイレン(DP)

02.BRIDGE OVER DAWN(ATD)

03.DRIVING ME CRAZY( Barrier Gates)

04.赤茶けた街の太陽(DP)

05.ココナツの風(DP)

06.羊歯の葉の裏(DP)

07.Let's go to the other side(DP)

08.雨の夜に抱かれ(DP)

 

ソロセット

09.浮世の習い(DP)

10.虹のかけら(ATD)

 

バンドセット

11.夜間飛行(遠ざかる我が家)

12.スーパーボール(ATD)

13.澄んだ冬空の日も(DP)

14.狂える世界の果てを(遠ざかる我が家)

15.MORNING DEW(ATD)

16.シーラカンスの憂鬱(DP)

17.Diamond Planet(DP)

 

EC

バンドセット

18.甘い夜風に誘われて(遠ざかる我が家)

19.遠ざかる我が家(遠ざかる我が家)

 

 

 

 

 

そのライブはXでも簡単に呟いている。“春には全国展開もあるらしい。必見である”としたが、『Live Diamond Planet』に出演したバンドとのツアーではなく、『Rolling Peddler Tour』だった。 ANZAiFURUTA (安齋肇 + 古田たかし) 、柳沢二三男、そして井上富雄というラインナップで全国6カ所を回る。同ツアーの模様はめんたいロックの応援サイト「福岡BEAT革命」のFBページで既に報告している。そのテキストを転載し、同記事をシェアした際に自らのタイムラインに書いた文章も付記しておく。

 

 

 

■井上富雄・ANZAiFURUTA(安齋肇+古田たかし)・柳沢二三男――個性派3組の”行商ツアー”完走!

 

 

井上富雄、ANZAiFURUTA(安齋肇・古田たかし)、柳沢二三男という個性派3組が新譜(井上『DIAMOND PLANET』、ANZAiFURUTA『う~ゆばリあ』、柳沢『namara』)と物販(Tシャツやバッジ、ステッカー、ポーチなど)を引っ提げて全国6カ所をを回る「Rolling Peddler Tour」。4月11日(木)大阪「music bar S.O.Ra.」を皮切りに12日(金)広島「JIVE」、13日(土)門司「BRICK HALL」、14日(日)福岡「PUBLIC BAR Bassic」、19日(金)函館「あうん堂」と巡り、4月21日(日)東京・祐天寺「FJ’s」で別名"行商ツアー"の大団円、最終日になった。「FJ's」は、元々はいまは亡き音楽家・深町純が作ったサロン形式のライブハウスで、同地名や駅名の由来になった寺院「祐天寺」の側にある。

 

 

ライブそのものは、第一部は井上と古田と柳沢で井上、柳沢の新譜の新曲(井上は「ねぼけまなこ」や「浮世の習い」、「シーラカンスの憂鬱」など。柳沢は「その瞬間たしかに」や「涙が止まらない時は」、「いいことばかりさ」など)を披露、第二部は安齋肇も合流し、ANZAiFURUTAの新曲も披露するということになっていたらしい。ところが、第一部の最後に安齋肇が乱入(!?)、その後、休憩時間のはずが安齋の盟友にして、「勝手に観光協会」の同僚のみうらじゅんがスペシャルゲストとして応援販売に駆け付け、"ふたりのビッグショー"が始まる。各々の新譜とアナログのセット販売を提案したり、終演後は店の扉に鍵をかけ、物販を購入するまで返さないと宣言(勿論、終演後に物販を購入しなくても帰れた。ご安心いただきたい)するなど、言いたい放題。お約束とは言え、やりたい放題の二人の"セッション"もある。

 

 

安齋とみうらは「勝手に観光協会」を1997年に結成しているが、それは頼まれもしないのに、勝手に各地を視察し、勝手に観光ポスターを制作し、勝手にご当地マスコットを考案し、勝手にご当地ソングを作詞・作曲・旅館録音(リョカ録)し続けているというもの。「勝手に観光協会」による群馬県ご当地ソング、国定忠治や向井千秋、田山花袋などが出てくる「上州の風」を披露する。続けて、かつて自らのバンド「大島渚」を率いて、“イカ天”に出演したみうらの隠れた名曲にして、当時はそのメッセージまで届かなかったのか、実は反原発ソングだった「カリフォルニアの青いバカ」を熱唱する。会場は総立ち、まさかの騒乱状態である。例え、くだらなく、笑えなくても流石、好きなことや面白いことに命をかける二人だけある。観客を乗せる術は体得している。観客を異次元の安齋・みうらワールドへ誘うというか、容赦なく放り込む。

 

 

そんな怒涛の時間は過ぎ、みうらが退場して、暫くすると第二部が始まる。井上、古田、安齋、柳沢という“行商人”達が勢揃い。ANZAiFURUTAを井上と柳沢がバックアップする。

 

安齋は"ANZAi FURUTAの世界へようこそ"と告げ、彼らのアルバム『う~ゆばりあ』から「道路マン21号」や「シンしんぷる」など、未来の名曲を畳みかける。途中、井上(「Diamond Planet」)や柳沢(「チャックベリー」)のナンバーを挟みながら、バカボンのパパをテーマにした「いったい何故がどうしたのだ」で観客を圧倒する。彼らの音楽は企画ものの色物のように見えて、実はANZAiFURUTAの世界がしっかりとある。カルメン・マキ&OZでデビューし、原田真二や佐野元春、奥田民生、PUFFY、布袋寅泰、Charなどを支えてきた古田が曲作りやアレンジに関わっている。遊び心に溢れつつも実に高度なことをいとも容易くやってのける。フランク・ザッパ&マザーズや頭脳警察などをもっとハチャメチャにした感じで、その弾け方が半端ではない。

 

 

安齋は"70過ぎて、60過ぎの人達と、あんな激しいツアーをやるとは思わなかった"と嬉しそうに語る。そんなハードなツアーの締めくくりは「監獄ロック」を4人のバンドマン達が一生懸命に歌い、演奏する。井上や古田、柳沢のミュージシャンとしての実力と才能は敢えていうまでもないが、驚くべきは安齋の歌手としての実力。あれだけ全力で叫んでいれば、声がへたれるものだが、そんなところは微塵もなく、見事に"完走"する。天晴としかいいようがない。聞くものは知らぬ間に彼らの術中に嵌る。

