『まだ大部屋。いよいよの時は、個室に入る』





そんな言葉ばかり言っていた気がします。



母を励ましてるのか
私を励ましてくれてるのか、どちらともなく
おまじないのように唱えていました。



7月17日、
父が看護師さんに着替えをやらせない為
(怖いと言ったらしい)
母が面会時間に関係なく病院に行くことになりました。



母は朝から病室にいたけど、
父はいびきをかいて寝ていたらしく
昼に一旦帰ってきて、庭の草むしりを始めました。



田舎なので、庭も広い…
ましてやここのところ父のことで
バタバタしていて手入れもできず、草がすごい。
親戚にアレコレ言われるのも嫌なので
見えるところだけでもとらないとと思ったようです。



…葬儀を見据えて。




子どもたちがいるので、私は家の中の片付け。
8畳2間、床の間と仏壇と。



そしてそろそろシャワーを浴びて準備して、
父のところへ…
なんて言っていたら、病院から電話が入りました。



個室に入りました



背筋が冷たくなる。



母は急いで汗を拭き、着替えて病院へ。



私も子どもたちを連れて、母を車で追いかけました。



病院に着くと、父の姉2人もたまたま見舞いに来ており
エレベーターで鉢合わせて驚く。



個室に入ったことを伝えると、
空気が一気に重くなりました。



病室のドアを開ける手が震える。
胃が重いようななんとも言えない気持ちになる。
子どもたちの手を握りしめ、父の顔を見る。



…怖い。



あの時見た色だった。
祖父の、危篤に駆けつけた時の
怖い、黒い色。



半目で口を開けて呼吸している父。
あまりに変わり果てた姿に、子どもたちも黙ったまま。
居た堪れなくなり、子どもたちの手を引いて外に出ました。



子どもたちは何も言わず、談話室の椅子に座りました。



程なくして、叔母2人も出てきて私たちのところへきました。



涙を浮かべ
仕方ないね、仕方ないよね
と繰り返す…



幸せだったよね
幸せだったよ、孫もみれたし
幸せだったよ、(母)さんはとても自慢の嫁だった



1人の叔母がセカンドオピニオンすれば良かっただの、
知り合いはステージ4だったけど完治しただの
それを今言ってどうするの?と言うことを捲し立てたので


『やることはやった。父は先生を信頼していたし、
私もこれで良かったと思っている。
これ以上はなかった』
と強めに言い、黙らせました。



流石にバツが悪かったのか、少し雑談した後、
もし容態が変わればいつでも電話してほしいと
言って、2人は帰っていきました。



子どもたちの世話もあるので、母に帰ることを告げると
このまま泊まっていくと。



明日の朝、代わるからと
病室のドアを閉めました。
父に『またくるからね』と言って。



   




家へ戻る途中、うちの畑に人影を見つけました。



隣の奥さん。
幼馴染のお母さんでもあり、本当に小さい頃から
良くしてくれている。



あっという間に伸びてしまった
畑の草むしりをしてくれていました。



声を掛け、
父が個室に入ったこと、もうきっと長くはないこと、
たくさん父と旅行に行ってくれた感謝…
話しているうちに、涙でグシャグシャになり止まらなくなりました。



『明日ね、お見舞いに行かせてもらおうと思って。会いたいからね。』
泣きながらそう言ってくれました。



あのとき…
どうして『今行って』と言えなかったのか
すぐ後悔することになります。
今でもとても心残りです。



家に戻って、子どもたちの世話をしていても
どこか浮いたような感じがして
心がどこかに行ってしまったような…



母にLINEしてみると
父は痰が絡んで、吸引がすごく苦しそう
との事。
そばに行きたい。でも子どもたちもいる。



気もそぞろに、目の前にあるタスクをこなし
子どもたちのことが終われば、
無駄に広い家の片付けを始めました。



そして、8畳2間続きの和室に、父が帰って来た時の為の
真っ白な布団を2階から降ろしました。



普段寝ていたものではない
どこか冷たい白。



未来が想像できる布団をみて…呆然。



仕事終わりの主人から電話がかかってきて
ハッと我に返りました。



個室に入ったこと、変わり果てた姿のこと、
母が泊まっていること
もう、長くはないと思うことを話しました。



LINEでも伝えていたけど、言いたかった。
どうする事もできない抱えきれないものを、
少し救ってほしかった。



『今から、そっち帰るから。仕事は家でもやれるから。
とにかく手がいるでしょう。遅くなるけど帰るから』



それから23時頃に旦那が来てくれるまで、
私はひたすら癌の最期を検索していました。



痰が絡むと…あと○時間
顎を上げて呼吸しだすと…あと○時間



まだ大丈夫と信じたかったが、
最期を知りたかった。
苦しまないでほしい。
怖いのに辛いのに、自傷するかのようにその情報を読み漁った。



それに、
子どもたちの寝顔を見ながらどうしようもなく
やれることがありませんでした。



やっと深い眠りに落ちた子どもの寝息。



手持ち無沙汰なような、自分。



身体が勝手に動くように、また階下に降りていました。



ふと、仏壇の前に立つと
そこには祖父、祖母、私の兄の遺影があります。



父は息子を胆道閉鎖症で亡くしています。
症状があり受診していたのに、これまた医者に見過ごされ、
見つかった時には手遅れで、亡くなるまでずっと入院していたといいます。



