学校には行かない -4ページ目

十人十色

juu


そろそろ6年生は卒業をする。卒業しても、また遊びにおいで・・なんて言うけど、あんなのは嘘だ。遊びに来たら、自分が先生方の関心の外にあることをしって、がっかりすることだろうとおもう。


だから、彼らとは学校をでたら、お別れなのだ。


卒業文集に載せる言葉も職員室を順番に回るようになった。私は十人十色 百人百様 と書いた。自分を信じて、個性豊かに中学生活も送ってほしいなと思う。


学校では、30人も40人も同時に同じ課題をもって、同じ勉強をして、同じ結果を出せるようにカリキュラムが組まれる。2年生が終わったら、全員掛け算がいえなければ、先生の怠慢ということになってしまう。そりゃ、先生も必死だ。


私は掛け算は覚えません!なんてこどもが出たら、びっくりぎょうてんだろうとおもう。


個性とか創造力とかいわれるけど、なかなか、学校で個性豊かに生徒たちが暮らすと、集団は困ったことになってしまう。ましてや、中学校ではほぼ全員が高校受験に直面する。あまり、いろいろ迷ってるヒマもなさそうなのだ。


まあ言えば、学校は規格に沿った人間缶詰工場なのだ。でも、缶詰になっちゃいけない。


缶詰になれない子が、時として不登校になる。彼らは創造力が豊かで、缶詰になりきれないのだ。


ただし・・・規格外の生きる道は雛形もなければ、カリキュラムもなく、そんな奴のために裂いてもらえる税金もない。たいへんなんや。時として、それで、自滅してしまうことがある。


でも、その道を選んだんやからね・・・ひきかえされへん。学校へ行かないという常識破りの選択をできたんやから、あんたなら大丈夫。十人十色の先頭を行きな。

大方の見方

気が弱くて線が細い。


家庭に問題がある。


片親。


生育過程に困難あり。


母親が過干渉。 父親が無関心。


過保護に育った。


要配慮。


子どもがわがまま・あまえた。


まあ、おおむね 学校では そんな見方をされま す。そして、学校ではそんな風に思ってることを 、オクビにも出さないことに一番神経が払われま す。


で、一番 無関心なのは先生。不登校の指南書に 書いてあるようなことしかいえませんし、想像力 もありませんし、たいして心配もしてくれてませ ん。


まあ、無関心だと責められる先生も気の毒か・・ 。あまり興味がない・・といったほうが適当か。へんな興味のある先生より、興味のない先生のほうがまし!かもしれません。sorenisa 先生もね、人んちどころじゃないんですよね。仕 事以上のことは期待しないでください。教科をち ゃんと教えてくれてたらそれで良しと思ってやっ てください。


so-so- くれぐれも、教育委員会がやってるような不登校 適応教室なんかにいっちゃいけません。退職した ご立派な校長先生が、老後の足しにやってるだけ で、百害あって一利なしです。


でも、ちょっと待て・・こども諸君。


ここで頼れ るのは親だけか・・とおもったら、こっちもそう 甘くはない。 親は子どものことを冷静な目でみることがでけへ んからね・・・。まだ起こってもない大不幸の妄 想に振り回されてしまってるので、客観的な目で 物事を判断する能力を失っております。親はむし ろ、君たちがかばってやらなんくらいだと思います。


せやねん・・こどもたち。やっぱり 一番頼れる のは自分しかいてへんねん。。自分が強くなるし かしゃーないねん。負けるなー。

修学旅行

修学旅行は行くか行かないか、どうするかの返事をくれと先生がいう。日にちが迫るとキャンセル料が多くとられるのだそうだ。


私たちは、息子の気持ちを優先したいので、キャンセル料がかかってもいいので、最後まで答えを待ちたいと先生に伝えた。


息子は行くとも行かないともハッキリしない。何を迷うのか、何がネックなのか、行きたいのか行きたくないのか・・情けないながらも親の私にも何も見えてこない。


その後、先生からはこの一ヶ月、しょっちゅう電話が入る。


そのうちに早く決めてくれという雰囲気も感じられるようになる。自分も教師の主人はそりゃ、教師とすれば滞りなく修学旅行を運ぶために早く済ませなければならない事務手続きもあるし、行ったものの、他の生徒に悪い影響でも与えるようなことがあってもいけないだろうし、行くのならいくという約束を交わしたいこともあるだろうという。連れて行ったわ、向こうに迷惑を掛けるわじゃ、先生に悪いという。


そういいながらも、先生は「行くのか、行かないのか」息子の気持ちを尊重してやりたいですとおっしゃる。


学校側の人間である先生が息子の気持ちを尊重してくれて、なんだというんだろう・・・。主人が先生の気持ちを尊重してどうするんだろう・・。先生に悪いって、先生は、これでお給料をもらってるんじゃないのか。学校という道に掛けてのプロではないのか。


学校をやめたわけじゃなし、先生は息子が行くといえばつれていってやってくれるのが仕事ではないんだろうか?


