こんにちは。
今回は、神に砕かれるか、神に逆ろうて滅びるかについて述べます。
新約聖書 マタイによる福音書 二十一章三十三節〜四十六節(拙訳)
「別の例えを聞きなはれ。ある人、家主が居って、ぶどう園を建設し、それに垣根を付け、その中に搾り場を掘り、櫓を建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。しかし、実の時(実を結ぶ時)が近付いた時、その実を取るために、彼の僕たちを農夫のところに遣った。すると、農夫たちは彼の僕たちを捕まえ、一人を打ちのめし、一人を殺し、一人を石で打った。
再度、最初のよりも多くの別の僕たちを遣ったら、農夫たちは彼らに同様にした。
しかし、最後に、彼の息子を遣って言う、
『(彼らは)我が息子に恥じ入らされるだろう。』
だが、農夫たちはその息子を見て彼らの内で話し合った。
『これは相続人だ。さあ、彼を殺して、彼の相続財産を取ろう。』
そして、彼を捕まえ、ぶどう園の外に追い出して殺した。
それ故、ぶどう園の主人が来たら、この農夫たちに何をするやろか。」
(彼らは)彼(イエス)に言う。
「それらの悪人どもを酷く滅ぼし、それらの時(実を結ぶ時)に実を彼(主人)に納める別の農夫たちにぶどう園を貸すだろう。」
イエスは彼らに言わはる。
「聖書にあるのを一度も読んだことがあらへんのか。『建設者たちが拒絶した石を、これが隅の頭とされた。これは主から生じ、我等の目には驚くべきことや。』 これにより、神の国はあんた方から取り上げられ、王国の実を結ぶ民族に与えられるだろうと、あんた方に言うとく。 そして、この石の上に落ちる者は打ち砕かれるだろう。しかし、(その石が)落ちる者を、その者を粉砕するだろう。」
そして、祭司長たちとファリサイ派は、彼の例えを聞いて、(イエスが)彼らについて言うてると理解した。
また、彼(イエス)を捕らえようとするが、群衆を恐れた。群衆は彼(イエス)を預言者のように思てたからや。
一、この世の指導者は神に逆らう者ばかり
上記聖句のとおり、主イエスは、「ある人、家主が居って、ぶどう園を建設し、それに垣根を付け、その中に搾り場を掘り、櫓を建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。」と言わはった。ここで言われてる家主、ぶどう園の建設しはった方、その他整備をしたのも父なる神や。農夫というのは明らかにその後の文脈を読んで分かるとおり、一世紀当時は、ユダヤ教の祭司長、長老、ファリサイ派等といったこの世の指導者たちを指す。紀元前の時代も、多くの預言者が為政者や指導者どもに不当に迫害され殺されてきた。神がぶどう園を農夫たちに貸してると明確に書かれ、この世の指導者は神から良い収穫をすることを期待されて貸し付けられてる分際に過ぎひん。せやのに、この世の指導者どもは、その分際を弁えず、使命を忘れ、あたかも自分たちが所有者であるかのように傲岸不遜に振る舞い、権威と支配権を持ってるかのように装い、この天地と世にある人や物等すべてが自分らの支配下にあると酷い勘違いをしてる。それは、中世暗黒時代と呼ばれたように、欧州でのローマ教皇やイエズス会やカトリック教徒らの傲岸不遜さや異端審問等といった暴虐な行為にも顕現してる。そもそも、カトリックという反聖書的教義を持つ異端が、勝手に正統と自称し、何故偉そうに他人を裁く立場にあると思ってるのか、また多くの人間が彼らに疑問を持たずに安易に従うのか、甚だおかしいし、拙者には理解でけへん。ほんまにカトリック、正教会、プロテスタント等は、偽使徒パウロというファリサイ派を引き継いだ地獄の子らであり、彼らに追従してるようでは救いは無い。一世紀当時、ファリサイ派どもは、自分らの間違うた不法の権威を守るため、正しい教えと行いをしはった主イエスを身勝手にも憎み、殺そうと狙い続け、最終的に鞭打ち、侮辱、暴行を加え、十字架刑という残虐な行為によって殺した。彼らの悪い気質は一向に変わらず、終末時代も同じ事を繰り返す可能性が高い。黙示録預言にもあるとおりで、六百六十六の獣たるローマ教皇は、真のキリスト者を疎ましく思い、その下僕を使て排除しにくるだろう。権力者や金持ちや一般庶民の多くが獣に与し、それ故に獣の刻印を押されて地獄行きになる。それが聖書が教えてる事実であり、拙者の勝手な思い込みやない。
また、神は、ぶどう園に垣根を付けたとあり、それは境界を作るという意味や。前に言うたとおり、ぶどうとは聖書ではアジア系の血統イスラエル人を指し、日本人の一部がその末裔であることも別記事や動画で説明済や。そして、それ以外の人種や民族と分け隔てるため、区別するために垣根を付けたという意味や。せやから、人間皆一緒ではないんや。
次に、神は、ぶどう園の中に搾り場を掘り、櫓を立てはった。これらは、イザヤ書五章の記述と合致する。主イエスは、イザヤ書五章を引用してこの話をしはったのだろう。主なる神は、良いぶどうが出来ることを願いはったのに、実際はそうはいかへんかった。この世の人間の統治が悪く、悪い人間ばかりが増えたからに他ならへん。まさに、一世紀当時のユダヤの様子もそうやったし、現代日本でも同じや。この世の為政者や指導者の質が悪く、立場や身の程を弁えず、傲慢に振る舞い、私利私欲に走り、庶民を圧迫して搾取ばかりしてるやろ。これは日本だけやのうて、世界中で同じ事が起きてる。
繰り返し言うが、この世の権力者や住民はこの世の所有者やのうて、神から貸し付けられた身分に過ぎず、それを弁えずに私物化し、不法行為を長年し続けてやめず、その他欲望の赴くままにやりたい放題し、庶民の多くが彼らに抵抗もせずに盲従してるさかい、神の怒りはどんどん膨れ上がるばかりで、最後には神から裁かれ、滅ぶことになるだろう。せやから、悪人どもよ、いつまでも調子に乗るなよ。すぐに悔い改めねば、手遅れになるだろう。
二、神の預言者は迫害される