 

世間的にはかつて「タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」でソラミミストとしてお馴染みの安齋肇。実はイラストレーター、アートディレクター、ミュージシャンなど、多彩で多様な顔を持つ。その実、みうらじゅん同様、何をしているかわからない人かもしれない。だけど、なんかくだらないけど、なんて面白いことをする人だろうと、思っているはず。みんなに愛されているのだ。

 

約2時間30分のロックショーはともすればひっちゃかめっちゃかになりそうなところを井上富雄がしっかりと締めていた。彼自身、安齋肇やみうらじゅんの世界に呑み込まれそうになりながらも手綱捌きよろしく、しっかりと楔を打ち込み、"ローリング"させていく。彼の世界をゆったりと聞くというものではないので、"もっと井上"と言う思いが募るかもしれないが、おそらく、このツアーは布袋寅泰のサポートとしてのツアー以外では、コロナ禍以後、初のものではないだろうか。会場のキャパシティも布袋のツアーはアリーナクラスだが、ライブハウスクラスである。流石、移動も自ら運転してというものではないが、この久しぶりのバンド体験は彼の音楽にも影響を与えそうだ。特に『遠ざかる我が家』や『DIAMOND PLANET』がホームレコーディングやリモートレコーディングなど、コロナ禍のため、制約や制限のある中で作られたものだった。いい意味での反動が、楽しみだ。

 

5月2日(火)には同じく「FJ’s」でソロライブ、同月24日(金)にはこの1月21日(日)の二子玉川ジェミニシアターと同じ会場、同メンバーによる再演もある。

 

 

行商ツアーはショーケースでもある。今後は各々のソロライブへ足を運んでもらいたい。井上と古田は佐野元春のHOBO KING BANDでの共演でお馴染み、改めて二人の相性の良さも感じた。

 

 

また、斉藤誠や矢沢永吉、萩原健一、PUFFY、財津和夫、増田俊郎、杉山清貴などのレコーディングやライブをサポートしてきた柳沢二三男。彼のなまらイカしたオリジナルとギター、ヴォーカル、そして寡黙なMCに痺れた。現在、「オフィスナマライカ BASE SHOP」で注文したアルバム『namara』 が届くのを楽しみに待っている。

 

 

★柳沢二三男ライブスケジュール

namara230yanagisawa

namara Release Live 2024

https://230namaraika.jimdofree.com/.../namara-release-live/

 

 

★群馬県ご当地ソング「上州の風」/勝手に観光協会

https://www.youtube.com/watch?v=WmEwqv_Dpb0

 

 

 

★ANZAiFURUTA(安齋肇&古田たかし)「いったい何故がどうしたのだ」From Album『う~ゆばりあ』【PV】

https://www.youtube.com/watch?v=NcDFM2mw9v0

 

 

 

 

 

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ちなみに安齋肇さんというと、私的にはイミテーションのCHEEBOのソロアルバム『PARADISE LOST』のアートディレクターとしてお世話になったが、その時はほとんど関わりがなく、「MUSIC STEADY」の時にTRA絡みで取材をしているかもしれない。もっとも身近に感じたのは某編集部にいた時だろう。何故か、1988年の「いのちの祭り」を契機に編集部でキャンプやバーベキューが流行り、編集部や出入りのデザイナーやライター、ミュージシャンなどと富士五湖や丹沢、八ヶ岳などへ頻繁にキャンプしにいくことになった。安齋さんとも本栖湖に大挙してキャンプに行ったこともある。豚汁に七味を入れることに拘り、なかったので、売店まで買いにいったら、“結構、拘るんですね”と、いまは亡き、安齋様の奥様に笑われた記憶がある。青春時代(!?)の良い思い出だ。

 

安齋さんやみうらじゅんさんの仕事振りは直接、ご一緒していなくても身近に感じていた。今回のツアータイトルを聞いた時、彼らが開催した“ローリングライターレビュー”を思い出した。勿論、ディランのあのツアーから取ったものだ。笑いのセンスが私とは少し合わないところもあるが、こういうばかばかしいことを真剣、かつ、継続してやること、素晴らしいと思う。このライブを見て、改めて感じた。それにしてもまわりのものを仲間に引き入れる、その巻き込み力には脱帽。やはり尊敬するしかない。ずっと、バカをやって欲しい。

 

通販で頼んでいた柳沢二三男のアルバム『namara』が届いた。このライブでも同作からのナンバーが披露されているが、改めて聞くと、これが絶品である。ブルースどっぷりではなく、ポップなサザンロックという感じで、実にチャーミングな作品だ。COWBOYやアメイジング・リズム・エイセスなどを思い出す。CAJAN MOON BANDで井上や古田とのライブも見てみたいもの。

 

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「Live Diamond Planet」と「Rolling Peddler Tour」、井上富雄が関わる2つのライブとツアーの模様を改めて報告したが、井上のソロ活動にもっと注目すべきである。

 

井上のライブが今後も頻繁に行われるという。これは見逃せない。まずは1月のGEMINI Theaterの“PART2”というべき、『FLAT JAM #4』。明日、5月24日(金)に1月と同会場、同メンバーである。直前のお知らせで申し訳ないが、1月を見逃した方は必見である。是非、時間と都合をやりくりして駆けつけて欲しい。実は同会場のオーナーであるダディ竹千代&東京おとぼけCATSのダディ竹千代、また、カルメン・マキ&OZの作詞家、新橋ZZのオーナーとして活躍された加治木剛さんは先日、亡くなられた(5月9日、慢性心不全急性増悪のため死去。享年、70。合掌)。井上は加治木さんから“小倉出身なら「無法松の一生」をやれ”とリクエストされていたらしいが、歌わなくて済んだと安堵(!?)している。果たして井上がダディに捧げ、同曲を歌うのか、歌わないのか、それも興味深いところだ。

