悪は人か秩序か食か他の何かか 業はどこにあるとするのが正義か | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

あなたは凶悪犯罪が起きた時、何が悪いと思いますか
人ですか、秩序ですか、食ですか、それとも他の何かですか
地球では99.9%の人間が人と答えます。
それは究極的には真実です。
どんな理由があれ、犯人が悪いに決まっています。
だからと言って、犯人だけ、若しくはその育ての親や家族のみが悪く、他は何一つとして改める所が無いとしていいのでしょうか
地球人は、凶悪犯罪が起きた時、犯人が悪い、その親の教育が悪いとか血統が悪い等とその家族が悪いという事にします。
そういう風に言うと喜び、安心し、満足します。
そして、学校教育の在り方、社会常識の在り方、社会の全体的な秩序の在り方には目を向けません
これでは、何一つたりとて改善する訳がありません
凶悪犯罪が一向に減らないか若しくは増える事は有っても、無くならないのは無論減るすら有り得ません。
同じ秩序の中に遭っても、犯罪を犯す人もいれば、犯さない人もいます。
本人の性格によって、異常で辛い状況にあっても、世を恨んで反社会的な行動に出る人だけではなく、自殺してしまう人、精神病になったり心身症にかかる人、どうしようもないと割り切って余計に悩む事なく普通に生きる人等色々な人がいます。
しかし、社会で報われて、幸福な人生を謳歌していて、社会に感謝し、まっすぐに生きている人が犯罪を犯す事は有り得ません
社会で報われず、不幸で、社会を憎んでいて、その結果歪んでしまった人だけが犯罪を犯すのです。
「社会で成功しているのに犯罪を犯す人もいるではないか」と言う人がいるかもしれませんが、それは表層上成功している様に見えるだけで、本人の内面は全く満たされていないのです。
そうでなければ社会を恨む事も無ければ、その結果反社会的に歪んでしまう事も有りません。
犯罪を犯さなければそれでいいかというと、先に述べた自殺や精神病や心身症が山の様に増えても社会にとって非常に大きな損失になりますし、割り切って諦めの人生を送るのも少しマシだというだけで不幸である事には変わりません。
それに、仕方が無いと割り切って諦める人ばかりであれば、その社会は何一つとして改善しない悪い意味で何も変わらない社会になってしまいます。
この地球は戦争も犯罪も苛めも虐待も嫌がらせも足引っ張りも自殺も差別も病気も悪い形での老化も環境破壊も非常に多い、問題ばかりの星ですから、このままで良いという事は決してなく、変わっていかねばいけないに決まっています。

答えを言ってしまうと、秩序が悪いという風に持って行くのが正しい在り方です。
無論、秩序だけが悪くて人は悪くないという事ではなく、理不尽な世の中でもだからと言って凶悪犯罪に手を染めても良いという事にはなりませんし、秩序は人が創り出したものですから秩序が歪んでいるという事は必ずその秩序を生み出した人が歪んでいるのです。
しかし、物事を改善するといった時に、結果が出るものが正しいのです。
世の在り方を変えていく事によって、皆が幸せに生きる事ができる世の中になり、結果犯罪がゼロになるとか大幅に減るというあり方が、正しいあり方です。
幸福な人間は、世の中に感謝して生き、当然犯罪に手を染める事はありませんから。

食や他の何かはどうでしょう。
例えばマクロビオティックの開祖の桜沢如一やその弟子達は、「人に罪があるのではない、食に罪があるのだ」と説いており、その為にその考え方がマクロビオティックの主幹になっています。
「全ての動物性蛋白や砂糖や添加物が全ての犯罪を起こすのであり、無農薬有機農法産の玄米と少量の野菜だけを食べている限り犯罪は無くなる」という考え方です。
犯罪だけではなく、病気も無くなり、若々しく健康で長生きできるという考え方ですね。
マクロビオティックの間違いについては、48魂質https://ameblo.jp/lazerc/entry-12630243444.html の記事等私の過去の記事に詳しく書いてあります。
一部抜粋しますね。

