ボトムを買うとき、「・・・入らない、いや、もう少しで入るのに・・・むむむ・・・ちくしょー!」となるのが嫌でここ一年ほど普通のパンツを買わずショーパンやスカートに逃げてた。


けど、今日大好きなmoussyにいった。なぜかというと夏休みに短期でマルイで販売のバイトすることになったから。服装の規則が、

・デニム系等カジュアルすぎるもの禁止

・ミニスカ・ショーパン禁止

禁止のものしか持ってねえよ・・・orz

というわけでひっさびさにパンツ選びに。パンツ系は大学入ってからはほぼmoussy一択。形が綺麗だし長もちするから。

セールやってましたハート

そして!!試着をした際に嬉しかったのが・・・ここ一年こつこつダイエット含め美容系頑張っていたせいか・・・前は25インチだったのが23インチが履けるようになってる!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

同じインチでもメーカーによってキツイ緩いあるけど、moussyは国内で一番サイズがタイトらしいから、嬉しかったラブ最小の22インチをサラッと着こなせるようになるまで頑張るぞ!身長あと10cm高ければ全然ありなんだろうけどさ・・・私身長150cmだからさ・・・。

嬉しさと店員さんの口車のW効果で三着お買い上げ。お気に入りは↓このストライプのやつ。携帯でとったらぼやけた


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ぼやけで思い出したけど、「ぼやけの美学」ってあると思う。写真では一種の表現形態として確立しているけど。私は数年前に車に乗って、外を流れる景色を眺めてる時にそれに気づいた。コンタクトの調子が悪くなって取ったら、ぼやける視界の中にぼやけた光、つまりネオンとか信号機の光とか車のライトなどが淡く灯っていてとても綺麗だった。動く車の中にいるせいで後ろに流れていく光は、人工的なもののはずなのに、普段目にする信号機やネオンの看板なんかより遥かに幻想的だった。

写真でぼやけた光を見てもそこまで思わないが、肉眼で見ると感動する。人間の眼球の水晶体はこの世で最も優れたレンズだと言われる所以を垣間見ている気にもなる。


なんとも言い表せないが、ぼやけていないよりも、ぼやけた方が美しい、というものがこの世には確かにあると思う。でなければ、絵画の、特に日本画が得意とするぼかしの技法やたらしこみなどが伝統的に伝わってきたことの説明ができない。私見としては、光はぼやければぼやけるだけ綺麗だと思う。本来光は見えるというよりは感じるもの。だから、光を「見せる」のではなくて「感じさせる」ことのできている作品は逆に目を惹きつける。見させる、のだ。光の粒が散乱して空気の層に馴染んでいくのは、絵画でも写真でも見ていて心地いい。














久々の更新。下手したら一年ぶり近く。
この一年目まぐるしい環境や心境の変化があって、自身がそれに追いついたり追いつけなかったりでてんやわんやだった。周囲に迷惑もかけた。

精神的に不安定なこともあった。実を言えば今もまだ完全には抜け切れていないと思う。
私は感情ですら頭で考えることでしか処理できない人間だから、愚直なまでにずっと考えた。自分に対して、自分の周囲の物事や人間に関して。考えて行動しても上手く行かないことも多々あった。
その結果放置して中途半端なまま埃を被った物も沢山あった。構う気力がなくなっていた。考えればここしばらくずっともやのような虚無感が付き纏っていた。
このブログもそのひとつ。

最近私は整理を始めた。いらないものを捨てて、いる物を残す。埃をはたく。中途半端でごちゃごちゃしていた物事を徐々に簡略化する。そうして自分を徐々に整理する。

ブログも、新しく再始動したいと思う。
元は所属していたMid-Blueという団体の宣伝も兼ねて書いていた。そこでももう活動しなくなっていた。そこから抜けた。だからこれからはここは完全な私の個人ブログになる。
それと同時に、色々解放する。無理に明るく書こうともしないし、ランキングをあげようともしない。義務感も感じないし、もうかしこまったですます調も使わない。でも、ただの愚痴吐き場にする気も毛頭ない。

思ったことを書いていく。
とは言ってもやっぱり私の書いていきたいことは美術、というか美に関することで、主幹はやはりアートブログになるんだと思う。


昔の記事は消さない。変わってしまった考えもあるし、稚拙な文は目に余るけれど、考えながら書いた文章は今でも大事なものだし、一年前の自分が何を考えていたか記録するために保存しておく。

