レスリー・チャン ファンミーティグ lcing懇親会
次回は、2014年5月25日(日)予定です。
2013年11月3日は、無事終了いたしました。
いつもありがとうございます。
憶えているようで憶えていないこともあって
映像を見るとはっきりわかりますね~。
自分的には、レスリーについては、どんより気分・・なので、
皆さんのレスリーへの衰えない思いが毎回凄いなぁ~とパワーを貰います。
おしゃべりするといろいろ思い出すこともあって、
記憶保持にはおしゃべりは大切ですね~。
2014年5月25日(日)は、いつものように朝から晩までレスリー・チャン(張國榮)です。
よろしくのお願いします。m(_ _)m
ご連絡は、lckw50fm@mail.goo.ne.jp
お願いします。
3日以上ブログの更新がなかったらパソコン死んだと思ってください(苦笑
やっとデータが復旧できました。
お久しぶりです。
やっと今日、データ復旧ができた連絡が来てパソコンを持って帰ってきたばかりです。
これからは、ネットもできるようになりました。
ご心配させてしまって、すみませんでした。
データは全部は戻ってないようですが、
データがめちゃくちゃで整理しないとまったく訳わからなくなってます。
ファイルの名前も数字だけとかになってしまったのもあるので
先行きがとってもとっても長いです~苦笑。
今更の新しいPC(でも中古のビスタ。でもちょっと進化しました苦笑)
なので使いにくいし打ちにくいし
辞書登録はデータ移行にないので文字のやり直しも困ってます。とほほ
楽にしすぎてると、こうなるとどうにもならないですね。
3月はxp終了でパソコンが高いので
4月に落ち着いてから新しいの買ってデータ移行の予定にしてたのに、
3月でデータが壊れてデータ復旧のために、
パソコン用の予算にはしょぼいのしかだめでした~残念。
でも、レスリーの沢山のデータを捨てられなかったよお・・・・。
2014年5月25日は予定通りに開催予定にしてます。
もう少し後に再度ご連絡いたします。
そんなこんなでバラバラのめちゃくちゃなので、
ブログの更新はデータをもうちょっと綺麗にしてからとなると思います。
日本語タイトルがないので、いちいち見ていかないと内容がわからないのが多くて、
検索もヒットしないので・・・時間かかるのと思ってください。すみません・・涙。
パソコン壊れました
近くの所のネットカフェで書いてます。パソコン壊れました。
昨日すごい音とともにパソコンが終了してしまいました。
データをちょこちょこ出してたのですが、まだ膨大なレスリー関係のものが残ってたので大ショックです。
絶対にもう無いレスリーのものがデータにはあるわけでしょ・・・。
取り戻せないんですよね。はああああああ。
写真もやっぱりデータで残ってるだけってだめですね。
写真として紙の写真で残ってたら簡単に戻せるのに。
一週間以上10日以上無理だと思います。
消費税とXP買い替えが落ち着いた4月には新しいパソコンを買う予定だったのにですが、
この3月の消費税の需要のときにもう本当最悪ーーー。
データのお金がものすごいかかるので、データが復旧してもらいたいです。
ネットカフェに行く気力も正直なくなりました。。。。
どんよりがもっと、どんよりの3月4月です・・・・
香港のサイトをネットカフェで見ても本当に見るだけで、
保存も何もできないので・・・・・今年の4月はレスリーのことは考えるなということなのでしょう。。。。
神様から言われたようです。
ため息しか出ません。
香港にいくファンも多いでしょうね、香港を楽しんできてください。
2014年3月25日ホンハムの父(紅館の父)で有名な張耀榮が亡くなりました。
2014年3月25日ホンハムの父(紅館の父)で有名な張耀榮が亡くなりました。
2014年3月25日紅館の父で有名な張耀榮が亡くなりました。
“香港演唱會の父” 張耀榮(ジョン・イユウェン)とか、
ホンハムの父(紅館の父) 張耀榮(ジョン・イユウェン)と言われてます。
奥さんが倒れているところを発見通報して病院に運ばれましたが、深夜にお亡くなりになりました。82歳。
詳細は下記新聞をどうぞ。
2000年のレスリー・チャン(張國榮)のコンサート終了時の張耀榮(ジョン・イユウェン)とレスリー・チャン(張國榮)。
紅館は、個人の持ち物で 張耀榮(ジョン・イユウェン)の個人所有物だと聞いたときはビックリしたな~。
日本でこんなに大きなコンサート会場を個人所有してる人ってほとんどいないと思う。
紅館リフォームしてから破産とか今は実際の権利関係がどうなっているのかわかりませんが。
元々は、チムサーチョイ(尖沙咀)の海洋皇宮大酒樓夜總會から芸能の仕事をしだしたのですよね。 1976年にオープンした大型舞台を備えた海洋皇宮大酒樓夜總會は、昔のコンサートポスターで良く名前が出てきますが、当時の香港は、夜総会しか歌手が営業する場所が無かったみたいですね。
日本だと公民館とか小さいコンサートホールが市にもありますが。
跨越97演唱会でレスリー・チャン(張國榮)が 張耀榮(ジョン・イユウェン)のことを
『表哥』と言ったのでレスリー・チャン(張國榮)のいとこ?なのか?