動物性蛋白の排除に真実はない

嘘だ

なぜなら我々には自我があるから

地球の秩序の闇は自我を否定するものです(https://ameblo.jp/lazerc/entry-12561461498.html 参照)。

そこに隷属した気持ちになって、動物より極度に自我の低い植物だけ食べた所で、我々は自我を持っているという真実から逃れられはしません

https://ameblo.jp/lazerc/entry-12626471290.html 後半の初めの方が参考になりますが、動きも話もしない植物は、宇宙の中では異端中の異端です。

そんな片寄ったものだけ取り入れて、大きな偏りを生んでも仕方が無いでしょう。

植物性食品が、血肉になる効率が大変悪い事はもう述べました。

マクロビオティック等の玄米菜食は、自我を革新性や向上性と共に暴力的に落とす事で、機械的思考になって、ストレスを感じなくする事で不幸を回避する逃避型の食事に過ぎません
我々は機械ではありませんから、正しい食事は宇宙法則に反した食事であり、真実に反した食事ですから、真実具現化の新次代令和には合わない食事法でしょう。

結局、不自然な食事制限は秩序の間違いから逃げる為に生み出した虚構であり、世界が真実具現化時代に突入した今、廃れていく食事法でしょう。

他の何か、例えばテレビゲームが犯罪の真因だと言う愚物が存在します。
テレビゲームに毒されて、ゲーム感覚で人を殺すというのです。
過去記事からの引用です。
テレビゲームを目の敵にし、全ての諸悪の根源をテレビゲームだとする事に命を懸けている愚物がこの地球には実に多く、「お前がテレビゲームで遊んでいるんじゃない、お前がテレビゲームに遊ばれているんだ」「テレビゲームは時間の無駄だ」「この世の中にテレビゲーム程下らないものは存在しない、断じて」「テレビゲームをすると馬鹿になる」「テレビゲームをすると目が悪くなり、最終的には失明する」「テレビゲームは真の悪魔だ」「近頃の子供が簡単に人を殺すのはテレビゲームが原因だ」「全ての暴力や犯罪や戦争はテレビゲームが原因だ」「東日本大震災もイスラム国もコロナもテレビゲームが原因だ」とこの馬鹿星ではどいつもこいつも、何でもかんでもテレビゲームが悪い事にしてきます
私の支配するラヴァエル帝国で「テレビゲームに遊ばれている」他、これらの愚言を一言でも発そうものなら、テレビゲーム冒涜罪で死刑になる事は無論、死後地獄に叩き落して魂事抹消します

テレビゲームが犯罪や殺人の元だというのは、強引過ぎるな
現実と架空の区別もつかない馬鹿等いる訳がないし、仮にいたとすれば教育が悪すぎる
有り得ない業をどうしてテレビゲームに擦り付けるか
テレビドラマの方が余程現実味があり戦争や犯罪も表現している
増してや推理小説やそれをドラマ化した場合、犯罪をおもちゃにしている、人の命をおもちゃにしているとも言える訳だろう
それなのに、なぜテレビドラマは一切攻撃せずに、テレビゲームに集中攻撃を加えるか
テレビドラマとは違い、テレビゲームは主人公を自由に動かせる
即ち、人の自由を不当に奪いたいという願望が非常に強力に意識に絡みついている汚物が放つ言葉
自由は人の権利
人権略奪は許すな
自由を不当に奪うばい菌は、消毒せねばならない

