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作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。


ここ数日でまだグッと寒くなった印象です。

ぼちぼちコートを羽織ったり、マフラーまで登場させている人もチラホラ見かけます。

私もさすがに「寒い」と感じ今年も満を持して登場…


「ヒートテック」



ついにこの時が来ました。


ということは、もう入試本番も間近だということ。




さて、受験生諸君。

身を粉にして励んでいるでしょうか。


受験というのは、個人的にも社会的にも、
いろいろと言いたいことはたくさんあるけど。


単純に諸手を挙げて賛成できるものではないけど。



でも、人生の中で学ぶということや、
そもそも自分の進路・人生に向き合わざるを得ない、
数少ない機会です。


その意味では、大変有意義な時間となります。


いえ、有意義な時間にすべきなのです。



そうでなければ、

単にテストの5点、10点にこだわったり、

ライバルよりも偏差値が上だとか下だとか、

そんなことに一喜一憂するだけの時間となってしまいます。



こうなってしまっては大変空しい。




そうは思わないという人もいるでしょう。





受験というものを肯定的に見れる人もいます。



いや、僕もそれを否定するつもりは全然ありません。




そうではなく、単に受け身でいることを批判しているのです。




たとえ、ある年齢になり、急に進路選択をせまられるという、
ある種の理不尽さがあったとしても、
それでも選ばざるを得ない。

どこに行っていいか、何していいか分からないのであれば、
それに今気づけたのだと、むしろ喜んでください。

それにすら気付かず、何となく受験をやり過ごし、
何となく高校や大学に進学してしまったという人もたくさんいます。

そういう人に比べれば、何をしていいか、どこに行っていいか、
自分がナニモノか、分からないということが分かっただけましです。


そうでなければ必ずその先の人生のどこかで正面から向き合わざるを得ない時がやってきます。



だって、自分の人生ですから。




それは、あまりオトナになり過ぎてから迎えるより、
今この時ティーンの時にぶち当たった方が良い。


何かに挑戦したり、失敗・挫折をしたり、
それでもまた立ち上がってやり直したり。


人生はそうやって進めていくものです。


それにはやっぱり若さという武器があるといい。


変に大人になり過ぎると、変に小賢しく、
変に要領よく、変に帳尻合わせして有耶無耶にしてしまったりします。


あるいは、自分の頭をきちんと使わずに大人になって、
その時に大きな大きな壁にぶつかって倒れると、
そこから起き上がるのがとてもとても辛くなります。






だから君は今気づいたその思いを、
やり切れないかもしれないその思いを、
そのままにしてしまったら、ダメだ。


そうしてしまったら、君はその他の人と同じことになる。


だから、そんな君は、次のステージで、
次こそは自分が進むべき、打ち込むべき何かに出会えるよう、
今はそのために一生懸命、目の前のことを取り組もう。


一見必要なさそうな、でも大切だと言われること。
勉強を一生懸命にやっていると、
その分だけ多くの「やりたいこと」「楽しいこと」に出会えます。


でも、それも単にテストで良い点を取ること「だけ」、
成績評価を良くするため「だけ」を目的にした学習では、
難しいかもしれません。



そんなことをいうと、君はこう思うかもしれない。



「そんなの大人の勝手な言い分だ」

「そんなこと大人は教えてくれないじゃないか」




確かにそうかもしれない。


勉強というと、国語や数学、英語などなどの教科の学習を指すことが多い。


その教科のテストや成績をより良くしようとすることが勉強であると思ってしまっている人が実に多い。

それは大人でもそうだから、
君がそうだとしても不思議ではない。


でも、ここで大切なのは、やっぱりそんなことではない。




勉強というもしかしたら好きではないかもしれないものを、
どうやって進めていくのか。


勉強という大切だとはわかっているもので、
でもなかなか進んで取り組めないものとどう付き合っていくのか。


大切なことはいくつもあって、それらを取り組む順番は?


得意な教科と苦手な教科の勉強のバランスは?



