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ふぇりっくす日記

2013~ MMORPG「ArcheAge」のプレイ感想
2014~ ゲームブログのはずが迷走中

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人権派弁護士の伊藤和子さんツイート。










まぁ 慰安婦問題とか、ややこしいことに絡んでる人だから、かなり攻撃は受けるのでしょう。

伊藤弁護士はAV女優被害者支援(契約詐欺の様なもの)の弁護活動で成果を上げているので、社会的に完全に悪者とは思えません。

ただまぁ かなり極端な左派で、慰安婦問題で自国を世界からのバッシング対象にしてしまうことについて無頓着というか、女性の人権と言えば全て正しいと錯覚を抱いてると言うか、ナイーブすぎて韓国の嘘と日本の保守系の嘘に巻き込まれてる印象を受けます。


在日認定云々については、仮に在日だったとして人種差別だし、在日でなくても(在日だー!とのニュアンスで攻撃してる時点で)やはり人種差別的な要素があります。

これがあるから、在日問題を社会的に論じる必要がある時も、やたら配慮しなくてはいけなくなってタブー化していっちゃうんですよね。

そして人種差別にならな様に配慮する人(メディア)に対して、「在日を庇ってる」 「あっちの仲間」 「メディアに在日が混じってる」 と、やはり人種差別的な陰謀論に陥る。


こういう愛国バカが、マッチポンプを擦って自分で騒いでるから、始末が悪い。
(パラノイアですね…)





人種差別が良くないのは、ごく常識です。

その問題と、慰安婦問題で韓国の主張が滅茶苦茶であることは、切り離して考えるべきです。
元慰安婦の女性をバッシングする日本の古臭い保守も、相当に問題があるし…。






さて本題。
伊藤氏のツイートの最後のほうにあるイマジン。


歌詞と和訳の確認はこちらのリンク先で。


http://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.htm







イマジン…なぁ。(*´Д`)


リベラルや左派が好んで、保守系の人が嫌う構図を見ますが…。



これ、ジョンレノンのメッセージが理想かどうか単体を考えても、
今日的な各国で見られる文化摩擦(欧州の移民問題など)を見ると、えらく疑問なのですが…。


それよりも、この歌のインスピレーションとなる思想の「背景」が際どいんですよね…。


ジョンのメッセージは瞑想的で、苫米地英人氏の仏教解説で言えば 「空観」 に分類される一切の区別差別を取り払う悟りの境地をイメージしていると解釈できます。

苫米地氏は 「空観」 と、もう一方の 「仮観」 の組み合わせ方によっては、とても危険であると言います。極端な例としてオウム真理教が典型だと。

(この世界の一切は仮のもので、教義に従わないものは消しても良い…となるのね)

イマジンのメッセージからは、特にオウム的な暴力的な教義への誘導は無いのだけど…。





思想勢力的な 「背景」 があって、それが変な化学反応を起こすと恐い。(*´Д`)


この種の平和主義的なメッセージを導入に使って、かなり際どいところにオルグする勢力も、あるのですよね…。




ビートルズの瞑想の師匠。
もの凄い保守主義者の一面があります。

たしかヒマラヤのほうで修行を修めたヨギだったはずで、それゆえにヴェーダの伝統を重んじ、各国の伝統も重んじる保守主義であるのは当然とも言えます。

…しかしですね。

この方はご存命の時に、しっかりハッキリと、日本は天皇制に 「戻るべき」 と指針を打ち出した人なんすよね。(汗)

もちろん現在でも日本は象徴天皇制なので、「戻るべき」天皇制って言えば…すなわち戦前じゃないかということで、当の瞑想団体の内部で混乱が起きたほどです。





まぁ…。
山崎闇斎先生から派生した神道神学的な考えで言えば、復古的な天皇論も全く分からんではないんですけどね。

中国儒教での 「革命是認」 の君主制と違って、 日本は 「革命否認」 で君臣民の相互扶助によって、国の秩序とひとつの皇統が一貫して守られてきた歴史があり、それはたしかに日本の素晴らしい特徴です。

でもそれだからと明治憲法の様な態勢に戻るのはもう無理であって、悲惨な戦争と敗戦で見事にぶっ壊れた価値観と言うか、もう大半の日本人は戻りたくない価値観というか、無理矢理戻っても世界に通用しない価値観ですよね、普通は…。

