実家に帰ると、父母の話をよく聞くようにしています。
 

初めて聞く話も多く、

今のうちに、いっぱい聞いておこうと思います。

 

 

その中で、

 

一番気になるのが、母方の祖父の事。

建具と家具の製造販売をしていました。

 

もともとは、他所の名主だったのが没落して、

 

曾祖父が京都大阪で修行して三重に戻ってきて、

津の近郷に落ち着いたとは、聞いていました。


よくある話で、そうなんや!くらいにしか聞いていませんでした。


祖父が亡くなって何年かして、大阪市から公共工事関連で、

 

曾祖父名義の土地があるので、

関係者に手続きをしてほしいという連絡が母にも来ました。

ほんまに大阪にいたのね!

それがずっと気になっていました。


曾祖父は、どういう経緯で、どんな思いで故郷を出て、

大阪京都で修行をし、戻ってきたのか。


祖父は、自分の兄の遺児もわが子同様に育て、

他所から来た新参者だったのが、地域に根を下ろして、

頼りにされるかっこいいおじいちゃんでした。


祖母は、地元の和菓子屋の娘でした。

祖父には2人の兄がいて、

その長兄の兄嫁さんが、金庫番で、お金の管理をしていたそうで、

大家族の上に財布も握られては、さぞしんどかったろうと思います。

それでも、その兄嫁さんと名古屋の大須の家具問屋街に家具の買い付けに行くのが、

たとえ片道徒歩一時間半の山道を汽車に乗るために亀山駅まで歩いたとしても、

 

息抜きだったようです。




NHKのファミリーストーリーのように、

祖父母たちの人生に触れてみたいと思うようになっていました。



母に話を聞くうちに、

宿屋をしていて、本陣だったという話が出てきました。

すぐ上の伯母が存命なので、これは話を聞きに行かないと!


父方の祖父は、旧制中学を出て紡績会社に就職しました。

そこで当時では珍しい職場で祖母と恋愛結婚したそうです。

島根出身の祖母が、結婚するときに、

「そんな遠いところに嫁いで、自分の味方は自分の影だけ」

 

と祖母の母親に言われたそうで、私も遠くに嫁いでので、よくわかります。

交通手段も連絡手段もロクにない時代に、さぞ心細かっただろうと思います。

祖父は、転勤で各地を回ったのち、津に戻り、

事業を起こし、時代の目を読む力のあった人だったようです。

私は内孫の初孫なので、大変かわいがってもらったそうですが、

生まれてすぐに亡くなっているので、記憶が全くありません。


両親から、祖父母の話を聞いていると、

みんなガッツがある!

私もその血が流れているんだと思うと、力が湧いてきます。


父が認知症で、徘徊しだすと気をそらせるために聞き始めました昔話でしたが、

自分の力になるとは、思ってもいませんでした。

元気なうちにもっといろいろ聞いておこう!





 

 

この季節、よく読んでいただいている記事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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