出井和俊の"日々のレッスン" -3ページ目

Breaking The Habit

 目黒の駅ビルの中にある新星堂が10月の半ば頃に閉店するということを先月知ってから何度か寄ってみたら、閉店セールということでCDが10~20%割引されていたり輸入盤が500円とか700円とかで売られていたのだけれど、そういう風に安く売られているのに限ってなぜか欲しいものはなくて、大して欲しくもないものをただ安いから買うのも馬鹿らしくて、といっても1枚だけ500円の輸入盤を買ってしまったのだが、いつも寄ったついでに別に割引でも何でもないCDを買ってしまうのだった。そんな訳でこの前はカエターノ・ヴェローゾとガル・コスタという男女の歌手のデュエットが聴ける『ドミンゴ』というアルバムを買ってきた。”ドミンゴ”というのは日曜日という意味らしくて、言われてみればタイトル曲はそんな感じの、何もすることがなくただ過ぎてゆく時間だけがあって持て余しているような雰囲気のある曲で、12曲で30分少々というあっという間に終わってしまうアルバムなのだが、聴いているうちに、そう言えば日曜日ってすぐ終わっちゃうよな、と思っていた今日がその日曜日で、やっぱり気付いたらもうすでに終わろうとしている。


カエターノ・ヴェローゾ&ガル・コスタ
ドミンゴ

Nowhere Man

 それが何なのかは分からなかったが斜め上の高い天窓から射し込んでいる細い光のおかげで、そこに何かがあることはオボロゲながら分かった。が、そう思ったのも束の間、辺りはふたたび暗さを取り戻し、それがあるのかどうかも分からなくなりさらにはここがどこなのかも分からなくなり、というか「ここ」も「そこ」もなくなり、ただ一つはっきりしていることは何も見えない空間のなかで石のように微動だにせず突っ立っているわたしの存在だけだった。どこかからポタ、ポタという水の落ちるような音や、スキマ風の入ってくるヒュー、ヒューという音が聞こえていて、わたしは押し黙ったまま、時々おなかが鳴る。さっきから明るくなったり暗くなったり明るくなったりしていて、せめて鳴き声の一つも発してくれればいいのだが、鳴き声どころかイキをしている気配もなくおまけに無臭なので、そういうものなのかもしれないが暗闇のなかではいるんだかいないんだかさっぱり分からなくて、それでも薄明かりが訪れるたびに目を凝らしてみるとやっぱりそれは確かにいるのだった。一体いつからいつまでいるのかそれすらも分からなくて、眠っている間しか夢が存在しないように、ふと、わたしが見ていない時にはいないんじゃないかという気持ちにさせられることもあるのだが、それが「いない」ということを確かめることはできなかった。もっとも、壁際にいたりドア側にいたり手前にいたり奥の方にいたりと、見るたびにいる場所は少しずつ変わっていたのだが。

It's A Long Hard Road Out Of Hell

 どちらかというと、同じ作家の本を何冊も読むというよりは、1人につき1冊か2冊くらいしか読まないことのほうが多いんだけど、ガルシア=マルケスはいま読んでいる『族長の秋』が5冊目で、僕としてはけっこう珍しい。ガルシア=マルケスの文章は、なんというか、濃密な感じで、実際、1つの文章に色々なことが詰め込まれているので、読み応えがあっておもしろい。
 たとえば、初めて読んだ『予告された殺人の記録』という小説の書き出しは、


 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。かれは、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。


というもので、「自分が殺される日」というのももちろんインパクトがあるけれど、その後の夢の中と目が覚めた後の対比も鮮やかだと思う。2つ目の文も、もしもここが「……やわらかな雨が降る森を……」だったらたぶん物足りなくて、「イゲロン樹」というのがどんなものなのかは知らないけれど何かの植物だということはわかるし、具体的な名前があることで文がぐっと引き締まっているような気がする。
 また、『百年の孤独』という小説の書き出しは、


