FUxK IN LIFE -2ページ目

FUxK IN LIFE

やわらかく、美しく。



生きているということ、酸素を取り込むという行為は、



なんて難しいことなのだろうか。

いいことないねえ。いいことねえよ。声出なくなるまで叫んで、部屋中すべてを壊したい。どうして毎日こんな気持ちになるんだよ。ふざけんなよーなんなんだよ。食って吐いて泣いてばっかりいる。なんでもない一言で泣いて、なんでこんなに。なんでこんなに不安なんだ。私は何が気に入らないんだ。ああむしゃくしゃする。自分が、壊れてゆく。世界が壊れていく。こんなときに限って、チチオヤは会社をサボって家にいる。

いるなよ。壊れた日記はアメンバー限定日記に書きます一応。ここじゃあれだろうなーと思うので。

気になったらプチメ下されば。

強くなるって、最上級に難しいことじゃないか?


久し振りに、枯れるほど泣いて嫌になるほど戻した。
なにを、してるのか。
誇張でもなんでもなく、自分のことが世界一嫌いで、なんて醜いんだろうと思う。そう思う自分を更に憎む。
考えすぎなのはわかっているのに、人には言えても自分で言えないなんて結局いつも口だけだ。誰が悪いわけじゃない。誰も悪くない。それははっきりしていて、自分でも感情の管理が出来ない。強くなれ、って、簡単に言える言葉だけど、簡単に出来ることじゃない。
一体何を正せばいいのかわからなくなって、結局全てを正さなければいけないように思る。

笑えるようになっても、だんだんと糸が張り詰めて、それが切れた瞬間、わたしは壊れるらしい。
じゃあどうしろと言うのだろう。これから何を正せば強くなれるというのだろう。どうやって生きていけばいいんだ。
わからない。本当に。悔しいくらいにわからない。生きている意味なんて考えてもわからないけど、生まれて来た意味があるのか、それは疑問でしかない。
もしも最初から私という個体が存在しなければ。
大袈裟だと笑われて終わりかもしれないけれど、至って真面目に考えている。今から消えたら、とかそういう意味はなくて、ただ本当に、最初から何もなかったら。


それはもう、絶無とさえ言えないだろう。

もし、なんて言葉は有り得ないのに。間違って造られた、出口を書き忘れた迷路のようだ。キモチワルイ。

煙草が1本しかない。



少し前の話になるのだけど、PCを初期化した。

うちのパソコンはもうだいぶ古い上にかなり使っているからウイルスに侵されやすく、数年に一度初期化していてこれで三度目になる。

何度経験しても寂しいものだけれど、今回はちょっとヤバめな感じだったので、ほとんどバックアップも取れないままに初期化せざるを得なかったから余計に寂しい。

嗜む程度の自己満足だとはいえ、自分の書き置いていた文章たちを消さなければいけないのはとても寂しい。

もう何年かしたらこのパソコンも寿命がくるのだろうなあと思うと、余計に寂しい。

大好きな映画やバンドのステッカーがべたべた貼られたこの子が、なんだかとてもいとおしく感じた。

ついでにディスクのCDやDVDも読み込まなくなってしまったため、泣く泣く外付けのディスクドライブを買った。

物持ちはかなりいい方だけど、コンピューターとかになるともう直すという選択肢を捨てなくてはいけないので、なんだか仕方ないのかなぁと思った反面、いろんな思い出が詰まったこの子をいつか手放すときが来るのだということがとても寂しかった。


ひとはサヨナラの前に、傘を用意しておく必要がある。


これは昔読んだ辻仁成の小説の一部分だけれど、本当にそうだといつも思う。

始まりがあっても、終わりはなければいいなんて、そう思うこともままあるけれど、始まって終わりが来ることをたくさん経験して、人はいつか死を受け入れられるようになるのかなあと、そんなことを思った。



明日は仮面ライダーのためにちょっと早起きをしてみようと思う。

なんていう不純な動機。きっかけはなんでもいい、とは思うけれど。

夢と現実の混迷状態。



前にも書いたことがあったような、なかったような気がするけれど、確かあったと思うのだけれど、眠っているときに半分起きているというような、なんだかよくわからない現象が続いている。