先生は冷たい・・そう思った。息子が行く行かないと思うことは別として、先生は学校に勤める人間として、一緒に行こうといってくれていいのではないのだろうか。そして、行く前に何かの約束なんかさせるのではなくて、何も心配するなといってくれてもいいのではないだろうか。


明日から修学旅行。息子は昨日になって行くと言って準備を始めた。主人が学校に連絡をいれると、今日の夕方、息子を連れて学校へ来てくれないかという。なぜ?学校へ息子をつれていって、条件でも出すのだろうか?


息子はやっぱり行きたいのだと感じている。友達にまじって、親の元を離れて、一緒に旅をしてみたいだろう。


「行きたいんやったら、誰がなんと言おうと行くのがいいと思うわ。お母さんは先生は冷たいって思う。先生やったら、君が行かないって言ったって、一緒に行こうよ、一緒に来いよって行ってくれてしかるべきやと思う。先生の呼び出しだって行きたくなかったらいかなくていい。お父さんに一人で行ってもらったらいいわ」


給食費

給食費は大方、息子が学校へ行かなくなっても、半年以上、払い続けてた。学校に携わる人々にとっては、それは小さな金額だと思うのだろうか。


210円x20日。私にとっては結構な出費だった。そのお金で、1回のカウンセリングのお金が出る。または、一度くらいの気晴らしの外出もできる。


ある程度の確実に欠席するという事実がないと、給食はとめられないのだそうだ。それも一週間ぐらいなら、手続きをして、止めて、即再開・・ということになるので、止めないらしい。ゆえに、不登校に限らず、インフルエンザで一週間休んでも、給食代は、元気に学校にいってる子どもたちへの寄付になるわけです。


”210円くらい・・”どんぶり勘定の公的機関はそう思うんだろうか?


何ヶ月単位ではなくて、3日でも、欠席が確実なら取らないようにできないのだろうか?どうしてできないのだろうか。事務手続きが煩雑?給食のパートの人のため?


たとえばファーストフードショップで、210円余分にとられても、まあ、たかが210円くらいだぁら、まあいいや・・って思うだろうか?


ささいなことだろうか?できないことだろうか?


それしきのことができないくらいで、学校へ行けなくなった子どもの決め細やかなサポートなんで

できるんだろうか。


答えは、たぶん、できない。

勉強が面白くない

学芸会があった。子どもたちは、練習の過程で、不満をこぼしたり時にはしていたけれど、終わった後「みてくれた?」「写真とってくれた?」きらきらした目で、私に聞いた。


先生は大方のひとが声が大きい、笑っているときも怒っているときも、本当に大きな声だ。特に怒っているときは、そんな大きな声で怒らんでも・・と私はよく思う。だけど、自分の子どもがまだ、幼稚園にも行かないとき、3人もいた小さい子どもたちの下の世話から食べること、家の用事に追われていたとき、私も大きな声で子どもたちを怒っていたのを思い出す。私が子どもを叱ると、横から、姑や他人に、そんなに怒らんでも・・といわれて腹を立てたのを思い出す。


そう、必死だったんだ。


だから、学校の先生は、必死なんだ。だれが、そんな他人の子どもを(お給料をもらっているとしても)必死になって怒るだろうか。先生はすごい・・・と、学校の現場にいて、私は思う。そうして、その子どもたちが、学芸会で1つの作品を仕上げて、私に「みてくれた?」そう問う姿は、子どもたちの努力の賜物でもあり、また、先生の努力の1つのすばらしい結果である。



それをわかったうえで、思うこと。



たくさんの人間をひとところに集めて、おなじカリキュラムをある課題まで一緒に連れて行かなければならない先生は大変だ。もともと、ちいさいとはいえ、子どももそれぞれの個性を持っていて、一人ひとりちがう。だから、吸収の仕方も興味の持ち方も理解の仕方も、みんな違うのが当然だけど、30人、または40人、全部、一緒にゴールへつれていかなければならない。