 

 

そして7月5日(金)には下北沢「440」で井上富雄と古田たかしの『W生誕祭ムムムサーなのだ!』も行われる。先の「Rolling Peddler Tour」、そしてCAJAN MOON BAND、さらにHOBOKING BANDの盟友・古田と井上の“W生誕祭”。メンバーは古田たかし(Dr、Vo)と井上富雄(B、Vo)、尾上サトシ(G)、長田進(G)、斎藤ネコ(Vn)というCAJUN MOON BAND、HOBO KING BANDの盟友とともにスペシャルゲストに安齋肇というラインナップ。同ライブも聞き逃せないだろう。いずれにしろ、ソロ、そしてバンド、さらにサポートと、彼の八面六臂の活動が止まりそうもない。いま、まさに躍動する井上富雄を見逃してはいけない。

 

 

 

 

 

『Flat Jam #4』

5月24日(金)二子玉川「 GEMINI Theater」

開場/18時30分 開演/19時30分

 

Vo、B 井上富雄

G 尾上サトシ

Key 金藤稔人

Dr 田中徹

Per 西岡ヒデロー

Sax 田中邦和

 

前売 ¥5,500 当日 ¥6,000 +1Drink

予約 GEMINI Theater HP

https://www.geminitheater.jp

 

 

 

 

『古田井上W誕生祭ムムムサーなのだ!』

7月5日(金)下北沢「440」

開場/18時30分 開演/19時

 

出演

Dr、Vo 古田たかし 

B、Vo 井上富雄

G 尾上サトシ

G 長田進

Vn 斎藤ネコ

スペシャルゲスト 安齋肇

 

前売 ¥5,500 当日¥6,000 +ドリンク¥600

TIGET

https://tiget.net/events/318503

 

 

 

440

http://440.tokyo

 

 

inouetomiowebsite

http://inouetomio.com

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨日、ネットを見ていたら「富山出身の“無名の兄弟バンド”が全英チャート8位の快挙!」というニュースが目についた。成し遂げられそうで、なかなか成し遂げられない日本のロックの海外進出を“富山出身の無名の兄弟バンド”と紹介された「SAHAJi」というバンドがその壁を突き破った。まったく知らないバンドで、ネットで得た情報しか、紹介することができないが、興味のある方は以下のリンクから飛んで、読んでもらいたい。海外進出に企業や国家を上げて、取り組んでも必ずしも結果がでるわけではない。それがクリエイターとクリエイターとの繋がりがその突破口を開く――そんな物語が好きな私としては、ちょっと胸のすく思いでもある。

 

 

富山出身の“無名の兄弟バンド”が全英チャート8位の快挙!「嬉しさと驚きでいっぱい」本人らからメッセージも

https://news.yahoo.co.jp/articles/0ec7aa0c8b7a4ab8944dccad788549be45545080

 

 

 

 

日本ではほぼ無名、富山出身の兄弟バンドが全英チャート8位…CD一時売り切れ状態でSNSでも大反響

https://news.yahoo.co.jp/articles/ff373ef69831768b6523a6b3625e4b025ab767df

 

 

 

SAHAJi - Future In The Sky (Official Video)

https://www.youtube.com/watch?v=a0LGxquvP_I

 

 

 

Shotaro Nishida(SAHAJi)

https://twitter.com/ShoutarouN

 

 

 

実は、彼らのニュースが強く響いたのは数日前に日本のロックの海外進出に関わる飛び切りのニュースを聞いたばかりだったからだ。それも富山とは隣県の石川のバンドのリーダーがあるイベントで、驚愕の事実を話してくれたのである。すぐにXなどで拡散しようと思ったが、念のため、主催者に公開の確認を取り、正確に記述するため、その音声ファイルも入手した。

 

 

そのイベントとは、このGW期間中、5月3日(金・祝)に原宿クロコダイルで開催された「SNARE COVER Presents Special Talk&LIVE Session JAPANESE ROCKの夜明けから未来へつなぐもの その3」である。日本のロックの半世紀のヒストリーを「地方都市からのロック」「カルチャーとロックンロールアート」という目線で語る夜で、ゲストとして佐々木忠平(めんたんぴん from小松)、あがた森魚、三原康可、武田チャッピー治、川上シゲなどが出演。今回のテーマに関しては、音楽コーディネイターの吉田ハリー(千年COMETS、X-JAPANなどを手掛ける)とともにモデレータ―、プレゼンターを務めるSNARE COVERは北海道出身で、現在も同地に居住し、音楽活動を続けている。まさに身近な話題だろう。

 

この「SNARE COVER Presents Special Talk&LIVE Session JAPANESE ROCKの夜明けから未来へつなぐもの」は第1回を昨2023年12月5日(火)に同じく原宿クロコダイルで今井裕をゲストとして日本のロック半世紀のヒストリーを「プログレ」目線で語る夜をテーマに、第2回を本2024年3月1日(日)に同じく原宿クロコダイルで岡井大二、あがた森魚、寺中名人をゲストとして半世紀のヒストリーを「プログレ」「フォーク」「アート」目線で語る夜をテーマに開催されている。今井裕がサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』制作時のエピソードを語り、東京では久しぶりになるライブパフォーマンスを披露、また、岡井大二が四人囃子とプログレの関わり(実はあんまり関わりがない)、四人囃子とOZと寺中名人とのジミヘンセッションなど、このイベントでしか、聞けないトークやライブが目白押し。また、あがた森魚が内田裕也やJOE山中、桑名正博、安岡力也などの拠点だった“原宿クロコダイル”で内田に筋を通しに会った際、その場に立ち合った三原康可の眼前で「俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け」を歌うというスリリングな場面もあった(実はこの日も同曲が披露されている)。

 

(写真左から)このイベントの仕掛人、ハリー吉田、

佐々木忠平(めんたんぴん)、あがた森魚、三原康可、

武田チャッピー治、川上シゲ

 

 