そんな勉強のやり方とか、計画の立て方とか、
気持ちの整理の仕方、モチベーションの保ち方、などなど。



単に勉強を教科の勉強としてだけ、
テストで点を取るためだけにやってはもったいない。


きちんと結果を出すために、本物の学力を身に付けるためにする勉強は、その結果を得る過程で実に多くのことを学び、身に付けることができるのです。

それはテストで100点取ることより、何倍も何十倍も価値あることです。


そのようにこそ学ぶべきだと僕は思う。




あと3ヶ月もすれば、ほぼすべての入試は終わっています。


あと3ヶ月。


ここをきちんと頑張らなければ、
きっと君は次のステージでも、
いつか同じように苦しむことになるだろう。


でも、今、ここをきちんと頑張れば、
きっと君は次のステージで、
大いに輝けるだろう。

だって自分のために、自分で努力を積み重ねられたんだ。

レベルアップしていないわけがない。




3か月後。



レベルアップした君に会えることを楽しみにしています。
















17日に配信されたYahooの意識調査にこのような質問がありました。


「日本の政治教育で大事なことは?」


回答の項目は、次の通りです。

①教員の指導力の向上

②政治的中立性に配慮すること

③効果的なカリキュラムの策定

④政治や選挙についての基本的な理解を深めること

⑤現実に賛否のある具体的な政治課題を扱うこと

⑥家庭や地域などと連携・協力すること

⑦上記にはない



19日現在で、計29000票近くが投票されていますが、
一番票が入っているのが、②(8649票となっています)。

次いで、④、⑤と続いています。


もちろん「現実の政治課題」について、
あるいは、これからの未来の社会を創造する上で、
政治的なマインドを養成するというのが「政治教育」の本義なのでしょう。

ただ、それが学校の授業時間内で実施されるということであれば、
当然、教員の「政治的中立性」というか、
教員の主義主張が有無を言わさずインストールされることがあってはならない。