そういう事です

問題が秩序だとするとしたら、秩序に犯罪を抑え込む力が無いから悪いのですか、それとも秩序が犯罪の原因である、即ち秩序が犯罪を引き起こしているのですか
後者と答えねばなりません
何故か。
正義とは、更生する力のあるものです。
有害無益なものは無論、糞の役にも立たないものも正義ではありえません。
例えば、何でもかんでも厳罰化しろとしか言わない馬鹿凡人共です。
これは完全に前者の考え方の典型ですね。
地球の法の罰に厳しさが足りないから犯罪の抑止力にならないのだ、という事です。
それでは、宅間守はどうでしょう。
彼は死にたいから、死刑にして欲しくて池田小学校通り魔事件を起こし、数多の児童を殺めました。
厳罰の典型は死刑ですが、死刑が存在する事によって、殺して欲しいから犯罪を犯す人間が出てくる為に、逆に促進力になる、若しくは動機になる事があります。
それでは私は死刑制度に反対かというと、死刑の存在が犯罪の抑止力になるケースの方がやや多いと思いますので、どちらかといえば賛成です。
ただし、いつ殺されても良いとやけくそになっている人には無効ですし、すっかり頭がおかしくなって死の恐怖が消失している人等にも無効です。
何でもかんでも殺せばそれで問題解決だと考える人が多いですが、死刑にした所で殺された人が生き返る訳でも遺族の苦しみが癒える訳でもありませんし、犯罪の抑止力になる事はあるかも知れませんがならないばかりか、逆に促進力や動機になるケースさえあるのです。
秩序に犯罪を抑え込む力が無いと考えるのではなく、秩序のどこが犯罪を生んでいるのかを考える事です
愛と自由が欠如している秩序は、必ず歪みを生みます
ピンときましたか、地球秩序の事ですよ。
ピンとこないとおかしいのです。
地球の秩序の闇に気付いていないという事だからです。
犯罪が説明しやすいから犯罪を例に挙げましたが、犯罪だけではなく戦争でも苛めでも病気でも老化でも環境破壊でも、全てにおいてそうです。
全ては流動流転系なのですから

地球秩序に愛と自由が欠如しているとはどういう事か
愛と言っても、愛が欠如している人が誰も好きでない人だとするなら、愛が欠如している人等殆どいないでしょう。
どんなに排他性の高い人であったとしても、誰か一人位は好きになるのが普通です。
私は、排他性が強い人という意味で、愛が欠如している人間という言葉を使っています
何でもかんでも受け入れろとは言いません。
犯罪者や殺人鬼や苛めっ子を愛する必要はありません。
下劣なものや汚いものは愛さなくても構いません。
愛しても良いのです。
犯罪者や殺人鬼や苛めっ子にも愛情を注ぐ事で、人の心を取り戻したり、荒んだ心が癒されて更生するかもしれません。
例え死刑囚だとしても、微塵も反省せずに死刑になるより、人の心を取り戻して反省して死刑を執行された方が良いに決まっています。
歪んでいる者に愛情を注ぐ人と、許せない者を決して許さない人は、両方必要な訳です。
更生の余地がある者は更生させるべきですが、それには殆どの場合愛情を注ぐ事が欠かせません。
しかし、許されざる事をしたのに、皆庇って誰も非難しないのでは、罪を犯した者は自分は悪くないと勘違いしてしまいます。
私は過去世、時には凶悪犯罪者でも、随分愛情を注いで更生させたものです。
ただし、私は一貫してそうなのではなく、逆の立場をとった事も有ります。
過去世、ある星で金を借りたのに返さなかったので「返さないと殺すぞ」と言われて逆上し工具で滅多打ちにして全身の内臓を破裂させて殺害し、「殺すといわれたから自分の身を守っただけだ」と正当防衛を主張している男がいました。
「殺す」は言い過ぎにせよ金を返さないのが悪いし、その事で命を取る事が許される訳がないのに、裁判になったら弁護士だけではなく、裁判官や果てには検察官まで犯人を庇うんですね。
私はバランスを取る為に、その犯人を許せないと徹底的に叩き、結局私の主張に裁判官が納得してその男は死刑になりました。
私の軸がぶれているのではなく、私はあくまでどちらの立場も必要だという考えであり、状況に応じてバランスを取ったまでです
この世だけではなく、生前悪い事をして地獄に叩き落された魂でもそうで、地獄に叩き落す閻魔大王の様に情け容赦のない神もいれば、愛情を注いで更生させようとする神もいて、双方に接しながら、更生できれば輪廻転生できるし、できなければ魂の抹消が待っている訳です。
犯罪を犯した場合は、生前罪を十分に償ったと評価されない限りは当然地獄行きですが、その他にも苛めや虐待をする等誰かを虐げた魂、歪んだ教育をして人を歪めた魂、他世を悪くした魂も地獄行きになる事が多いです。
子供同士の苛めはじゃれて遊んでいるだけ、余りに厳し過ぎる指導や常軌を逸した指導もパワハラではなく躾、親権とは子供をどう扱っても虐待ではなく教育方針になる事、性同一性障害者を差別して自殺に追い込んでも気持ち悪い性同一性障害者に生まれた方が悪いという様に、犯罪なら分かり易くていいのですが、人を虐げる事が現世では庇われ罪に問われないばかりか時には正義扱いされますが、あの世では人を虐げる事は重罪として例外なく処罰されます
歪んだ教育もそうで、親や教師や上司の教育の歪みが原因で、人が犯罪者になったり人を虐げる人間になったり、他不正をする等歪んだ人間になった場合も、正しい教育をすればまっとうに育つ人間を歪め世を悪くしたという事ですから、それ相当の罰を受ける事になります
後で詳しく説明しますが、性欲を汚物視して屁とも思わない人間や神性を認められない魂等、世を歪める魂も、死後それ相当の罰を受ける事になります。
星の神様や閻魔大王は星の管理者ですから、部長が統治する部署を悪くする部下には部長がそれ相当の指導をする必要がある様に、神々や閻魔大王はその星を悪い方向に導く魂に対しては適切な指導を行い、更生できなければ排除する権限を有します。

