Electric Counterpoint | 出井和俊の"日々のレッスン"

Electric Counterpoint

 たいていの小説の文章は「……だった」「……した」という風に過去形で書かれている。「……だ」「……する」と現在形で書かれることももちろんあるけれど、基本的には過去形で書かれる。論文とかだと「……だ」「……である」調で、つまり現在形で書かれる。ついでに言うと、この記事も、特に意識はしていなかったけれど、ここまでは現在形で書いている。一方、昨日の記事は、小説ではないけれど、読み返してみるとほぼ「……だった」「……した」という風に書かれている。小説や日記は「……だった」「……した」で、それ以外の論文やレポートなどは「……だ」「……する」で書かなくてはいけないというわけではもちろんなく、そうかといって単なる時制的な意味での違いだけというわけでもない。
 たとえば、「森に入るには、川を渡らなければならない」という文章は、そうしなければならないという一般的(?)な”状況”のようなものをあらわしているが、「森に……渡らなければならなかった」という文章は、文脈によっては、昔はそうだったが今はそうする必要がない、という意味にも解釈できるけれど、それ以上に個人の”経験”が反映していると思う。つまり、ある人が実際に「森に入ろうとした」ら「川を渡らなければならなかった」ということを”身をもって体験した”ということで、そうだとすると、日記が過去形になる理由は、ただ単に”過ぎ去った”きょう一日の出来事を書くからというだけではなく、その人の経験を書くからだし、小説の文章が過去形になるのも、単なる状況や状態や真理などの客観的な要素だけでなく、登場人物が見たり聞いたりした結果である主観的な事柄が書かれているからかもしれない。