日本のロック史を紐解くと、「地方の時代」と言われる時期があった。石川県の小松からはめんたんぴんが『MENTANPIN』、愛知県の名古屋からはセンチメンタル・シティ・ロマンスが『センチメンタル・シティ・ロマンス』、福岡県の博多からはサンハウスが『有頂天』で、1975年に相次いでメジャー・デビューしている。その前年、1974年8月4日から5日、同8日から10日に福島県郡山市開成山公園内の総合陸上競技場で開かれたロック・フェスティバル「ワンステップフェスティバル」に3バンドとも出演している。共通しているのは東京拠点ではなく、地元を拠点として、その音楽も東京色に染まることなく、独自の発展をしてきていることだろう。

 

めんたんぴんは、佐々木忠平の強烈なヴォーカルと独特の世界観のある歌詞、トリプルギター、ツインドラムというサザンロックを彷彿させる豪快なサウンド、楽器だけでなく、自前のPAを4トントラック(ハイエース)に積み込み、自ら運転して全国を“コンサートツアー”をしながら回る活動スタイルが“日本のグレイトフル・デッド”とも言われた。また、全国をツアーして回るだけでなく、地元・小松で全国のバンドを呼んで「夕焼け祭り」というイベント(というか、フェスの先駆けだろう)も開催している。

 

 

状況説明が長くなってしまったが、5月3日(金・祝)、原宿クロコダイルで、佐々木忠平が語った驚愕の事実を書き留めておく。佐々木は“多分、知っている人はほとんどいないと思うけど”と前振りをしている。実際、この日の会場に来ていた方にとっては初耳のことばかりだったようだ。

 

 

「昔、フリートウッド・マックっていたでしょう。ある音楽評論家が日本の音楽家のテープをドラマーのミック・フリートウッドへ聞かせたら、ミックがこのバンドをプロデュースしたいと、それがめんたんぴんだったんですよ。急遽、僕らはフリートウッド・マックの「ペンギン・オフィス」に入って、フリートウッド・マックの前座をするという話になっちゃったんですよ。で、国内のレコード会社は僕らの取り合いになった。それはそうですよね、『噂((Rumours))』(1977年)が売れて、ビートルズの(セールス)記録を抜いた時代ですから。その話と同時期にコッポラ(フランシス・フォード・コッポラ)の映画『地獄の黙示録』(1979年公開)のサウンドトラック盤を作って、日本に来ていたグレイトフル・デッドのパーカショニストのミッキー・ハート(同映画のジャングルから聞こえるざわめきとして、その部分のスコアを依頼されたミッキー・ハートは『黙示録・セッション・バンド』としてRhythm Devilsを特別に結成し演奏している)と知り合っていたんですよ。ミッキー・ハートもめんたんぴんをえらい気に入ってくれた。彼のプロデュースで2曲くらいレコーディングしたんですよ。ミッキーはそれをジェリー・ガルシアに聞かせた。ジェリーがいいバンドだと、そうしたらミッキーがアメリカに来い、と。これは同時期ですよ。僕らはフリートウッド・マックを選ぶか、グレイトフル・デッドを選ぶか――僕らはそういう岐路に立たされたんです」

 

嘘のような本当の話である。海外進出などと大言壮語することなく、自然と世界が彼らに歩み寄ってきた。しかし、それは現であるものの、幻に終わる。

 

佐々木はその顛末を自己憐憫的にならず、ある種、運命を受け入れたかのように晴れがましく、こう語った。

 

「その話をしたら嫁さんは狂喜乱舞しましたよ。でも、この話を嫁へ話しながら僕は靴下が破れていたのが気になっていた。現実に破れた靴下を履いていたんですよ。その時、もうベースがやめようと言ったんですよ。これでいいじゃないか。一番、良い時にやめよう。それで僕らはフリートウッド・マックにもグレイトフル・デッドにも靡かずにやめるんです」

 

佐々木はこう続ける。

 

「疲れ果てていたんですよね。事務所もなく、自分達だけでバンド活動をするのは過酷ですから。ベーシストはもう俺は手一杯だ、と。アメリカへ渡ってまでやりたくないと言った。ものすごく、その言葉が響いていてね。じゃあ、もういいや。めんたんぴんは石川県の単なる田舎バンドだと思っていたでしょう。違うんですよ。数奇な運命に左右されたバンドなんですよ。僕は行きたかった。グレイトフル・デッドは大好きですから。ミッキーは日本が好きで、道場も持っていた。朝は味噌汁を飲むと言ってたんですよ。この男は信用できるな。グレイトフル・デッドの仲間入りをしたかったんですよ。でもベースの意見にくみしましたね。バンドって、そういうものなんですよ」

 

 

PAシステムやツアートラックの購入のための2000万円の借金もしていたという。それが真綿のように彼らの首を絞めたのかもしれないが、それを後悔はしてないようだ。全国を“聞かせてあげるいなか”とツアーして回り、その時に撒いた種が各地で育つ。佐々木忠平自身も音楽活動はやめていない。制服向上委員会や鬼頭径五などをプロデュース、地元・石川県の小松を中心に音楽活動を繰り広げ、松田ゆかりとのユニット「ステラブルー」でも活動。2005年にソロアルバム『日本競馬狂想曲』、2006年にはオリジナル・リズム隊では26年振りになるめんたんぴん名義のニューアルバム『イロニアの音謡』をリリースしている。また、音楽制作の傍ら、地元の新聞にコラムなどを寄稿、様々なイベントにも関わっているようだ。この1月に被災した地元・石川の復興を期して、能登や加賀温泉の魅力を発信もしている。

 

佐々木忠平ソロセット&バンドセット

 

 

この日、佐々木忠平はトークセッション後、エレクトリックギターの弾き語りで「国道8号線」、「木こりの唄」、「春」、川上シゲや武田チャッピー治などを加えたバンドセットで「コンサートツアー」、「今日も小松の街は」など、めんたんぴんの名曲を披露してくれた。驚いたのは佐々木のヴォ―カリストとしての変わらなさである。とても1951年生まれ、70歳超えとは思えない。当時のまま骨太で、迫力ある歌声を聞かせ、曲間に挟むトークもいい意味で不適切にもほどがある(笑)。