しかし一方で、三原じゅん子さんの様に無邪気に八紘一宇を夢見る政治家まで出てくるご時世です。伊藤さんの様にイマジンを理想とするナイーブな人が一定数いて、変なところに流れ着く人も発生することを想定すると、ちょっと恐いと思うんですよね、私は…。





念のために書いておくと 「神道神学」 という学問が、「神道を信じている人」 の立場を前提とした学問であり、また今日的には政教分離が憲法にも記されているのに、今さら祭政一致の天皇制とかありえねーだろ…となることは常識なわけです。

皇室を尊重するなら、現在の象徴天皇制か、宮台真司さんが提唱する双剣論の様な形でないと無理でしょう。何れにしても日本全体の君主として担ぎ上げることは、相当に無理があって逆に皇室の破滅に繋がる可能性大です。

(一部の自称保守が狙ってるから、創価学会と同じ様な意味で本当に迷惑なんだけど…)


非日常の伝統として男系男子の後継を保つことには私は賛成です。
でもそれは、日本人全体が神道を信じるべきとか臣民として天皇に仕えるべきであるとか、そういうこととは繋がりません。

歴史の連続性と秩序を保つのに合理性があるからです。


戦前回帰路線では、国内的にも、国外的にも、反発が大きすぎます。
神道系の宗教右派の中で(創価学会と公明党の様に内部だけで)勝手にやっててくださいという思想世界です。





この日記を見て、
なんでイマジンから天皇制の話になるのよ…と思う方もおられるかもしれませんが…。


本当に繋がっています。
神道界の一部コアな部分と、ジョンレノンが参加した瞑想団体。


(そして今でもポールマッカートニー達は瞑想の普及活動をしていたはず。
保守系雑誌の週刊新潮でも、その瞑想法について紹介記事が出たり…絶えてない)


その文化・宗教的な繋がりが、そのまま悪いとまでは言いませんが、昨今ネットなどで見られる過激な復古的ナショナリズムの高まりを観察していると、やや警戒が必要にも思えます。





少なくとも、イマジンをリベラル左翼の理想の歌と単純に見るのは、やめておいたほうが良いと思います。

イマジンは八紘一宇の世界観と親和性があり、思想の類似性だけでなく勢力的な繋がりも皆無ではありません。

そこに全くの無自覚でいるよりかは、認識だけでも持っておくべきです。


松田公太氏ブログ。


船から飛び降りるタイミング

http://blogos.com/article/149717/


船を放棄して逃げ出す船員(幹部)に対する批判を 「一般論として」 述べています。


コメントでも言われてますけど、

どう見ても井上議員の離党に対する当てつけですね…。(汗)







まぁ 早川忠孝先生みたいに 「元気出して立て直せ!」 とポジティブに考えても良いのだと思うけれど、私はかねてから元気会の直接民主制(割合投票)に対して辛口で、この構造上の問題は元気を出してどうにかなるほど軽くないと考えています。


(8月に書いた日記)

http://ameblo.jp/lcsfelix/entry-12065774960.html



ですので元気会は

①抜本的な制度の見直しか

②PR戦術と党員獲得策の見直しか

③参議院選挙前にメディアに指摘されてにっちもさっちも行かなくなる前に、さっさと解党するか


何か手を打たないと、ダメだと思うんですよね。







個人的には、おおさか維新に合流して東京支部(とうきょう維新?)として勢力を築いた方が楽だと思います。


ぶっちゃけると、元気会もおおさか維新もどうでもよくて、来年の参議院選挙で松田公太氏と山田太郎氏の2名が再選されれば後はどうでもいいやと思っています。


(申し訳ないけど、猪木さんとかホントどうでもいい)


元気から出馬しても…下手したら落選するんじゃないかと思うんですよねー。







それはともかく…。


先日、PRESIDENT ONLINEの記事で松田公太氏の考えが示されました。

http://blogos.com/article/149383/

http://blogos.com/article/149394/


いろいろと考えておられて共感できる部分も多々あるのだけど、やはり現状の会員数の少なさ(元気会内部での直接民主制の正当性の無さ)についてはスルーしてしまってる状態。


日本の政治制度の中に、幾らか直接民主制的要素を導入するとの主張には意味があると思います。しかし先に触れた党員数に起因する元気会の構造上の問題は残ります。





だから無理がある割合投票(元気会内部での直接民主制)は捨てて、考えの近い大きなまとまりに加わって、その船の中で松田氏が考えている策を具体化していくほうが好ましいと思います。