その中で、時には無理強いや、理屈はおいておいてやり方だけおぼえなさい、や、何も考えずに先生の意向にそったレポートをだしなさい、や・・・よくわからないが、子どもの興味を、カリキュラムが上回ることなんて、しばしば・・いえ・・・さいさいあるだろうと思う。


息子が学校へ行かない理由。


そんなものを探してどうなるんやと言われるが、時には夢にも出てくる。その中には、勉強が嫌なのだろうというのがある。


微熱が続き、食べるものもろくにのどを通らなくなり、頭痛や下痢が続く中、「風邪だろうか?病気だろうか?精神だろうか?」という心配をよそに、息子は「補修で放課後に残るのは嫌やから、この程度なら学校へ行けるから、行ってくる」そういって、出かけたものだった。補修が嫌だ、勉強が遅れては嫌だ、学校には行かなければならない、勉強はしなければならない、勉強をして、自分の人生をよりよく生きたい・・・それは、息子が一番思っていたと思う。


勉強は、本当は詰め込まれたり、しなければならないものだったり、これがないとよりよい人生が送れないもの・・というものでは、ないはずなのだ。興味の先にあり、人はその興味にそって疑問をもち、調べたり、考えたりして、自然とつみかさねていくもの。本来、呼吸をしたり、物を食べたりするのに等しい生きる行為だとおもう。別に何々のためにするものではない。自分の中の疑問や希望がものを学ぶという形になってあらわれるものなのだとおもう。


「なぜ、勉強しなければならないんだろう?なぜ、学校に行かなければならないんだろう?」誰かのせいだというのではない。でも、若い世代に、こんな問いが発せられるのは、親である私の、そして、大人の社会の、1つの敗北なんだとおもう。


娘の反乱

娘の冬の制服をしまい忘れた・・。いつも必ずしまう場所にしまっていない・・はて?もしくは、どこかのクリーニング店に出しっぱなし?なのか、ここ数日、探し回っている。だんだん、寒さも増してきたので、娘にチャコールグレーのカーディガンを着せた。


ところが、それが2日連続、合計2枚、没収されて帰ってきた。


禁止なんだそうだ。


帰りに薄いブラウス1枚で帰ってくるので、帰りには返してもらってこないと寒いでしょう・・というと、体育の先生の没収の仕方が横暴やから、絶対、もらいにいかない・・という。


「おい、そこのおまえ!カーディガンぬげ!よこせ!」
「放課後にとりにこい!」
と先生は言うのだそうだ。

娘は「そっちが持って来い!」といって帰ってきたらしい。


娘がそういったから、先生は意地でも返してくれないのだろうか?


娘のはねっかえりぶりも、あぶなっかしいけれど、でも、その体育の先生の言い方は八掛けにして聞いても、私もなんとなくいけ好かない。


だいたい、校則ってなんなんだ。集団で生活するためのルール?教師(学校)はなにを根拠に「校則」なるもので生徒を拘束しているのだろうか。


娘が、今日寒そうに帰ってきたのをみて、娘の学校の思いやりのなさが、本当に嫌だった。校則の考え方はいろいろあるのかもしれないけれど、さあ、その後始末を何もしてくれないで、ほうったらかしというのが、納得できない。没収したとして、その後のフォローはなんにもなし。先生まで生徒と対等に意地で対抗して、大人気ない。こんな軍隊みたいな考えの下に教育を施されているのが、かわいそうになる。


息子が学校へまだ通っているとき、靴下にワンポイントがはいってたらだめだとか、ジャージの線が2本まではよくて3本はダメだとか、髪を染めてはダメだとか、ピアスはだめだとか、そういうことをいちいち拘束されるのが、がまんできないと私に言ったことがあった。私は、「ほんの2~3年、我慢すればいいことなんやから、そんなことで、別にエネルギーを使わなくても、適当にあわせてやっていくことのほうが得策だとおもう。要領よく生きなきゃ・・」と、息子に言うと、悲しそうな顔をしてそれ以上、何も言わなかった。


ささいなことだから・・・要領よく・・・あれも我慢して、これも合わせて、そちらは迎合して、むこうはあきらめて・・・そうやって、生きてきた人生は、結局、そういう人生なのだ。


友人がアメリカンスクールに通っている。別にアメリカがすばらしい!というわけではないけれど、ピアスはあかちゃんのころからあけている子もあれば、学校にもしてくるし、制服は決まってなくていろいろな洋服をきてくるし、ましてや靴やジャージの線の数など、決まってるわけもなく、髪や肌はもちろん、いろいろが当たり前で、中には染めている子もいて・・・