上記聖句で、「しかし、実の時(実を結ぶ時)が近付いた時、その実を取るために、彼の僕たちを農夫のところに遣った。すると、農夫たちは彼の僕たちを捕まえ、一人を打ちのめし、一人を殺し、一人を石で打った。再度、最初のよりも多くの別の僕たちを遣ったら、農夫たちは彼らに同様にした。」と書かれてるとおり、収穫の時期が近付くと預言者がこの世に送られてくる。しかし、この世の指導者は、神の僕たる預言者を捕まえ、暴行したり、殺す。上述したように、紀元前の時代で多く発生したことで、福音書内にて主イエスが過去エルサレムで多くの預言者の血が流されたと言わはったとおりや。そして、一世紀当時、洗礼者ヨハネがこの世に送られた。領主ヘロデは、律法違犯を咎めてくる洗礼者ヨハネを疎ましく思い、不当にも投獄し、挙げ句の果てには自分の見栄や面子を保つために彼を殺した。いつの時代でもそうやが、神の預言者は律法を擁護する立場であり、神が制定しはった律法を守らなくてええ等と言うことは決してない。しかし、神の預言者とは反対に、パウロは律法を守らなくても救われると言い、世の権威に従うようにも言い、彼自身が人々の父であると自称し、主イエスやのうて自分(パウロ)の追従者になれ等という数々の反聖書的な教義や偽福音を説き、使徒の資格も無いのに使徒を自称し、携挙について偽預言もした故、偽使徒であることは揺るがず、神の預言者でもない。世の諸教会(カトリック、正教会、プロテスタント等)は無論のこと、他にも神の律法を守らへん者も同じであり、律法違犯しまくり(罪を犯しまくり)、悔い改めへん者どもは神の預言者では有り得へんし、キリスト者とも呼べへん。せやから、拙者は、彼らをパウロ教信者、パウロ教徒と呼んでおり、これは的確な表現やろ。英語で言えば、彼らはポーリスト(Paulist)なのであって、断じてクリスチャン(Christian)ではない。主イエスと直々に教えと訓練を受けた十二使徒以外の言葉を信じてるようでは地獄行きになって当然や。拙者は、聖書に依拠して主イエスや十二使徒と同じ内容を宣べ伝えてる以上、拙者が言う事に反対したり、拙者に敵対したり、中傷してくるような輩は反キリストであるというのも論理的な帰結です。キリスト信仰を持って神の目に正しい事をしてると、世に属する悪人どもから嫌われたり、迫害されるのはよくあることであり、それがより信憑性を高めてると知るべきです。
三、主イエスは指導者(ファリサイ派等)を恥じ入らせる
上記聖句で、「しかし、最後に、彼の息子を遣って言う、『(彼らは)我が息子に恥じ入らされるだろう。』」とあり、これは神の三位一体(父、子、聖霊)を表し、その子たる地位である主イエスがここで言われる息子や。主イエスは御自身の事を指して言わはった。中には、キリスト者と自称するパウロ教信者で三位一体を否定する者も居り、聖書を理解してへんくせに、こちらが間違ってるとかおかしい等と中傷する。ほんまに致命的に知性が無い。聖書(パウロ書簡を除く)に否定的であったり、主イエスを信じず、拙者に敵対する者らの知性はまともではない。そもそも、かような悪事を行う時点で、キリスト者ではないことは明らかなんやから、その者らに神から知恵が与えられず、それ故に嘘ばかりつく世の権威を盲信しており、狂ってておかしいのは当然ではあるが、それにしてもみっともないし、哀れや。
そして、当該聖句について、市販聖書では「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」なんて訳されてるが、これは誤訳です。当該動詞は、敬うの意味もあるが、恥じ入るという意味もあり、活用形が三人称複数であることから文脈上は祭司長や長老が主語であることが分かり、しかも受動態である。それ故、市販聖書の訳は誤りと言わざるを得ない。拙者の訳から明らかなとおり、ぶどう園の家主が自分の息子を遣って、息子が農夫たちの誤りや悪行を責め立て、彼らが息子によって恥じ入らされるというのがその発言内容であると分かるやろ。実際、主イエスはファリサイ派、律法学者、祭司長、長老らを論破及び非難しはり、彼らはまともに言い返すことも出来ず、恥を受けた。真理を語る主イエスに偽り者である彼らが太刀打ち出来る筈もないのは当然で、当ブログに投稿して拙者に何一つ聖書(パウロ書簡を除く)を基に論理的に言い返すことも出来ずに汚い野次を飛ばしたり陰口を叩いてるパウロ教信者や不信仰者と同じ構図や。
なお、ぶどう園の家主は、父なる神の例えであり、父なる神は世の指導者どもが我が息子(主イエス)を敬うというのを最初から期待してへんし、息子(主イエス)も彼らに敬われへんことは予め知っており、それ故に彼らが息子を敬ってくれるだろうなんて愚かな発言をする筈がない。せやから、主イエスは、他の場面でも「預言者は、その故郷とその家以外では尊敬されへんことはない。」(マタイ十三章五十七節拙訳)と発言しはったやろ。逆に言えば、預言者は、その故郷と家では尊敬されることはなく、軽んじられるんや。実際、主イエスは公生涯に入ってから、肉の家族から尊敬されることはなかったし、故郷のユダヤで伝道で回ってた際にも殆ど尊敬されず、拒絶されることの方が多かった(ただ肉体的な癒やしを求めて押し掛けてくる人は多かったが、悔い改める者はほぼ居らず、大衆の心は遠く離れてた)。神が世の指導者に期待せえへんのは、そもそも神御自身が救うと予定してる人数が超少数であるのを知ってるからであり、世の指導者がそもそも神の民ではないことを承知やからや。更に、過去の歴史上を見ても、指導者たちの預言者に対する態度や扱いからも考えてもええ事を期待するんは有り得へん。全知全能の神は、最初から預言者や主イエスをこの世に遣っても、この世の人間たちが素直に聞き従わへんことは予め分かってはったさかい、それ故に主イエスは神の民(真のキリスト者)を救うために自らを犠牲にしてほんまもんの愛を示しはり、無罪にも拘らず、この世の人間の筋違いな怒りや妬み等による酷い冤罪の果てに十字架刑で死することも随分前から想定済で、予定してた事やった。それも最初から紀元前の時代から預言されてたことで、すべて神の御計画であり、予期せぬ出来事ではなかった。故に、市販聖書の翻訳は、神の御計画に合致せず、見当外れで間違うてる。市販聖書では、拙者のように訳してるんは一つもあらへん。
四、世の指導者は大いなる罪人