と噂になりましたが、
「レスリー・チャン(張國榮)のいとこではない」
とご本人が昔の記事で言ってました。
『表哥』は、同じ張の名字だし名前も 張耀榮と張國榮で似てるので、あだなみたいなものだったようです。
中国だと同じ年代系列(いとこ・兄弟)だと名前に同じ漢字をつける習慣もあるから「いとこみたいだね」というあだ名だったようです。
記事の張耀榮(ジョン・イユウェン)の事務所には、アーロン・クォック(郭富城)のグッズ、フィギアは飾ってたけど、引退してコンサート中心には活動してなかったレスリー・チャン(張國榮)のことは、そんなに興味がなかったのではないかなあ~なんて思います。
■香港「演唱會之父」張耀榮病逝
[2014-03-25]
【文匯網訊】據香港電台報道,有「演唱會之父」之稱的張耀榮,25日凌晨在九龍塘的寓所昏迷,送院後證實死亡,終年82歳。
張耀榮太太發現丈夫暈倒於是報警。警方初歩調査顯示,事件無可疑。
從事建築生意起家的張耀榮,是第一位在紅館主[辛力辛]演唱會的投資者,為多名歌手舉[辛力辛]過演唱會,亦是香港主[辛力辛]最多演唱會的主[辛力辛]商。
香港「演唱會之父」張耀榮病逝
http://news.wenweipo.com/2014/03/25/IN1403250031.htm
■「演唱會之父」張耀榮家中猝死,享年82歳
25/03/2014 08:42
《經濟通通訊社25日專訊》有「演唱會之父」之稱的張耀榮,今日凌晨3時許,在九龍塘和域道寓所昏迷,家人發現後報警,惟送院搶救後證實不治,享年82歳。
據網上資料顯示,張耀榮早年在紗織廠工作,因了解到紗織廠需要大量貨車運貨,因而買入
二手貨車做起運輸生意,後來知道填海工程需要大量運泥車,再大筆投資購入運泥車,從此開始
踏足建築業。
張耀榮是第一位在紅?香港體育館主?演唱會的投資者,亦是香港主[辛力辛]最多演唱會的主[辛力辛]商
,曾與多位巨星如譚詠麟、梅艷芳、張國榮、四大天王等舉[辛力辛]演唱會,故有「演唱會之父」稱號
。(ms)
「演唱會之父」張耀榮家中猝死,享年82歳
http://www.etnet.com.hk/www/tc/news/categorized_news_detail.php?newsid=ETN240325171&page=1&category=latest
■:香港演唱會之父張耀榮家中離世享年82歳
據網易娯樂報道:據香港媒體報道,有“演唱會之父”之稱的張耀榮,?晨在九龍塘住所昏迷,送廣華醫院後證實不治,享年八十二歳。
張耀榮以建築業起家,之後成立耀榮娯樂公司,張耀榮是第一位在紅?香港體育館主?演唱會的投資者,亦是香港主?最多演唱會的主?商,多年來舉?超過一千五百場演唱會,同他合作的巨星無數,包括譚咏麟、梅艷芳、張國榮、劉德華及張學友。
張耀榮七十年代在尖沙咀開?設有大型舞臺的海洋皇宮大酒樓夜總會,並首創以演唱會型式經營,見證香港經濟起飛年代,但在05年因為不獲續約結業。張耀榮2007年因為官司糾紛,被頒令破産。
香港演唱會之父張耀榮家中離世享年82歳
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhuanet.com/2014-03/25/c_119932210.htm
93年9月24日第6回東京国際映画祭TIFFのレスリー・チャン(張國榮)
93年9月24日第6回東京国際映画祭TIFFのレスリー・チャン(張國榮)
1993年9月24日~10月3日第6回東京国際映画祭
左から、委員長のヴィム・ヴェンダース監督(Wim Wenders)、俳優のレスリー・チャン(張國榮)フランス人プロデューサー:クローディー・オサール( Claudie Ossard)、作家のポール・オースター(Paul Auster)氏。
●審査員が並んでいるので受賞発表か?と思ったのですが、
スケジュールを見ると
1993年9月24日17:00~18:00に審査員記者会見(文化村)
1993年9月24日19:00からオープニングセレモニー(オーチャードホール)
とありました。
レスリー・チャン(張國榮)が同じネクタイの衣装でマイクを前にしている写真があったので、
9月24日の審査員記者会見からオープニングに参加したときのようです。
日にちは、1993年9月24日としておきます。
それにしてもレスリー・チャン(張國榮)のネクタイの柄がぁ~だよね~(笑
1993年9月24日第6回東京国際映画祭TIFFのレスリー・チャン(張國榮)
■第6回東京国際映画祭TIFF
日時:1993年9月24日(金)~10月3日(日)
場所:東京 渋谷
ヤングシネマ・コンペティションの審査員の1人がレスリー・チャン(張國榮)。