今までのものを、取り払う。
でも、真っ白にするんじゃなくて、塗り替える。



なので、Sarartは、またぼちぼち書いていきたいなと思います。

あまり更新できてなくてごめんなさい。。。

まだ忙しいので、今日は簡易近況報告だけ。


先日また詩を書いてらっしゃる方の取材をしてきました。もう少しして時間がとれるようになったら早急に書くつもりです。色々な分野を手掛ける器用な方で、独特の雰囲気を持っていました。


一週間ほど前ですが画家の大西里美さん が参加している展覧会に行ってきました。

「風の音色」という聴覚的要素を取り入れたインスタレーションを展示してらっしゃいました。

他の作家さんの作品も面白いものでいっぱいでしたよ。


信濃町駅最寄りのArt Complex Centerというところでやってたのですが、ここ、建物自体が素敵。住宅街の中にひっそりと建っているレンガ調の建物で、ステンドガラス風の窓もメルヘンチックで可愛いですheart+kira*


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ここがエントランス。



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一歩中に入ると、まるでおもちゃ箱のような印象です。アートショップも雑貨屋さんみたいな可愛い雰囲気。でも売っているものはちゃんとアーティストの作った小物や家具などです。

外観からは想像つかないほど中が広いです。展示室もいくつもありました。

入口近くにはオリジナルのカフェがあって、ランチもディナーも手作りのおいしそうなメニューが楽しめます。時間がなくて入れなかったので次回は是非・・・。


午前中またはおやつの時間など、暑すぎず寒すぎず、日が柔らかく差している時に行ってゆったり見回るのがお勧めです。木漏れ日の中だとレンガ風の建物がより映えてちょっといい気分になりますflower*


ちょっとわかりづらいところにありますが、特に女性だったら絶対ときめくと思うので笑、信濃町に行った際には探してみてください太陽w


The Artcomplex Center of Tokyo

〒160-0015 東京都新宿区大京町12‐9















最近だめでしたね。忙しくて全然更新できてませんでした。


いってきました。渋谷のBunkamuraでやってます。今や日本でもかなり有名になったジョン・エヴァレット・ミレイ 。(念のため:「落ち穂拾い」のミレー とは違う人です。)


あんまミレイは日本では展覧会などやってなかったのですが、すごいですよ今回。全点ミレイですよ。よく集めたなあ。


名前を知らずともこの「オフィーリア」を知ってる人は多いはず。


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オフィーリアはシェイクスピアの「ハムレット」に出てくる女性で、恋人に父親を殺され嘆き狂って水の流れに身を投げた場面です。オフィーリアは色々な画家の作品の主題にされましたが、その中ではミレイのオフィーリアが群を抜いていると思います。


細密なタッチで描かれた草花のリアルさとそれに相反する舞台的なセットが流石です。真ん中に浮かぶオフィーリアは元は美しかったのでしょうが、虚ろな目と水を吸って散るドレスによって頽廃的な雰囲気を漂わせています。それでも目の前にするとその美しさに圧倒されるのはミレイの技量を推して量るべしです。二つの意味で劇的な作品です。


ちなみにこのオフィーリアのモデルは友達でもあった、ミレイと同じラファエロ前派 の画家ロセッティ の妻です。


たださらに驚くべきは、この「オフィーリア」、実は22歳の時の作品なんです。かなり初期。ミレイは幼少の頃から絵画に関しては天賦の才があったようで、今回の展示には10歳の時の素晴らしいデッサンもあります。


序盤にこれが出てきたため若干「あれ?トリ終わった?」とも思いましたが笑、奥に行けばいくほど「あー、ミレイってオフィーリアばかりが独り歩きしてるけど他にも傑作はたくさんあるんだなあ」と実感しました。(詳しくなかったもので・・・^^;;)

作風も生涯を通じて変わり続けていて、今回の展示会はその変化をセクションごとにわけて見せてくれたのでとてもわかりやすかったです。20歳であそこまで描写力を高めてしまったら、その後死ぬまで開拓していくのは大変だろうなあ・・・


「マリアナ」



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「1746年の放免令」


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この犬の毛並!!是非生で見てください。陳腐な感想ですみませんが、ほんとに「本物みたい」です。