 

 

冒頭にSAHAJiのことを書いたが、隣県と言うだけで、彼らと佐々木忠平が特に面識や交流があるとは思えない。ただ、偶然とはいえ、北陸に東京経由ではなく、直に世界と渡り合うバンドがいることが驚きである。佐々木は当時を“地方の時代”だったと言っている。「地球規模で考え、地域で行動する(Think globally, Act locally)」という言葉もあった。東京を経由せず、直接、海外へ、何かを発信する。両者には通じるところがあるのではないだろうか。佐々木は自らのことを“石川県で一番、ほらふきといわれています”と、照れ隠しをする。佐々木にはもっと、ほらを吹いてもらい、そのほらを現実のものとして、もっと楽しい音を聞かせて欲しい。

 

NION(三原康可+武田チャッピー治)+川上シゲ

 

あがた森魚バンドセット

 

この日、出演したミュージシャン、あがたや佐々木、川上、武田、三原など、決して若くはなく、人生の山を登り切り、そろそろ下山の時期にはいっているといっていいかもしれない。火野正平(腰痛の回復を祈る!)が“人生下り坂、最高!”と言っていたが、不思議なことにその音楽は衰退し、枯れるどころか、瑞々しく、清涼である。まだまだ、楽隠居など、して欲しくないのだ。

 

 

 

実は、めんたんぴんはデビュー当時、度々、見ている。度々というか、積極的に見ていると言っていいだろう。1975年9月12日に中野公開堂で行われた「MENTANPIN IN TOKYO(中野公会堂)」へ行っている。その日のゲストはシュガー・ベイブだった。シュガー・ベイブをリアルで見ているのだ。ちょっとした自慢である(笑)。それ以前、同1975年8月23日には石川県加賀市山中町水無山スキー場で開催されためんたんぴんが主催するイベント「第2回 夕焼け祭り」へも行っているのだ。まだ、高校生だったと思うが、列車(まだ、新幹線などは運行していない)で金沢まで行き、そこから自転車で福井の吉崎御坊の願慶寺へ行き、当時はユースホステルとして運営した同所に宿泊。翌朝、自転車で会場を行き、初のオールナイトロックフェスを体験している。いたいけな高校生を北陸まど走らすなど、すごいことではないだろうか。それだけ、めんたんぴんには人を動かす力があったのだ。いまは記憶がおぼろげながら、自分にとって“日本のロックの夜明け”でもあった。

 

 

Sunset Glow Festival 1975 & 1976 (夕焼け祭り)

https://www.youtube.com/watch?v=WQUyPrBpUOY

 

 

 

 

 

めんたんぴん/佐々木忠平のブログ「イロニアの音謡」

http://blog.mentanpin.jp/

 

 

 

謡楽音産ホームページ

http://yogakuonsan.com/index.html

 

 

この「SNARE COVER Presents Special Talk&LIVE Session JAPANESE ROCKの夜明けから未来へつなぐもの」の第4回は、まだ、告知されていないが、機会があれば是非、ご覧いただきたい。半世紀のヒストリーを見直すことで、新しいものの見方や古い音が実は新しいものに聞こえてくるかもしれない。原宿クロコダイルのスケジュールをチェックして欲しい。

 

SNARE COVERソロセット&バンドセット

 

https://crocodile-live.jp/events/event/snare-cover/?fbclid=IwAR1JVeRmIbv4-S24-o6OU8QDDr1DM949NHHFGOaDm6BUH6-CyM0qlQn9nGY

 

 

 

 

 

https://crocodile-live.jp/events/event/japanese-rock%e3%81%ae%e5%a4%9c%e6%98%8e%e3%81%91%e3%81%8b%e3%82%89%e6%9c%aa%e6%9d%a5%e3%81%b8%e3%81%a4%e3%81%aa%e3%81%90%e3%82%82%e3%81%ae-%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%92-%e5%8d%8a%e4%b8%96%e7%b4%80/

 

 

 

 

 

https://crocodile-live.jp/events/event/snare-cover-presents-special-talk%ef%bc%86live%e3%80%80session-japanese-rock%e3%81%ae%e5%a4%9c%e6%98%8e%e3%81%91%e3%81%8b%e3%82%89%e6%9c%aa%e6%9d%a5%e3%81%b8%e3%81%a4%e3%81%aa%e3%81%90%e3%82%82/

 

 

 

現存するバンドとしては“日本最古のロックバンド”だという、「センチメンタル・シティ・ロマンス」と「はちみつぱい」の夢の共演「半世紀ロック コンサート Vol.2」。先日、4月12日(金)に渋谷「クラブクアトロ」で開催された。同コンサートは、昨2023年10月5日に同じく渋谷クラブクアトロで、歴代メンバーとともにEPO、佐橋佳幸、湯川トーベンなどがゲストとして出演した「センチメンタル・シティ・ロマンス 50Years Anniversary Live!! ~半世紀ロックコンサート~」(同コンサートの模様はDVDとして2024年4月に「BIG PINK RECORDS」からリリースされた)の“Vol.2”になる。結成51周年を祝うもので、今回はゲストとして歴代メンバーとともに同じく1973年にデビューした“盟友”であるはちみつぱいが出演。ちなみにセンチメンタル・シティ・ロマンスは1973年結成、1975年レコードデビュー、はちみつぱいは1971年結成、1973年レコードデビューしている。

 

センチメンタル・シティ・ロマンスとはちみつぱい――半世紀の友人たちは名古屋と東京と、出身は違うが、同じ音楽を聞き、同じ時代を過ごし、同じ場所にもいた。サンフランシスコとロスアンジェルスくらいの距離感かもしれない。アシッド感やサイケ度の強弱もあるはず。どこかで通底しつつも、どこかが違う、そんな半世紀の友人たちだ。

 

 