●ヤングシネマ・コンペティション審査委員
審査委員長
ヴィム・ヴェンダース (監督)
審査員
クローディー・オサール (プロデューサー)
ポール・オースター (作家)
レスリー・チャン(張國栄) (俳優)
鈴木清順 (監督)
■クローディー・オサール( Claudie Ossard)
フランス人プロデューサー
【フィルモグラフィー】
Ricky リッキー (2009) 製作
シャネル&ストラヴィンスキー (2009) 製作
パリ、ジュテーム (2006) 製作
天使の宿り木 (2004)<未> 製作
アメリ (2001) 製作
ロスト・チルドレン (1995) 製作
アリゾナ・ドリーム (1992) 製作
デリカテッセン (1991) 製作
ベティ・ブルー/愛と激情の日々 (1986) 製作
前記事参照
↓93年第6回東京国際映画祭ヤングシネマ部門の時の写真
レスリー張國榮と李康生と蔡明亮監督
http://ameblo.jp/lcing/entry-10025180058.html
93年10月3日東京レスリー・チャン(張國榮)と韓凱臣の2S写真
http://ameblo.jp/lcing/entry-11134277487.html
93年9月24日~10月3日東京 レスリー・チャン(張國榮)關之琳
http://ameblo.jp/lcing/entry-11378912381.html
93年9月24日~10月3日第6回東京国際映画祭レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11380472204.html
93年9月24日~10月3日第6回東京国際映画祭レスリー・チャン(張國榮)2
http://ameblo.jp/lcing/entry-11380539263.html
前記事参照
2013.06.14連載企画第4回アジア映画の隆盛と映画祭10周年(1993年-1995年)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11802206465.html
92年《藍江傳之反飛組風雲》撮影中 レスリー・チャン(張國榮)と呉國敬の2S写真
92年《藍江傳之反飛組風雲》撮影中 レスリー・チャン(張國榮)と呉國敬の2S写真
呉國敬ミニブログより
1992年《藍江傳之反飛組風雲》撮影中のレスリー・チャン(張國榮)と 呉國敬(エディー・ン/Eddie Ng)のツーショット写真。
■呉國敬コメント:1992籃江傳~Miss you哥哥
http://t.cn/8sb8TGl
↓
http://instagram.com/p/lycvVWB_g2/
#
(2014年3月21日 10:41来自Instagram)
http://weibo.com/1729637320/ABYAwf7M8
http://ww3.sinaimg.cn/large/67182bc8jw1een6dk9xvdj20hs0hsjt9.jpg
注)上のミニブログの籃江傳の字は正しいのは、藍だと思いますが、そのままにしてます。
●元々は、Instagramに上げた写真をweiboにも上げたようです。
Instagram は、大陸のほうでは一般的じゃないないから、わざわざ登録してまで見ないよね。。
中華芸能人は宣伝用でしている意味もあるんだから、weiboでやらないとダメだと思う~。
■呉國敬(エディー・ン/Eddie Ng)1965年6月7日 - )
香港生まれの歌手、作曲家、俳優。《藍江傳之反飛組風雲》共演者。
《藍江傳之反飛組風雲》(英文:Arrest the Restless)
1992年香港警匪片。
■呉國敬 http://weibo.com/ngkwokking
大家好 ♪我是呉國敬♪ 香港唱作人. enjoy life and music ♪ ♪ ♪~~~~~工作請電我助理~呉小姐852-98286816
:ngkwokking呉國敬eddieking|双子座 |香港 其他 |
前記事参照
玻璃朱日記 92年香港「藍江傳之反飛組風雲」撮影中の思い出1
http://ameblo.jp/lcing/entry-11661439288.html
玻璃朱日記 92年香港「藍江傳之反飛組風雲」撮影中の思い出2
http://ameblo.jp/lcing/entry-11661501543.html
2013.06.14連載企画第4回アジア映画の隆盛と映画祭10周年(1993年-1995年)
東京国際映画祭プログより
