人生をムダにしない英語の勉強法のブログ

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英語の勉強法を間違えると、あなたは人生の貴重な時間を大きく浪費(ムダ)することになります。


●英語の勉強方法より前の話

英語の勉強方法というのは本当にいろいろな方法があります。

どのような英語勉強方法を選べばいいのか分からないぐらいたくさんあるからです。

受験を控えている場合は、比較的英語の勉強方法というのは明確です。

目的が、高校なり大学の英語の試験を合格点以上取得するというものだからです。

ところが、これが社会人になった時点で一気に不明確になります。

全くどれを選べばいいのか分からないし確信もない。

これは、裏を返せば、英語を勉強する理由がないことの裏返しとも言えるかもしれません。

そもそも英語など必要のない人が、世間の流れというかメディアのあおりなどに反応して英語を習得しようとしていることは多々あるからです。

例えば、海外旅行に必要な英会話力を身につけるのに英会話スクールに駅前留学する必要があるのか?という疑問を持つべきです。

駅前留学の英会話スクールでは、手加減しまくってくれている外人を相手になんちゃって会話を練習します。

では、社内公用語が英語になったり、上司がイングリッシュスピーカーになったのに、駅前留学での英語の勉強方法があっているのでしょうか?

英語の勉強方法は、その目標とするところで全く異なってくるのです。
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●話す方がかっこよく見えるのが問題


困ったことにメディアの影響が強すぎて、英語というのは話している方が圧倒的に格好良く見えるようになってしまっています。

ただ、そのように英語を話している人の英語を聞いても、話の内容はともかく、使っている英語は中学校で学んだレベルがほとんどです。

要するに、英語が話せるというのは能力的には大した能力ではなく、あくまでも慣れているか慣れていないかの違いなのです。

ただ、このレベルになるにも相当時間がかかります。

ところが、現実にビジネスで英語を使う場合は、読み取りと聞き取りの能力の方が圧倒的に重要です。

一方で、英語圏の人とペラペラと英会話ができる人でも、ビジネスで使うような英語の文章を読ませるとさっぱり理解できない人は多々います。

ビジネスにおいては、専門用語がたくさん登場するため軽い英会話ができるレベルの能力では読みこなせないのです。

また、読み取りと聞き取りの練習は相手が不要ですので、本やCD,DVDなどの音声があれば時間の許す限り可能です。

野球の練習に例えるならバッティングマシンを使ってバッターが打撃の練習をできるのに似ています。

ところが、話すことと書くことの練習は、自分のアウトプットした内容が正しいかどうかを判断してもらう必要があるため相手が必要になるのです。

それでも、ビジネスで必要となる英語力は、自分でひとりで練習できる読み取りと聞き取りの方が重要なので問題ないのです。

要するに英語を話すことへのあこがれを手放せればビジネス英語の習得スピードは上がることになりそうです。
●連邦パイロットをもって海外生活をしている人でもスグに英語がでなくなる



英語力というと、英会話をする力というイメージが強いですが、実はこの英会話力を維持するのは並大抵ではありません。

もちろん、日本人が日本に住んでいる場合の話です。

英会話には、話すと聞くの能力があるのですが、特に話す能力というのはすぐに落ちます。

例としては、北朝鮮拉致被害者の中には帰国当時日本語がほとんど話せない方もいらっしゃいました。

ところが、日本語を聞く方はほとんど問題なかったといいます。

また、米国の連邦航空局のパイロットライセンスを持ち、その他オーストラリアなどにも住んでいた英語ぺらぺらの方でも、しばらく話していないと英語が出てこないと言われています。

パイロットの英語力というのは、相当レベルが高いことが想像できます。

また、そのレベルの方が英語圏に数年住んでいればどの程度の英語力になるかも想像できます。

そんな人でさえ、日本に帰ってきてしばらく英語を話していないと外人相手になるとすぐに表現したい言葉が出てこないといっているのです。

つまり、話す能力というのは、常に使っていないと落ちていくのです。

まるで、筋肉のような感じで使わない能力はどんどん退化していく感じです。

そういった意味で、英会話力を維持するのにはとてもコストがかかります。

そのように考えると、英会話をお金をかけて学ぶ前に、ここまでのコストをかける価値のあるものかどうかという判断が必要になるのです。

そうでないと、折角時間とお金をかけて習得した英語力はしばらく使わないとすぐに退化してしまうのです。
●英語圏の歴史や文化よりもおもしろいかもしれない他国の歴史や文化


特定の外国語を学ぶ場合は、その国の歴史や文化をある程度学ぶとより習得しやすいと言われます。

事実、子供が自国の国語を学ぶ際に使う書籍は自国の歴史について書かれているものが多いです。

そういった書籍を他国の言語を学ぶ際には私たちは教材として読むこともあるので、自然と歴史や文化を学ぶことになります。

英語を学ぶ場合は、イギリスかアメリカの歴史や文化を学ぶことになるのですがおもしろさや奥深さという意味ではどうなのでしょうか?