上記聖句で、「だが、農夫たちはその息子を見て彼らの内で話し合った。『これは相続人だ。さあ、彼を殺して、彼の相続財産を取ろう。』そして、彼を捕まえ、ぶどう園の外に追い出して殺した。それ故、ぶどう園の主人が来たら、この農夫たちに何をするやろか。」と言われてるとおり、世の指導者どもは主イエスを殺した。ここで地味に「ぶどう園の外に追い出して」とあり、これはイスラエルから追い出したと言える。どういうことか。十字架刑の時のことについて聖書を読めば分かるとおり、彼らは主イエスを「イスラエルの王」、「ユダヤ人の王」等と心にも無いことを言うて揶揄し、死に追いやった。要は、彼らが主イエスをイスラエルやユダヤに必要無いと思い(実際は世の指導者にとって不都合及び不愉快だった故)、殺して排除したということを意味してる。また、彼らが主イエスを殺した動機が相続財産を奪い取るため、要するに、主イエスをこの世から排除して自分らの権威を確立し、主イエスが父なる神から貰う筈の財産を我が物にしようとしたと言われており、この動機も決して正当化されるものではない。
そして、父なる神は、かような暴虐をしてきた世の指導者をどうするか。決まってますよね。彼らは神によって酷く裁かれます。先の主イエスからの問いに彼らは「それらの悪人どもを酷く滅ぼし、それらの時(実を結ぶ時)に実を彼(主人)に納める別の農夫たちにぶどう園を貸すだろう。」と答えた。おもろいな。自分が悪人と認めた上で、受ける裁きが酷いと自分で言うてるんやからね。この発言をした時には彼らは自分らの事やと気付いてへんかったが、すぐ後に気付くことになる。
そして、世の指導者が悪人なんは、一世紀当時のみならず、この世が終わるまでずっと延々と続き、現代も同じや。福音書を読めば明らかなとおり、ファリサイ派は「悪の代名詞」的な存在であり、その悪を引き継いでキリスト者に悪影響を及ぼしたのが偽使徒パウロや。拙者が過去記事「パウロは偽使徒」や「偽使徒パウロの反キリスト教義 一」からの連載や「「パウロは偽使徒」の動画」等で論証したとおり、パウロは偽使徒であり、キリスト者を偽装したファリサイ派や。パウロは、明確に主イエスに敵対するとは言わず(しかし、その教義が反キリスト的)、キリストを信じてると口先だけ言い、無資格なのに僭越にも使徒を自称し、他者を惑わした点が悪どい。そんな偽使徒を狂信してるパウロ教信者どもも同様に口先だけで平素から言動が悪く、主イエスや聖書の評判を貶める悪しき存在故、非常に悪どい。その偽使徒パウロの座はローマ教皇に引き継がれてると拙者は言うた。カトリック側は使徒ペトロが初代ローマ教皇だという虚言を言い続けてるが、真に受けたらあかん。主イエスの直弟子で十二使徒の一人であるペトロが、偶像崇拝(十字架や像を作ってそれに拝む、マリアを崇拝等)を許容したり、律法に無い祝祭日(復活祭やクリスマス等)を制定したり、聖書に無い儀式(ミサ等)をしたり、教会内で序列の職位(教皇、枢機卿、司教、司祭等)を制定したり、安息日を日曜日と勝手に変更したり、暦を太陽暦に変更したりといった数々の神に対する反逆行為をする筈がないからや。主イエスと面識も無く、主イエスの公生涯で直接を教えと訓練を受けたこともない部外者である偽使徒パウロは、主イエスを騙る悪霊の声に従い、主イエスも守るように教えはった大事なモーセの律法を守らへんことを推奨する旨を吹聴した故、ペトロが創始した律法遵守派の初代教会のエルサレム教会とは相容れず、ユダヤ地方に彼の居場所は無く、それ故に異教徒だらけのローマへと赴き、聖書を知らぬ異教徒ローマ人やギリシア人等に「キリスト(救世主)の使徒」だと自称して騙し、異教にも寛容やった(聖書にある律法と主イエスの教えに固く立つ姿勢の欠如)故に自分の信者を増やし、ローマ帝国の権力者に取り入り、権力者の後ろ盾を得て勢力を拡大した。そして、四世紀にはローマ皇帝コンスタンティヌスによって国教化されるまでになり、ローマ・カトリック教会が組織されて、今に至る。
使徒ペトロは、偽使徒パウロがローマや周辺地域に偽福音と偽教義を異邦人に吹聴しまくっていたことに危機感を覚え、彼自身は気が進まへんかったが自らローマに行って正しい福音を伝えると、それに感化された権力者夫人たちが不信仰の夫と共に寝ることを避けるようになり、それに激昂した権力者らにペトロは狙われ、捕まり、処刑された。俗説では、ローマ皇帝ネロによってペトロは殺されたとされてるが、事実ではない。外典によれば、ペトロを捕らえて処刑したんは、ローマ皇帝の友であったアルビヌスと近衛隊長官のアグリッパやった。皇帝ネロの命令ではなかったにしろ、皇帝側近の権力者による犯行であった。彼らの妻や妾が、ペトロによって語られたキリストの教えや清純さを保つことに感銘を受け、彼女たちが自主的に彼らと寝台を同じくすることを避けたからや(ペトロがそうするよう指示した訳ではなく、聴衆側の曲解だろう)。誤解を生まぬように拙者から補足説明しておくと、聖書では夫婦の交わりを禁じる掟は無い。婚外性交や姦淫(不倫)を神は罰するのであり、法的に結婚した夫婦間の関係は問題無く(内縁や同棲はあかん)、やめなければ救われへんということではない。彼女たちの自主判断で性交渉を避けたのに、彼女たちがペトロにたぶらかされたから一緒に寝ないようになったと思ったアルビヌスとアグリッパは、ペトロに殺意を抱き、言い掛かりをつけて捕らえて処刑して復讐しようと画策した。アルビヌスの妻はその謀を知り、ペトロに使いを遣って危機を知らせ、今後も伝道活動をするようにローマから去る(亡命する)ように言うた。最初は、ペトロは「自分に逃げろと言うのか」と言うて聞くつもりはなかったが、他の信仰の兄弟たちから「逃亡ではないですよ。あんたはまだ主にお仕えするお方やさかい、別の場所に伝道する地を見付けるということや。」と言うてペトロを説得した。ペトロは諫言を聞き入れて一人でローマから去ろうとした。しかし、その途上、ペトロは、ローマから出る門を通り過ぎようとした時、すれ違うように、主イエスがローマへと向かって行くのを見た。これは有名な「主よ、何処へ行きはるんか。」と問うた話や。主イエスは、「再び十字架に架けられるためにローマへ。」