肖像画もたくさんありましたが、ミレイは「目を描く画家」だという印象を受けました。


「エステル」



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人物一人一人の目が実に生き生きとしてる。なかなかあそこまで生命力のある目は描けません。そして人物像の目だけでその場面の物語や画面外の事象までも示唆している。特に青い瞳の表現が美しいです。ギリギリまで近づいてみるとただの青と白と黒の混ざりあった色面なのに、なぜああも立体的に命を吹き込めるのか。

もはや謎です。笑


この三点はどちらかというとミレイの人生の前半のものですが、年を経るにつれて、筆致が荒くなっていきます。それでもある意味癖というか、質感描写・精密描写と浸透していたテクニックから逃れられない、滲み出る再現描写は影を潜めません。本人はどう思っていたのか知りませんが、私はそんな所がなんか好きです。

それがミレイらしさだとも思うし。


この展示は一作一作に解説がついてて、面白い展示でした。学芸員の方Good Jobラブです。

是非皆さんも足を運んでみてください。私は思わず(いや、必要性に駆られていたのもあって)マウスパッドを買ってしまいました・・・笑


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「ローリーの少年時代」

二人の少年はミレイの子供がモデルだそうです。









って引いた人の思考体系や内容が表れると思います。図書館で本を借りるとたまに部分的に前に借りた人が線を引いている時ありますよね。学術書なんかだと特に。

同じ本でも人によって重要視する箇所が違うので、線を引く箇所でその人の考えてることがある程度わかっちゃいますね。

同じ本で違う色ペン持たせて複数の人に線引かせてみたいですね。

引かずに違うところにメモして整理し直す人やコピーする人もいると思いますけども。

これだけじゃなんなので、最近へえーと思ったことをひとつ。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』あるじゃないですか。

あれに描かれている部屋は立方体なんだそうです。キリストの真後ろの壁も正方形になっていて、遠近法やなんやから計算すると実物大の部屋のおおよその大きさも推測できるのだとか。

あれ私実際イタリアで見ました。当時実際の食堂の壁画として描かれただけあってスケールがすごかったですね。テーブルに座る人にとってちょうどいい高さに設定して描かれているそうです。

ただフレスコ画は時間による傷みが激しいので現在は入れても一度に20人まで、15分くらいじゃなかったかな。多分。人の吐く息で湿度が変わってしまうといけないため。
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さてさて、かなり日が開いてしまいました。
芸大の学祭、藝祭が先週末にあってその準備だったり色々と忙しく更新が停滞していました。


写真は藝祭で美術の学科ごとに制作する神輿のマケット(試作のための模型)。本物は神輿本来の役割を果たすべく外に担ぎ出されていたため撮れてません。

神輿は毎年違うものを一年生が作ります。八科分8個できあがります。伝統行事です。

写真はデザイン科先端表現科日本画科のものです。

着彩と造形の仕方でそうは見えないかも知れませんが、材料は発砲スチロールです。笑


かなり材料費がかかるので、この神輿作りの時点で何百万というお金が動きます。大部分は学生の自腹です。私も去年一万払ったなあ…。
まあただ、うちの学科は実技科ではないので技量もないため他とは比べるのもアレなものができるんですけどね。


もしかしたら来てくれた方もいるかもしれませんね。暑い中ありがとうございます。




これは19世紀に活躍したフランスの画家、ドラローシュ が写真を初めて見たときに口にした言葉だそうです。


ドラローシュの「全時代の芸術家たち(部分)」(カラー版 西洋美術史 美術出版社より)


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彼自身もそうですが、それまで徹底的な再現描写が全てだと信じ、人生をそのような作品制作に投資し続けてきた画家たちにとっては、写真の出現は想像を絶する衝撃だったことでしょう。


それはもしかしたら科学の発展による伝統への裏切りであると捉えられたり、存在意義の喪失さえ引き起こしたかもしれません。



当時の文化背景を振り返るとこの言葉がいかに痛切なものかが伝わってきます。

私は写実描写が好きだから尚更ですが。


ただひとつ、ドラローシュの最大の嘘は、絵画は未だになくなっていないこと。


その写真技術を利用してリアルな再現を目指した画家さえドラローシュの1世紀前には既にいたのです。(補足しておくと、カメラの原理が誕生したのは16世紀、フィルムができて実際に写真撮影ができるようになったのは19世紀前半とかなりの差があります。)


