「首」(2023)

 

6年ぶりの新作を池袋グランドシネマサンシャインで観て来ました。

 

 

監督・脚本・編集は北野武。予告編はコチラ

 

時は戦国時代。織田信長(加瀬亮)が天下統一を目指して驀進中ですが、信長に一途の忠誠と愛を捧げていた荒木村重(遠藤憲一)が突如謀反を起こして、返り討ちに遭った後、姿を消してしまいます。村重を生け捕りにするように命令された明智光秀(西島秀俊)は城に攻め込まれた村重を助けて匿っている張本人で、村重と恋愛関係にあったりするもんですから、板挟みになります。信長はパワハラ三昧の暴君ぶりを見せる一方で、跡取りを息子ではなく、お前たちから選ぶと言い放ったため、家臣たちはざわつきます。茶人でフィクサー的存在でもある千利休(岸部一徳)も当然のように絡んできて、さっそく村重の居所を掴んで暗躍しはじめます。その利休に仕えている抜け忍の曽呂利新左衛門(木村祐一)が近づいた家臣は羽柴秀吉(ビートたけし)

 

秀吉弟の秀長(大森南朋)と軍師の黒田官兵衛(浅野忠信)を側近に置いて、天下統一を虎視眈々と狙っています。ここで、農民から侍になろうとする弥助(中村獅童)が秀吉の家来になるエピソードも同時進行で描かれていきます。秀吉はというと、手下になりたいと言う曽呂利新左衛門を密使に送って、信長の書簡をゲット。さらに、天下取りのライバルである光秀の陣地を探りに行かせます。光秀は村重を匿っているのは徳川家康(小林薫)だと信長に思わせて、家康を襲わせるように仕向けます。秀吉は家康には身の危険を知らせて恩を売りながら、光秀には信長がホントは息子に跡を継がせるつもりだと記した書簡を見せて、信長への忠誠心を揺らがせます。信長は秀吉や光秀を忠実な家臣として疑っていません。やがて、毛利家を攻める秀吉陣営に加勢するはずの光秀は、軍勢の向かう先を信長のいる本能寺に変更して・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は2023年11月23日。本能寺の変を起こさせたのは秀吉の策略だったという説で書かれた原作を北野武本人が映画化。多くの人が知っている史実に基づいたお話と、行く末が分からない話を独特のリズムで演出する監督との嚙み合わせがどうかという点が観る前の関心事。ひたすら凶暴な信長。粗野な百姓上がりの秀吉。ブス専の家康。BLの光秀などなど。各武将に対して我々が持っているパブリックイメージを利用しつつ、キワモノ的な一面をカリカチュアライズ。欲望が渦巻く戦国武将の人間模様を露悪的に描いていました。自分の信念に基づいてヒロイックに行動するキャラが一人もいないので、登場人物に感情移入しやすい単純さはありません。筋立てを進めていくパートの合間に、キャラの面白エピソードを見せるためだけのパートがランダムに入ってくるので、物語にノリづらい点もあり。覇権争い、男色ネタ、脱力系のユーモア(ビートたけしの歯切れの悪いしゃべりはやや気になる)がそれぞれ3分の1くらいの配分で映画の要素を構成しています。

 

序盤から加瀬亮のリミッターを外して突っ走る演技が出色で、家臣を蹴り倒すわ、男をバックからチョメチョメするわ、やりたい放題。抜け忍から芸人となって戦国の世を渡り歩く曽呂利新左衛門を演じる木村祐一は、普段の芸風そのままのキャラで登場。服部半蔵(桐谷健太)は家康の命を守るクールなプロフェッショナル、といった感じで役者の個性を優先していて、演技のテンションや演出のトーンはバラバラ。ただ、それによって戦国時代のカオス感が出ているともいえます。脇役陣多彩で、この人がこんな役で出てるんだと見つける楽しみもあり。北野武映画でお馴染みの顔ぶれが画面に現れると、感慨深い気持ちがちょっとこみ上げてきます。劇伴はオーソドックスすぎてつまらないかも。「影武者」「乱」のルックに近い質感スケールの大きい映像は重厚で、リアリティよりも見映えのカッコ良さを重視した画作りが素晴らしかったです。えげつないグロ場面も多々あり。映画の面白さに何を求めるかによって、評価に差が出る映画かなとは思います。