■2013.06.14[インタビュー]連載企画第4回:【映画祭の重鎮が語る、リアルな映画祭史!】-アジア映画の隆盛と映画祭10周年(1993年-1995年)
東京国際映画祭事務局 作品チーム・アドバイザー 森岡道夫さんロングインタビュー
第4回 アジア映画の隆盛と映画祭10周年(第6回1993年から8回1995年TIFF)
──第6回東京国際映画祭(1993)は細川連立政権が発足し、皇太子と雅子さまがご成婚された年に開催されました。
c1993 TIFF
森岡道夫(以下、森岡):Jリーグ開幕やレインボーブリッジの開通など、この年は華やかな話題が目立ちますが、7月に北海道奥尻島沖で地震が起きて多くの死傷者を出しています。大企業ではリストラが始まり、世の中に不況風が吹き荒れていました。映画祭を振り返ると第6回には画期的な出来事がありました。新興著しい中国が2つのコンペティション部門で大賞に輝いたのです。
──ティエン・チュアンチュアン〔田壮壮〕監督の『青い凧』(インターナショナル部門・東京グランプリ)と、ニン・イン〔寧瀛〕監督の『北京好日』(ヤングシネマ部門・東京ゴールド賞)ですね。
森岡:第10回(1997)を最後にコンペ部門は一本化されますが、一国による2大コンペの制覇は類例がありません。中国は映画祭史上稀に見る偉業を成し遂げたのです。でもこうした華々しさの影で、思いがけない事件が起こりました。
──何があったのですか?
森岡:中国の代表団が会期半ばにして、映画祭から引き上げてしまったのです。
──事実上のボイコットですね。どんな経緯があったのでしょう?
森岡:『青い凧』の上映に反対していたのです。中国側の主張は、海外で中国映画を上映するときは所轄の組織の許可を得なければならない。つまり、中国政府の許可がない作品を海外に持ち出すことはできないというものでした。しかしクレジットには登場しませんが、日本の会社がスポンサーに付き、日本側にも著作権のある作品でした。すでにカンヌやヴェネツィアで上映されて好評だったこともあって、予定どおり上映に踏み切ったのです。
──事件はマスコミでも大きく報道されました。
森岡:ヨーロッパでの上映は何事もなかったので、代表団がそこまで強行になるとは思いもしませんでした。団体で中国へ帰ると聞かされて、徳間(康快)さんに相談したときは冷や汗ものでした。徳間さんは映画プロデューサーとして『未完の対局』や『敦煌』などの日中合作物を手がけていて、中国の映画人とも付き合いがある。言ってみれば、取引先の機嫌を損ねたのですから激怒するのが当然です。ところが相談に行くと、「帰りたいなら帰したらいい。俺が責任を持つからいいよ」と請け負ってくれました。
──徳間康快氏の傑物ぶりがよくわかるエピソードです。中国側からすれば、文化大革命の時代を描いた映画なので、神経質になっていたのかもしれません。
森岡:そうですね。でも、受賞したお二人の監督には不憫な思いをさせました。一行と別れて日本に残ってくれたのはいいけど、授賞式への参加はさすがに躊躇われる。結局、ティエン・チュアンチュアン監督は登壇しましたが、女性のニン・イン監督は晴れの舞台には上りませんでした。オーチャードホールの緞帳が降りてから彼女を呼んで、トロフィーと賞状を授けて祝福したのです。『北京好日』は老人社会を庶民的なタッチで描いた、情感豊かないい作品でしたね。
c1993 TIFF
トロフィーを掲げるティエン・チュアンチュアン監督
──波乱含みの映画祭となりましたが、『ラストソング』(杉田成道監督)の本木雅弘さんが最優秀主演男優賞を受賞し、当時84歳のマノエル・ド・オリヴェイラ監督が最優秀芸術貢献賞に輝くなど、明るい話題も豊富ですね。
森岡:『アブラハム渓谷』(ポルトガル・フランス・スイス合作)で賞を獲ったオリヴェイラ監督は、『階段通りの人々』(ポルトガル・フランス合作)が翌年のインターナショナル・コンペ部門に選出されて、2年続けて来日してくれました。とてもお元気で、年齢よりひと回りも若く見えました。
──ヤングシネマ部門の国際審査委員にヴィム・ヴェンダース(監督)を始めとする豪華メンバーが就任したことも、話題になりましたね。
森岡:審査委員長がヴェンダースで、ポール・オースター(作家)、レスリー・チャン〔張國栄〕(俳優)、鈴木清順(監督)らが審査委員です。チャンさんは片言の日本語を覚えてくれて、とても親しみやすい方でしたよ(笑)。
──海外の一流作家がよく審査委員を引き受けてくれましたね。
森岡:オースターの映画好きは有名で、ひと頃はカンヌや様々な映画祭に顔を出していました。日本人では渡辺淳一と赤川次郎に声をかけたことがありますが、スケジュールの調整がつかず泣く泣く諦めました。独自の視点で評価できるところに作家の強みがあります。
