みんなの影
いじめられた子どもの親が、転校させますという。その子は死にたいと連絡帳にかきなぐった。この時節、学校はてんやわんや。職員は学級でなんども話し合いがもたれた。
いじめた子をふくめて、その子にあてた手紙を持って自宅へいったそうだ。その手紙を読んだ親は、「のりが軽い」「今、いましめて、おさまってもまた同じことが繰り返される」「教師はどんな教育をしてるのか」「あの子達は、わかることはない」そういったそうだ。
じゃあ、親はどんな教育をしてるというのか。勧善懲悪なのか。自信があるものなのだと、感心してしまう。
どっちがどのくらい悪くて、どんなことが原因で、どういう結果が解決だというのだろうか。手紙を持っていった子どもたちが泣いて謝れば納得できるのか。
学級会でいい悪いを考えさせられて、手紙を書いて、ああ、自分は悪かった・・って思えるものなのか。学校に来なくなったその子は、みんながすみませんでした、仲良くしてくださいといえば、それで、心晴れて学校へもどってこれるのか。
自分の周りにいるいっぱいの変な人や自分の身の上に起きてくるおかしな出来事は、自分の闇から生まれた影の姿なのだ。
誰か特定の人間の悪でおきているわけではなくて、いじめは、いじめられるものの闇といじめるものの闇と、そして気がつかないものの闇と、しらんふりするものの闇がつくりだす影の姿なのだ。
その戦いに弱ってしまっては戦うこともできないから転校したり、引越ししたりという緊急避難もありだとおもう。でも、それはあくまで非難にしかすぎないから、先送りした闇はまた形をかえて影を作るのだ。にげても、にげても。
そのことだけに焦点をあてて、何度会議をしてみたところで、いじめなんて、なくなったりしないし、子どもたちも何も学ばないし、なにも乗り越えることができない。
死ぬ前にみてください2
「行きたいところ。
図書館、映画館、喫茶店(隅のボックス席に座って、レモンスカッシュが飲みたい)だけど、一人では結局どこへも行かれやしない。悔しくてさ、情けなくてさ、どうしようもなくて、わたしは泣くのだよ。
弱虫だね。仕方ないさ。私と泣き虫は足かけ二年のつき合いだもの。ちっとやそっとじゃあ離れてくれないよ。
今じゃあ、声を立てずに泣くことができるようになったし、ちょびっと泣いたくらいでは鼻の頭が赤くなるだけですむようになったがね。泣くと疲れて、目は腫れるし鼻は詰まる。食欲はなくなるし、いいこと一つもありゃせん・・・。
このごろは、みんなにつっかかってる。人間関係って複雑なんだよなぁ。だれが悪いというのでもないのに、知らないうちに進行していく。
私の病気といっしょだね。グスッ。」 1リットルの涙 本文より
たとえば物を食べたり、道を歩いたり、景色が見えたり、匂いがしたり、音楽が聞こえたり、こういうことは、自分にとっては、地球に空気があることとかわらないくらいあたりまえだったりする。
ところが。あたりまえと思っていることができなくなる。歩くのに右、右の次は左、左の次は右・・と考えないと足が動かせない。かかとの次にどこへ体重を移して、どの指から力を抜くかなど、意識しないとこけてしまう。
ものを食べるのに、まずは舌の上において、それから舌で右へやり、上の歯と下の歯ですりあわせる、つぶす。次は左、舌の上で味をかんじてから、どうやって喉の奥へすべらせるかなど普通は考えたりしない。
考えないでやっていることを、考えないとできなくなる時、どんなに一生懸命考えても、どんどんできなくなるのだ。
認知症で苦しむ母は、私に「わからない」「わからない」「言ってることがわからない」と いう。私はどうしてわからない??と時には腹をたてる。
病気で、老いで、だんだん排泄もおぼつかなくなったり、歩くことがスムーズでなくなったり、指が自由で動かなくなったり・・しかし、やがては自分の実の上にも起きうるできごとなのだ。
亜也さんは、15歳から体の機能が奪われえ行く病気におそわれる。それでも、明るく希望をもって、一生懸命生きようとする。