 長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。


というもので、これもけっこう複雑な文だ。「長い歳月が流れて……」のところでまず過去から現在に向かって時間が流れてゆくが、「父親の……遠い日の午後」というところでは逆に現在から過去に遡ってゆき、さらに「恐らく……ちがいない」と言っているのは当然「アウレリャノ・ブエンディア大佐」ではない別の誰かで、その誰かが「銃殺隊の前に立つはめになったとき」よりもずっと後になってから、この出来事を回想するような言い方になっている。


G. ガルシア=マルケス, Gabriel Garc´ia M´arquez, 野谷 文昭
予告された殺人の記録
G. ガルシア=マルケス, Gabriel Garc´ia M´arques, 鼓 直
百年の孤独

Weekend Shuffle

 図書館でガルシア=マルケスの『族長の秋』という小説を借りてきた。Amazonで探したら在庫切れ(絶版?)だったのだけれど、たまたま近所の図書館にあって、しかもあまり借りられていないのか、表紙もページも新品みたいに綺麗だった。
 単行本で200ページちょっとなのだが二段組みで、その上改行がまったくない(パラパラとめくってみた限りでは1つも見当たらない)ので時間がかかりそうだけれど、書き出しからワクワクしてしまう。


 週末に禿鷹どもが大統領府のバルコニーに押しかけて、窓という窓の金網をくちばしで食いやぶり、内部に淀んでいた空気を翼でひっ掻き回したおかげで、全市民は月曜日の朝、図体の大きな死びとと朽ち果てた栄耀の腐臭を運ぶ、生暖かい、穏やかな風によって、何百年にもわたる惰眠から目覚めた。


Electric Counterpoint

 たいていの小説の文章は「……だった」「……した」という風に過去形で書かれている。「……だ」「……する」と現在形で書かれることももちろんあるけれど、基本的には過去形で書かれる。論文とかだと「……だ」「……である」調で、つまり現在形で書かれる。ついでに言うと、この記事も、特に意識はしていなかったけれど、ここまでは現在形で書いている。一方、昨日の記事は、小説ではないけれど、読み返してみるとほぼ「……だった」「……した」という風に書かれている。小説や日記は「……だった」「……した」で、それ以外の論文やレポートなどは「……だ」「……する」で書かなくてはいけないというわけではもちろんなく、そうかといって単なる時制的な意味での違いだけというわけでもない。
 たとえば、「森に入るには、川を渡らなければならない」という文章は、そうしなければならないという一般的(?)な”状況”のようなものをあらわしているが、「森に……渡らなければならなかった」という文章は、文脈によっては、昔はそうだったが今はそうする必要がない、という意味にも解釈できるけれど、それ以上に個人の”経験”が反映していると思う。つまり、ある人が実際に「森に入ろうとした」ら「川を渡らなければならなかった」ということを”身をもって体験した”ということで、そうだとすると、日記が過去形になる理由は、ただ単に”過ぎ去った”きょう一日の出来事を書くからというだけではなく、その人の経験を書くからだし、小説の文章が過去形になるのも、単なる状況や状態や真理などの客観的な要素だけでなく、登場人物が見たり聞いたりした結果である主観的な事柄が書かれているからかもしれない。


Hungry Like The Wolf

 駅からバスに乗った。家の近所に停まるバスだ。僕が最後の乗客だった。ドアが閉まった。信号が青になった。暗い道路のなかをゆっくりと走り出した。
 途中の停留所で何人か降りて、何人か乗ってきた。前の席に男が座った。黒いシャツを着ていた。バスは走り続けた。車内放送。「次は……丁目」。窓の外に夜が広がっていた。
 目の前の黒いシャツの背中で小さな黒い点が動いていた。虫だった。蚊だ。男は本を読んでいた。しばらくは降りる人もなく、乗る人もなかった。バスはそのままゴトゴトと走り続けた。角を曲がる。坂を下る。
 蚊が飛んだ。背中を離れて、今度は襟に止まった。そのままじっとしていた。もうすぐ僕の降りる停留所に着こうとしていた。「次は……大学前」。また蚊が飛んで、男の首に止まった。たぶん、血を吸っていた。

