死ぬ前にみてください2 | 学校には行かない

死ぬ前にみてください2


siro


「行きたいところ。
図書館、映画館、喫茶店(隅のボックス席に座って、レモンスカッシュが飲みたい)だけど、一人では結局どこへも行かれやしない。悔しくてさ、情けなくてさ、どうしようもなくて、わたしは泣くのだよ。
弱虫だね。仕方ないさ。私と泣き虫は足かけ二年のつき合いだもの。ちっとやそっとじゃあ離れてくれないよ。
今じゃあ、声を立てずに泣くことができるようになったし、ちょびっと泣いたくらいでは鼻の頭が赤くなるだけですむようになったがね。泣くと疲れて、目は腫れるし鼻は詰まる。食欲はなくなるし、いいこと一つもありゃせん・・・。
このごろは、みんなにつっかかってる。人間関係って複雑なんだよなぁ。だれが悪いというのでもないのに、知らないうちに進行していく。
私の病気といっしょだね。グスッ。」 1リットルの涙 本文より



たとえば物を食べたり、道を歩いたり、景色が見えたり、匂いがしたり、音楽が聞こえたり、こういうことは、自分にとっては、地球に空気があることとかわらないくらいあたりまえだったりする。

ところが。あたりまえと思っていることができなくなる。歩くのに右、右の次は左、左の次は右・・と考えないと足が動かせない。かかとの次にどこへ体重を移して、どの指から力を抜くかなど、意識しないとこけてしまう。


ものを食べるのに、まずは舌の上において、それから舌で右へやり、上の歯と下の歯ですりあわせる、つぶす。次は左、舌の上で味をかんじてから、どうやって喉の奥へすべらせるかなど普通は考えたりしない。


考えないでやっていることを、考えないとできなくなる時、どんなに一生懸命考えても、どんどんできなくなるのだ。


認知症で苦しむ母は、私に「わからない」「わからない」「言ってることがわからない」と いう。私はどうしてわからない??と時には腹をたてる。


病気で、老いで、だんだん排泄もおぼつかなくなったり、歩くことがスムーズでなくなったり、指が自由で動かなくなったり・・しかし、やがては自分の実の上にも起きうるできごとなのだ。


亜也さんは、15歳から体の機能が奪われえ行く病気におそわれる。それでも、明るく希望をもって、一生懸命生きようとする。

生きたい、生きたい、生きるってすばらしい・・そう願いながら、亡くなった。


赤ちゃんに生まれる前と、死んで体がなくなってからと、どちらの方が怖いか。


生きている自分の当たり前の日常が、いかに奇跡に近く、すばらしい能力を与えられて生かされているのか、思い知る1冊でした。物語は誰か知らない他人の物語ではない。生きていることが当たり前ではない。そして、知っていたはずだけど、父も母も兄弟も友達も、そして、私も必ず死ぬ。死ぬまでにあたえられたそれぞれの自分の時間を、感じました。