生きたい、生きたい、生きるってすばらしい・・そう願いながら、亡くなった。
赤ちゃんに生まれる前と、死んで体がなくなってからと、どちらの方が怖いか。
生きている自分の当たり前の日常が、いかに奇跡に近く、すばらしい能力を与えられて生かされているのか、思い知る1冊でした。物語は誰か知らない他人の物語ではない。生きていることが当たり前ではない。そして、知っていたはずだけど、父も母も兄弟も友達も、そして、私も必ず死ぬ。死ぬまでにあたえられたそれぞれの自分の時間を、感じました。
死ぬ前に見てください 1
たいそうなタイトルですが、映画の話。牛に惹かれて善光寺、息子にひかれてデュエルモンスター、夫に引かれて吉田拓郎。
吉田拓郎のコンサートにまたまた行ってきました。若い頃は金ぴかに輝いていた彼は、いぶし銀のような深みのある輝きを放っていました。やんちゃ坊主はどこかへ消えて、大人の拓郎。大人になった拓郎は禁煙するし、病気もしたし、人の悪口も言うし、これまたいい男でした。コンサートで後ろから見ると、みんな、10代20代の若者のようでしたが、帰りエレベーターのなかであう人は、みんないい年のおっちゃんとおばちゃんたちで、これまた大人になったファンでした。
みんな今日まで生きてみたんですね。そして明日からも生きていくんですよね。
嬬恋でもこのコンサートでも拓郎がエンディングに歌った曲が「今日までそして明日から」これが主題歌につかわれている「旅の重さ」という映画のことを思い出して再び見ました。私がその映画を初めてみたのは中学生でした。昔の名画は、大人になった自分の価値観と、今の時代に合わなくなって化石の名画もたくさんありますが、これは、今見ても、いいです。
「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落付いてね。そう、わたしは旅にでたの。ただの家出じゃないの、旅にでたのよ。四国遍路のように海辺づたいに四国をぐるりと旅しようと思ってでてきたの。さわがないで。さわがないでね、ママ。いいえ、ママはそんな人ではないわね。」映画より
悩んで自殺する前にみてほしいものだとおもいます・・・が、私は自分の子どもにだって、紹介しません。
こういうのは自分でみつけるもんなんですよねぇ。または自分で出会うものなんです。私の家のビデオの棚にあるのをみつけられない我が家の子どもたちは出会ってなんですよ。
新人とかかれた高橋洋子が非常にいい。ぴちぴちの顔と裸がとてもきれい。その肌をみるだけでも、価値があります。ほとんどセリフのないお母さん役の岸田今日子もおもしろい。自殺した若い女性役の秋吉久美子もかわいい。高橋悦史もこの映画の中の彼だけは、わたしの中で別人に見える。
そしてなんといっても26歳の拓郎が作った歌が体の中にしみいります。
現実世界で交流のある人にはお勧めしないんです。でも、バーチャルの向こう側で見ているこの記事を見た人には、是非、1度ごらんになってくださいって、お勧めします。その人は、私が勧めたからではなくて、この記事を自分で見つけたられたからです。
嫌いな子ども
「どうしてNさんは図書室に毎日いてるの?」 特別をみとめない学校で、教室へはいらないという特別を認めてもらっている子どもへの疑問。
素直な質問の場合もあるし、自分もそうしたい場合もあるし、悪意やいじわるや損だ得だの場合もあるし、または大人への批判である場合もある。
本人がいないところで私にこっそり聞きに来る。こっそりいってくる子どもは、私のことも大切にしてねというメッセージを含んでいるのだとおもってその時その場に応じて、一緒に考えてみたり、私の意見を丁寧に答えたりする。
本人がいる前で、素直やむじゃきを装って聞く子どもは、そのデリカシーのなさにムカつく。大抵あまり良くない感情を含んでいる。子どものくせにかけひきなどをいして腹黒い。その子も、私のことを特別に大切にしてといっているわけだけれども、嫌よといいたくなる。
でも、私は「いいのよ。図書室へ登校したければSさんもそうしても」と頑張って、答えることにしている。