愛が無いという意味での排他性が強いとは、間違っていないものを叩いたり攻撃したり排除にかかる人の事です。
例えば、地球には男女差別、部落差別、黒人差別、人種差別、性同一性障害者差別、知的障害者差別、他色々な差別がありますが、これらの差別をする人々は悪い意味での排他性が強い愛の無い人に該当します
例えば、男女が結ばれて家庭を創り子供を創り次代を創りますから、基本的に次代の為であれば男女間で魅かれ合うのが生産的です。
男同士、女同士で結婚しても子供ができませんから、少子化が進むだけです。
そうすると、性同一性障害者が同性婚をする事は好ましくない、という考え方もできなくはありません。
しかし、男女が魅かれ合って結婚したからと言って、全員が子供を残しているでしょうか。
また、子供を残す事が正義でしょうか。
子供を育てる能力がないのに子供を生んで、虐待死させたり、歪んだ教育をして反社会的な人間に育てる大人は山程います。
その気がないのに同性にホモセックスやレズセックスを強要する等害をもたらすのであればその性同一性障害者は悪いですが、悪事を働いていないのに性同一性障害者だというだけで攻撃したり排除したりするのは悪い事です。
日本では大分なくなってきましたが、イスラム教圏等ではいまだに女性が学校で学んだり社会に出て働くのは悪い事だという差別意識がまかり通っています。
私は何も、女性を庇って、女性が社会で働く権利を認めろと言っているのではありません。
寧ろ逆です。
何で男ばかり苦労して会社でこき使われ、女は家でサボって楽をしなければならんのか、不公平だ、女をもっとこき使って苦労させろと主張しているのです。
苦労した方が人間としても成長する訳でしょう。
人口の半分は女ですから、その女が成長するのは良い事です。
また、私は実力があれば女でも管理職や政治家等社会を上から回す立場にどんどん登用しろという考え方ですが、それもフェミニスト意識や増してや女性を守る意識で使ってはいません。
まず女性の意見も採用され、女性の力でも社会を動かさないと、男女では性質に差がありますから、バランスが取れないでしょう。
それに女だからと言って、男に全部丸投げして依存する様な依存心の塊のような女が昔は多かったのですが、それでは女のレベルを下げるだけです。
責任を持ってもらう事で、依存心や甘えを無くし、人として成長させるべきです。
他にも人種差別とか色々な差別が存在しますが、全ての人が共に同等に成長できる社会でなければ、その社会は正当とは言えません
兎に角、全てにおいて、正当性の欠如した排他性が強い人間は、愛の欠如した人間であると私は判断します。