──この曲者揃いの審査委員たちが東京ブロンズ賞に選んだのが、ツァイ・ミンリャン〔蔡明亮〕監督の『青春神話』(台湾)です。
森岡:『青春神話』を初めて見たのは、作品選定の仕事でカンヌへ行ったときのことでした。いまプログラミング・ディレクター(PD)を務める矢田部吉彦さんのように、この頃、私は朝から晩まで映画を観続けていました。その日も例外ではなく何本もハシゴして、疲れはピークに達していました。ホテルに戻って一杯引っかけて寝るつもりでしたが、夜9時の上映があると聞きつけて、わが身を奮い立たせて観たのがこの作品です(笑)。なんとその日に観たなかでは一番の出来で、すぐさま東京への出品を依頼しました。
ツァイ・ミンリャンは今でも私を覚えていてくれて、映画祭のボスと思っているらしい(苦笑)。敬虔な仏教徒で仏像をプレゼントされたことがあります。マレーシア出身とのお話でした。
c1993 TIFF
ツァイ・ミンリャン監督(右)とレスリー・チャンさん(左)
──アジア秀作映画週間は如何でしたか?
森岡:前回までの成果を踏まえて、バラエティに富んだラインナップを組んだのが功を奏したのでしょう。上映本数は10本でしたが満席になる上映会も増えてきました。
──この年は小津安二郎生誕90周年を記念して、催し物をやったと聞きましたが?
森岡:特別招待作品として『東京物語』を上映し、ミーティング・ルームの一画を使って小津安二郎展を開催しました。鎌倉の住まいの書斎を再現して縁の品々を展示したのです。小津監督を敬愛するヴェンダースとホウ・シャオシェン〔候孝賢〕監督、中井貴一さん、松竹で『早春』等を製作した山内静夫さんがテープカットに駆けつけてくれました。
c1993 TIFF
テープカットの模様、左から山内静夫さん、中井貴一さん、ヴィム・ヴェンダース監督、ホウ・シャオシェン監督
2013年3月上旬
取材 東京国際映画祭事務局宣伝広報制作チーム
インタビュー構成 赤塚成人
■連載企画第4回:【映画祭の重鎮が語る、リアルな映画祭史!】-アジア映画の隆盛と映画祭10周年(1993年-1995年)2013.06.14[インタビュー]
http://2013.tiff-jp.net/news/ja/?p=18413
■TIFF HISTORY | 東京国際映画祭の輝かしき軌跡をたどる
http://history.tiff-jp.net/ja/overviews?no=6
--------
前記事参照
↓93年第6回東京国際映画祭ヤングシネマ部門の時の写真
レスリー張國榮と李康生と蔡明亮監督
http://ameblo.jp/lcing/entry-10025180058.html
93年10月3日東京レスリー・チャン(張國榮)と韓凱臣の2S写真
http://ameblo.jp/lcing/entry-11134277487.html
93年9月24日~10月3日東京 レスリー・チャン(張國榮)關之琳
http://ameblo.jp/lcing/entry-11378912381.html
93年9月24日~10月3日第6回東京国際映画祭レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11380472204.html
93年9月24日~10月3日第6回東京国際映画祭レスリー・チャン(張國榮)2
http://ameblo.jp/lcing/entry-11380539263.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問5 レスリー・チャン(張國榮)
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問5 レスリー・チャン(張國榮)
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
レスリー・チャン(張國榮)の洋服も茶色のジャケットを着てる写真と着てない写真があるので、絶対に同じ日なのかは断定できないですが、芸能新聞も同じ話ばかり2日も取材に行かないですからね。。。
同じ2月27日の取材でもクロのタートルだけの写真は、
28日の新聞に掲載されていて、茶色のジャケットを着ている写真は29日の新聞に掲載されているので、実際は新聞締めきりに間に合う午後の時間にタートルの洋服で取材受けていたのではないか?と思います。
で、その後、本当に夜になって仕事終了のアップ取材した取材班が
茶色のジャケットの写真取材だったのかも?