「教室へ行くのが辛いときとか、図書室でしばらく勉強させてほしいとかでいうんなら、来てもいいの。先生やお母さんやお父さんがいろいろいうし、こうやってお友達だっていう人がいるかもしれない。でもね、自分で決めてくるのなら、それでもいいの。」
「どういうことかわかる?先生やお父さんお母さんは絶対教室に行かなあかん!っていうのに決まってるでしょ。それは、Sさんのことを思ってくれてるからそういうのもわかるね。だけど、Sさんはこっちがいいと思うときは自分がいいと思うことを選ばなあかんときがあるのよ」
「友達にいかされるんでもない。ましてや先生のせいでくるのでもない。それから図書室にいる私が来てもいいといったからくるのでもない。自分が図書室で勉強するって決めてくるの。○くんは、そう決めてここへ登校してるの。ここで勉強をしてるのよ。わかる?」
教室へ入ることができない子どもがいる前で、そういう挑戦を受けたとき、私は図書室に来ている彼や彼女をまもってあげなくてはならない。と、同時にそれを聞いてきた彼女も受け入れてあげる努力をしなければならないのだ・・
と思う。
だから、いい加減なことをいえない。強制的なこともいわない。嘘も言えない。でも、本当のこともいえなことがある。
なのに学校のこのように答えろといわれていることが適当だ。その場さえしのげれば、学校の規則にそっていることが一番、という答えだ。それをこたえて、私もその場から逃げればいいのかもしれない。そうすれば、図書室に通ってた子は来なくなるし、嫌なことをいう子どもは追っ払える。
なのに・・・「そういう子どもが来たときはこう言ってください」ということにまったく、反することをいってしまうときがある。私が自分で勝手に言ったことのせいで、自分が窮地に立つことがある。
行き場のない子ども
図書室は本を読むところだ。司書はそれを管理する人だ。図書室の運営管理以外は私の仕事ではない。昨年の年収は95万だ。それでも、夫の職場では、月10万を3ヶ月連続でつづいたら扶養家族はでなければならないことになっている。加えて、社会保険も税金も健康保険も自分で払ってる。
そんなに恵まれた職場とは・・・まったくいえない。
だけど、人間相手なので、公立図書館よりも人間相手の仕事が多い。その1つに教室へはいれない子どもが図書室登校をすることがある。私は教師ではないのでその子を預かることができない。
ところが、実際は先生方は一人の子どもにつきっきりになることができないので、ひどい日は1時間目から6時間目まで、私といることになったいるする。それが公になってはいけないので、教育委員会への報告書は先生が輪番でついてることになっている。輪番でついてるといっても、授業が始まったとき10分ほどのぞきにくるだけだ。
先生は「放っておいて、自分の仕事を優先してください」というが・・・放っておけるぐらいなら、悩まない。時には一緒に本を読み、ときには将棋に付き合い、時にわからないところを教えてくれといい、時にはがっくり落ち込んでいる横で一緒にすわっている。
「一人にしないで・・」子どもがそういうからだ。
私はまったく仕事がはかどらなくなる。そして、苦しみを訴える子どもといることで、精神的な負担を抱える。
校長先生なんて、ぜんぜん役に立たない。担任を持っている先生は忙しすぎてかかわることができない。講師や非常勤の先生はそんなことまで抱えるなんてごめんだと思っている。一番しっかりしてほしい保健の先生のことを、彼が彼女が嫌いだという。
きりがない。。
不登校の影にいじめがあることがよくある。いじめまで、発展しなくても人の悪意であることもある。
私も学校に勤めるにんげんながら、悪意をいだくことがある。悪意をいただいてはいけない・・と思えば思うほど、愛がなくなっていく。
話していてしつこい。これは、だってね、だってね・・としつこい。
