幸せはいつも自分の中にある*人生を支える意識の法則* -37ページ目
小4の息子は繊細な子です
いわゆるHSC
息子を見ていると
人一倍感じ取り
繊細がゆえに
細かいところにまで目がいくし
先の先まで予測ができてしまうので
不安や怖さの種を作りやすいんですよね
なので
ちょっとしたトラブルが
息子にとっては重大に感じられる
ということがよくあります
今日は旅行中のわが家に起こったことを
お話ししたいと思います
旅行の2日目、コインパーキングを出る時に
車の底をガリっと擦ってしまったんです
夫がね(笑)
会計と運転と分担していたのですが
急いでいたのが災いしたと思います
少し走ってみると、いつもとは何だか
違う音がするので、宿泊先へ行く前に
オートバックスで点検してもらうことに
しました
金属のプレートが曲がってしまっていて
直してもらえたのですが
整備士さんがタイヤにも少し傷がついて
いることを見つけてくれたんです
長距離走ることを伝えると
今すぐとは言わないけど
高速乗る前に交換した方がいいとのこと
待ち時間を含めて1時間半かかりました
お店を出てから
夫は
「大丈夫やろ〜、何かあったら止まったら
いいだけやん」と言いました
傷は浅い小さなものなので
万が一異変を感じた場合に対応できる
だろうという考えで、聞いていた私も
まぁそんなものなのかなぁと思いました
しかし息子は
「絶対変えないと危ないやん
急に止まって、後ろの車がぶつかったら
玉突き事故になるし
命より大事なものないやろ」
って言うのです
この暑さの中、万全ではないタイヤで
400キロも走ろうとするのですから
危険予測の観点から言うと息子の
意見は最もなことでもありますよね
時間やお金であっても
命に変えることはできません、それも分かる
ここで注目したいのが
同じ出来事に遭遇した夫と息子の
違いです
どっちが正しいとか、間違っているとか
言う話ではなく捉え方の違いです
「タイヤに小さな傷がみつかった」
という一つの出来事が
夫にとっては大したことないこと
息子にとっては命のかかった重要なこと
となります
2人のこの捉え方の差、すごいですよね
そして、出来事の事実の部分から
(ここではタイヤに小さな傷があった
ということですね)
先の先まで予測して感じ取る力
最悪のシナリオまで描ける力は息子の
才能であり
気づいたことを伝えること
家族みんなの安全を守ること
後悔しない選択をすること、は
息子の責任感や優しさの現れであると
思うのです
一方で
不安が大きくなりすぎて
慎重になりすぎたり
まわりとの調和が取りづらくなる
というのは
生きづらさに結びつきやすくなる
部分となります
よくも悪くも息子にはこういう特徴が
あるということです
繊細な子の感じ方を知っておくのは
その子のことを理解していく上で大切
なことです
でも、そこに過剰に寄り添った
対応を選択することは
子どもの視野を広げる機会を
奪ってしまいかねないのです
理解はするけど、寄り添いすぎないこと
が大切だと思うんですよね
その後も息子はタイヤのことが気になり
何度もタイヤ交換のことを言っていたの
ですが、その度夫は
「大袈裟すぎる〜」と笑ったり
「そんなこと気にしてアホか!」と
イライラしたり、真面目に取り合う
様子はなく
(夫は夫で自分のしたことを、大きな
影響があったことにしたくなかったの
だと思います、無意識でしょうがね)
息子はそんな夫に対して
分かってくれない!と怒りながらも
曲げずに伝えつづけていました
私は息子とは逆で2人を見ていて
夫が息子の繊細な部分を変に理解しようと
しないこと
息子に寄せた話をしないこと
ここがいいなぁ、と感じたんですよね
息子が
「分かってもらえない」「伝わらない」と
感じることは
自分と違う意見の人がいる
自分の意見が当たり前ではない
ということを体感する機会となったと
思うんです
もし、息子の不安な気持ちを優先して
夫が自分の意見をさっと引っ込めて
いたとしたら
息子にとっては
「小さな傷ができたらタイヤはすぐ交換する」
という自分の意見と違う意見があることを
知る機会を失っていたと思うのです
自分とは違う意見や選択肢があると
知ることって、子供が視野を広げ
価値観を育てていく上でとても大切な
ことですからね
繊細が故にこだわりが強い息子
にとって大切な経験で
私にできることは、余計なことは言わず
母としてそっと見守ることだけだと
思うんです
翌日、予定していた観光を終えて帰路に
向かおうとしていた時にタイヤ館を発見!
