大丈夫は自分の中にある*人生を支える意識の法則* -22ページ目
食事と体のことを学ぶようになって
今まで知らなかった食材にたくさん
出会うようになりました。
例えばクコの実。
目を養ったり、血を補ってくれると
言われる赤い実です。
杏仁豆腐の上にのってるイメージしか
なく、自分で買ったことは
ありませんでした。
使ってみようと思った時も、
どこに売ってるのか分からなかったので
Amazonで購入しました。
にんじんの和え物に加えると
色がキレイで、ほんのり甘くて
おいしい。
そして、
その後何気なく行ったスーパーで
驚きました。
中華食材コーナーに普通に並んでいた
のです。
「なんだ、ここにあったんだ。」
いつも行ってるスーパーなのに
全く目に入っていませんでした。
また別の日のこと。
よく行く野菜の直売所で
大葉を探していた時のことです。
見慣れない小さい葉っぱが
目に入りました。
「木の芽」と書いてありました。
ああ、これが木の芽なんだ!
筍の木の芽和えがおいしいと
聞いたことを思い出しました。
「木の芽」は山椒の若枝のことで
すりつぶして和え物にすると
とてもおいしいのだそう。
この日は思い切って買ってみました。
きっと去年も売っていたんだと思うんです。
でも、その頃の私には
見えてなかったのです。
ここで改めて感じたのは
目に入るのは知っているものだけ。
知らないものはそこにあっても
不思議と認識できないもの。
これは心の状態にもよく似ていると
思います。
カウンセリングでも同じようなことが
起きます。
子供のことで不安が強い時、
どうしても「心配なところ」ばかりが
目につきます。
でも、不安の根っこにある思い込みが
ゆるんで
「私も子供も大丈夫かもしれない」と
感じれるようになると、
今まで目に入らなかった
子供の「大丈夫なところ」が
自然と目に入ってくるようになるのです。
それは、
不安を探していた意識が
「大丈夫」を探す意識に変わるからです。
クコの実や木の芽もずっと身近にあった
のに気づかなかったように、
「大丈夫」も最初から存在していた。
意識が変わると、
見える世界が変わってくるって
そういうことなんです。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
「検査結果が異常だったんですよね。」
先生のその一言に
一瞬頭が真っ白になりました。
年末に子宮頸がんの検査を
受けていたのですが、
中々予定が合わず
結果を聞きに行けていませんでした。
そして、そのまま忘れてしまって
いたんです。
先日、予定が急に空いた時にそのことを
急に思い出して予約を入れました。
4ヶ月も経ってしまってましたが
もし異常だったら病院から連絡が
きてるはずなので、きっと何もない
のだろうと思っていたんです。
少し待って、診察に呼ばれると
先生から冒頭のまさかの言葉。
「検査結果が異常だったんですよね。
何度かお電話させてもらっていたん
ですが連絡がつかなかったようで。」
先生の説明をよく聞くと、
正常とも、異常とも言えない状態らしく
リスクがあるのかどうか調べるために
ウイルスの検査をするとのことでした。
えっ?!異常なの?
着信なかったけどなぁ?
ハガキで知らせるとかしてくれても
よかったのに。。。
まさかの異常所見に驚きながら、
胸にもやもやとしたものが
広がってきました。
もやもやがイライラに変わってきてるのを
感じながら、
検査台に乗る前に、看護師さんに
「電話全然気づかなかったんですけど、
家の電話にかけてくださっていたん
ですかね?」
と、なるべく冷静にそう聞いてみました。
そしたら、その方は
「あっ、携帯電話への連絡がご希望ですか?