なんど説明しても、だってね・・、こんなことしてはいけません、だってね・・今はお勉強の時間です、だってね・・・自分の言ってることが届かないのだろう。いくら言っても、聞いてもらえない気がするのだろう。理解されないと感じるのだろう。どんなにしてもらっても愛されてる感じがしないのだろう。
あまりに自分のことばかりいうから、こちらは疲れる。その子は、自分主義の行動をとったり、自慢げだったりする。かわいらしくない。
それとは、逆におどおどしていらいらさせられたり、何が言いたいのかよくわからないのに、でも・・・でも・・・という子どももある。でもとでも言えば、ましなほうで、自虐的であったり、被害者的であったりで、いらいらするタイプの子どももある。仕事とは効率がついてまわるものだ。だから、めんどうくさい。
私が疲れるのだから、同級生だって、友達だっていらいらするだろうとおもう。
勉強ができようができまいが、太っていようが、やせていようが、自己主張が強かろうが、ひっこみじあんであろうが・・自信過剰だったり自信過少だったり、そういう子はいじめの対象になるか、またはいじめをする側にたつ。両方とも結構、同じ穴の狢だ。実は同じ側面をもっていて共鳴しあうおんさのような間柄であったりする。さまざまな事情があるかとは思うけれど、おとうさんや、おかあさんに深く愛されなかったのか、または、愛され方をまちがっているのかだ。
愛情不足で片付けてしまっては、さあどうするのか・・ということがなくなってしまう。でも、やっぱり、深く愛される経験が薄い。薄い上に、その扱いにくさから人に友達に愛されなくなっていく。これからも、愛されなくなっていく。
なんとなく、扱いにくくて疲れる、しつこくてめんどうくさい、何をいいたいのかよくわからない・・・・
それでも、その扱いにくさが、そのまま、その子が苦しみなのだと考えて、せめて・・・・・嫌にならずに、根気よくつきあえる精神力を、なんとか持ちたいものだと思う。
親は何ができるのか?
母親に送られて学校へ来て、毎日校門のところにうずくまっている。学校から帰ると、玄関のベルをおしてお母さんがドアをあけるまで、彼は家の中にはいらない。お母さんには恋人がいる。カウンセラーの人は、家に不登校の子どもの養育能力がないという。学校も家の安息の場所ではない。
不登校の子どもは、少なくとも家がどこよりも安息の場所なのだ。
でも、先生はいう。本当のことを言えば、不登校の子どもなら、学校へ来ないのだから、人員も手間もかからない。プリントをわたしたり、行事の連絡をいれるくらいのことだ。ところが、学校へ来るとなれば、ほっておいたといわれるわけにはいかない。なんとか勉強させなければならないし、教室へ戻れるようにしなければならない。
子どもは教育を受ける権利を持っていて、学校は受けさせる義務があるから。
学校へきたからには、先生が毎時間、つく。先生方は学年を超えて授業のない時間をつぶしてその子に1時間つく。授業がないとはいっても、先生に取れば、その時間に採点やテストをつくったり、事務をしたりと貴重な時間なのだ。そうした子どもが一人いれば、先生は予定外の負担を背負う。
ぶっちゃけてしまえば、学校へ来られなくなれば、先生は尽くす手がないから、1日の大方はその子のことは、忘れて過ごす。そして、学校へ来ている子どもたちへのやらなければならないことや、困った問題へ全ての力をつかう。
ようするに、自分のところでなんとかできるのなら、自分たちでなんとかしてね。だって、自分の子どもでしょ。ということなのです。
だから、今のところ、不登校の子どもの教育を受ける権利は、親が補償しなければならない。国は、これといった補償などしてくれないのだ。これから、してくれるようになるかもしれないけど、今は何の保障もされない。家庭教師をつけるにも、カウンセリングに通うにも、病院にかかるにも、お金がいる。
いったい、親は具体的に何ができるのかと、悩み苦しむ。
いじめの気配
ゆきこちゃんが、上靴が片方なくなってしまったと言ってきた。「いつからないの?」と聞くと、今の時間は履いてきたけれど、戻ろうと思ったらなくなっていたという。