If You See Her Say Hello

 たぶんおととしの今頃に買った岩波文庫の『カフカ短篇集』を、仕事の休憩時間や電車に乗っている間に読んでいた。一応買ったときに一通り読んだので、きょうは『田舎医者』という作品をずっと読んでいた。『田舎医者』に限らず『判決』も『流刑地にて』も『橋』も、どれも変な感触の作品だけれど、それを何と表現したらいいのかわからない。『田舎医者』の書き出しはこうだ。


 私は困りはてていた。ぜひとも出かけなくてはならなかった。重病の患者が十マイルはなれた村で往診を待っている。だが、猛吹雪でどうにもならない。馬車ならあった。軽くて車輪の大きなやつ、田舎道におあつらえ向きの馬車である。毛皮にくるまり往診用のカバンを下げて、すっかり支度をととのえて私は内庭に立っていた。だが馬がいない。肝心の馬がいないのだ。わが家の馬はこの冬の酷使のあおりで、昨夜死んでしまった。


 「馬車ならあった」「だが馬がいない」というのが何ともおかしい。たとえば「りんご」という言葉には、そこに書かれていなくても「赤い」や「丸い」というイメージが潜在的にあるように、「馬車」という言葉が「車」の部分だけを指すことはあっても普通は「馬車」と聞けば「馬」も同時にイメージするんじゃないだろうか。「馬車ならあった。軽くて……」と、しばらく「馬のある馬車」のイメージを想像しながら読み進めていくと、突然「だが馬がない」という文章があらわれて、頭の中に築いていたイメージが壊されてしまい、緊張感が生まれてくるのだと思う。
 もう少し読んでいくと馬丁が登場するのだけれど、そこでも同じようなことが起こる。


 一人の男が仕切り部屋にうずくまっている。青い目の、あっけらかんとした顔を上げ、四つん這いで這い出てきた。
 「馬に用ですかい?」
 どう答えていいかわからない。馬小屋に、ほかにまだ何かいるのかどうか確かめようとして身をかがめた。女中が横に立っている。
 (中略)
 女中がいそいで馬丁の横で馬具の取りつけにかかろうとしたとたん、馬丁はむんずと彼女つかまえ顔を激しくこすりよせた。女中は悲鳴をあげて逃げもどった。頬に二列の歯形がついている。
 「畜生め」
 私はどなった。
 「鞭をくらわそうか」
 しかし、すぐに相手がまるで見知らぬ人間であることに気がついた。


 「知らないのかよ!」とツッコみたくなるけれど、ここでも馬車のときと同じように、読み進めてゆくうちに定着していたイメージが唐突に崩れ、独特の緊張感が生まれているように思う。


カフカ, 池内 紀
カフカ短篇集


Hole In My Soul

 ジャック・ベッケルの『穴』をビデオで観た。
 密かに脱獄を計画している4人の囚人と、そこに新たに入ってきた新入りの囚人が、牢獄の床下に穴を掘って脱走しようとする話。いつも映画を観ていると途中で気が散ってしまうのだけれど、この映画はとても面白くて最後まで集中して観ることができた。歯ブラシの先に鏡の破片を括り付けたものを潜望鏡がわりにして看守の様子を窺いながら、夜のあいだに、交代でコンクリートを砕き、鉄格子を切り落とし、見回りの時間に牢獄に戻れるよう、薬瓶を利用して作った砂時計で時間を知り、地下水道の壁を叩き、削り、掘り進んでゆく。全編に渡って音楽がまったくない代わりに、穴を掘る音が異様なまでに響き渡るので、「看守に見付かっちゃうんじゃないの?」という気持ちにさせられたりもするのだが、それを「リアリティがない」とツッコむのは野暮ってもので、むしろその音量が凄まじい緊張感を醸し出す。囚人への差し入れの中身をチェックする係の男が、チーズをナイフで切り開き、ウナギの背中を裂いてゆく、手の動き。それを見ている囚人の視線。水道が水漏れするというので修理のために呼ばれた鉛管工が、部屋にあったタバコや金を盗んでいったことに気付き、看守に言いつけて鉛管工を呼び戻してビンタを食らわせる瞬間の迫力。脱獄が成功するか失敗するか、もしもこれを読んで映画を観ようという奇特な(?)人がいた場合のために言わないでおくけれど、結末は鳥肌モノでした。