朝起きたときに、これは本当に起きた出来事だったのか、ただの夢だったのかわからない。

夢とは得てして、現実で気になっている事象が出てくることが多いと聞いたことはあるのだけれど、ここまで鮮明に判断できないのはとても気分が悪い。

こんな抽象的な書き方では理解してもらえないと思うのだけれど、“実際に現実で起こったこと”と連動しているのが、記憶を不確かにさせている一番の理由だ。


かと言って嫌な夢ばかりでもないのだけど、うーんうまく説明出来ない。とにかく意識が半分あるような気が常にするのだ。



最近ブログを書こうと思っても、書くほどのネタがなかったので更新していなかった。

その間に何をしていたかというと、まぁ飲んだり呑んだり買い物したりしていたわけで、普通の生活です。

少なくとも、元気だということは確かなので、たまにはちゃんと書いておこうと思う。

本も読むし遊びにも行くしニコニコするしゲームもするしDVDも見るし酒も呑むし煙草も吸うし。

最近はかなり落ち着いた、娯楽三昧な生活を送れている。

考えてもしょうがないことは考えるべきときまで考えないようにしようと、そう開き直ったらとても楽になった。

焦ってはいけない。けれど時間と共に私も変わってゆこう。そう思うと、楽になった。


仮面ライダー10周年記念なら、今までのライダーのグッズも再販しないかなぁとかそういうくだらないことも考えている。

それにしても新ライダーのあのスーツはちょっとなぁとかそういうことも考えている。

だけどいろんな意味でちょっと楽しみだったりもする。天の道を往き総てを司るひとのアクションが楽しみだなぁとかそういう平和なことを考えている。もう自重しないで書いていこうと今決めたw



今日も半径1キロ以内は平和です。

世界中を探したら、成人式に出られなかった人なんて何千何万何億といるのだろう。


前にも書いたことのある弟が、明日成人式を迎える。
私はそのときは芝居の本番が直後に控えていて、実家の場所も場所だったために帰省出来ず、泣く泣く出席を諦めざるを得なかった訳だが。
それゆえに成人式への並々ならぬ憧れがある。
振り袖は前撮りでは辛うじて着ることが出来たし、専門学校の卒業式も振り袖に袴で出席したけれど、やっぱり成人式というのはまた違う憧れがあるのだ。
せめて実家が東京にあれば、というかそもそも日本の首都がこっちだったらと何度考えたことか。

弟は言ってしまえば特殊な環境で学校生活を送っていたし、高校に関してはここから車で3時間を越える田舎町で寮生活をしていたのだから、成人式で友人と語らうということは無いにしても、それでも共に過ごした人の一人二人にはきっと会うだろう。
いや、そうあってほしいと懇願するばかりだ。
世の中は不平等に出来ているから、障害を持った子供を親が一緒に成人式に連れて行くというのはかなり稀有な例なのだそうだ。
自分の晴れ舞台を、自分の意志とは裏腹に、むしろ晴れ舞台があるとも知らずに、単なる一日として過ごすのはどんな気分なのだろう。
私は弟バカなので、自分が参加出来なかった行事に弟が出席するということは素直に嬉しいけれど、なかなかどうして、現実は厳しいのだろう。

いや、厳しいという以前の問題だ。


なんて不平等で不可解な世界なのだろう。
人生は皆平等だと言うけれど、決してそんなものではないよなぁと思うのは捩じ曲がった考え方だろうか。

弟や彼ら彼女らが《可哀相だ》などと思ったことは無い。けれど、何の罪も無い彼らが不公平に扱われ不平等な目で見られているとは常々思う。


政治に五月蠅い訳でもなければ新聞も読まない私だけれど、なんやかんやと騒ぎ立てたり他国のお偉い方と会談なんてする前に目を向ける場所は、こんなに近くにあるだろうとは思う。

たかが成人式かも知れないが、一生に一度しかないのだ。
私はそれを経験出来なかったことを悔いているから、その気持ちを少なからず知っているから、そう思う。


願わくば多くのひとが、明日だけでも、この不平等な世の中を忘れて、笑顔になれますようにと祈る。