で、だからといって勉強に支障をきたしているかといえば、そんなことはまったくない。


では、日本の学校が、同じ洋服を着せて、同じ勉強をさせて、さまざまな校則を強制する意味は何なんだろう。


今、私は娘はもっと、あばれればいいと思っている。体育の先生は、自分に自信がないからそんな横暴な物言いをするのだ。学校は、自分の教育に自信がないから校則で拘束するのだ。

あのころ、私ももっと息子の気持ちに寄り添ってやれる母親なら、息子のあり方はかわったのかもしれない。



理由

学校へいかない理由はいっぱいあって、どれも決め手にはならない。理由をさがして、原因を追究しても、なにも変わらない。


だけど、時に、なぜ・・ということを、じっと、いつまでも、ながく、ながく、考えている私がいる。


その中の1つ、勉強がおもしろくない。これがあるかもしれないとおもって考えをめぐらせているときがある。


息子は非常に数学のできる子だった。数学の先生が、学校でならうやり方ではない自分の発想で数学の問題を解くとおどろかれたことがあった。


それをきいて、私は彼は数学が好きなのだろう、才能もあるのかもしれない、のばしていくのに親として何ができるのだろう・・と考えていた。


だけど、こうやって学校にいかない選択をした息子は、学校へいかなくなったら数学のすの字もいわなくなったし、その手の問題や本をひらけることもなくなったし、話題にさえしなくなった。


そして、考えても仕方ない理由探しの堂々巡りが、私の頭の中ではじまる。


勉強に子どもが疲れてしまう・・。


これは、親の敗北だ・・。


勉強は本来、呼吸をしたり、物を食べたりするのに等しい生きることだとおもう。別に何々のためにするものではない。自分の中の疑問や希望がものを学ぶという形になってあらわれるものなのだとおもう。


「なぜ、学校へ行かなければならない?」どうして、息子の口からそんな問いが発せられるのだろう。「学校へいっても仕方ない」どうして、仕方ないのだろう。


私はいつ、どんな形で、子どもに勉強を強制したのだろう、どんな形でおいたてたのだろう。わたしの中に、日々の暮らしに学ぶ喜びの姿が、子どもの目には見えなかったのだろうか。わたしの中にそうした楽しみや充実がなかったのだろうか。


どうどうめぐりを終えて、何も答えをつかむことなく、時に絶望的になって、本当に悲しい気持ちに打ち沈む私がいる。

叶わぬ夢

松本清張のドラマをみた。会社員の夫が小説家を志して、会社をやめる。ところが小説がうれない。妻はある編集に関わる人に夫の小説を取り上げてもらえるように、頼む。そして人と肉体関係になる。夫は少しはとりあげてもらえることになる。そして、何かあるたびに、妻は肉体を要求される。ところが、夫の小説は結局は、日の目をみない。おまけに、妻は体をうった男を愛し始めてしまう。おまけに、ある日、その男は結婚する前提の女性ができる。ラストは夫は自殺、妻は男を殺す。

そのドラマのエンディングがなんともかなしい。モノクロの画面に窓から吹く風でページがぱらぱらとめくれる何も書かれていないノート。彼らにとって、夢はいったいなんだったのだろう。小説家になるために、会社をやめてまで夢をおいつづけた会社員、夫は、絶望して自殺してしまうのは、夢が叶わないからであって、では、叶わなかったら、夢を追ったことは意味がなくなるのだろうか。

夢は叶わないから夢で、適えば夢ではなくなる。夢を持ち続けて生きることは、いつまでも適わないものを抱えて生きているということでもある。


では、叶わないただの夢が、人の人生にもたらす意味はなんなんだろう。夢を追うために得たものは何?犠牲にしたものは、何?


子供は歌手になりたいという。それでフリーターのように職をてんてんとして生きる。何もやりたいことがない・・といった時代のことを思えば、今のほうがずっと生きる力はわいてきているといえる。ただ、叶いそうも無い夢を追っている彼を、黙って見守るしかない私は、たとえば、夢が叶わない場合・・・のときのことを考えたり、または、かなわないと決め付けてる自分を責めたりする。

夢・・それはどんなにすばらしいもので、人が生きていくためにどんな意味をもっているというのだろう。

一番目の夢

ドラフトで中日ドラゴンズに指名された石井裕也選手は左耳がまったく聞えず、右もわずかな音しか聞き分けられない。ご両親は言葉を失わないようにと一生懸命訓練し、口の動きを見て人の言葉を理解できるようにさせた。