(香港は、夜のおっかけ記者がいて夜遊び取材するのに追っかけるために待っている班があるので)
28日の新聞だと、夜なのでもう時間的に締めきりが間に合わないので、
29日の新聞に掲載されたのではないかな?と思います。
他に詳しい情報がないので録音は2000年2月27日にしておきます。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
前記事参照
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問1 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11798601563.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問2 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11799176438.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問3 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11799890598.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問4 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11800720869.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問4 レスリー・チャン(張國榮)
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問4 レスリー・チャン(張國榮)
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
●上のサンディ・ラム(林憶蓮)の着ている洋服を見るとピンクの服も両開きの襟付きカーディガンを下に着て襟を立てて、その上に丸襟のブルーの服を重ね着しているようです。
写真の他の色を見ても、ピンクからブルーにまで違う色に変わるほど色が変わってないので、写真の色の問題でもないようです??
女性芸能人の場合は、他の取材とか写真撮影で服を着替えることもあるので同じ日にちで良いと思いますが・・。
他の情報がないので全部2000年2月27日としておきます。
●レスリー・チャン(張國榮)の洋服も茶色のジャケットを着てる写真と着てない写真があるので、
絶対に同じ日なのかは断定できないですが、
芸能新聞も同じ話ばかり2日も取材に行かないですからね。。。
同じ2月27日の取材でもクロのタートルだけの写真は、
28日の新聞に掲載されていて、茶色のジャケットを着ている写真は29日の新聞に掲載されているので、実際は新聞締めきりに間に合う午後の時間にタートルの洋服で取材受けていたのではないか?と思います。
で、その後、本当に夜になって仕事終了のアップ取材した取材班が
茶色のジャケットの写真取材だったのかも?
(香港は、夜のおっかけ記者がいて夜遊び取材するのに追っかけるために待っている班があるので)
28日の新聞だと、夜なのでもう時間的に締めきりが間に合わないので、
29日の新聞に掲載されたのではないかな?と思います。
■『7年3日』新城電台録音后接受訪問
日時:2000年2月27日
場所:香港 新城電台
新城電台ドラマ 『7年3日(7 Years 3 Days)』Metro Radio drama
共演、サンディ・ラム(林憶蓮)など。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
前記事参照
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問1 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11798601563.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問2 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11799176438.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問3 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11799890598.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問3 レスリー・チャン(張國榮)
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問3 レスリー・チャン(張國榮)
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
■『7年3日』新城電台録音后接受訪問
日時:2000年2月27日
場所:香港 新城電台
新城電台ドラマ 『7年3日(7 Years 3 Days)』Metro Radio drama
共演、サンディ・ラム(林憶蓮)など。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
前記事参照
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問1 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11798601563.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問2 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11799176438.html
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問2 レスリー・チャン(張國榮)
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問2 レスリー・チャン(張國榮)
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
■『7年3日』新城電台録音后接受訪問
日時:2000年2月27日
場所:香港 新城電台
新城電台ドラマ 『7年3日(7 Years 3 Days)』Metro Radio drama
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
2000年2月27日にレスリー・チャン(張國榮)とサンディ・ラム(林憶蓮)が初めて共演した新城電台ラジオドラマ『7年3日』録音の仕事が終了して取材を受ける。
前記事参照
00年2月27日香港『7年3日』新城電台録音后接受訪問1 レスリー・チャン(張國榮)
http://ameblo.jp/lcing/entry-11798601563.html