世界中を探したら、成人式に出られなかった人なんて何千何万何億といるのだろう。
前にも書いたことのある弟が、明日成人式を迎える。
私はそのときは芝居の本番が直後に控えていて、実家の場所も場所だったために帰省出来ず、泣く泣く出席を諦めざるを得なかった訳だが。
それゆえに成人式への並々ならぬ憧れがある。
振り袖は前撮りでは辛うじて着ることが出来たし、専門学校の卒業式も振り袖に袴で出席したけれど、やっぱり成人式というのはまた違う憧れがあるのだ。
せめて実家が東京にあれば、というかそもそも日本の首都がこっちだったらと何度考えたことか。
弟は言ってしまえば特殊な環境で学校生活を送っていたし、高校に関してはここから車で3時間を越える田舎町で寮生活をしていたのだから、成人式で友人と語らうということは無いにしても、それでも共に過ごした人の一人二人にはきっと会うだろう。
いや、そうあってほしいと懇願するばかりだ。
世の中は不平等に出来ているから、障害を持った子供を親が一緒に成人式に連れて行くというのはかなり稀有な例なのだそうだ。
自分の晴れ舞台を、自分の意志とは裏腹に、むしろ晴れ舞台があるとも知らずに、単なる一日として過ごすのはどんな気分なのだろう。
私は弟バカなので、自分が参加出来なかった行事に弟が出席するということは素直に嬉しいけれど、なかなかどうして、現実は厳しいのだろう。
いや、厳しいという以前の問題だ。
なんて不平等で不可解な世界なのだろう。
人生は皆平等だと言うけれど、決してそんなものではないよなぁと思うのは捩じ曲がった考え方だろうか。
弟や彼ら彼女らが《可哀相だ》などと思ったことは無い。けれど、何の罪も無い彼らが不公平に扱われ不平等な目で見られているとは常々思う。
政治に五月蠅い訳でもなければ新聞も読まない私だけれど、なんやかんやと騒ぎ立てたり他国のお偉い方と会談なんてする前に目を向ける場所は、こんなに近くにあるだろうとは思う。
たかが成人式かも知れないが、一生に一度しかないのだ。
私はそれを経験出来なかったことを悔いているから、その気持ちを少なからず知っているから、そう思う。
願わくば多くのひとが、明日だけでも、この不平等な世の中を忘れて、笑顔になれますようにと祈る。