自由が無いとはどういうことか。
例えば学校教育、これは自由が無い教育です
あれも駄目、これも駄目と、何でもかんでも駄目だという教育で、一番悪いのは、駄目な理由を説明する事は殆どありません
「先生質問です。」「何ですか黙りなさい。」「どうしてなんですか。」「うるさい黙りなさい。」のフレーズ等学校教育の本質を実に上手く示していて、兎に角疑問を持たず機械の様に従順な生徒が良い生徒で、そうでない生徒は不良か悪党です。
しかし、世の中に必要な人間は、どうしてこのルールが存在するんだろう、どうして駄目なんだろう、どうしてこうなっているんだろうと、物事をよく考える人であり、機械の様な従順さは機械に任せておけばいいのです。
この世界は不自由に満ち満ちた生きにくい世界ですが、無駄なルールや禁止事項ばかりあるからそうなっている訳であり、もう必要なくなった時代遅れのルールや禁止事項を即抹殺してきていれば決してこうなってはいません。
どうしてこうなっているかもっと有機的に判断できれば、この世はもっと進歩して、生き易く楽しくなっています。
明確なルールや禁止事項より、不文律や暗黙の了解の中にこれをすると駄目だという様な制限が更に多いですが、これらもきちんと削除していかないと自由が奪われ息苦しくなっていくだけです。
また正義や情緒や情操教育を軽視し、只蓄音機の様に無機質な詰め込み式暗記教育ばかりしかやらない様な現学校教育では、人は目の光を失い機械になっていくだけです。
現に、「子供の目はキラキラしている」とよく言うでしょう。
子供の目より大人の目の方が光を失っている、つまり機械の様に死んだ目をしていないとそういう表現は出てきません。
自由を奪う事がけじめであり教育であり秩序だと思い込んでいる人がいますが、自由を奪った結果、世がつまらなくなり世に感謝しなくなったり世を恨む人間になりますから、精神病も自殺も犯罪も非常に多い、現地球の様なつまらない不幸で荒れた社会が出来上がるだけです。
人は元々自由を求める生き物です。
不当に自由を奪う事は、人の性質に逆らっていますから、確実に世を悪くします
こういう事を言うと、そうではないとか、そうではない人がいるというでしょう。
例えば、何でもかんでもやり方を決められた会社の方が働きやすいという人はいます。
自我の強い人はオリジナリティーを求めますが、自我の弱い人は考えない方が楽で良いという性格の事が多いです。
そうでないケースも多くはありませんが、あります。
例えば、自我が強い人がオリジナリティーを発揮して、その独創性を叩かれたり排除されたトラウマを持つ人は、何も考えない方が攻撃されなくていい、衝突を生まないから楽でいいやという性格に育つ事があります。
私の場合、以前の会社で独創性を発揮して目立つ、生意気だという事で嫉妬から先輩達のトラウマレベルの苛めを受け、今は個性を発揮できない工場勤務ですが、個性を発揮して叩かれる事はありません。
また自我の弱い人は誰か憧れた人の真似をしてその人の様になりたいと願う傾向が強いですから、自我の強い人を尊敬した場合その人に近付こうとして独創的に育つ事も有ります。
ただし、そういう例は極稀です。
そして、世の中を動かしている人は自我の強い人達であり、自我の弱い人はそれに順応して生きているのがこの社会です。
政治家等社会を上から回している人は粗自我の強い人達ですし、自我の強い人達が何を食べるとか何を使うという流行を創り出し、それを自我の弱い人達が模倣して、社会の在り方が決まります。
もの作りや商売もオリジナリティーがある程度求められますから自我の強い人が多いですが、そういう人達の注文を自我が弱い人が多い工場勤務の人達が受けて材料や製品を発送します。
工場勤務は毎日黙々と決められた事をこなす仕事が大部分ですから、自我の強い人は大体嫌になったり飽きて止め、自我の弱い人だらけになるのが普通です。
自我の強い人が起点であり、自我が弱い人にもその性質は感染します
例えば今の私の上司は工場勤務の自我の弱い第二世代ですが、第一世代の怪電波系の邪気が移り、前回の記事中盤に書いた様に部下の努力を冒涜した幼稚且つ異常ないたずらをし続けています。
最近凝っているいたずらは、ベルトコンベアを横に引っ張ってずらして蛇行させたり、ベルトコンベアのローラーに生地を絡ませて蛇行させる事です。
そんな事をやられ続けている内に、ベルトコンペアが摩耗したり異常な圧がかかって変形し、駄目になってしまいました。
そのお陰で何もしなくても蛇行したり、横から生地がこぼれたり、動かない事がある等問題ばかりです。
その上司が全部悪いのに、私の扱い方が悪いせいにされて、私がその上司に責められています。
他にもその上司に隠された添加物もまだ出て来ておらず、お陰で使用順序が逆転していますし、それ以上にこのまま出て来なければ期限が切れて廃棄しなくてはならなくなります。
それも隠しているのはその上司なのに、その上司に私の管理が悪いと言われ、叱られています。
不自由による疲弊から生じる怪電波は大体自我の強い第一世代を狂わすものですが、その歯車として動く自我の弱い第二世代も起点の第一世代を狂わされるとこの様に狂ってきます
その上司は額と顎が前に突出している悪相ですから、正義に対する傲慢さと不誠実さを兼ね備え、世の邪気に流されやすいのです。
この様に、自由を破壊する事で、自我の強い人を壊すと、自我の弱い人にもその狂気が移り、社会全体が狂ってきます