写実描写も未だ消えてはいませんからね、よかったです・・・笑


ちょっと印象に残った言葉だったので書いてみました。ニーチェの「神は死んだ」にもフレーズが少し似てるかも。





これかも自然との調和を突き詰めていきたいと話す大西さんのインスタレーションをもうひとつ。


「風の宝箱」

球の中で舞う色紙は花びらを、周囲を囲うものは雲の白と空の青を表しています。

アートはまず相手に伝えるものであって、相手がいなければ、ギブアンドテイクがなければ成り立たない。自分の作りたいものはあるけれど、まずは鑑賞者がいかに入りやすいか、入ってこれるかを念頭に置いて制作しているのだそうです。


大西さんにとって、絵画は白いカンヴァスに絵の具を盛り一から創り上げていく行為だけれども、インスタレーションは既成のものを組み合わせてコンバインさせる行為で、それぞれ目的と意味が異なるのです。


私が作品を見せていただいて思ったのは、身近なものとしてアートを感じてもらいたい、ありふれたものを違った視点から見てほしい、突き詰めれば、他人とかかわりを持ちたい。そのような動機が大西さんを制作へと向かわせているのだと思います

。非常に人間的で本能的な部分から制作へ取り組んでいるのです。


「絵っていう字ってすごいですよね、会う、っていう字を糸が繋いでるんですよ!」と目を輝かせていた大西さんは本当に人とつながっていたい表現者なのだな、と思いました。



大西さんはこれからも自分の追及する芯(自然との調和)は変えずに活動場所を広げていきたいと言います。

アートセラピーについて学んだり、今までやっていたポストカード作りやライブペィンティングも続けていき、作品をカフェやバーなどさりげなく見てもらえる場に置いてもらえるよう働き掛けていくのだそうです。

様々なプロジェクトに参加もしています。


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エコバッグの方は9/6まで東京で、パズルプロジェクトの方は大阪で9/8から始まるので是非行ってみてください。


大西さんのHP です。


とても楽しい取材でした。これからの多岐にわたる活躍を楽しみにしております!






大西さんの絵で特に意識されているのは色彩と形態です。

柔らかな絵だと先述しましたが、実は色彩は強烈な印象を与えるような配置のものが多いです。フォービズムや、ゴッホが好きと仰っていたことからも鮮烈な色彩対比への趣向が見てとれました。



強い色や組み合わせを用いているのにそれが慌ただしくならずに逆に暖かな印象を与えるのが大西さんの絵の不思議なところであり持ち味でもあります。黄色を必ずどの絵の中にも用いているそうで、それが暖色系の柔らかな印象を与えているのでしょう。全体的に小さめのサイズで描いていることも関係しているかもしれません。



この絵などはシンプルですが勢いのよい筆致と相俟って補色が効果的に強調されています。

トマトを描いた絵で、タイトルは「あなたが守りたいものはずっと大切にしてね」。


 

厚塗りなため油絵具で描かれたように見えますがこれもアクリル絵の具です。

実はこれ、「カンヴァスをパレット代わり」にして、カンヴァスに直接チューブから絵具を盛り、大胆に描き上げているのです。大画面の絵を描くときもよくその「チューブ描き」をするそうで、最初は出した絵の具が余ってしまっていたけれど、慣れてくると最初から適量を出せるようになったそうです。笑(でもすごいことですよ!)



この絵は思い立って半ば衝動的に手の動くままに描き上げたものだそうで、自分のインスピレーションに忠実に従った結果このタイトルが付けられたのかなと思いました。

自分にとって守りたいものや大切なものを本当に大切にすることは大きな喜びだと思うのです。



この絵も一見色彩効果で劇的な絵に見えますが、実に落ち着いた作品です。騒がしくなく、穏やか。これも赤の中に黄色が使われています。



この素晴らしい色彩のセンスを、大西さんは自分で勉強して身につけたといいます。

ご自身の話では、初期の頃は色彩のセンスがなく、自分でも自覚がありそれから「色」について学ぶようになったといいます。

画面上で展開される心地よい配色はご自身の努力の賜物だということですね。その真摯な姿勢に感動しました。また色を中和させて作る過程が好きということで、楽しんで描いていることが伝わってきます。




また、形態についても非常にこだわる方で、例えば林檎を描くときは自分の理想の林檎を買ってきて、それを見たり食べたりしながら描くのだそうです。

まず理想ありきで、それを現実に即していくのだとか。「理想と現実は引き離せないもの」という考えが根底にあります。




形態はインスタレーションの方でもかなりのこだわりが見られます。




「生命力」






 