センチをご存知の方にはいうまでもないが、名古屋とロスアンジェルスは姉妹都市である(両都市は1959年4月1日に姉妹都市提携を結び、教育・文化・スポーツなどの様々な分野で交流が行われている)。センチメンタル・シティ・ロマンスは西海岸の音楽を追い求めてもきた。「ロスアンジェルス大橋Uターン」(名古屋には“ロスアンジェルス大橋”はないが、“ロサンゼルス大通り”は実在する)という“ご当地ソング”もある。安易な言い方だが、“日本のイーグルス”(楽天イーグルではない!)と言って、一番最初に上がるのが彼らだろう。他にもバッファロー・スプリングフィールドやCSN&Y、POCO、マナサスなどが思い浮かぶ。安易な言い方になるが、名古屋産のウエストコーストサウンドと言っていいだろう。勿論、それだけではく、センチは同サウンドを起点としながらも日本人の情緒や日本の風景を盛り込み、ぶれることなく、音を紡ぎ続けてきた。

 

 

開演時間の午後7時を過ぎ、ステージの上手側(向かって右側の壁)のスクリーンにはそんなセンチの50年を懐古する映像(BGMは1976年にリリースされたセカンドアルバム『ホリディ』に収録された「U.S.タイムマシーン」)が流れる。そこには中野督夫もいた。映像が終わると、ステージにメンバーが登場。第Ⅰ部はセンチから始まるらしい。細井豊(Vo、Kb)、野口明彦(Dr、Vo、Cho)、瀬川信二(B、Cho)、種田博之(G、Cho)という現メンバーに歴代のメンバーにしてリーダーだった告井延隆(Vo、G)が加わる。告井は名古屋出身で、東京で洪栄龍らと「乱魔堂」として活動していたが、センチのマネージャー、竹内正美に口説かれ、リーダーとして参加。大滝詠一ファンの間では“NIAGARA TRIANGLE VOL.1”の幻のメンバーとして有名だ。幻になる契機は「告井延隆ラーメン破門事件」として知られている。詳しいことは検索いただきたい。ちなみに告井は2014年にセンチを脱退している。

 

まずは「カモン・ベイブ」、「うん、と僕は」、「内海ラブ」、「あの娘の窓明かり」と、お馴染みのナンバーを軽快に聞かせるのだ。

 

告井や細井とともにセンチメンタル・シティ・ロマンスを牽引してきた中野督夫(Vo、G)は2021年7月27日、くも膜下出血の療養中に死去している(享年67)。そんな困難を乗り越え、中野がスカウトした若いメンバーも彼の意志を引き継ぎ、活動を継続している。既に彼はいないが、ステージからは彼の声が聞こえてくる。それが「ナイス・ショット」(中野が1997年にリリースしたソロアルバム『くつろぎ One Man Paradise』に収録)だった。彼の名古屋弁!?のカウントが流れる。惜別と哀悼と、中野とは常に一緒にいる、そんな思いを込めたものではないだろうか。

 

自ら足跡を振り返る「時は流れても 」(2004年にリリースされた30周年記念アルバム『30 years young』収録)、甘酸っぱい香りを残す永遠の青春ソング「夏の日の想い出 (ダンシング・ミュージック)」(1977年にリリースされたサードアルバム『シティ・マジック』収録)を畳みかける。センチメンタル・シティ・ロマンスのステージは竹内正美が歌詞をつけ、細井豊が曲をつけた「風の街で」で、第1部が終わる。1時間ほどのステージだが、古参ながらその瑞々しさ、清涼感溢れる歌と演奏は特筆もの。洗練と情感を合わせ持つ音は“シティポップ”の源流があるとしたら、彼らにも行きつくという感じだろう。

 

 

15分ほどの休憩後、ステージが暗転、特にアナウンスもなく、鈴木慶一(Vo、G)、渡辺勝(G、Vo、Kb)、本多信介(G)、武川雅寛(Vln)、和田博巳(B)、駒沢裕城(PSG)という現存するメンバーがステージに現れ、サウンドチェックをしている。ところが、いつの間にか、はちみつぱいに細井と野口が加わり、そのままインストを奏で、延々とインプロビゼーションが続く。途中から告井も参加して、告井と駒沢のダブルペダルスティールギターになる。そのインストはやがて、「こうもりが飛ぶ頃」へと変る。これは2016年7月の「FUJI ROCK FESTIVAL 2016」の“フィールド・オブ・ヘヴン”で行われた、グレイトフル・デッドの「ダークスター」からはちみつぱいの「こうもりが飛ぶ頃」へと変わる、サイケでアシッドなインプロ大会を彷彿させる。人様の周年イベントにも関わらず、こんな大技を繰り出すところが彼ららしい。

 

同曲に続けて、「月夜のドライブ」が披露される。その蕩けるような歌声が聞くものの心と身体をやさしく愛撫していく。同じドライブソングでもはちみつぱいとセンチメンタル・シティ・ロマンスでは景色と情感が異なる。

 

 

鈴木はセンチとぱいの混成バンドを“センチメンタルはちみつロマンス”と紹介する。“随分、甘ったるい名前だな”と、付け加える。

 

はちみつぱいとセンチメンタル・シティ・ロマンスは共演の機会も多く、日本の野外フェスの先駆けである、かの1974年8月に郡山で開催された「ONE STEP FESTIVAL」(1974年8月4日から5日、同8日から10日に福島県郡山市開成山公園内の総合陸上競技場で開催)でも一緒だったと、観客へ告げる。ともに出演日は8月8日で、センチに続き、ぱいが登場したという。センチの前はシュガーベイブ、その前が外道で、彼らの取り巻きのバイカーが会場を走り回っていて、怖かったと懐古する。また、「春一番 1973」では会場へ行ったら出演者やスタッフがステージに寝袋を並べて寝ていたので驚いたという。当時は終演後、宿泊はホテルなどではなく、ステージに寝袋という会場泊が通例となっていた。細井も当時を懐かしいと語り、同時にはちみつぱいのメンバーが後にアグネス・チャンや堀内孝雄のバッキングをした時はリハーサルしたスタジオなどへ見学にも行ったという。

 