幸い待ち時間もなく交換してもらい
安心、安全に帰ってくることができました
これもまたわが家の旅の思い出と
なりました
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
わが家は毎年この時期に家族旅行に
行きます
数ヶ月前から楽しみにしているのですが
いざ行ってみるとなんだか不完全燃焼な
感じで疲れて帰ってくることも
思い返すと、何度もありました
意識してはいませんでしたが
私は自分が楽しいことだけでは満足できず
家族みんなが楽しく過ごせることを
自分の目標としていたんです
これをクリアするって
すごくハードルの高いこと
だって、夫も子供たちもそれぞれの
楽しい!最高!
イマイチだな〜、まぁまぁだな〜
とそれぞれの感性で感じるし
家族といえど、どう感じるのもその人の
自由なのですからね
そして、家族旅行の思い出=楽しかったこと
とは限らないんです
このことに気づかせてもらったのは
昨年のちょうど今頃
UMIカウンセラーコースの勉強会での
ことでした
昨年はは沖縄に行ったのですが
旅行の計画はほとんど私と娘で立てました
(ここもツッコミどころではありますが
今回はスルーしますね)
その中で、沖縄民謡のライブを見ながら
ごはんが食べれるお店を予約していたの
ですが、そこが息子には大不評だったん
ですよね
息子はHSCなので音がうるさくて
早く出たい!と機嫌が悪く、店を出た
あとに「沖縄何にも楽しくない」と
言っていたし
夫はそんな息子のぐずぐずにイライラして
早足でホテルに帰ってしまったんです
私は沖縄らしくていいな、ゆるりとした
音がステキだなと感じていたのですが
2人の態度に気分が下がってしまいました
その後も
美ら海水族館も然りでここは混雑しすぎて
娘と息子に不評
ガヤガヤが苦手な私も実はしんどかったり
もして
極め付けが旅行最終日
「もう生きているうちに沖縄にくることは
ないなぁ、一回で十分」
と夫が笑って言ったんです
私たちのプランで楽しませることが
できなくて悲しいな、申し訳ないな
失敗だったな
そこを通り越して
そんなに言われると悔しいしな
そんな風に
もやもやする旅行になったんです
こんな私の話を聞いてくれた講師が
「楽しくないといけないの?」
と、質問を投げかけてくれました
そして、ご自身のトラブル続きの旅行が
何十年経ってもネタになるような
思い出になっている、と話して
くださいました
そっか、
私は家族、旅行でみんなの思い出を
作りたかったかったんだった、
楽しい思い出もいいけど
楽しくなかった思い出でもよかったんだ
ハッとさせられました
そして、自分自身の子供の頃を思い出すと
確かにそうだ、と納得したのです
高速が混んでいて帰りが夜中になったこと
大切なぬいぐるを忘れてきて
取りに戻ってもらったこと
父と母が道に迷って
よくケンカしてたこと笑
親目線で見ると失敗だったな、
大変だったな、ということが
子供だった私にとっては忘れられない
思い出となっているのです
そう感じると
家族旅行に失敗も成功もないな
家族で一緒にすごした時間そのものに
意味があるのであって
楽しいことだけに意味がある
わけではないんだな
ということが腑に落ちました
すると、失敗だった、楽しくなかった、
ということにだけフォーカスしていた
ことにも気づいたんです
フクギナミキのサイクリング
ホテルでのシーサーの色付け
プールから花火が見えたこと
ホテルのお部屋がステキだったこと
期待以上に楽しかったり、嬉しかった
こともあったんですよね
そして、旅行から一年経った今
美ら海水族館は人が多すぎて嫌だったー
沖縄民謡の店最悪やったー
と楽しそうに話している息子がいます
夫もやはり、沖縄はもういいわ〜と
言っています
でも、今の私は
そういう思い出になったんだなって
笑って聞けるようになってるんですよね
私は家族が楽しめてるかな、と気にかける
ことに相当エネルギーを使っていたんだな
ということにも気づいたので
それも辞めました
それよりも自分が楽しんだり
観光に集中したり、の方にエネルギーを
注ぐ方が幸せだな、と気づいたからです
家族でもみんな感じ方は違っていいし
楽しくても、楽しくなくても
どっちでもいい、そう思うと
とても気が楽になりました
実は昨日から家族で
北陸地方に旅行に来ています
昨日は富山の宇奈月からトロッコ列車
に乗りました
雄大な景色に癒されるのは大人で
息子は全然楽しくなかったと言ってたし
娘も帰りは飽きた〜と言ってました
そんな思い出がまたひとつ増えました
余計な責任はまとわず
キレイな景色やアートに触れて
美味しいものを食べて、軽やかに
私は私の旅を楽しみたいと思います