とても評価の高かった作品で、スペインのニューテクノロジー芸術文化センターに買い取られて、現在展示されています。





460x480x460mmと結構な大きさです。穴を覗くとLEDを用いて表された蛍の光が煌めき、人口の緑の葉と内部にそよぐ風が自然を感じさせる体験型インスタレーションです。

技術は現代の高度なテクノロジーを用いていますが、それで自然をどこまで再現できるかが大西さんの課題だそうです。主軸である「自然との調和」をどのような形で表現するかに心を砕いています。

構想には3~4ヵ月を要しました。





ほぼ立方体のこの形態は、硬質で人工のイメージを与えますが、表面の紋様の形状が自然の動き(風や波など)を感じさせます。まさになるべくしてこの形となったのでしょう。







3に続きます。




さて、また取材企画です。今回は画家の大西里美さんです(*^▽^*)

*今回画質が悪いです。ご了承ください。ごめんなさい。。。


アクリル絵の具で暖色系の柔らかな絵を描く方です。2004年からはインスタレーションも手掛けています。

インスタレーションとは  


アクリルは小学校の授業などでも水彩を描くときに使われていますが、乾くのが速く、透明感も出せるのが特徴です。しかし塗りこめばかなり重厚な塗り方もできます。

大西さんはカンヴァスにも板にもアクリル絵の具を用います。インスタレーション作品の着彩にも使っています。


大西さんはグラフィックの専門学校に通っていましたが、途中からアクリル絵の具に惹かれて絵画に転向しました。

グラフィックデザインはアートの中でも実用的、即ち商業的な色の濃い分野です。そこからファインアート へ転身するのは結構勇気のいることだったのではないでしょうか。


当初は自作のポストカードを路上で売ったりしたそうです。

未だに描き続けていていて、これは最近の作品です。ポストカードは大西さんの原点ともいえる表現形態で、やはりこのサイズが一番しっくりくるといいます。





 



2002年にアーティストの活動団体に所属し、作品がスペインで初展示されました。

その後もスペイン、フランスなど海外を主軸に活動され、高い評価を受けています。


大西さんの制作の根底にあるテーマは「自然との調和」です。現代、特に都会では見たり感じたりすることのできなくなってしまった「自然」を、いかに身の回りのもので再現できるかに重きを置いています。私が作品を見る限りでは、大西さんは「自然を表現できる身の回りにあるもの」を絵画では描く対象に、インスタレーションでは材料に求めていると見受けられました。


まずは絵画から紹介します。


食べ物、特に野菜、果物が好きな大西さんは青果をモチーフとしてよく使います。青果は視覚的にも概念的にも自然に直結するものであるからということもあるでしょう。身近で、普段目にするものであるからこそ、視点を変えて見てもらえるような表現を意識していると大西さんは言います。


赤が好きということで、特にトマトの作品が多いですが、なんと大西さんはトマトが食べられないのだそうです。笑 ケチャップとか限界を留めるに至らない程度まで加工したものなら大丈夫だそうです。


この絵は多様な赤色が綺麗に配置された見ていて心地いい作品です。(光が入っちゃって申し訳ないです・・・うまく取れた写真がどこかへ行ってしまいました;)赤という本来ならば強烈な色が全面に出ているにもかかわらず、秩序を保ち赤の静かな色みを楽しむことができます。赤にはこのような性質もあるのかと思わされました。

多少デザイン的な趣がありますが、以前培ったグラフィック的要素が意識せずとも入ってくるからではないかと仰っていました。






また大西さんの絵には天使がよく登場します。

この作品は板にアクリル絵の具で描かれたもの。見難くて申し訳ありませんが・・・^^;;拡大していただければもう少しわかりやすくなります。

黄色を主色に、バナナに乗った天使が優しい筆致で描かれています。





アクリルはその透過性が生かせるので好んで使うのだそうです。板に描いても木目が消えずにいい味わいが出ます。木目も「自然」を表現するには格好の素材です。



天使は元々好きだったこともあり初期の頃からずっと描き続けてきたモチーフです。

最近この天使に名前がついたそうです。「me y you」(みいゆぅ)といいます。yはスペイン語でandの意味です。天使は個人個人についていて見守っているものだと大西さんは考えています。


天使は、大西さんにとって自身の子供のような存在でもあり、また世界平和を願う気持ちや、様々なことを表現する媒体でもあります。



2は明日更新します!