このまま小政党で埋没するには、惜しい議員さんです。


せっかくの機会なので、ピンチをチャンスに変えて新展開を切り開くべきです。

食事中の方、ごめんなさい。


何やら横浜の韓国総領事館に不審物が投入されたらしく、ニュースになっています。

しかも汚物とのこと。(大か小かは不明です)


靖国のトイレ爆破事件に対する報復であると記され、さらに在特会を名乗った犯行の様ですが、当の在特会側は関与を否定しています。



ごめんなさい。

不謹慎ですが笑ってしまいました。www



そもそも靖国トイレ爆破が11月23日の新嘗祭(神道でとても大切な祭り)に実行されるという、明らかにイデオロギッシュな犯行でしたが、出国したはずの韓国人容疑者が再来日して逮捕されるという謎の結末(?)に至り、神妙に静観していたらいつの間にかネタになってたでござる的な状態だったわけです。


そこに突然の、汚物です。


たぶん笑っちゃいけないのだと思いますけど、笑わずにいられません。






NHK映像ニュース。


韓国総領事館に”報復だ”の不審物 警察捜査

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151212/k10010339231000.html


12日朝、横浜市にある韓国総領事館の駐車場で「靖国神社の爆破に対する報復だ」と書かれた不審物が見つかり、警察が調べましたが、危険物などはありませんでした。警察では威力業務妨害などの疑いで調べています。
警察よりますと、12日午前9時すぎ、横浜市中区にある韓国総領事館の駐車場で靴箱くらいの大きさの不審物を領事館の職員が見つけ、警察に通報しました。
総領事館によりますと、靖国神社の爆破に対する報復だ」などと書かれた紙が貼られていたということです。
警察の爆発物処理班が出動して箱の中を調べたところ、爆発物や危険物は見つからなかったということです。
警察は東京の靖国神社のトイレで爆発音がして火が出た事件で韓国人の男が逮捕されたことに関連して、何者かが不審物を投げ入れた可能性があるとみて威力業務妨害などの疑いで調べています。
駐横浜韓国総領事館のリ・ジュンヨン領事は「両国の関係を考えれば、あってはならないことだ。警察にはしっかりとした捜査を求めたい」と話していました。

引用終了



さすがにNHKだけあって、どんな不審物だったのか中身の言及を避けてる様子です。
(汚物だからな・・・)



日テレは民放だからか、堂々と見出しに書いてます。
BPOなんて怖くない。

韓国総領事館に汚物の箱「靖国の報復です」(映像あり)

横浜市の韓国総領事館の敷地内で12日、「靖国爆破への報復です」と書かれた不審な箱が見つかった。

 警察によると、12日午前9時15分ごろ、横浜市中区にある韓国総領事館の職員から「不審物がある」と警察官に届け出があった。警察官が確認すると、総領事館の敷地内で靴箱のような不審な箱が見つかったという。

 韓国総領事館によると、箱には紙が貼り付けられていて、そこには市民団体の名前と「靖国爆破への報復です」との文言が書かれ、中には汚物が入っていたという。

 
名前が書かれていた市民団体の広報担当者は、日本テレビの取材に対し、関与を否定した。

 市民団体広報担当者「当会とは一切関係ないということを申し上げておきます。人の名前語って行動に出ると、それも人身を傷つけるような行動に出るということは、一切我々としても許すことができない卑劣な行為であると、そのように思います」

 警察は、箱が敷地の外から投げ込まれた可能性が高いとみて、威力業務妨害の疑いも視野に捜査するとともに、先日、靖国神社で爆発音がして、韓国人の男が逮捕された事件との関連についても調べている。


引用終了




映像で、マスクしてる警官に笑ってしまうのは私だけでしょうか。

ちなみに、このニュースの 「市民団体」(不審物の映像では団体名がモザイクで伏せられていた)については「在特会」であると、我らが神奈川新聞が普通に書いてますね。

韓国総領事館に不審物
http://www.kanaloco.jp/article/139931

実際は誰がやったのか知りませんが、仮に在特会に共感を抱く人がやったとしても、在特会の公式・組織的な動きではない様です。

おそらくは愉快犯でしょうが、笑わせてくれたこととは別に、横浜を汚すなと言いたい。

ちなみに神奈川新聞の記事は、上のリンク先で分かる様に 「排せつ物」について報じています。





全国紙を比較すると、朝日新聞・読売新聞は見出しにも記事にも 「汚物」 「排せつ物」 などの表現は見られません。「不審物」が投げ込まれて問題になったことだけが報じられています。