Can You Keep A Secret

 テレビを観ていたらたまたまやっていたカレー特集(?)みたいな番組で僕の家からそう遠くないところにあるカレー屋の「隠しメニュー」が紹介されていて、コマーシャル中にチャンネルを変えたら松平健が「マツケンサンバ(Ⅲ?))を歌っていて、それをスタジオで観ていたO-ZONE(マイアヒィー マイアフゥー マイアホォー マイアハッハー……のグループ)が感想を求められて「凄いです」と答えていたのだけれど、そういえば前に何かの番組で「マツケンサンバ」の前のバージョン(Ⅱ?)を歌っていたときにはそれをデスティニーズ・チャイルドが観ていて、やっぱり「凄いです」だか「素晴らしいです」だかそんなことをいっていた。どう思われてるんだろうな。

I Care Because You Do

 部屋のなかが明るくなっていたので、もう朝になったのだ、とかれは思った。そう思っただけで、いまが朝だと証明するものは何もなかった。朝になったような気がすれば、それがかれにとっての朝なのだった。少なくとも前日までは、朝は明るいものときまっていた。ひょっとすると、暗い朝が訪れたこともあったのかもしれなかった。しかし、暗い朝については、かれは夜だと思い込まされていた。それが常識になっていた。いつのまにか。もちろん、逆の場合もあった。朝にはパンを食べることにしていた。ベーコンも。卵も。パンはパン屋で、ベーコンは肉屋で買った。卵はにわとりに産ませていた。かれは部屋の隅でにわとりを2羽飼っていた。ピイピイとプウプウ。それがにわとりの名前だった。どちらがピイピイで、どちらがプウプウなのか。かれにはわからなかった。ピイピイと呼んだほうがピイピイ。プウプウと呼んだほうがプウプウ。重要なのはにわとりではなくて卵だった。卵には名前を付けなかった。その前に食べてしまうのだ。ものを食べるには、まずベッドを出なければならなかった。何よりも先に。ただし、その前に目を開けることは忘れなかった。目を開けて、ベッドを出た。寝室から台所までは何歩か歩く必要があった。そのあいだにはドアがあった。だから、壁もあった。先に右足か左足を前に出して、次に第一歩目とは逆の足を出す。考えてみれば、眠っているとき以外は、ほとんどつねに、1つ以上の足の裏が地面あるいは床に接しているのだった。少なくとも、記憶しているかぎりでは、かれは昼間に両足を地面から浮かせたことはなかった。1または2の足裏を床に付けたり付けなかったりして台所にたどり着く、それが朝食のはじまりだった。夜にはいつもじゃが芋を食べた。ときどきスープも飲んだ。赤いスープ。緑のスープ。白いスープ。日曜日の献立だけは違っていた。日曜日の朝はじゃが芋とスープ、夜はパンとベーコンと卵を食べた。さかさまだ。日曜日の献立が他の6日と違っている理由は、特になかった。ただ、何となく、そうしたかったのだ。 食事をする理由としては、空腹が挙げられた。空腹の理由としては、日中の様々な活動が挙げられた。そういった活動を行うためには、何よりもまず起床が必要だった。つまり、場合によっては、かれはずっと寝ていてもよかった。