ゆっくりと寝られる


日曜日の朝が大好きです。




5月、6月って、私の身体が苦手な季節で


だるさや重たさを感じやすいのです。




目は覚めるのに


身体はもうちょっと寝ていたい。


そう感じながらも


ゆっくりと起き上がります。




起きてしまえば、身体も少しずつ


目覚めてきて動き始めるのですが、




朝からの用事がない日曜日は


二度寝も、三度寝もできて


ベッドの上でうとうととしながら


身体の目覚めも待つことができる。




心地がよく、幸せな時間だなぁと


思います。





窓から入ってくる


ひんやりとした静かで澄んだ空気。




ガーゼ素材のカバーをかけた掛け布団。




そういうものに包まれて


まどろむ時間は、私にとって


夜の睡眠とはまた違う


心身の癒しの効果があるように感じます。





今日も


やっておきたい予定が2つ、


できたらやりたいことは3つほど。





この時期はやろうと思ってることを


「あえて一つ置いておく」くらいが


ちょうどいいという言葉を見かけて


なるほど、と思いました。




一日の終わりを


「心地のよい疲れ」で終えるには


そのくらい時間に余白を残して


すごすのがいいのかもしれませんね。




私も、今日はあまり欲張らずに


身体と相談しながらやっていこうと


思います。




日曜日の朝に感じたことを


徒然と書いてみました。


よい休日をお過ごしくださいね。



 


今日も最後までお読みくださり


ありがとうございますにっこり




    


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UMIカウンセラー うちこし 茜




昨日は「感じすぎてる自分」に


気づいた話を書きました。





今日は、そんな私のことを


今の私がどう感じているのかを


書いていきたいと思います。




私は自分が「感じやすい」


いわゆる感受性が強いタイプだとは


思っていませんでした。




それどころか、


どちらかというと


鈍感で細かいことは


気にしないタイプだと思いこんで


いたんです。




私の両親は、よく妹のことを


「あの子は感受性が強いから


 神経質で細かいことを気にする。」



と言っていましたし、


父は今でも時々そう言います。




逆に私は


「さっぱりとした性格。」だと


言われることが多かったんです。




幼かった私は


褒められているような感じがして


なんだか嬉しかったのを覚えています。




そして、知らずのうちに


「さっぱりした私」を演じるように


なったんです。




細かいことは気にしないフリ。


おおらかなフリ。




落ち込んでることは隠す。


恥ずかしいことは隠す。




いつの間にか


それが当たり前になっていきました。




そうしないと、


自分の価値がなくなってしまうような


居場所がなくなるような


怖さがあったのだと思います。




自分の感覚を閉じて、


なるべく感じないようにすることで


「さっぱりとした私」を演じてきた


のだと思います。




心の勉強をして、


自分の内側を見ていくうちに


閉じ込められていた「感じやすい私」


が少しずつ息を吹き返してきました。




その私は


ちょっぴり怖がりで、


ちょっぴり情けなくて、


ちょっぴり弱い私です。





その分、


人の気持ちや自分の気持ちの動きに


気づける私。


(それがしんどい時もありますけどね。)




温度が微妙に違う風が


交互に吹いてくるのを感じられる私。




自然を肌と匂いでも感じられる私。 




「感じやすいこと」はよくも悪くも


私の一部なのです。




困ったところも含めてそれが私。




今はそんな私のことを


「ちょっと好きかも」と思えるように


なってきました。




全てのことには陰の部分と


陽の部分があります。




やめたい、直したい、と感じている時


見えているのは陰の部分だけです。




そんな自分の陰の部分を


ありのまま受け入れられると、


はじめて陽の部分が見えてくるのです。




陰陽が一つになると、


エネルギーがスムーズに回り始め、


その人らしさが発揮されてきます。




陰の部分って実は


そのくらい強い可能性を秘めた


宝物だったりするのです。




今日も最後までお読みくださり


ありがとうございますにっこり



AIにヘッダー作ってもらいました〜。


「相手が嫌がることはしない。」




子ども頃から当たり前のこととして


教えられてきたことですが、


「嫌がること」の感度は


人それぞれなんですよね。




自分が人より感じすぎると


いうことに気付いたのは心のことを


学んでからです。




例えば昨日野菜の直売所に買い物に


行った時のこと。




お会計を済ませて野菜をエコバッグに


入れていると、レジの年配の女性が



「小さいお子さんいらっしゃる?」と


笑顔で声をかけてくださいました。




小5はそこまで小さくないかな?と


思いながらも、口から出た言葉は


「はい」でした。




するとその女性は、


「これ塗り絵になってるから、


 よかったら塗ってね。」と


ちょっと恥ずかしそうに笑いながら


塗り絵の紙を2枚渡してくれたんです。




反射的に「感じよくしなきゃ!」という


意識が働いた私は、笑顔を作って


「はい。ありがとうございます!」と


受け取りました。




女性が笑顔のままレジに戻ったのを


確認してから塗り絵を見ると、

  



A5の紙に3つの野菜が並んだ


シンプルなもので


下に名前を書く欄がありました。




対象は一年生くらいまでだなあと思い、


いらなかったけど貰ってしまったな


とうっすらと自分を責める感覚を


感じながら


バッグに塗り絵を入れました。




カゴとカートを戻していると、


通りすがりの同世代くらいの女性が


紙をゴミ箱に捨てていきました。




何気なく目を向けると、




さっきの塗り絵でした。




これを見て


「店員さんが見たら傷ついてしまう。


 気付きませんように。」


そう願う私の心は、無意識に


店員さんの気持ちに責任を感じて


しまっていたのです。




家に帰った私。


野菜室に野菜を片付け終わって


ゴミ箱を見るとさっきの塗り絵が


捨ててありました。




捨てたのはどう考えても私。




店員さんから見えないところでは


無意識に捨ててしまうくらい


いらないものだったんです。




お店のゴミ箱に塗り絵を捨てて帰った


女性もこんな感覚だったんだろうな、と


はじめてそこで気づきました。




同時に、


「あっ、また私感じすぎてた。」


ということにも気づきました。




店員さんはお仕事で配ってくれただけ。


きっと小さい子供がいそうな人に


渡すように言われていたのでしょう。




渡すまでがお仕事。




笑顔に応えなきゃと思ったのは私の癖。


その場で捨てたらいけないと


気を遣ったのも私の癖。




それが悪いことではないけど


相手の気持ちを考えすぎて


気をつかうことで疲れてしまうのなら


その気持ちは過剰なのかもしれません。




以前の私なら、


そこに気づかずにお風呂に入る時や


寝る前にも思い出していたと


思うのです。




こういうのって


地味にエネルギーの浪費でもあるの


で侮れません。




気づいたらゆるめる。


不要なら手放す。




それを繰り返していくうちに


少しずつ楽になってきました。




他人の気持ちももちろん大切ですが


一番大切なのは自分の心。




今はそう感じるのです。




今日も最後までお読みくださり


ありがとうございましたにっこり




    


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