と言わはって天に昇って行きはったという。それから、ペトロは我に帰り、人間的な思いに囚われて主の御意志を問おうとしなかったことを反省し、先の事は自分がそうなるんやと悟り、ローマに戻った。戻って来たペトロを見た信仰の兄弟たちは、ペトロが捕まって処刑されると思い、悲しみ、「我等のような信仰に入って日が浅い者らのことも考えてください。」と言うて、ペトロが亡命することを望んだ。ペトロは、彼らに「たとえ我等が望まなくても、それが主の御意志ならそれは起こる。主が我を肉を持って生かしておこうとお思いの間は、それに逆らわへん。せやけど、もし我を取り去ろうというおつもりなら、我には大いなる喜びや。」と言うて理解を促した。そして、間も無く兵士たちが来てペトロは逮捕され、逆さ十字架刑で処刑された。これもカトリックによる俗説では、「ペトロは、主と同じ体勢では畏れ多いから逆にした」、「謙虚さの象徴」等と誤った理由を言うてるが、そうやなかった。ペトロは、この世の有様や人間の在り方や考え方等が世の創始の頃とはまったく真逆のように悪くなった事(それ故に、世俗から脱却して改めるべき事)、それらを身を以て示すために逆さの格好にするようにペトロが刑の執行者に頼んだという。この点、当ブログの過去記事「救いに値する完全な者」でも言うたとおり、「一級の多くの者が最下級になり、最下級が一級になるだろう。」(マタイ十九章三十節拙訳)でも分かるとおり、六千年以内という期限付きで存続して後で滅ぶこの世と永遠に続く後の世とでの有様は、逆になると言うてるのは、ここにも通じる。十字架も逆さ十字架も西洋の残虐な処刑道具であり、それをキリスト信仰のためと称して飾るとか象徴にすることは偶像崇拝に当たり、断じてしてはならん。この世を支配する悪魔とその手下の権力者や金持ちどもが不法行為をやりたい放題してるが、それもこの世がある間だけで、キリストの再臨時に終わり、支配層に従う庶民も同じように裁かれる。せやから、拙者が言うてるとおり、世の権威に従うのは間違うてる。しかし、偽使徒パウロは反キリスト故に世の権威に服従を説いた。なぜなら、パウロは悪の権力者側やったからや。パウロは、彼の言う事に民衆を聞き従わせるためにそう言うたのであり、パウロの教えは主イエスの教えではない。この世で超少数派で苦しい思いをしてる神の律法を守る真のキリスト者のみが後で逆転する。ペトロも主イエスから教えを受け、この世と後の世での有様は逆転すると知ってた。せやから、この世で贅沢でけへんとか、金が無いとか、社会的地位が無いとか、外見が理想どおりではないとか、かような事で思い煩う必要は無いし、卑下する必要も無い。キリスト信仰を持って、神の律法を守り、罪を犯すのを避け、慈愛を持ってええ行いをし、信仰の兄弟たちと交流し、正しく生きることに努めなはれ。そうすれば、希望はあるさかい。
なお、ペトロが老年になったら行きたくない所に行き、神に栄光を帰す死に方をするということはヨハネによる福音書二十一章に記載があるとおりで、暗に主イエスと同じく権力者から理不尽に嫌われて処刑される最期を予告されてた。主イエスは神であり、その予定を知ってはるが故に事前に言える範囲を言わはった。そして、主イエスも公生涯においてファリサイ派や祭司長等から憎まれ、度々命を狙われて、逃げようと思えば逃げられたが、そうなさらずにエルサレムに留まり、捕まり、処刑された。主イエスはペトロに「我に従いなはれ」と言わはり、ペトロは主イエスの最期に倣った格好となった。すべて予定であり、聖書の預言どおりやった。聖書の実現が神の御意志やからや。
五、世の権威の外に主イエスは居てはる
上記聖句のとおり、主イエスは祭司長や長老らに「聖書にあるのを一度も読んだことがあらへんのか。『建設者たちが拒絶した石を、これが隅の頭とされた。これは主から生じ、我等の目には驚くべきことや。」と言わはった。これは、詩編百十八編二十二節〜二十三節を引用してる。ダニエル書二章で鉄の脛と粘土で出来た足を破壊した石が救世主たる主イエスと形容されてるとおり、石は主イエスを指す。建設者は、この世を形作る指導者を指し、彼らは主イエスを拒絶するということが詩編でずっと前に預言されてたことを引用によって伝えはった。主イエスは、隅の頭であることから、世の真ん中に居る主流派や権力者とは無関係であり、誰も注目せえへんような隅っこに居る人間の味方であり、隅という目立たへん所で真のキリスト者を集めて統率しはる。神の王国がまさにそのようであり、この世からのものではあらへんし、この世で権勢を振るうのでもない。本番は、先に述べたとおり、主イエスが再臨しはってこの世を滅ぼした後や。ダニエル書二章にもそう書かれ、主イエスが、鉄と粘土というローマ(現代もバチカン中心で他が隷属するというかつてのローマ帝国的な世界の在り方)が牛耳ってる世界を滅ぼした後、永遠に続く神の王国を築く。「我等の目には驚くべきこと」とあるのは、普通の人間には中々信じられへんとか、受け入れにくいという意味でそう書かれる。なぜなら、この世の多くの人間はこの世の権威、権力者、指導者を敬い、信じて従うからや。せやから、神は聖書を通じて、世俗の常識の逆を教えてるのであり、受け入れた上で行いで死ぬまでそれを示し続ける人だけが救われる。不信仰者や異教徒(パウロ教信者を含む)は、聖書に書かれる主イエスの教えに逆らい、世の常識や権力者等に従うてるさかい、救われへんのは自明やろ。
六、ユダヤ人はもはや選民ではない