「とりあえず、お客さんのスリッパを借りておこうか」そういうと、ゆきこちゃんは、いらない、このままでいい・・という。
「このままやったら、あかんのよ。」「足も冷たいしね、何か踏んで怪我をしたらあかんからね。スリッパを履こうよ」そういって玄関へつれてゆき、来客用のスリッパをはかせた。
最初は、片方は上靴、片方はスリッパがいいといった。「スリッパはね、歩きにくいから、ゆっくり気をつけてあるかなあかんよ。おおきいからね」そして、歩く練習をした。そうこうしているうちにと、両方スリッパにするといった。
次の授業が始まったので、ゆきこちゃんは教室へ帰り、私はその辺をさがした。掃除の時間は高学年の子と一緒に探してもらった。次の日は、担任の先生が、1時間目をつぶして、クラス全員で学校の中をさがした。
それでも、今日もなかった。
誰かが間違えてはいていったのなら、1足 ほかにあまるはずだ。隠されるようなところもさがした。まちがって落ちそうなところも探した。忘れてなおしてしまいそうなところも探し、あるはずのないところも探した。
担任の先生は、物がなくなるって、嫌だ・・・と心配顔で、子どもたちがかえってからも探しておられた。先生は、とても素敵な先生だ・・。それにしても、本当に不思議だ。さっきまで履いていた上靴の片方だけが影も形もなくなるなんて・・・。
そして、私はふと、自分の息子の上靴がなくなった日のことを思い出した。あの日、息子は靴下を真っ黒にしてかえってきたので、どうしたのかと問うと、上靴が一足ないのだという。ちゃんと先生に言ったのかというと、言ってないという。また、その辺にぬぎちらかして、なくしたんでしょうと、私は息子を責めた。そして、そういうときは、ちゃんと先生に言いなさいといった。息子はそんなこと別に平気だと言い捨てて、遊びに行ってしまった。
その上で、どうして、裸足でいるのに、先生も友達も、気がついてくれたり、何か言ってくれたりしないのだろうと、いう黒い影が私の心の中をよぎった。来客用のスリッパぐらいあるだろうに・・・・でも、ささいなことを先生にいちいち言いにいくのは、なんとなくはばかられた。先生や学校に訴えても理解されないような気がした。うるさい親だと思われるのがおちだとおもった。息子がしっかりしなくてはならないのだ と、おもいなおした。
息子はどうして先生や友達に言わなかったか・・?その当時は、情けない息子だと思った。でも、今ならわかる。なくなった上靴に人の悪意を彼自身が感じたからいえなかったのだ。子どもは、そんな悪意なんか感じていない振りをして、親や友達や先生をごまかす。
みじめだから。
彼が大人になった今、初めて、いじめがあって辛かったことをブログに書いているのをふとみて知った。
そうだ、息子の自転車がよくなくなった。息子が鍵をかけないから悪いのだと思ってた。その自転車が川におちていたことがあった。プロレスごっこがはやって、よく怪我をしてきた。息子が小さくて弱いからだと思った。
靴がなくなったことぐらい気がつかない。先生も、友達も。だから、遊んでいるようにみえるいじめなんて気がつかない。先生も友達も・・・そして親である私も。
そして、私が黙っていた結果、見過ごされてしまうことがたくさんある。それを10歳にもならない子どもがたった一人で背負って生きてきたのだ・・と思った。
親は、子どものことなんか、何もわかっちゃいない。
PTA役員
子どもが学校へ行ってないのに、選挙では選ばれたPTAの役員。
息子が学校へ行けいないことで、なんとはなく、影でいろいろな立ち話の魚になっていることを感じていた。感じていたのは、私の思い過ごしかもしれないし、教えてくれる人の嘘かもしれないし、いや、本当にみんなはあることないこと興味本位でしゃべっていたかもしれなし。
でも、確かなのは、私(親)の思いは子どもの本当の思いから程遠いし、先生の思いは、仕事の範囲の中でのできごとだし、ましてや、他人に取れば、一種のゴシップに他ならない。一番辛い子供からみれば、みんな遠くにいる。その中でも、一番遠い人々が、そのこととについて話していても、話していなくても、私はそういう世間というものの中に入るのが、とても嫌だった。
