親の失望 | 学校には行かない

親の失望

昔、私は、大学受験に失敗した。父は女が浪人なんかしたらあかんといった。そういった父の言葉は意外だった。それほど、親と私は意思疎通ができてなかったのだろう。とくに「女が」というのがすごい嫌やった。父はわざと私を傷つけようとしていっているように感じた。傷つきやすかった当時、その言葉1つで私の気持ちはかたくなになってしまった。


結婚もして子どもを持つようになった私にむかって、母はいまさら、「親やのに、もっと説得したら、思うようにさせてやったのに・・」という。人生の大切な一時期に、どうしてもっとちゃんと話し合えなかったか。あの時、何がつらかったのか。


私はちいさいころから優等生と呼ばれる部類の女の子だったと自分で思う。先生からもほめられ、友達も多くて、思いやりがあるといわれ、親の期待にはこたえてきた。

今になって思えば、それは自分自身の本当の姿、本当の希望ではなかったのだろう。そして、人の希望に、自分の仮の姿を取り繕うことにほとほと疲れてきたのが高校生ぐらいだったのかもしれない。でも、ほとほと疲れても、いまさら作られてきた自分を違うものになどできるわけがない。ほとほと疲れても、私はそれこそ必死の思いでがんばっていた。必死の思い出がんばってきたけれども、たった1度の受験失敗を、両親にまるで人生の挫折したかのように言われたのは、今までの自分すべてを否定されたような気持ちになったのだと思う。いや、親はそんなつもりはなかったかもしれない。でも、自分にもう余裕の無かった私には、そう聞こえてしまったのだろうと思う。


「両親が私に失望した、両親は私に誇りがもてなくなった」


私はおそらくそれが何よりつらかった。そして、「女が」という言葉に反発しながらも、私はもう大学なんか受けても受からないのではないか、両親が失望したその私が本当の私なのだ・・という思いが心の中に沈んで落ちた。


もう、高校生なのだから親がどう思おうと・・・という思いももちろんある。でも、子どもはいつも親に認められたい存在なのだ。子どもはそれほど無力で生まれてくるから。それが果たせなくなった・・と子供心に感じることは、大人が思う以上に子どもに大きな負担をかけることなのだと思う。


だから・・・


だから今、学校へ行く、行かない、大学をうける、就職をするしない・・・私の子どもたちはいろんな人生の選択をして、それは私の意向にはそわないことも多い。私はそれについて、思うことはハッキリ言おうと思う。どこまで実行できるか想像もつかないけれど、私が自分の思いをハッキリ伝えたうえで、それでも、子どもたちが違う選択をするとき、どんなにがっかりすることがあっても、彼らを信じて、「失望」だけはしない母親でいたい思う。