上記聖句のとおり、「これにより、神の国はあんた方から取り上げられ、王国の実を結ぶ民族に与えられるだろうと、あんた方に言うとく。」と主イエスは言わはった。一世紀当時のユダヤの指導者である祭司長や長老らにこの言葉を発したのは、それ以前までユダヤ人(ユダ族とベニヤミン族)は異邦人と比すれば特権的地位にあったが、その地位を取り上げると明確に言われてる。そして、神の王国に入るに相応しい実を結ぶ民族や国民に与えられると主イエスは明言しはった。これは、明らかに異邦人にも救いの機会が到来したことを示す。これはダニエル書の預言にあったとおりであり、過去記事「実を結ばな滅ぶ」でも言及したとおりで、聖書上でいちじくと形容されるユダヤ人に見込み無しと主イエスが見限り、異邦人に機会を与えはった。一世紀以後は、神は、特定の民族に拘るのをやめてるのであり、きちんと聖書にある教えを守り、きちんとそれに従って生きて、実を結ぶという結果や成果を出す人を神の王国に採用しはる。古代ユダヤ人ではない古代イスラエル人(失われた十部族)の末裔である一部の日本人も可能性はあり、諦めるべきではないし、他の異邦人も同様や。むしろ、過去に説明したとおり、古代イスラエル人の末裔である日本人は、モーセの時代以来ずっと旧契約の拘束下にあり、モーセの律法を守らねば呪いが降りかかる。現代の日本は、バチカンやイエズス会や英米の手下である売国奴による意図的な売国政治によって経済的に低迷し続け、売国奴の手引きにより不良外国人が激増し、不良検察官や不良裁判官による不当な不起訴や不当判決の連発により、治安が急激に悪化し、亡国の危機に瀕してる。この根本は、日本人の不信仰によるものや。せやから、拙者は旧契約はさておき、主イエスを仲介者とする新契約を結ぶように勧めてる。それがキリスト者になるということであり、エレミヤ書にあるとおり、基本的に律法を守ることには変わりあらへん。せやけど、偽使徒パウロやその教えを信奉する世の諸教会(カトリック、正教会、プロテスタント等)に所属したり、彼らの言う事を信じて従うたらあかん。アジア系の血統ユダヤ人は、主イエスの宣告どおり、一世紀前半時以来ずっと選民ではない。繰り返し言うとくと、主イエスの当該宣告後に現れた偽使徒パウロはユダヤ人であることから、主イエスから選ばれた者ではない。アジア系の血統ユダヤ人もあかんし、中東や欧米に多く居る偽ユダヤ人なんか論外であり、彼らのような東欧系白人は血統ユダヤ人ですらなく、悪逆非道を教えるタルムード信奉者である冷血な悪魔崇拝者だらけや。更に、六芒星が悪魔崇拝で用いられる物やと知らんと話にならん。シオニストと呼ばれるような輩どもは、中東の偽イスラエルを聖書のイスラエルと勘違いしてるが、それでは救いは絶望的や。
七、すべての人間は二種類に分かれる
上記聖句にあるとおり、「そして、この石の上に落ちる者は打ち砕かれるだろう。しかし、(その石が)落ちる者を、その者を粉砕するだろう。」と主イエスは言わはった。ここの石というのは、上述のとおり、主イエスを指す。主イエスの上に落ちる者は打ち砕かれるというのは、主イエスを知って人の心(霊)を打ち砕かれるという意味や。詩編三十四編十九節や五十一編十九節からもそれは明らかや。もう一種類は、主イエスがある人に落ちるなら、その人を粉砕するとある。これは、心に対する比喩的な意味やのうて、物理的に粉砕することを意味し、言い換えれば、主イエスがその人を滅ぼすということや。主イエスはこの二種類しか言及してはらず、それ故、すべての人間は二種類に分けられ、人間がキリスト信仰を持って、主イエスの上に落ちて心(霊)を打ち砕かれ、それまでの生き方や言動を悔い改めれば、救われる。反対に、悔い改めもせず、終末時代にキリストの再臨前に遣わされるエリヤの働きをする男の言う事に聞き従わず、悔い改めず、その結果、主イエスから滅ぼされて地獄行きにされるかです。福音書の他の箇所で、主イエスは人を羊か山羊かの二種類に分類してはるとおり、拙者が過去にも言うたとおり、この世には人間は二種類しか居らん。性格とか外見という種類を意味するんやのうて、神の民かそうでない者か、真のキリスト者かそれ以外の者(反キリスト)かということです。聖書を読んでも、心を打ち砕かれへん、生き方や考え方等が全然変わらへんという人は、滅ぼされる側です。拙者は、聖書を一回通読し終えた時、主イエスに心を打ち砕かれました。主イエスは正しい御方であり、偽りが無いし、従うべき御方やと聖書を読み終えてすぐに確信しました。もっとも、「聖書を読め」と他の誰かに執拗に言われた訳でもないし、拙者は自分で決めてそうした。それ以後、知ってのとおり、拙者はブログを書き始め、真の聖書福音を伝え始めました。その後も聖書通読を繰り返し、あれこれ調べるうちに市販聖書の翻訳が誤ってるとか、底本がそもそも誤ってることも知りました。その他、この世が悪魔崇拝をする極悪人の支配層に支配され、多数の庶民も知ってか知らずかに拘らず、支配層やその傀儡の政府に漫然と従ってる実態も把握し、世の諸教会の誤り、世間では使徒と信じられてるパウロが偽使徒であり反キリストである、太陽暦(グレゴリオ暦)は詐欺的な暦であり正しい暦ではない、一日は時計の零時で日付が変わるのではなく日没が一日の始まりであり終わりであること、この地は平面であり宇宙や重力等も無い、日曜日は安息日ではないし休日でもない、七曜の呼び方がそもそも誤りで西洋の異教に由来する、西洋かぶれすることは主イエスの教えに反する等、他では教えられへん非常に多くの有益な情報をまとめ上げて当ブログや動画で伝えてきたとおりです。拙者がやってきた事は、他者が取って代わる事がでけへんものです。実際、太陽暦二千十七年二月から拙者は伝道を開始し、それから八年以上も経った今、拙者と同等かそれ以上の働きをした人が居たであろうか。別に拙者は自分を高めるために言うてるんやないで。素直に客観的に考えてみたら分かると言うてるんや。もし拙者が伝道活動をしなかったとしたら、どうなっていただろうか。聖書の真理を知る者は今も居らんかったであろう。そこんとこをあんたらはもっと真剣に考え、理解したら、然るべき行いをするべきです。世の終わりが迫ってる危機感を持つ人は少しずつではあるが、微増してるやろ。何か大きな事件が起きる度に、世に対して疑問を持つ人が出て来たやろ。二千一年の米国での二つの高層建物が爆破された事件で気付いた人や、二千十一年の大震災を契機に目覚めた人や、二千二十年から始まった偽感染症騒動で目覚めた人、色々居るやろ。しかし、時は有限であり、いつまでも時があるのではないし、いつか終わりが来る。目覚めへんより何かをきっかけに目覚める方がマシではあるものの、これ以上何か大きな事件が無いと目覚めへんのでは手遅れになる可能性もある。この世の存続期間も有限であるし、各自の人生の時間も有限や。拙者は今まで何遍もこの事についても警告してきた。せやから、少しでもこの世に疑問を持ったなら、さっさと聖書を手にし、通読しなはれ。当ブログや動画からも学び、滅びひんために各自の生き方や言動を改めなはれ。