政治について議論する、学ぶというときには、
現在では、民主主義という根本理念を踏まえておかなければなりません。


その点で、極論、①の「教員の指導力」に集約されるともいえそうです。


教員も一国民、一市民ですから、
当然、その主義主張はあるでしょう。

しかし、個人の主義主張が完全にインストールされてしまうという事態は、
話題が政治ではなくても、現在の世の中ではあってはならないことだと思います。

それはすなわち、民主主義とは対極にあるファシズムにも通じてしまうからです。


その意味で、この記事の読者から寄せられているコメントにもありましたが、
ある特定の団体の主義主張だけが提示される授業はあってはならないことだ。


同ページに関連記事として、リンクが張り付けてあるが、

「“政治教育の先進国”ドイツが打ち立てた『3つの原則』」

も大変参考になる。



ドイツではすでに選挙権年齢が18歳。

ドイツにおける政治教育には以下のような3原則があるという。


①教師の意見が生徒の判断を圧倒してはならない

②政治的論争のある話題は論争があるものとして扱う

③自分の関心・利害に基づいた政治参加能力を獲得させる



というものだ。


シンプルな原則ですから、深く読み込まなくても「当然でしょ」と言いたくなるような内容。


もちろん現実の教室でこうした理想が実現されているかどうかはわかりません。

それは、どんな教育でもそう。


同じ単元の学習をする時間でも、
教師が違えば、違う授業になる。

当然、受講者(生徒)が違えば、また違くなる。

だから、どんな教科にしろ学習にしろ、
その時、その場での「一期一会」的な要素が多分にあるのが授業。


とはいえ、だからこそこうした根本的な考えは、
きちんと整理しておくべきことであります。


何だかんだいっても、やっぱり生徒よりは先生の方が発言力があります。


特に、日本の教育は、昨今でもまだまだ「正解到達型」の学習が横行しています。


そんな中、「正解」を決める、評価をする、成績を決める教師は、やっぱり「権力者」です。


ちょっと自分と考えが異なったとしても、
めんどうなことになっても嫌だし、
その場をやり過ごしてしまおうと思う生徒がいてもおかしくはない。


そういう力学がガンガンに働いている場で、
教師が中立の存在であれるのだろうか。

あるいは、

「先生はこれについてこう思うけど、それは論争があることだからね」

といって、果たして生徒たちは素直に受け取れるのだろうか。


公の学校という場ではありませんが、
児童・生徒たちと関わる場にいるものとして、
よくよく耳にする言葉があります。


「学校の先生が言ってたよ」

「先生が違うって言ってたから違うんでしょ」


以前と比べて教師の立場が弱くなったと聞きますが、
こういう発言を聞くと、なんだかんだと先生の影響は強いじゃん、
と思わされます。



だからこそ、丁寧に指導するべきなんです。



「先生はこれについてこう思うよ。でも別の考えを持つ人もいる」

「そもそもこれが『正解』ってのは究極ないんだよ」

「みんなが議論して『正解』を創るってのが政治だよ」




…って、基本的な話がきちんと通じるように、
教育というものを再考しなければいけないでしょう。



果たしてそれが、日本の教育現場でできるのでしょうか。



日本の生徒は世界的に見ても能力が高いのでしょう。

基本的には勤勉な国民性というアドバンテージがあります。

とはいえ、今はそれがテストの正解を導き出すためだけに活用されています。


空しいことではありますが。



でも、だからこそ、そうした場がきちんと整備され、
身を持って知る機会があれば、
日本人でもそうしたマインドが持てるでしょう。



だからこそ、僕らは単なる「テストのためだけの学習」を批判的にみて、アンチテーゼを投げかけ続けているつもりです。




さらに、忘れてはならないことが1つ。


そうはいっても、そもそも「民主主義」について、
あるいは、誰もが欧米的な論理的思考を持つようになることが、
果たして「善」であるのか、という点。


もちろん、「民主主義」という考えは、
一概に否定すべきものではないでしょう。

しかし、一方で「多数決」などの議決方法などは、
一見正当な手法であるようにも思いますが、
本当にそうなのでしょうか。


弱者の意見や主張をどう扱うべきなのか。


もちろんこれまでは「最大多数の最大幸福」という原則に基づき社会は運営されてきました。


でも、これだけ価値が多様化する現在において、
多数派が果たして多数なのか、という問題もあります。


賛否が拮抗している場合は余計にそうですよね。

どちらに決まったとしては、およそ同じ数反対派がいるという状態。
この状態はどうなのか。




現在主流の考えも、近代というところから地続きと考えたとしても、
たかだかここ200年程度の浅い歴史しかありません。


これを絶対の価値とせず、
より平安な社会を模索するという姿勢は、
どんな立場であれ、現実問題を考えるときであれ、
変わらず不可欠なことなのではないでしょうか。

そういう視点も併せ持っておかなければ、
一つの事象に、選択肢が賛成か反対の二者だけになってしまう。


それでは、思考もその先の創造においても、
非常に貧困な解しか出てこないでしょう。




先の「安保関連法案」議論もそうでしたでしょ。



あんなみっともない議論をすることが、
教育の目標であっていいはずがない。

政治を語るということが、
あんな程度のことであっていいはずがない。



だからこそ、くり返し言います。



早いとこ「テストのための学習」のような矮小化されたイベントからは脱して、きちんと地に足着いた学習をしましょう。


点数の評価ばかりが前面に出る教育を笑顔で交わし、
10年、20年先の未来を描きながら学習を進めましょう。


まぁ実際、そうした基本姿勢がある方は、
目の前の現実対応(テスト対策や入試など)も、
うまくやってのけることが多いんですけどね。


テストに踊らされているな、
成績に振り回されているな、
と少しでも感じる人がいれば、
これを機にちょっと自分の、自分の子どもの学習をふり返ってみてください。




何のために学習しているんだろう。


これをどう受け取れば、自分にとって有意義なものになるのだろう。





ってね。







気付けば11月も終盤にさしかかっていました。

中間試験や、大学推薦入試の対応などなど。

ブログの更新も実に1か月半ぶりです。


今日の横浜は、雨。


ここの所、日中急に暖かい日もあり、
何となく不安定な気候です。



ここ数日、中学生の定期テスト対策で、
あちらこちらで指導を行ってきましたが、
何となく調子が悪いという人がたくさんいらっしゃいました。


「何となく『のど』がおかしいんだよね」

「何となく『はな』の調子が・・・」


決まって熱などは出ておらず、
それ以外には大きな症状は出ていない。



流行ってるんですかね!?