日経はベタ記事で、見出しから「汚物」と表記。
毎日はわりと大きな見出しに 「排せつ物」と表記。

産経はネット記事しか見てませんが、見出しから「排泄物」と表記している模様です。





こういうくだらない記事を見つけたら、全紙読み比べてみると興味深いですね。
微妙に報道内容に差があったり、ある表現を避けていたり、書き手の困惑が透けて見えて面白いです。

差別や平等、合理性について。



幾つかの具体的な事象を見て考えることなのですが、

具体的な事象そのものは今回は省きます。



まぁ 日記ですから、思うままに。


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差別はあって普通


まず普通に確認だけど、差別自体はどこにでもあります。

それ自体を絶対悪としてしまったら、世の中が回らないどころか人間や動物の存在自体を否定しないといけません。


(親が自分の子を守るのも、一般的な観念を捻じ曲げて差別と言ってしまえば差別です。世界中の全ての子供を「同じ様に」守らない人は差別主義者になる…。)



差別と言っても


① 仏教用語的な平等観との対比

② 差異性を示すだけのもの

③ 人権や権利問題となる差別


など様々。



①は仏教観での 「平等」 「悟り」 の境地と対比される 「差別」 ですから…。


普通に我々が考える「差別」よりも、「識別」に近い感覚で捉えたほうが、無難かと思われます。

空・絶対領域・抽象に対する、具象化した現象世界のことであって、とても深い話なんだけど瞑想的で、普通に社会生活するにはどうでも良い話です。


②は商品や政策の差異化・差別化のように、何かを貶める類の話でない 「ただ差異性を示すだけ」なので、これも割愛。




③ですね。

権利や人権・平等を訴える人がこだわるのは。


不当な差別を無くす努力をしましょう…とするのは、ごく常識だと思います。

「差別があって当然」で、だからと居直る様では身も蓋もありません。




しかし一方で、個人の主観や地域によって何が差別かそうでないか変わりますし、

基本的に絶対ということはありえないはずです。


だから 「差別的な人」 を絶対悪としてぶった斬ってる人は、それこそが最も差別的なケースもありますので、やたら差別論を多用して優位を得ようとするのは好ましくないように思えます。


(非常に、浅ましく見えるケースがあります)





一般的に通じる範囲での差別論が無難でしょう。

たとえば身分・職業・人種・民族・文化・宗教・性別などを理由に不当な扱いをするべきでない、というのは今日の日本では当たり前だと思います。


少なくとも建前としては、通用するはずです。

(実際は随分違うと思うけど)





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人権問題と組織内ルールは別



何もかも平等に扱わないと、人権や権利に絡む差別になるのかというと、当たり前ですがそんなわけはありません。


個人なら購入物から友人関係から、自分の裁量が許す内容は好きに選びます。

外部に対して平等に…とかはありえない。

内部ルールは自分だけの世界なので、誰かと比べて平等も差別もない。


私的グループでも同じ

外部に対して平等に…はない。

内部でのルールはあるだろうけど、そこでも扱いが平等とは限らない。

(影響力のある人、運営する人、手伝いの多い人に多くの権限がある…とか)


不公平感や不満が無いにこしたことはないけど、実際はある。


その意味では組織も同様。

外部に対しても内部に対してもルールがきっかりしてないと問題が生じるケースが多く、けれどもルールに則れば問題や不公平感や不満が無くなることもなく、実際は必ず何かしらある。

合理性を追求すれば、全ての事象に接してその意向に沿うことは無理だから斬り捨ては生じます。ある程度は当たり前で、そうでないとやっていけません。


目的をもったNPOであるとして、それに沿わない無差別の慈善事業はできません。


「無差別で無いから差別だ」 言えば、上記の①や②に照らせばそうなのだけど、権利や人権に絡めた③の差別になるのかぃな…と言えば、普通はそう思われません。



また、組織で決定権のある人が、無能な人材と有能な人材の声をきれいに拾って反映させてたら、組織は効率的に回りません。(パレートの法則って、ありますよね)