夏休み、家族で出かける機会も増えますが
みんなのためにって思ってしまう
優しいママたちへ
是非ご自分が楽しむことに意識を向けて
みてくださいね
お子さんが小さくて手がかかるうちは
そんなの無理〜と思いますよね
そんな時期も永遠には続きません
後にはいい思い出となるので
それもまた大丈夫なことですよ
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
私は毎朝起きて、着替えが済んだら
まず庭の水やりをします
その時間が結構好きなんです
暑い日が続いていますが
朝の空気感は日中のそれとは
また違うんですよね
少しひんやりと、しっとりとした空気を
肌が感じて心地いいんです
昨日は特にそう感じて、ふと
この感覚懐かしいなって気づいたんです
感覚が記憶を呼び覚ますという経験
みなさんもあるのではないでしょうか
私は
小学生の頃のラジオ体操に向かう時に
感じていた空気と同じだなって
感じたんです
夏休みの間、歩いて5分ほどのところに
ある大きな公園で開かれてるラジオ体操
に毎日行っていました
私は同居していたおばあちゃんが毎朝
起こしてくれて、おばあちゃんと妹と
一緒に通っていました
その時の空気感が今朝感じたものと
同じだったんですよね
そして、同じだと身体が気づくと
不思議と普段は思い出すことない
忘れていた記憶や感覚が
蘇ってきました
校区の子供たちが1000人ほどやってきて
各町目から参加カードにスタンプを
押してくれる大人、小さい子に付き添って
くる大人もいたので、今思うと
相当な人数が集まっていたんだろうな
と思います
公園は校区の真ん中くらいにあったので
体操がはじまる時間に合わせて
公園までの四方八方からゾロゾロと
集まってきていました
歩きながら干からびてるミミズが
道に転がっていたのを何故だか
よく覚えています
暑くて這い進んでいるうちに
もっと暑いアスファルトの上に出てきて
しまったんだろうな、と
子供ながらにちょっと冷めた感じで
気の毒だなぁ、と感じていました
おばあちゃんが
「かわいそうにな〜」と
言うのをいつも聞いていたから
そう感じていたのだと思います
公園の大きなグランドには
校区の子供たちが1000人ほどやってきて
各町目から参加カードにスタンプを
押してくれる大人、小さい子に付き添って
くる大人もいたりと、思い返すと
相当な人数が集まっていました
今は子供も減って静かな住宅地ですが
こうやって活気のあった時代も
あったのだな、と懐かしくも不思議な
感じがします
体操が始まるまでの時間に
参加のスタンプを押してもらうのも
楽しみでした
ちゃんとした基準があったのかは
よく覚えていませんが
スタンプを集めると最後の日に
お菓子がもらえるんです
そしてスタンプを押す大人は5箇所くらいで
小さな椅子とテーブル、中にはパラソルを
広げて待機してくれていました
あそこのスタンプはかわいいとか
こっちは普通だ、とか言いながら
どこで押してもらうか選ぶのも
楽しい記憶として残ってます
おばあちゃんも一緒に体操するのですが
ジャンプをしないおばあちゃん、という
のを妹も私もよく覚えているんですよね
リズムに合わせてジャンプしながら
手足を広げる体操の時も
ジャンプせずに手だけ広げるおばあちゃん
本人はもちろん真面目な顔してやってる
のですが、それがまたおもしろくて
笑っちゃいけないけどおかしいな
って感じてたなって記憶です
当時70代だったおばあちゃんなので
今思うと、そりゃ飛べないよね、と
納得はするのですが、それでもなお
思い出すと笑いが込み上げてくるのは
当時の感覚のまま感じるからなの
でしょうね
朝の空気感を感じた身体が
こんな風に思い出の記憶を
引き出してくれました
暑い毎日の中で外の空気が涼しい時間
ってとても貴重ですよね
そこに触れると
心も身体もホッと緩まるし
そんな瞬間だから大事な思い出の記憶
というプレゼントを受け取れたようにも
感じました
些細なことでですが
とっても豊かで満たされる感覚があり
こういう感覚はこれからも
大切にしていきたいな、と思いました
五感を通じて身体の記憶を引き出すこと
その記憶に思いを馳せること
これもまた自分という人間に寄り添う
ことなんだな、とも感じます
身体が覚えている記憶
感覚が教えてくれる記憶に気づいたら
是非じっくり感じてみてくださいね
ちなみに私はごま油の香りで
大学生の時の一人暮らしの部屋を
思い出すし
香水の香りで人を思い出したり
することもあります
こういうのをおもしろいな、と
感じているちょっと変わった人
なんです私(笑)
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