はちみつぱいはご存知の通り、残念ながらかしぶち哲朗と岡田徹は“不在”である。鈴木慶一はこの日、グレイトフル・デッドがジェリー・ガルシア亡き後、その意志を引き継ぐものでTHE DEAD(ザ・デッド)と名前を変え、活動しているが、それに倣い、はちみつぱいも“ザ・ぱい”(英語表記はTHE PIEではなく、THE PAIらしいが、未確認である)にしたいと発言している。同名称が決定したものなのか、同段階では提案どまりなのかは、不明だが、“はちみつぱい”を継承し、継続していくことを強く意識しているのは確かだろう。何か、そこに“意気地”と“矜持”さえ感じさせる。

 

 

思い出話に華が咲きつつ、「塀の上で」や「僕の倖せ」を披露していく。「僕の倖せ」は渡辺勝の名曲だが、同曲では彼がピアノを弾き、細井がアコーディオンを弾きながら歌うという珍しくも貴重なシーンもあった。

 

同曲を終えるとTHE PAIはステージから消える、40分ほどだが、強い印象を残す。彼らのステージは8時45分に終わり、そのままセンチメンタル・シティ・ロマンスの第2部のPART2(はちみつぱいは第2部のPART1になる)が始まる。瀬川や種田がステージに合流し、野口が作詞・作曲した「Nonkey Tosan」をその野口が歌う。同曲は2011年に25年ぶりとなるアルバム『やっとかめ』(ワーナーミュージック・ジャパンからリリース)に収録されたナンバーで、ソフト&メロウなサウンドが魅力的である。同アルバムからは続けて「フルサトヲモフ」が披露される。リトルフィートのようなスライドにセカンドラインのリズムに乗って、故郷への想いを込めた、牧歌的な歌を聞かせてくれる。同曲は細井豊が作曲し、兼上佳子が作詞している。兼上は松任谷正隆が主宰する音楽研究所「MICA MUSIC LABORATORY」の作詞コース出身。松任谷正隆、桐ケ谷仁、田口俊などの講師のもとで作詞の勉強をしている。CMやVPなどの作詞・ボーカルを担当。2000年8月からは、TBSの字幕ライターとしても活動している。奄美大島の歌姫、中野律紀 (RIKKI) に「翼をひろげ」を提供している。野口は一時、中野のバッキングをしていたので、その関係での共同作業かもしれないが、過去の遺産だけに頼らず、アルバム毎に新機軸を持ち込むところもセンチならではだろう。

 

続けて中野督夫が書いた名曲「ハイウェイ・ソング」が披露される。西海岸のハイウェイを思い切り飛ばすかの勢い。センチ流の軽快なホーボーソングである。実際、センチはデビュー時には通称“赤バス”といわれる楽器車を兼ねたツアーバスで、メンバー、スタッフとともに全国を旅していた。

 

同曲には鈴木慶一と駒沢裕城がサポートに入る。同曲のスピードを加速させていく。センチとぱいは半世紀の及ぶ交流の中、その旅先(!?)で“事件”にもあっている。鈴木慶一が“生還三雄志”と命名したセンチの告井と細井、そしてぱいの武川。彼らは加藤登紀子のツアーにともに帯同し、その最中にハイジャックに巻き込まれ、飛行機の中に12時間以上、留まざるを得なかった。1995年6月、東京から函館に向かう飛行機が山形上空でハイジャックされた。“全日空857便ハイジャック事件”や"函館ハイジャック事件"としている知られる事件の人質になったのだ。ちなみに告井は犯人に隠れ、トイレに携帯電話を持ち込み、犯人や飛行機内の状況を110番で警察に伝え、事件の解決に協力。北海道警察本部長より告井に感謝状が贈られたという。同1995年12月にリリースされたムーンライダーズのアルバム『ムーンライダーズの夜』は「PRELUDE TO HIJACKER」、「帰還〜ただいま〜」という“メドレー”で幕を開ける。

 

センチの最後は“最後は全員で”という言葉通り、ステージにはこの日の出演者、11人が勢ぞろいする。X(旧ツイッター)に11人の年齢を合わせる800歳越えになると書かれていたが、実際に計算してみたら開催日の時点では鈴木慶一(72歳)+渡辺勝(73歳)+本多信介(74歳)+武川雅寛(73歳)+和田博巳(76歳)+駒沢裕城(74歳)+細井豊(70歳)+野口明彦(71歳)+瀬川信二(48歳)+種田博之(54歳)+告井延隆(73歳)=758歳だった。いずれにしろ、ステージという狭い空間に高齢者の密集状態にくらくらもするが、その歌や音は老獪でいて、溌溂ともしている。改めて凄い老人達(失礼!?)だと実感させられる。自分が彼らの年齢になって、こんなにも活き活きとしていられるか、はっきり言って、自信がない(笑)。思わず、羨望のまなざしになるというもの。

 

 

一緒に歌ったのはセンチメンタル・シティ・ロマンスのデビューアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』(1975年)のオープニングナンバー「うちわもめ」というのは洒落が効いている。

 

いわゆるウエストコーストサウンド、西海岸の風が吹き抜けるセンチの代表曲である。ぱいのコーラスは蒲田、川崎界隈の京浜海岸(と言うか、京浜工業地帯)の風を加える。

 

同曲を終えると、面倒くさいし、時間がかかるからと、楽屋に戻ることなく、そのままアンコールに突入する。高齢ゆえ、ステージと楽屋の行き来も骨が折れる。観客も高齢化しているが、メンバー都合の自分勝手を拒むものなどいない。それよりも息切れで中断されるより、そのまま続けてくれた方が嬉しいだろう。

 

同曲に続き、アンコールではぱいの「センチメンタル通り」を演奏するのだが、ここでセンチメンタル・シティ・ロマンスというバンド名が誕生する由来が明かされる。バンド名をつけたのは当時、彼らをマネージメントしていた竹内正美だが、彼がはちみつぱいの『センチメンタル通り』を気に入り、バンド名に“センチメンタル”をつけたという。それでは“シティ”と“ロマンス”はいかにして名付けられたのか。ここからは鈴木慶一の推測になるが、はっぴいえんどの『風街ロマン』ではないかという。はっぴいえんどの事務所は「風都市」でもあった。真偽はいかに――関係者の皆様、こっそり教えていただきたい。こっそりと直す(笑)。