できれば広く声を集めたほうが好ましいにしても、発言権の多さや採用率の高さは差異があって当然です。特定の会議に出席できる役職も、組織内部でルール化されていて、それに従うのが普通です。


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平等を目的化せず、ほどほどに


もちろん人種や宗教、性別などを理由とした差別は今日の日本では許されず、またマイノリティが多数からの抑圧に苦しまないで済む配慮は必要でしょう。しかし組織の合理的機能を損なう程に、何もかもの平等を志向する意味があるのかは、やや疑問です。


平等が目的化して合理性が阻害される世界で追及できる幸福は、あまり大きくないでしょう。

それよりも、平等や公平感の確保が、より合理性を拡大する範囲でバランスをとるべきです。


平等を目的にすると歪みを生じ、辛いです。

それよりも割り切って、優遇すべきは優遇するとの立場で気楽にやるべきです。


(バランスをとったうえで、ほどほどに…ということ。

教条主義で理想を叫んでも上手くいかないなら、それはさほど説得的でなく非合理ということです)




合理性と言う観点であれば、文化や伝統・慣例なども合理性に根差していると言えます。

あまり根拠が論理的ではなかったり、一見合理的でない伝統も意味があります。


それが現代社会で不満や不条理を恒常的に生み出したり、非合理的であると認識されれば改められて当然とも思いますが、伝統や慣例そのものに合理的な側面もあります。

染みついて身体化しているために効率的であったり、古い伝統ゆえに付加価値がついていたり。

もちろん変えるべきは変えれば良いのですが、社会構造の変化やテクノロジーの進歩で 「もはや時代に合わない」 ことを説得的に示しながら変えるべきです。


そして変化は基本的に生活範囲、日常領域に於いて求められるはずであり、非日常の伝統を(それがあっても困る人がいるのか不明なのに)否定することは無用な反発を生みます。



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犠牲はいつもある



差別がいつもあるように、犠牲もいつもあります。

自ら奉仕・寄付する場合もあれば、他者から明確に差別され犠牲として扱われることもあります。


何もかも平等であれという平等至上主義では、世の中は成り立ちません。

不均衡や犠牲があるから世の中が回ることも、あります。 (社会も、自然も)



良いとか悪いとか、それはそれで個々に判断されるでしょうが、とりあえずそれは置くとして犠牲はいつもあります。



見方によっては、息をしても食事をしても、それは何かの犠牲の上に成り立っています。

(我々は酸素を差別的に扱っています)






犠牲をテコにして合理的に目的を達成しようとすることは、普通にあるでしょう。

それ自体を否定しても仕方ありません。


しかし犠牲に対しては自覚的であるべきです。


何を払って(払わせて)何を得たのか、それによって何を失ったのか。



見えているのと、見えていないのでは、随分と違うはずです。










神奈川新聞より。


クレジットカード寄附創設 動物保護センターで知事方針

http://www.kanaloco.jp/article/139160


黒岩知事、けっこう頑張ってますね。

知事選は対抗馬らしい対抗馬も無く、面白くなかったので白票を投じましたが…。(汗)



細かい政策は知らないけど、PR熱心で親しみのある知事だと思います。


(人柄に対するイメージです。

例えば太陽光パネル導入の数値目標の見通しの甘さなど、知事に対する厳しい記事は散見しています)




動物愛護PRの動画も、愛護家さんの間では好評の様です。

私の様に動物愛護から一歩引いてる身からすれば…あれで効果があるかは不明ですが。

(感じは悪くないんだけどね)


まぁ 県立の施設(歴史館や図書館)に行けば、動画に関連したチラシも置いてあるし、PRとして意味はあるのかな。


兎に角、首都圏で愛護センターが出来ることは、不必要な殺処分を減らすために大きく貢献するはずです。



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ところで、

あんまり関係ない話ですが…。


ちょこっと武将のお墓にお参りに行って、人気の少ない裏山の様なところに登ったのですね。



そこで昼寝してた猫と遭遇して、しばし睨み合いに…。


微妙な間合いの図り合いで、猫が逃げようかどうかしてる時に…。





龍角散のど飴を出したら、寄ってきた。(*´Д`)ナンデ?





まぁ 猫は近くまで寄ってきて一瞥して、食べなかったんですけどね。(苦笑)

しかし、何故か警戒は解けたらしく、お触りOKになってしばし戯れました。



天然ハーブの力なのか…?