のど・はなあたりの風邪でしょうか。



私は鼻炎持ちなので、
比較的年中鼻の調子が悪いのですが、
涼しい、寒いシーズンだと余計に鼻がムズつきます。

でも、それはいつものことなので、
それを差っ引くと、
まぁ比較的調子は良い方かな。
(疲れ・寝不足はガッツリきてますけど)


みなさんは、いかがですか?



昨夜遅い夕飯を食べながら、
何となくつけていたテレビで、

「薬用養命酒」

のCMが流れていました。



何となくの不調。

『冷え』などが原因ということもあるのかも。


これからの季節は特にですね。



疲れたときにはムリをせず、
ゆっくり湯船につかって、
体をじんわり温めてあげて下さい。



…と、かく言う私はめんどくさがりやで、
年中シャワーの烏の行水派です。

まずは自分に言わねば、ですね。







言葉あそびの一環として『クロスワード』をやってみました。

「知らない人」「やったことない人」がいるかもしれないので、まずは解く方から。

その後で、要領を得たら、自分で作ってみることにしました。

前後の言葉との兼ね合い、
マスの数との兼ね合い、
いろいろな条件に沿って、
単語を選んでいく・・・

けっこう難しい。

でも「何か気づいたら夢中になっていました」となるほどに、けっこう楽しいんです。


何人かの生徒は完成まで行きつきませんでしたが、
ちょっと難しくしてみよう、とか、
こんな言葉あったんだ、などと、
普段あまり使わない部分を使って、
脳にはたいへん良い刺激になったのではないでしょうか。


生徒が創った作品をひとつご紹介します。



多少荒削りで、「どうなの、これ?」と思うところもあるかもしれませんが、そこは大目に見てやってください。

「クロスワード」好きの人も、そうでない人も。
ぜひぜひやってみてください。

出来た方はぜひ「答え」をメッセージ等で送ってください。



【クロスワード】
 「答え」のヒント:「秋といえば…」






先日当塾オリジナル授業「基礎講座」にて実践した
『新聞切り抜き川柳(コラージュ川柳)』で誕生した作品を、
動画の作品集にしてみました。

ぜひご覧ください。





こちらで全ての作品がご覧になれます
■ラーニング・ラボ公式ホームページ
 生徒作品一覧【新聞切り抜き川柳(コラージュ川柳)】
http://learning-labo.st-community.jp/?p=3466

夏の慌ただしさのまま、
夏休み明けのテスト対策、
大学生の推薦入試などなど、
8月、9月と駆け抜けてきました。

気付けばもう10月です。

最近は日中もだいぶ涼しい日も出てきましたが、
朝晩は半袖だとちょっと寒いくらいです。

当塾ラーニング・ラボの受講生たちの中にも、
体調を崩されて授業を欠席される方がちらほら。

私自身も先日から何となく体調が優れず、
頭痛を感じる日々が続いております。

肩凝り頭痛などは、持病と言ってもいいくらい、
ちょっと疲れを感じたり、生活が不規則になると
すぐに出てきます。

特に夏場は冷房などの影響をあり、
例年はもれなく「夏バテ」になります。


ですが、今夏は例年にくらべ、
はっきりと「夏バテ」らしきものは感じませんでした。

春先から筋トレをしたり、意識的に歩くことをしていたからでしょうか。

それほど猛暑日がなかったからでしょうか。

比較的調子よく過ごせました。


それなのに・・・

ここに来て何となくの不調。


どうやら最近は「秋バテ」なるものが流行っているとかいないとか。

そんな言葉があるなんて初めて知りました。


以前からあったのでしょうか。


いろいろなサイト等で見る限り、
どうやら私も「秋バテ」のようです。


まぁもともと子どもの頃から季節の変わり目には
決まって風邪を引いたり、体調を一回ガッと崩していました。

それによって新しい季節に対応する体つくりをしているんだ、くらいに思っていました。

だから、私にとっては季節の行事みたいなものです。


とはいえ、体調を崩しやすい夏は無事に過ごせていただけに、
過ごしやすい陽気になった途端にこうなると、
余計なしんどさを感じます。


みなさんは体調崩していませんか?