だから、PTAの役員は、勘弁してほしかった。私は本当は家にこもって誰にも会いたくない気分だった。
誰かに子どものことを聞かれるのも嫌だし、子どものことを聞かれないのも嫌だった。私がそれにどう答えたらいいのかわからなし、どう無視すればいいのかもわからなかった。誰かに忠告されるのも嫌だったし、誰かに批判されるのも嫌だったし、誰かに同情されるのも嫌だった。
ただ、そうなの。こまってるの。とにこにこ笑うしかない自分が悲しかった。そして、時にはいらないことまでいってしまう自分が、息子に申し訳なかった。
人々の善意も悪意も興味も、みんな私の負担になった。
役員は選挙制で、何度も当たる上に、断れないことになっていた。息子が学校へ行く、行かないでてんてこ舞いしたとき、来年にしてほしいと、お願いしたが、名前だけでいいので、うけてくれと頼まれた。息子がこんな状況で、どんな人のお世話にならなければならないかわからい。そう思うと、強く断ることができなかった。そして、実際には、私が欠席した分、人手が減るし、穴埋めもしてもらわなければならず、PTAを家より優先することになる。優先してやった仕事といえば、子どもが喜んでるか喜んでないかよくわかれへん息子の参加しない行事と、息子の参加しない運動会の準備と、バザーと、社会見学と、読んでるか読んでないかわからないPTA新聞だ。
そんな私が役員を引き受けなければならない裏側で、役員に一度もあたらずに過ごす人間がいる。票はあつまりそうなところへ、票は集まる。いや、集める。票の集まりそうな人のところへ票をいれる=自分のところへこないように。役員なんかやらない人のエゴの集中攻撃だ。これは一種のいじめだ。
心配しててん・・と言われたり、人の嫌がるPTA役員は選挙であたてられたり、人ってつめたい・・そう思った。
図書室登校
教室にはいることができなくて、苦しんでいる男の子は、この数ヶ月、1日中、図書室にこもっている。
「いま、4年生やろ、この単元を絶対やっておかんと、5年生になって教室に帰ったとき、まったくついていかれへんことになる。本当に困ったことになる。理科や社会はあとからでもいけるけど、算数と漢字だけはこつこつやっていかなあかん」
そういって、先生がプリントや教材を持って彼を訪ねてくるときは、時には彼はまったくうけつけられなくて、部屋の隅にうずくまってしまう。時には、先生と一緒に1問、1文字と勉強を積み重ねる。苦しみながら、先月よりは今月、今月よりは来月と少しずつ勉強という階段ものぼっていく。空いた時間をつぶして先生の熱意の個人授業だ。
「本当は、小学校の勉強ぐらいあとからどうにでもなるねん。だからね、あせることはない。ゆっくり元気になったらいい。そして、何も心配することもない。でも、興味と関心があったら本をたくさん読むといい。本のなかに生きていくヒントも自分に対するメッセージもそれから、学校で習う勉強以上の力をつけることもできる。」私が言う。
彼はその中で、マジックツリーハウスという連載の本を楽しみに読むようになった。また、将棋の入門書を読んで以来、将棋を一生懸命するようになった。あれだけこわかった教室のお友達が、自分を訪ねてきてくれることを楽しみにするようになった。
考え方はいろいろあって、答えもいろいろあって、どれが良くてどれが悪いというものは、後になってみないとわからない。それでも、良とされることも悪いとされることであるけれど、彼のことを他人が思っている・・という実感は彼に伝わり、そして、彼に勇気と考えをあたえていることは確かだ。その両方があるから、彼は自分で感じ、自分で考え、自分で立ち直っていく。
たった、数ヶ月。本当に元気になった。道のりはまだまだ長いのかもしれない。でも、彼がもし、不登校になって、家にこもってしまったとしたら、得られなかった助けの手だ。