八、権力者は多数の庶民の支え無くしては存続し得ない
上記聖句で、「そして、祭司長たちとファリサイ派は、彼の例えを聞いて、(イエスが)彼について言うてると理解した。また、彼(イエス)を捕らえようとするが、群衆を恐れた。群衆は彼(イエス)を預言者のように思てたからや。」とあるとおり、祭司長やファリサイ派らはさすがに理解でけへん程にアホではなく、主イエスの例え話が彼らを非難してることに気付いた。そして、すぐに感情的になって主イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れて、その場では捕らえへんかった。過去記事「エリヤを信じひんのなら滅びる」でも書いたとおり、洗礼者ヨハネの業を「天から」と認めようとせずそう言うことを拒絶し、「人から」と言うても群衆の反発を招いたり支持を失うことを恐れて、「分からん」と言うて主イエスの質問に答えることから逃げた。そして、その続きの話の今回、当時の群衆は洗礼者ヨハネのみならず、主イエスをも預言者として信じていた状態故に、ここで彼らが安易に主イエスに手を出すと、群衆の支持を完全に失い、自分たちの権威が揺らぎ、自分らが追われる身になるやもしれぬと考え、主イエスを捕らえるのを躊躇した。もし、十字架刑の時のような群衆の主イエスに対する不支持が明確であったなら、遠慮はしなかっただろうが、未だその時ではなかった。上記の過去記事でもこの世の支配構造を図解したとおり、世の権威が支配層として権力を持つのは、被支配層たる庶民が支持して従うことが前提やからや。せやから、被支配層たる庶民が支配層に反旗を翻して抵抗するなら、世の権威は瓦解すると言うたやろ。ここで祭司長やファリサイ派どもが群衆を恐れてるのは、まさにそれで、支配層がええ思いをし続けるには、被支配層を手懐けて、群衆の支持を維持し、支配下に置き続ける必要がある。それ故、被支配層からの支持や信用を失うことを恐れるんや。現代でも同様であり、支配層やその傀儡の政府や企業らが共謀して、真実を言えば「陰謀論だー」、「偽情報だー」等と騒ぎ立てる報道機関や有名人や工作員を使て言わせ、庶民の言論弾圧をする理由は被支配層からの支持や信用を失うことを恐れてるからや。彼らのような悪人は、彼らの嘘や悪行が明るみになり、真実が広まって群衆が抵抗してくることを酷く恐れてる。せやから、真実を知った者は、臆せず、きちんと言うべき事を言い、やるべき事をやりなはれ。
二千十七年春に書いた過去記事「FEMAと言論弾圧、そして今後の動向について」でも引用したとおり、ズビグネフ・ブレジンスキーが、「これまでの時代では、百万人の人々を誘導することは簡単だったのです。文字通り、百万人の人々を誘導するのは、物理的に百万人の人を殺すよりも簡単なことだったのです。しかし、今日では、百万人を誘導するよりも、百万人を殺すほうがはるかに簡単です。誘導するよりも虐殺の方が簡単なのです。そして、勿論、それは直接、武力の行使を伴うのです。」という発言も、支配層を信じておとなしく言う事を聞かへんようになった際の群衆を恐れての発言と考えられる。まさに、ファリサイ派らしい発言や。支配層に従わへんなら、武力行使して処分すると脅迫してるんやで。こないな異常者が世の権力者側にごろごろ居てる。その記事で書いたとおり、FEMAは米国大統領の直轄であり、大統領の命令で動くのであり、もし大統領が判断を間違えれば、その影響は甚大であり、非常に危険と言わざるを得ない。一人の人間に強大な権力を持たせるのが異常と思わなあかんで。ナチスドイツの失敗からまったく学んでへんよね。ワイマール憲法の国家緊急権(緊急事態条項)を悪用し、ヒトラーという首相一人の判断で独裁体制を敷いて、言論弾圧をし、反対者を迫害(逮捕や投獄等)し、国を全体主義に染め上げて戦争に突き進み、アウシュビッツ収容所での悪行といった酷い仕打ちもしてきた過ちから学んでへんよな。かように歴史を学べば分かるとおり、いつの時代もこの世の権力者は腐敗してるのが常であり、それ故に権力は常に法的に制限されなければならず、緊急事態条項という権力者が何でも出来るという特権なんか絶対に与えたらあかんのや。特定の国のみならず、すべての国でそう在るべきや。しかし、残念ながら実際はそうではない。
上図のとおり、日本政府はナチス主義を否定せえへんかった。その証拠に、日本で自民党や他の政党もよってたかってナチスに倣った緊急事態条項付きで改憲やと騒いでるが、そもそも国会議員やその他の公務員らが積極的に改憲と言う自体が憲法九十九条違反の不法行為であるし、麻生太郎氏がかつて言うたとおりナチスに倣う許されざる暴言であり、表面的に撤回すれば済む話やなく、そないな思想を持ってることが問題なのであり、自民党改憲草案や参政党の改憲も似たようなもので現憲法に反する内容で憲法前文により排除されるもので無効やし、彼らのような信条を持つ人間は公務員に不適格であり、懲戒処分を受けて然るべきです。大艱難期になれば、FEMAがキリスト者を迫害する部隊になる可能性は高い。米国のみならず、似たような組織が諸外国でも作られ、同じような迫害をしてくる可能性もある。