変更しておきますね。」
って携帯番号を聞いてくれました。
あっさりとした対応に
もやもやしながら検査を受け、
2週間後に来院するように言われ
その日の受診は終わりました。
イライラしてきた時、
私は被害者の意識になっていました。
そして、看護師さんに質問した時
謝ってもらったり、
気持ちをなだめてもらったり、
することをどこかで期待していたの
かもしれません。
自分で受け止めきれない感情が
出てきた時。
自分の器では受け止めきれず
無意識に他人に責任ぶつけてしまう。
それは自分を守るための心の動き
です。
ちょっとしたことで
急に激昂する人。
怖い人に見られがちですが、
それも実は気の小さい人であることが
多いのです。
まわりにその怒りの感情を受け止めて
くれる人がいるか、いないかで
心の在り方は変わってきます。
受け止めてくれる人がいると、
その人は自分で感情を受け止める器
がいつまでたっても育たないのです。
強く怒りをぶつけてしまう人も
実は同じ心の動きをしているのかも
しれません。
(私にもそういうところが
あることも自覚しています。)
でも、私のように
その気持ちをスルーされると
自分で受け止めるしかなくなります。
そして、それが自然な形の
コミュニケーション。
自分の感情は自分のもの。
他人の感情は他人のもの。
自分の感情は自分で受け止める。
他人の感情は引き受けない。
いわゆる境界線(バウンダリー)を
意識すること。
子育てや夫婦関係の問題の中には
これが大きく関係してることも
多いのです。
なるほどーと、気持ちが整理できると
ちょっと恥ずかしくもなってきました。
そもそも、
私がすぐに結果を聞きに行かなかった
のが原因ですからね(笑)
そして、根拠はないけど多分大丈夫。
そんな気がしてきて
怖い気持ちもすーっと引いてきました。
昨日、結果を聞いてきたのですが
陰性でした。
一過性の変化だろうということで、
精密検査は無事終了しました。
やっぱりね、と思いながらも
ほっとしました。
根拠のない自信という直感についても
最近感じることがあります。
この話はまた今度にしますね。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
私ばっかり大変。
夫は気楽で自由そうに見えるのに、
子供の心配をするのも、
家事するのも、
お金のことを気にするのも
全部私。
私ばっかり、私ばっかり。。。
少し前までの私は
そんな風に感じていました。
そして、たまに
助けて欲しい、手伝って欲しいと
お願いしてみた時に限って、
すんなり引き受けてもらえなかったり、
嫌がられたり。
そうなると、
心の中にある「私ばっかり」が
やっぱり私ばっかりーーー!
って更に大きな確信となり
強まっていくのです。
私にこんな思いをさせる夫は
ひどい人だと思っていました。
でもね、
この現実を創り出していたのは
私の意識でした。
自分の中に「種」があるから、
心は反応するのです。
私の中には、元々「私ばっかり大変」
という種があるんです。
三人兄弟の一番上で、
感受性の高い子供だった私は
誰に強いられた訳でもないけど
周りの状況を見て、
言いたいことを我慢する子でした。
だけどね、
人一倍「気づいてほしい」という気持ちは
強かったんです。
(心の勉強をして気づいたことです。)
でも、現実は
言わないので気づいてもらえない。
自然なことですよね。
それでも、幼い子供だった私はどこかで
「お母さんなら分かってくれるはず」
という期待を持ち続けて、
それが叶えられないこと=愛されてない
と捉えて傷ついてきたのです。
それと同時に「私ばっかり」という
意識も強めていくこととなりました。
私の中には、
「私ばっかり大変」
「私ばっかり我慢しなければならない」
そんな自分のイメージが染み付いて
いったのですよね。
不思議なもので、
人の脳は無意識のうちに
自分の持っているイメージに
近づいていくものなんです。
夫に手伝って欲しいとお願いをする時、
どうせ嫌な顔するんでしょ。
どうせ私の大変さ分かって
くれてないんでしょ。
というマイナスの意識で伝えると、
不思議と相手から断られたり、
嫌な顔をされたり、と
マイナスの反応が返ってきます。
自分が出したものが返ってくる。
とてもシンプルな意識の法則です。
「やっぱり私ばかり大変」となる状況を
自分から取りにいっているんですよね。
心の動きをじっくりと見てみると
無意識にこういう意図しないことが
起きていたりするのです。
大切なのは、まず気づくこと。
自分の当たり前を疑ってみることです。
セルフイメージが「助けてもらえる私」
に書き換われば、
不思議と自分のことも信頼できるし、
相手にも信頼の意識でお願いできるよう
になりますからね。
断られても、
相手にも相手の都合があります。
私にも私の都合があるようにね。
それは愛情とは何も関係がないし、
「私ばっかり大変」の根拠となるもの
ではない。
そんな真実が
見えてきますからね。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