 

同作のアルバムジャケットは、かつてはっぴいえんど、はちみつぱい、頭脳警察などが出演したロック喫茶「B.Y.G」がある(あったではない、いまもある!)渋谷百軒店で撮影されたものだが、その演奏からはあの時代の渋谷(元祖・渋谷系か)だけでなく、鈴木慶一を始め、メンバーが生まれ、育った羽田や川崎などの風景も浮かんでくる。この場にいるものの思いの籠る名演、かの時代へのセンチメンタルな憧憬でもあるが、ノスタルジーというには生々しいものがあった。

 

同曲を終えると、何故か、一昨年、2022年3月に脳梗塞で倒れ、緊急入院した和田博巳の話になる。彼はその時、三途の川を渡り、黄泉の国への一歩手前だったという。その直前に引き返してきたそうだ。その光景はかつて、丹波哲郎が製作総指揮を手掛けた映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらそうなる』(1989年)で見た光景と同じらしい。同映画でシュミレーションしたから生還できたという。まだ、体調は万全ではないが、このライブのためのリハーサルは“リハビリ”だったと語る。音楽が彼を生かす。命がけなどというと大袈裟かもしれないが、このライブに賭けている。彼に限らず、メンバーは高齢だけに今、演奏することの意味を噛みしめる。失礼な言い方になるが、一期一会になるかもしれない。それだけにその演奏は聞き逃せないし、そのステージは瞬きもできないのだ。

 

続くアンコールでは「雨はいつか」が披露される。説明不用のセンチの代表曲だろう。旅人である彼らのテーマソングのような曲である。告井が作詞・作曲した同曲を彼が歌う。同曲にこの日のメンバーがコーラスを被せる。いつもの彼らながら、どこか清涼感と寂寥感が交わり、いまの彼らならではの風情を醸す。

 

この曲へセンチとぱいがハーモニーを2024年に重ねる。不思議な感慨が沸くというものだ。同曲は2021年7月31日に行われた中野督夫のお別れ会で 、彼の子息も含め、参列者全員で大合唱となったという。

 

 

同曲を終えると、メンバーはステージから消える(今回はちゃんと、楽屋にもどったようだ)。9時30分過ぎにセンチのメンバーが戻って来る。今度のアルコールはセンチのみ、最後はセンチのメンバーが「風景」を披露する。

 

 

同曲は春一番の1973年にも出演し、その後、活動を休止し、40年の時を超えて、活動を再開したシンガーソングライター、中塚正人のナンバーである。1973年の春一番で本人が披露している。春一番と縁あるザ・ディランⅡもカバーしている(2022年にリリースした六角精児のカバーアルバム『人は人を救えない』でもカバーされている)。その「風景」を演奏する。同曲には“僕がよぼよぼのじいさんになったならば 僕は君を連れ この街を出るんだ”という歌詞がある。実際、よぼよぼになった彼らがこの歌を歌う。実はこの曲は1974年の「ONE STEP FESTIVAL」でも歌われている。同フェスと春一番(一時、中断もあったが、1995年に復活、今年も5月3日〈金・祝〉~5日〈日・祝〉の3日間、大阪・豊中市〈服部緑地野外音楽堂〉にて行われる)の落とし前(という言葉が相応しいかわからないが、半世紀の区切りにも感じる)をセンチとぱいでつけているような感じもしないではない。だからこそ、当時は近未来のノスタルジアだったものが、年齢がいつの間にか追いつき、リアルなものになった。そんな思いもあって、披露したのではないだろうか。ちなみに同曲は20周年や40周年など、節目のライブでは演奏されている。

 

同曲を終えると、ステージにはこの日の出演者が全員、登壇して、記念写真の時間になる。SNSに上がっている集合写真はこの時のものだが、誰もが名残惜しいのか、記念撮影は延々と続く。終演は9時30分を過ぎていたが、家路につく人達が嬉しそうにこの日の感想を語り、笑顔なのが印象的である。勿論、ステージのメンバー達も笑顔である。半世紀の友人たちの共演、名古屋だけに“なごやかに なごやかに”というところ。

 

 

半世紀の歴史の中、彼らの歴史は時々、所々で交差していく。それが50年の歴史の積み重ねというものだろう。

 

 

この4月12日(金)の渋谷クラブクアトロでのセンチメンタル・シティ・ロマンス「『半世紀ロックコンサート』Vol.2 with 半世紀の友人たち」、そしてEPOの5月10日(金)の大阪ビルボードライブ、5月12日(日)の横浜ビルボードライブでのサポートの演奏をもって、瀬川信二はセンチメンタル・シティ・ロマンスから卒業することになるという。ある意味、センチメンタル・シティ・ロマンスの新たな節目でもある。

 

 

改めて思う。“センチメンタル・シティ・ロマンスとはちみつぱい――両者が共振し、新たな世界を形つくる。キャリア50年は伊達ではない。そんな凄味に心と身体を震わせる。やはり、とてつもない老人達だ。全員、満身創痍ながらその音楽は老化を辿るところか、成長もしている。それにしても「塀の上で」や「僕の倖せ」、「ハイウェイ・ソング」、「雨はいつか」など、“歌と音”としての強度に驚く。永遠の名曲などと言うと、陳腐な表現になるかもしれないが、PANTA流に言えば“歌は死なない”だろう。時を超えていくという感じだろうか。やはり、いいものはいい。

 

この日、いろいろなエピソードやドラマもあった。きっと極上のドキュメンタリーになるだろう。これは見逃してはいけないやつだ。映像スタッフも入っていたので、不確かながら、どこかで公開されるはず。その際は、見て欲しい。

 

 

 

https://twitter.com/1973SCR/status/1779004424654033124

 

 

 

 

大人のMusic Calendar

2016年08月03日

 

結成45周年となる「はちみつぱい」、伝説に新たに加わったフジロックでのステージ

http://music-calendar.jp/2016080301