Daydream Believer
ブラジル、ジャマイカ、ナイジェリア……暑い国の音楽ばかり聴いている。特に最近よく聴くのがジョアン・ジルベルトという人の『三月の水』というアルバムで、ギターとシンバルと歌だけの音楽なのだけれど、夏の夕暮れに海岸を散歩しているような、ゆったりとした感じの曲調で飽きない。CDには歌詞はあっても対訳が付いていなくて、しかもブラジル語だかポルトガル語だかで書いてあるので意味はさっぱりわからないのだが、『ウンディユ』という曲では人の名前か土地の名前かわからない"ウンディユ"という言葉をひたすら囁くように歌っていて、なんだか瞑想的な気分になってくる。
- ジョアン・ジルベルト
- 三月の水
Simple Kind Of Life
天気の変わりやすい日で、雨が降ったり、晴れたり、曇ったりした。寒くなったり、暑くなったりした。出かけてから家に帰ってくるまで、持っていった傘は一度も差さなかった。
Welcome To The Cruel World
Come As Your Are
「古明地洋哉(コメイジ ヒロヤ)」という名前のシンガー・ソング・ライターがいることを知ったのはずっと前のことで、当時好きだった(いまも好きだけど)ジェフ・バックリィみたいだと誰かがいっていたので聴いてみたかったのだけれど、近所のCD屋には一枚も置いてなくて、インターネットで買い物をすることも知らない頃だったので、そのまましばらく忘れていたのだが、ある日たまたま観ていたMTVで”何かを伝えたい時には/誰かに伝えたい時には/僕は無口になってしまう/何も言えなくなってしまう”という歌詞のミュージック・ビデオが流れていて、それが古明地洋哉の曲だった。その曲の入っている『Daydream』というミニ・アルバムを買って、またしばらく経ったある日テレビを観ていたら、”つまらないことで泣いて/くだらないことで笑う/そんな日々がずっと/続くはずだって思い込んで”という歌詞の曲が流れていて、何となくまたCDを買いに行った。
この人の音楽を聴いていると、ふいに背後に他のミュージシャンや過去の誰かの曲がちらついてしまうことがあり、だからといって具体的に誰かに似ているかと訊かれれば誰にも似ていないと答えるよりほかないのだが、声とか曲は好きだけど歌詞とかタイトルの付け方はあまり好きになれないなど、とにかくなぜか手放しで好きにはなれず、でもたまに聴くと心をグッと掴まれるような感じがして、そういう時は「お見それしました」という気にさえなる。どこかで聞いた話だが、昔、この人と対バンした人が「音楽やめようと思った」らしい。結局、好きなのか嫌いなのか、なんだかハッキリしない文章だけれど、本当のところはどっちなのか、というか、好きか嫌いかのどっちかである必要があるのかないのか、自分でもよくわからない。ただ、ときどき、聴いている。
- 古明地洋哉
- daydream
- 古明地洋哉
- mind game
Miss Me Blind
どちらかというと海外の小説を読むほうが多くて、日本の小説も読むことは読むけれど、割合でいうと3:1か5:2か7:3くらいで、やっぱりたまにしか読まない。まあ、それはともかく、大道珠貴という人の書いた『裸』という小説は面白かった。といっても、読んだのはもう1ヶ月以上前だと思うのだが、本棚から取り出してパラパラとめくっていたら、『ゆううつな苺』という作品にこんな箇所があってびっくりした。
病院は、現実だらけなのだ。博愛医院の外来病棟は、長生きしたくてたまらない顔をしたじいさんばあさんで満杯だった。
私はあの、としよりというものがうっとうしい。小学校のときも、いやいや千羽鶴を折らされた。老人ホームとの交流とやらだった。お返しに、ダンボール箱いっぱいのぞうきんが送られてき、としよりとはなんて暇人なんだろう、と思ったものだ。学級委員の子たちが慰問にいき、そこで演歌とか博多にわかとかを披露してきたらしい。としよりは毎日そこでなにをしているのかときいたら、折り紙をし、童謡や唱歌をうたい、昼寝をし、毎日三回ごはんを食べているのだという。としよりの女と男はどっちが得のようだったかときいたら、おばあさんにはメイクアップ教室があり、楽しんでいるみたいだったが、おじいさんは眠っているのか起きているのか自分でもわからないようなひとが多かった、という。
「生きていてもしょうがない」
そんな言葉を言うとしよりはいないのだろうか。ぞうきんのお礼の手紙を書かされ、私はまず書きだしから困った。としよりの顔も知らなければ名前も知らない。知らないが、たぶんばあさんではあろう。ありがとうございます、その言葉の薄っぺらさったら、なかった。どうして子供ととしよりをくっつけたがるんだろうか、私には理解できない。
全体の内容とか話の展開はもう忘れてしまったけれど、なんというか、世間に対する”私”のスタンスみたいなものを、こんな短い引用からも垣間見ることができて面白い。”私”にはいわゆる「モラル」というものがないといえばないのだが、”私”はべつに突っ張ったり、捻くれたりしている訳じゃなくて、ただ「素」でいるだけだから(といっても、「自分らしく生きる」とかそんなのでは全然なく)、それ以上どうしようもなくて、「モラル? ないものはしょうがないじゃん」と言われているような気になる。そんな世間との距離感のなかで立ち上がってくる”私”の人格の生々しさが、不思議なテンションの高さを持った文章となって現れてきて、ついつい読まされてしまう。
- 大道 珠貴
- 裸
All Tomorrow's Parties
世間では明日から3連休の人が多いと思うのだけれど、僕は土・日・月と用事があって、その代わり今日は休みだった。
夕方、夢を見た。
白い壁に挟まれた、細い、くねくねと折れ曲がる廊下を歩いていた。人の気配がなく、静かだった。自分の足音も聞こえなかった。幽霊になったみたいだった。朝なのか夜なのか、窓がないのでわからなかった。わからないことが気にならなかった。天井に付けられた電球が明滅していて、明るくなったり、暗くなったりしていた。いくつも角を曲がった。壁にはところどころにドアがあって、鍵は掛かっていなかった。そのうちの一つを開けて、部屋に入った。部屋はルビー色の電球の光で真っ赤に染まっていた。赤い絨毯の上に赤いソファがあった。そこに、顔の見えない、たぶん女が横たわっていた。
New Star In The Sky
Dolphins Were Monkeys
Know Your Enemy
Mysterious Semblance At The Strand Of Nightmares
凹凸のある、黒光りするアスファルトの地面に水溜まりができていた。細い筋になって水が流れていた。そこに雨粒がぱらぱらと、ひっきりなしに降り落ちていた。空に立体的な雲の層が積み重なっていて、風に押し流されていた。その背後に隠れている太陽のせいで、暗いところと明るいところがあって、雲の厚いところと薄いところがあって、そうこうしているうちに時間が経って、少し雨が弱くなってきた。