繰り返し言うとくと、支配層は、被支配層の庶民が言う事を聞かへん事や従わへん事を恐れてる。金持ちが享楽に耽ったり、贅沢が出来るのは彼らに仕える者、従う者が居るからや。大邸宅に住む金持ちの主人が家事を召し使いにやらせるのは、自分でそれをやりたくないからやろ。賃金と時間と労力と引き換えにそれを受け持つ人間が居るから、金持ちはそれを他人任せに出来て、楽してるんや。しかし、もし誰もそれを引き受けへんかったら、金持ち自身が下働きをせないかんやろ。現実社会の構図も同じで、庶民が重税にも文句を言わずせっせと税金を納め、低賃金でも長時間労働でも働き続ける家畜奴隷が居る限り、為政者どもはそれに甘えて贅沢と搾取を続ける。「そないな狂った社会はごめんだ。現状を変えたい。」と真剣に思うなら、悪い権力者や金持ちに盲従するんをやめな、改善せえへんやろ。せやから、拙者は世の権威への不服従を説いてるんや。主イエスもそないな姿勢やったで。主イエスは、世の権威であるファリサイ派や律法学者や祭司長らに媚びて取り入らへんかったし、支持もせんかった。むしろ、公然と彼らを非難しはった。キリスト者なら同じようにそうせな、キリスト者ではない。権力に歯向かうと潰されると思て臆病になるか、怠惰や無能故に、何もせえへん者はキリスト者ではないし、後の世では絶望しかあらへん。臆病者や嘘つき等は、地獄行きと黙示録二十一章八節にあるとおりやからや。支配層の下僕になってる政治家や官僚らも臆病であり(殺されたり、地位を失ったり、収入が減る事を恐れてる)、庶民の多数派も愚かで臆病で(捕まりたくないとか、孤立したくないとか、世間体が悪くなるのを恐れてる)、殆ど抵抗してへん。何億人もの多くの人間が、ほんの一部の人間の集まりに過ぎひん支配層に従うてるせいでこの世は悪いんやから、臆病で黙って抵抗せえへんのは悪に加担してると思わないかん。せやから、このネット全盛期の時世、何も有益な事を言わへんのは人生詰んでると言うてるんや。もっとも、ネット上だけで言うてるだけで現実に行動せえへんのもあかん。口先だけで行いが伴わへんのなら、これもまた無意味やからや。信仰も同様で、なんぼ口先だけで主イエスを信じると言うたところで、神の律法を守らへんとか、信仰の兄弟と交流せえへんとか(物理的に距離がある場合はネットでの交流は不可避)、伝道せえへんとか、そういった事も現実に行わへんのなら信仰は無いに等しく、かえって嘘つきと評価さえ出来る。
番外、終末に備えよ
こちら(メモ・独り言のblog)のとおり、欧米諸国は現金を廃止し、電子通貨の導入目指し、そのための布石として電子身分証(digital ID)を導入しています。社会信用得点制度も加わり、反支配層の思想を持ったり、行動を取れば、即座に点数は下げられ、公共交通機関の利用も出来なくなり、就職も出来なくさせられり、売買活動全般がでけへんようにされる。支那において実験台として先んじて導入されてるように、暗黒社会になります。前にも言うたとおり、日本も他人事ではなく、個人番号(マイナンバー)制度がその土台や。「そんな事にはならない」、「考え過ぎ」、「日本は大丈夫」等と能天気なことを思って何も抵抗せずにいると、ほんまに終了しますよ。経済面で言えば、移民政策も深刻であり、こちら(YouTube)のとおり、JICAがアフリカ移民をわんさか入れると言うて炎上して撤回したと表向きは言われてますけど、それが嘘だった、二階俊博氏やら武見敬三氏といった国会議員の地位を追われた後も、かように裏からせっせと売国をしてるんですよ。こちら(YouTube)も、支那人による静かな日本侵略について警告しています。こちら(YouTube)でも日本が侵略される危機について熱心に語っています。しかし、拙者はかように酷くなるもっと前から言うてましたけどね…。拙者が二千十七年からブログで危機を伝え始めた時、あの人たちも何もしてへんかった。あの動画主は太陽暦二千二十四年二月が初投稿で、最初は「日本すごい」系ばかりの動画を投稿しており、政治の話を投稿し始めたのは、二千二十四年秋からで、ついこの間始まったばかりや。ほんまに、現代日本人は動くのが遅いんですよ。取り返しがつかへんような事態になってから、ようやく騒ぎ出す。ゴジラの映画を想起させるわ。ゴジラが目の前に現れて、「あっ、ゴジラだー。きゃー」と言うて慌てて動くが、踏まれる愚かな人ね。いやいや、あんだけ大きいのが来たら地響きするし、遠くからでも視認出来るし、もっと距離があった時から気付いて行動するやろに、なんで目の前に来てから動くんだよって…。しかし、そないな愚かな人は、現実の多くの庶民と重なる。拙者が早めに警告してきたのに、すぐに言う事を聞かず、無視したり、後回しにし、「陰謀論だー」、「カルトだー」等と嘲り、前から警告されてきた事が実現し、どうしようもない事態になってようやく「陰謀論じゃなかった。真実だった。」と気付いた時にはどうしようもない事態になってるだろう。あの人たちはGHQにやられて八十年等と米国を非難し、愛国者の振りをしてますが、相変わらず洋服を着てる以上、「何だかなぁ…」ってなりますよね。「選挙行け」なんて偉そうに言うてるが、拙者が言うた経済的差別をしてて違憲な三百万円の供託金制度(この違憲な障壁でまともな清貧な人が立候補すらでけへん)や票を数えもしない不正選挙(数えもしないなら選挙自体に意味が無く、税金の無駄遣い)も知らんのか言わず、その上、片仮名英語の乱用や支那を中国と呼ぶ誤り、南朝鮮を韓国と呼ぶ誤りにも気付いて、洋服をやめてから言うべきやって思わへんのがおかしい。ほんまに現代日本人たち、本質に気付くのも動くのも遅いです。そして、実際に行動せえへんのがもっとあかん。聖書の伝道も大事ではあるけども、実際に必要なんは「行動、実践」やからね。拙者がこれもブログで何遍も言うてきたとおりで、行い無くして信仰は無いも同然です。口先で言うだけで行いが伴わへんのなら、意味が無いどころか、嘘つきやからね。地獄行きです。日本も日本人も、ほんまに崖っぷちですよ。日本に外国人が増え過ぎたんも、売国奴を何十年も放置し続けたツケですよ(売国公務員どもに給与として支払う税金の無駄遣いも余計な費用で要削減)。それを取り除かねば、事態は悪化するのみです。おとなしく野次を飛ばす程度しかでけんような少人数の抗議活動なんて意味無いし、街頭でちょっと喋ったところでも意味が無いんですよ(どうせ大半の日本人は聞いてへんし、行いも変えへんからな)。彼らのように、ちょっと顔出しして動画撮って拡散したところで、結局は「成果を出さな意味が無い」ってことにも気付かなあかんし、「結果を出す事にもっと必死になれよ」と言いたい。成果を出す前の過程の段階で「自分らは頑張ってる」なんて思て、自己陶酔しとったらあかんで。日本人の悪い考え方の一つに、「頑張ったから評価する」という過程だけ見て結果を軽んじる点です。成果無くして、何も評価するものは無い。