「秋バテ」になっていませんか?



今日の横浜は雨。

全国の空も雨模様のようですね。

時折強く降ったりもしていますので、
体が冷えやすくなります。

こんな日はいつもより意識的にゆっくり入浴したり、
軽い運動をして、リラックスタイムを増やしたいものです。



秋は、収穫のシーズン。
食も、読書も、スポーツも、
何につけても良い季節。

早く体を整えて、
素敵な時間をたくさん過ごしたいです。













学習塾ラーニング・ラボのオリジナル授業「基礎講座」。

先日「基礎講座」で創作活動をした
『新聞切り抜き川柳(コラージュ川柳)』
追加で素敵な作品が生れましたので、
一部をご紹介。


どうぞお楽しみください。



国会中継などを見ると、
良くいますよね。
堂々と夢の世界に行っている方。

お隣の方、ぜひえんぴつでツンツンしてあげてくださいね。
あ、間違っても書く方ではやらないでね。







これは学生の本音かな!?





さて、本日から「基礎講座」では、
新聞の「広告」に注目した演習を行っています。

基礎調査をスタートしたところですが、
近いうちに結果をまとめて発表したいですね。

お楽しみに。



本日、国勢調査のインターネット回答の締め切り日ですが、
みなさん、終わりましたか?

今回はネット回答が推奨されているようで、
ひとまずIDとパスワードが記載された紙が配布されてきていますね。

投函(配布)方法に関していろいろ問題がありそうですが、
これまでのような紙ベースでの調査よりも、
ネットの方が回答する側も集計する側も何かと便利ですね。

もちろんIDとpassの管理についてはきちんと事後検証して頂きたいですが。



そもそもちょっとメンドクサイ国勢調査の回答。

今回はネットでできるってことで、
大変ありがたいと思っていました。

が、いざとなるとやはり億劫で、
そのうちやらなきゃなーと思っていたら、
もう締め切り直前。

PC操作に疎く、一緒に回答をお願いされていた両親から、
「明日までだけど…!?」
ってことで重い腰をあげてページを開きました。

IDとpassを入力して、
名前やらなんやら入力して・・・

配布された紙には一人世帯だと10分程度とありましたが、
気付けば終了していて拍子抜けするくらいあっという間でした。

脇で見ていた親も、

「え?これだけ?」

との感想。


まぁPCやスマホの操作に慣れない人は、
その部分でのハードルがあるかもしれませんが、
とはいえ、最近のスマホの普及っぷりったらもの凄いですから、
多くの人にとっては良かったのかと。


