『女は女である』(ジャン=リュック・ゴダール監督) | 新・法水堂

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『女は女である』

UNE FEMME EST UNE FEMME

 

 

1961年フランス映画 83分

脚本・監督:ジャン=リュック・ゴダール

撮影:ラウール・クタール

美術:べルナール・エヴァン

音楽:ミシェル・ルグラン

編集:アニエス・ギュモ、リラ・エルマン

 

出演:

アンナ・カリーナ(アンジェラ)

ジャン=クロード・ブリアリ(エミール・レカミエ)

ジャン=ポール・ベルモンド(アルフレッド・ルビッチ)

[以下クレジットなし]マリー・デュボワ(アンジェラの友人)、ニコル・パカン(シュザンヌ)、エルネスト・メンツェル(バーのオーナー)、ジャンヌ・モロー(バーにいる女)、カトリーヌ・ドモンジョ(ザジ)、マリオン・サロー(売春婦その1)、ジゼル・サンドレ(売春婦その2)、ドロテ・ブランク(売春婦その3)、ドミニク・ザルディ(偽盲目者その1)、アンリ・アタル(偽盲目者その2)、カリン・バルム

 

STORY

パリの下町の小さな本屋の店に働くエミールはストリップ・ガールのアンジェラと同棲している。そのアンジェラが、どうしたはずみか急に赤ん坊が欲しいと言い出す。そのことで、二人はどうも意見が合わず、喧嘩がたえない。男のエミールにしてみれば、子供はいらないし、正式な結婚なんかしない方が都合がいいからだ。どうしても子供を産むと意地になったアンジェラは他の男に頼んでつくってもらうと、おだやかならぬ宣告をする。本当のところアンジェラを愛しているエミールはこの言葉に動揺するが、いまさらあとへは引けない。勝手にしろ、というしかないのだ。彼女はついに、同じアパートの下の部屋に住むパーキング・メーター係のアルフレッドに頼むと言い出す。アルフレッドはかねてからアンジェラに色目をつかっていたのだ。そして、ある日、アンジェラはとうとう心を決めてアルフレッドと寝てしまったのである。夜おそくエミールの許に帰って来たアンジェラ。二人は黙々として枕をならべる。やがてエミールが口を切る。「ほんとにあいつの子供ができたかどうか分らないよ。だからためしにぼくの子供をつくってみようよ」エミールはアンジェラを抱く。愛している女に子供を生ませるのは当然なんだと思いながら。【「KINENOTE」より】


ジャン=リュック・ゴダール監督初のカラー作品。ベルリン国際映画祭にてアンナ・カリーナさんが銀熊賞(女優賞)を、ゴダール監督が審査員特別賞を受賞。

 

ゴダール監督追悼ということで14年ぶりに鑑賞(前回の記事はこちら)。

2007年に亡くなったジャン=クロード・ブリアリさんは別として、2019年にアンナ・カリーナさんとミシェル・ルグランさん、ちょうど1年前にジャン=ポール・ベルモンドさん、そして本日ジャン=リュック・ゴダール監督とこの数年でみんないなくなってしまったなぁ。

60年以上前の作品なのでそれも仕方のないことではあるものの、今観ても充分に新しさを感じる不思議。苗字だけが画面いっぱいに表示されるオープニングに始まり、アンナ・カリーナさんの魅力が前面に押し出され、衣裳もキュートでまったく古臭くない。当時のパリの街並が垣間見えるのも楽しいところ。

 

本作はコメディということもあって、ただただ観ていて楽しめる。

冒頭の書店のシーンでは『地下鉄のザジ』のザジが雑誌の表紙になっていたり、バーのシーンではジャンヌ・モローさんが「ジュールとジム(『突然炎のごとく』の原題)は?」と聞かれて「雨のしのび逢いよ」と自身の主演映画にかけたやりとりがなされていたり、アルフレッドが「『勝手にしやがれ』を見たいんだ」と言ったり、ヌーベルバーグネタの応酬。

正直、ゴダール監督の晩年の作品は難解だったけど、映画史に新たな1ページを書き加えた功績はこれからも色褪せることはないだろう。どうぞ安らかに。