これは会社の評価でも同じで、拙者が日本人の労働観で非難したことでもある。長時間労働すれば頑張ってるかのように見せかけられるが、成果が伴わねば意味が無いし、残業代を無駄にもらおうとしてるという悪い評価でしかあらへんのに、日本ではかような昭和の働き方で未だに良しとされてる。おかしいで。そもそも、日本の労働法概念においても、管理職からの残業指示無くして、平社員が勝手に会社に居残って時間外労働をすることは許されておらず、もし部下が勝手に居残ってるなら上長は終業時間になったらすぐ帰るように指示せな、部下の時間外労働(残業)を黙示的に指示したと看做されて割増賃金の支払いは免れへん。時間外労働(残業)を指示するにしても、必要性と相当性が求められ、明日以降やればええ事は明日以降の所定労働時間内にすべきで、どうしてもその日中にやらな致命的な事でもない限り認められへん。せやから、始業時間に厳しいのと同様に、終業時間にも厳しくすることをすべての会社において常識にせなあかん。せやから、納期設定や人員体制について、時間外労働ありきで予定を組むのは誤りで、時間外労働を前提にした予定を組むのは無能な使用者で、闇企業や。闇企業は、待遇の悪さ故に常に人手が足らず、社員一人当たりの負担が多く、時間外労働が常態化してるからや。過労死なんていう言葉は海外でもkaroshiとして知られ、日本から出たものであり、日本の労働観や労働環境が劣悪であることの証拠や。こちら(YouTube)で、日本の労働環境の悪さやおかしさの一例が海外と比較されており、日本が如何におかしいか分かるやろ。あんたらが日本で普通と思てることは、実は異常なんやで。しょうもない事や有害な事ばかり海外と比較して真似して日本に導入するくせに、労働観や待遇等については一切比較しようとせず、改善もせえへんやろ。それは日本政府や偽日本人や外国人の経営者たちが日本人を憎み、純日本人をいいように使い倒し、搾取して滅ぼそうと躍起になってるからや。つまり、労働という鎖で心身共に縛り付け、余裕を無くし、解放したくないからやろな。拙者は日本人を解放すべく、何年も前からずっと何遍も言うて教えてあげてるのに、あんたらは一向に自分らが繋がれてる鎖を外そうと努力せえへんもんな。ずっと家畜奴隷扱いされたがってるようにしか見えへんで。ほんまに愚かや。恥じて、悔い改めよ、日本人。
反対に、欧米は成果主義であり、残業は悪で、時間内に成果を出せへんのは無能という扱いです。実際、成果を出してなんぼなんですよ。せやから、海外では職種によって自由勤務時間制(フレックスタイム)が認められ、仕事がきちんと終わったなら「別の日に少し長く働いたし、今日は最低限やる事はやったし、用事があるから定時よりも早く帰る」なんてことも許される。会社は利潤追求団体なのであり、利益になる仕事をするという成果を出してこそ給与が出されるのであり、成果を出さずに単に会社に長い時間居った等では意味が無いし、多くの日本人のように時間外労働の長さや有給休暇取得をしてへんことを自慢するような者は家畜奴隷みたいなもんやで。本人の責任ではない何か特段の事情がある場合は別として、「頑張ったけど、駄目でした」では評価でけへんよね。
例えば、入学試験や資格試験もそうやろ。合格してなんぼであり、不合格なら、最初から勉強せえへんかったのと一緒の扱いや。例えば、日本で医師になるなら、まずは大学の医学部の入試に合格し、六年間医学部に通って学び、その後で医師国家試験を受験して合格し、医師免許の交付を受けて初めて医師と名乗ることが出来て、医師としての仕事が可能になる。大学入試にも受からず、何浪もしてるだけの受験生は何者でもないし、医学部生であってもただの学生でしかあらへん。かように、資格試験は合格せん限り、その資格が得られず、肩書きや地位も得られず、その仕事に就けへんのやから、合格するのがその必須条件で、結果を出すことに拘り、真剣にならな無理や。せやから、学業であれ仕事であれ信仰であれ、「頑張った」と主張するなら、結果という目に見える形で証明すべきで、成果を出すための努力なのであって、努力したとだけ言うても成果が出ていなければ、それは何もせんかったのとほぼ一緒。それが客観的評価。成果を出して初めて、他者から評価される。せやから、やるからには成果を出すということに拘り、全力を注ぐべきや。
今までどおり何もせえへんままでは、日本は滅亡する。今の売国奴どもに政治を任せていては戦争になったり、飢饉になったり、地震といった災害も発生し、外国人移民を益々増やし、改憲されれば日本人の人権と自由が剥奪されて、日本人は大勢死ぬだろうし、生き残った日本人も居場所を失うだろう。これもすべて、日本人が西洋かぶれして聖書に根差した正しいキリスト信仰(パウロ教ではない)を持たぬ故に、神から契約違反の呪いがかかってるのだと気付いてキリスト信仰を持って悔い改めるべきでもある。しかし、およそ日本人の多くが悔い改めるというんは実現可能性が低いさかい、拙者は期待してへん。上述したとおり、欧米が中心となって必死に獣の刻印が無いと売買でけへんようにするという黙示録預言の実現が間近に迫り、その実現可能性の方が余程高く、正しいキリスト信仰を持って備えなくては魂が滅びる。肉体的に滅びるよりもそっちの方にもっと危機感を持つようにし、そのように周知もしましょう。恐れる対象について過去記事「畏れるべき者」に書いたとおりです。過去記事「地獄行きを甘く見るな」で言うたとおり、人生の最大の失敗は地獄行きであることを忘れぬように。キリスト信仰でも実を結ぶという成果や結果を出すことの重要性が言われてる。何もしてへんのに、頑張ったつもりになってても誰も評価せえへん。
この世がおかしい、悪人や悪い出来事が多過ぎるって、拙者のブログや動画を見れば嫌という程、分かるやろ。この世に期待するんはやめましょう。手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなはれ。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。
以上