10ヶ月の可愛い赤ちゃん。
目がクリクリで父に良く似ている…



私は会った事もないけど、小さな頃から仏壇にあった
見慣れた写真。



『お兄ちゃん、もうお迎えにきてあげて。
もう、お父さん頑張ったよ』
そう言って手を合わせました。



自分の行動に驚く。
何言ってるんだろうと残酷な気持ちになるけど
病室で見た父の姿を思い出す。



生きていてほしい。
でも、元気になる見込みはない。
なら痛みのない、息子のいる所へ。
ずっと会いたかったはずの、息子のところへ。



たとえ死んでも息子に会えるという、
希望があるんじゃないか
そう思ったら、ほんの少し救われた気がしました。



あとで聞いたら同じ時、母も息子に祈っていたそう。
頻繁にしてくれる痰の吸引を嫌がり
苦しがる父。
声も出せずひたすら苦しがる姿に母が耐えきれず
もう苦しくないように、『迎えにきてあげて』と。



(のちに、母は死期を早めたかもと後悔していたけど、それなら私も同罪だ)



兄の遺影を見ながら仏壇で立ち尽くしていると、
主人が到着し、少し気持ちが落ち着きました。
母にも一報を入れ、いつでも代われることを伝えました。



主人は支度を済ませ
子どもたちが寝てる部屋に来て、
私と長いこと話していました。



落ち着くようにと、色々話してくれているうちに
高ぶっていた私の気持ちも少しおさまり
いくらかウトウトしていたと思います。



3:07



携帯が鳴り、飛び起きます。
見ると、【母】の表示。



あまりに動揺しすぎて、
中々通話のボタンが押せません…
やっとの思いで出ると



『呼吸がね、弱くなってきちゃったの。
娘さんが来てるなら、呼んだ方がいいって』



『わかった、すぐ行く』



目を覚ましていた主人。
『行ってくる、子どもたちお願い』
『わかった、とにかく気をつけて』



慌てるな、冷静に。
事故はシャレにならないよなんて思いながら、
深夜なのに一々引っかかる信号に苛立つ。



夜間入り口で、面会票を書かされます。
早く、早く。



個室に入ると
涙を浮かべて、絶望したような表情の母。



父は、顎を上げて呼吸していました。



ハッと母が我に返り
『叔母さんたちにも連絡する?』と慌て始めたので
その方がいいと勧めました。



電話をかけに母が病室を出て行きました。



父と、2人きり。



やはり顎が上がって、呼吸している。
もう、ダメなんだ…



この期に及んで、手も握れない。
なんで?
勇気を出して、肩に触れました。



浮腫んで水っぽくパンパンだった。



『お父さん、ありがとう』



それしか出てこない。
もっと、言っておかないといけないことは?
もっと、触れておかなくていいの?



『お父さん』



看護師さんが部屋に入ってきて
『耳は聞こえてるから、たくさん話してあげて』と言ってくださいました。



でも…何も言葉が見つからない。



『○○(私の妹)も向かってるよ』
『ね、お父さん』
『痛かったね』



そうこうしてるうちに、叔母たちが来て
ワンワン泣き始めました。



あんなに感情出せるのすごいなぁなんて
感心してる自分と、
実の父に何もぶつけられない親不孝な自分。
ただ立ってることしかできませんでした。



しばらくすると、叔母たちも落ち着き
ポツポツと話しだす。



暗い部屋のやけに明るいオレンジのライトの下にいる父、
明け方の気だるい空気と、これから葬儀に慌ただしく向かっていく嵐の前の静けさ…
非日常過ぎて
ポカンとしている自分…



頭の中だけは
この後のことに邪魔されては追い払い
父に集中なければと落ち着きませんでした。



だいぶ顎をあげる感覚があいてきました。



心電図がないので、
どんな状態なのかはわかりません。



ただ、ゆっくり呼吸をする父を見ていました。



呼吸で振れるパジャマを見て
動いているか確認するしかありません。



4時半過ぎ



やけに若い医師が入ってくる。
ああ、もう亡くなったんだと悟りました。



『確認させていただきます。』



皆、無言でで頭を下げました。



慣れてないのか震える手で、胸の音を聴き
目をライトで照らします。



『令和元年 7月18日
4時41分、死亡を確認しました。』



やっと…声を上げて泣けました。



お父さん。



逝ってしまった。