選挙などもこういう技術が活用されるともっと様相が変わりそうですよね。

もちろん国家運営にとって重要な部分であり、
個人としても厳に守られるべき情報なども関わってくるので、
単に便利ってだけではダメですけどね。


さぁ、回答がまだの人、
ほんの数分で終わっちゃいますから、
ぜひぜひパパッとやってしまいましょう。
忘れてて後々調査用紙でってなると余計に面倒ですよ。


あれ?
何か総務省職員のようになってますね。

まったく関係ない一市民です。

ま、回し者でもありませんよ。

単なる個人の感想です。



…くり返すと余計あやしいか。


まぁとりあえずやってみたら、
たいして時間もかかわず、
あっさり終わったよーという感想でした。









学習塾ラーニング・ラボのオリジナル授業「基礎講座」。

中学生が定期テストを終えたところで、少々お疲れ気味。
というわけで今回はあまり込み入った課題ではなく、
ちょっとゲーム感覚でトライできる実践を用意。

最近、新聞を使う時間があまりなかったものあり、
今回はこんな実践です。

『新聞切り抜き川柳(コラージュ川柳)』


素敵な作品がいっぱいできましたので、
一部をご紹介。



たとえば、こんな感じ。


















「いやいや、大使がプレゼンする「バスツアー」ってどんなだよッ!?」

…みたいなツッコミを入れながら、
「意味わからん」なんて無粋なこと言わず、
言葉の奥にある情景などを好き勝手に想像してみて下さい。

それこそ和歌の醍醐味。





今日出来上がった作品では、
個人的にこれが一番「妄想」が広がったかな~















「この街クラブ」ってなんだろ!?

「いま風の」ってことは、
「昔風の」などをはじめ、
きっとたくさんの「○○風」があるのでしょうね。

どんな人が集う、どんなことをする「クラブ」なんでしょうかね。
想像がふくらみます。


他にも思わず笑ってしまう作品、
うまいことつくったなーと感心する作品、
などなど素敵な作品ができました。

ラーニング・ラボ公式ホームページに掲載しました。
ぜひ、ご覧ください。

ご覧下さったらぜひご感想をお寄せください。

【その他の作品は↓こちら↓に掲載中】
http://learning-labo.st-community.jp/?p=3466


さて、参院特別委員会でいわゆる「安保関連法案」が可決されたようですね。

昨日からゴタゴタとあったようですが、残すは本会議での可決というところでしょうか。


もうこの話題は何度かコメント書いているので、

「またか」

と言われてしまいそうですね。

ですが、今週も行く先々で中高生が、

「なんとなく反対」

という発言をしていたので、やっぱりオトナとしては、
さらに、教育に携わる者としては、
きちんとした判断をしてもらうための導きはしないと、
と改めてそう思います。


中高生に責任はないかもしれませんが、
最近は「反対デモ」に高校生の参加者もいるとかいないとか。

さすがに中学校で「公民」を勉強しますから、
それ以上の人は、きちんと知ったうえで考え、語らないと。
そういう大事な部分がごっそり抜けて、
なんとなくのイメージに引っ張られて、
「なんとなく反対」がブームのように盛り上がっているのであれば、
それはやっぱり頂けません。


反対派に対する私の見解はすでにどこかで書いていますが、
その人たちのレッテル張りというか、イメージ操作なのか、
そういう発言にうまく引っ張られてしまっている若者たちは、
ひとまず中学校の公民の教科書を読みましょう。