イギリスには歴史がありますが、アメリカには大陸発見後の歴史しかありませんから正直浅い歴史です。

芸術文化に至っては、イギリス以外のヨーロッパの国々の方がおもしろいのではないでしょうか?

あるいはお近くの3000年の歴史を持つ中国だってかなりおもしろそうです。

そういう考え方で学ぶ外国語を選ぶとしたら果たして英語は妥当な言語なのかはなはだ疑問です。

翻って我々日本の歴史や文化はどうでしょうか?

恐らく世界に誇れるおもしろさを持った歴史と文化だと思います。

英語を学ぶのではなく、是非とも外国人に日本語を学ばせるぐらいの姿勢の方がちょうどいいかもしのです。

つまり、「英語を学んでやっているんだ」という姿勢ぐらいの方が、必要以上に英語を崇拝することがなくなるということです。

文化とか歴史を考えても、崇拝に値する言語とは到底思えないからです。
●切羽詰まった動機付けがないと無理


英語などの外国語の学習というのは、なかなか大変なものです。

途中であきらめてしまうことが多いのもうなずけます。

特に日本人が英語を学ぶのは、文字から発音から文法に至るまで、あまりにも違いすぎるため習得何度が高い言語です。

他のヨーロッパ言語の人からすれば、英語は容易に習得できる言語だと言われます。

逆に、英語から他のヨーロッパ言語についても同様で、他の言語というよりも方言を学ぶに近いとさえ言われます。

つまり、英語が習得難度が高いのは、日本人共通の問題なのです。

そのような難度の高い言語をある程度使えるようになるには、それなりの動機がないと無理な訳です。

たとえば、英語圏で住むのは強力な英語を学ばなければならない動機付けになります。

なぜなら、英語ができないと生活が不便で仕方ありません。

また、英語をしゃべる恋人ができるのも強力です。

なぜなら、自分の思いを伝えられないとストレスで仕方ないからです。

少しレベルを落とすと、大好きな趣味などで日本語情報がなくて英語情報だけに限られるような場合も強い動機付けになります。

加えて、この動機付けには”切羽詰まった感”が必要です。

「いつか出来ればいいや」ぐらいのレベルであれば、いつまで経っても習得はおぼつかないでしょう。

逆に、このような切羽詰まった動機付けがないようなら、英語の習得はごく一部の継続力のある人だけにしか無理と言うことになります。

英語を習得しようとする前に、自分にそのような能力があるか、あるいは切羽詰まった動機付けがあるかチェックしてみるといいかもしれません。
●帰国子女も、留学経験者もバカばっかりという噂


これは、英語圏を中心とした海外情報を扱う会社に勤めていた友人から聞いた話しである。

その会社は要するに海外の文献を、クライアントの要請に応じて日本語訳にすることが仕事であったそうです。

翻訳会社まではいきませんが、特定の分野に限られた文献を専門としたほぼ翻訳家だったそうです。

ちなみに、彼の仕事は翻訳ではなく共通部門だったようです。

そんな会社ですから、社員は外国語に精通したスペシャリストです。

また、会社としては積極的に留学経験のある人や帰国子女などのバイリンガルを採用していました。

ただ、その彼が言っていたのが、その会社の社員は「バカばっかり」だということです。

もちろん、その会社のレベル自体が低かったのでしょうが、それでも一般的に外国語に堪能な人たちと言うのは頭がいいイメージがあります。

それに関わらず、彼らがバカとまで称されるほど使えない人間だったということをどのように捉えるかという話です。

特に日本語が支離滅裂な人が多く、そのような母国語の言語能力では、まともな外国語なんてとても話していないだろうし、少なくとも外国語でのビジネスなんて到底無理とも思えたようです。

つまり、英語をはじめとした外国語を使えるということと、仕事の能力が高いと言うことは全く別物だということです。

ビジネスというのは、行き着く先はコミュニケーション能力です。

ところが、世間の風潮なのか、英語教育業界の陰謀なのか分かりませんが、英語習得に対する執着心が強すぎるわけです。

執着心というか、作られたあこがれと言ってもいいでしょう。

海外に住んでいればそれなり英語ができるようになるのは当たり前です。

子供の頃から住んでいれば、発音はネイティブと変わらなくなるのも当たり前です。

そういった人が日本人の顔をして完璧な英語を話しているからといって羨望の対象になるのはどう考えてもおかしいのです。