小学生の彼は将来、プロ野球の選手になりたいという夢を持つ。彼のことをご両親は複雑な思いをもって、見守ってきた。高校では名門横浜実業で野球をした。でもプロにはなれなかった。五体不満足の著者乙武くんは、障害はその人の個性にすぎませんといった。だけど、彼にとって障害は人生の大きな障害だった。でも彼は失望せずに三菱重工に入社、1から、身体をつくりなおし再び努力を重ねて、そこで社会人野球に参加するようになる。3日の練習以外は、会社員として朝から晩まで働く。夢は夢でおわったけどご両親はそれを喜んでおられた。


それが、今年、指名がかかった。ご両親はプロ野球は一生できる仕事でもなければ、入団したとしても、一軍の選手になれるかどうかも解らない。できることなら、三菱で働きながら野球も出来るという選択をしてほしかった。


だけど、息子は夢に向かって歩き出していった。


夢はいつも叶うとは限らない。それどころか、一番目の夢も2番目の夢も3番目の夢も叶うことがないのが人生だと思う。4番目の夢が叶えば、それはまだいい方で、実際には10番目や20番目の夢をやっと叶えて、それでも満足して生きていくのが人間の人生というものやって思う。


彼は障害を抱えた上で、1番目の夢のしっぽをつかんだ。ところが、1番目の夢を叶えたことが、必ずしも幸せだとは限らない。その夢に飛び込んだがために絶望することだってあると思う。夢は夢だから美しいということもあると思う。叶えたことと、報われることはイコールではないかもしれない。


だけど・・・。それを手にした彼と、彼と一緒に彼の人生を祈り続けたご両親を見ていると、本当に心を打たれるものを感じる。生きているってすばらしいなって思う。自分のことを信じ続けた彼と、彼のことを信じ続けたご両親はすごい。私も自分のことも、親のことも、そして、子供のことも、自分の周りの全てのことに対して、信頼と祈りをもちたい。

親の失望

昔、私は、大学受験に失敗した。父は女が浪人なんかしたらあかんといった。そういった父の言葉は意外だった。それほど、親と私は意思疎通ができてなかったのだろう。とくに「女が」というのがすごい嫌やった。父はわざと私を傷つけようとしていっているように感じた。傷つきやすかった当時、その言葉1つで私の気持ちはかたくなになってしまった。


結婚もして子どもを持つようになった私にむかって、母はいまさら、「親やのに、もっと説得したら、思うようにさせてやったのに・・」という。人生の大切な一時期に、どうしてもっとちゃんと話し合えなかったか。あの時、何がつらかったのか。


私はちいさいころから優等生と呼ばれる部類の女の子だったと自分で思う。先生からもほめられ、友達も多くて、思いやりがあるといわれ、親の期待にはこたえてきた。

今になって思えば、それは自分自身の本当の姿、本当の希望ではなかったのだろう。そして、人の希望に、自分の仮の姿を取り繕うことにほとほと疲れてきたのが高校生ぐらいだったのかもしれない。でも、ほとほと疲れても、いまさら作られてきた自分を違うものになどできるわけがない。ほとほと疲れても、私はそれこそ必死の思いでがんばっていた。必死の思い出がんばってきたけれども、たった1度の受験失敗を、両親にまるで人生の挫折したかのように言われたのは、今までの自分すべてを否定されたような気持ちになったのだと思う。いや、親はそんなつもりはなかったかもしれない。でも、自分にもう余裕の無かった私には、そう聞こえてしまったのだろうと思う。


「両親が私に失望した、両親は私に誇りがもてなくなった」


私はおそらくそれが何よりつらかった。そして、「女が」という言葉に反発しながらも、私はもう大学なんか受けても受からないのではないか、両親が失望したその私が本当の私なのだ・・という思いが心の中に沈んで落ちた。


もう、高校生なのだから親がどう思おうと・・・という思いももちろんある。でも、子どもはいつも親に認められたい存在なのだ。子どもはそれほど無力で生まれてくるから。それが果たせなくなった・・と子供心に感じることは、大人が思う以上に子どもに大きな負担をかけることなのだと思う。


だから・・・


だから今、学校へ行く、行かない、大学をうける、就職をするしない・・・私の子どもたちはいろんな人生の選択をして、それは私の意向にはそわないことも多い。私はそれについて、思うことはハッキリ言おうと思う。どこまで実行できるか想像もつかないけれど、私が自分の思いをハッキリ伝えたうえで、それでも、子どもたちが違う選択をするとき、どんなにがっかりすることがあっても、彼らを信じて、「失望」だけはしない母親でいたい思う。