「日本国憲法」も「国連憲章(抜粋)」も、
「日米安全保障条約(抜粋)」も
「武力攻撃事態対処法(抜粋)」も載っています。

条文を暗記する必要はありませんが、
どういう趣旨のことが書かれているのか、
一度読んでみましょう。

そのうえで、観ながらでもいいですが、
ぜひこちらをご覧ください。

参議院での公聴会に招致された参考人の方々のスピーチで、
改めて整理しておくと良いでしょう。

まずは↓こちら↓



伊藤真さん。

言わずと知れた?司法試験塾「伊藤塾」の塾長。
日弁連憲法問題対策本部副本部長という役職もあるようですね。

私は以前大学受験の際に代ゼミの授業を受けていたことがあります。

その際に、公演会のような催しで伊藤さんのお話を聞く機会がありました。

憲法について熱っぽいお話を聞き、
それまで憲法や法律について学校で勉強したはずなのに、
何にも知らなかったんだと気づかされたと記憶しています。

当時はまだ司法試験一発で弁護士になれる、ということで、
大学では別の勉強をするつもりでしたが、

「司法試験受けてみようかな」

と無謀にも思ってしまったほど、その話しぶりに感銘を受けていました。

何年振りでしょう。

伊藤さんのお話しぶりを聞き、
当時を懐かしく思い出すとともに、
さすが、法律家だけあり、理路整然としたスピーチです。

憲法、法律の原則からすれば、
伊藤さんの指摘は至極もっともなものだと思います。

ただ一方でやはり憲法に魅せられすぎているような印象も持ちます。

伊藤さんの言う通り、

「不完全な人間がその時々の感情にまかせず、
 人間の英知の結晶である憲法に基づいて国家運営を行う」

ということが、立憲主義の大原則でしょう。

しかしながら、その憲法ももちろん英知の結晶とはいえ、
やはりそれは不完全な人間の所産です。

時の為政者がコロコロコロコロ自分らの都合の良いように変えるのは絶対にあってはなりませんが、しかし主権者である国民にとって不都合な状態であれば、それは改正すべきであります。
さらなる英知を積み重ねるのが原則でしょう。

特に、日本国憲法はその成立過程にもやはりいろいろ問題があるわけですし、じゃあ良い機会だから自分らでより良い憲法作ろうよって流れは何の問題もないですし、むしろやるべきことだとすら思います。

もちろん今の憲法は日本国憲法ですから、それに則って立法し、行政しなければいけません。

その意味でいわゆる「一票の格差」問題は看過できない問題ですから、その指摘は至極真っ当なものでしょう。

しかし、違憲の問題を持ち出すのであれば、
そもそも「自衛隊」はどうなのか。

「日米安全保障条約」は、「在日米軍」は、「国連憲章」は、どうなるの・・・?

それらすべて違憲なのかしら。

それならもう「ゴメンナサイ」ってやり直しましょうかね。

いやいや、反対派の多くの人は現状維持とか、
「個別的自衛権」で対処ができるとか、
そうおっしゃっていますから、
現状は違憲ではないのでしょうかね!?

このあたり賛成派も反対派も(特に反対派)は精査して頂きたいものです。



さてさて、一方の現実路線の賛成派の意見としては、
元外務省官僚であった宮家邦彦さんのスピーチが分かりやすい。
なぜ、いま、「安保関連法案」が必要であるのか、端的に語られています。

反対派(の一部の人)が主張する「個別的自衛権」あるいはその拡大解釈の危険性などなど、まだまだ確認すべきことはたくさんありますが、とりあえず宮家さんの話を聞けば、要点はつかめるでしょう。




このスピーチの中で反対派の方々にいく度か、

「本当にそうお思いですか?」

という問いかけに、特に民主党の方々はぜひ真摯に解答して頂きたいですね。
有権者の一人としてそれはぜひとも知りたいことです。


私個人としては、国の安全保障について議論し、自衛隊も含めてきちんとした法整備をするべきである、と考えています。
だから、改憲も含めて議論はすべきだという立場です。

その際に、何となく「戦争する国」、とか、現憲法にしばられ過ぎず、ざっくばらんに安全保障について考えたいし、国民の代表者の議員さんには、そのように考えてほしいと強く思う。

「戦争法案」だと言うのであれば、
「では戦争をしないためには…」
「政府案のここがこう変わればもっと平和や安全が保障される」とか、
具体的な点で批判、反論し、より良い安全保障政策を実現していく…
それが少なくとも国会議員には、その全員に求められる責務でしょう。



前にも書きましたが、反対派の微妙な反論で、
議論が非常に些末なものになっています。
変なレッテル張りやイメージ戦略で、
子ども達が誤解しています。

子ども達が自分で考えることを遠ざけられるような事態になってしまっています。


たとえ賛成だろうが、反対だろうが、究極それはどっちでもいいんですよ。

大事なのは、自分で考え、自分で語り、自分で行動することです。

何となく誰かの受け売りで、それっぽいこと言ってる人に限って、
自信がないからどんどん声が大きくなって、
言うべきことが実はあまりないから同じことをくり返すばかりになる。
…往々にしてそういうこと、ありますでしょ!?

だから、子どもたちにはそうはなってほしくない。

きちんと自分で調べ、自分で考え、自分のことばで語り、自分の意志で行動できるようになってほしい。


私が真に望むことはそれです。



この話題についての些末で不毛な議論は、
これで終わりにしたいものですね。