家庭での教育もそうですが、学校教育は兎に角我慢する事だけを教え、自由を徹底して破壊します。
自我殲滅をどうやって癒していくかhttps://ameblo.jp/lazerc/entry-12561461498.html を読んで、サイレントマジョリティーhttps://www.youtube.com/watch?v=DeGkiItB9d8 や不協和音https://www.youtube.com/watch?v=gfzuzDrVRVM を聞いてもらえれば、伝わるでしょうか。
不自由に縛り付け自我につけられた傷は、そうそう簡単に癒されるものではありません。
癒す事は不可能だと言っても過言ではない位、困難です。
私は何も悪い事まで自由にやらせろと言っているのではありません。
不必要な固定観念、既成概念、ルールや規則や常識、不文律や暗黙の了解を無くせと言っているのです。
それだけで、この世界から何でもかんでも駄目だという息苦しさは消え、この世界は遥かに自由に生き易くなり、生気の欠如した機械ではなく人間らしい生命力の躍動した、本当に楽しい楽園になるでしょう。

性欲を汚物視する人間に愛と自由が欠如した人間が多い、特に教師の様な人を教育する立場の人間に多いという事は、非常に大きな問題です。
以前の記事の一部を引用します。
余りに、女性の異性拒絶症や、そこから生み出される性欲の汚物視の害が強過ぎる
大宇宙に害を与えている連中なのは明らかだが、彼女等も被害者なのだ
「⑥矛盾産生教育」に裏打ちされた「⑤性欲の汚物視」(https://ameblo.jp/lazerc/entry-12603874692.html 中盤若しくはhttps://ameblo.jp/lazerc/entry-12606714731.html 後半)の洗脳だ
性欲の汚物視の害は非常に絶大で、それは女性が創り出したものであり、男性が推奨しているのであればそれは彼女達に振り回されているだけです。
そういう女性が性犯罪の被害に遭ってそうなったとか、それよりも遥かに多い上述の矛盾産生教育が原因でそうなった等被害者のケースもありますから、温かい目で見なければなりませんが、それでも性欲の汚物視は駆除せねばなりません
どんなに同情の余地があったり気の毒でも、犯罪者は普通罰されるし、温情判決が下っても犯罪は止めさせるでしょう。
性欲の汚物視は、性欲から男女が魅かれ合い結婚して家庭を創り、セックスというエロい行為から子孫を残し、次代を創るという経過全てにダメージを与え、汚いものだという意識が家庭を歪め、次代を創る子供を歪めます
他、性欲を司る臓器全てを傷付け、男性であれば前立腺の病気、女性であればさらに被害は大きく、乳癌や卵巣癌、子宮癌、そこまでいかずとも子宮筋腫等の主因になります。
子宮が弱るという事は当然難産になるし、奇形児や障害者が生まれる確率も格段に上がります。
誰にでも性欲はありますから、性欲が汚いという意識は大きな衝突と矛盾を生み、膠原病や自己免疫系疾患等の自己矛盾からくる自己破壊現象の原因になります。
それらは心も蝕み精神病も増えるし、性犯罪も増えるでしょう。
セックスから遺伝子を残しますから、それを汚物視して攻撃する事は遺伝子全体を傷付け、遺伝子が傷付いて生じる癌やテロメアの摩耗により生じる悪い形での老化の主因になります。
この様に、性欲の汚物視の害は余りに絶大にして広範に及んでいます
性欲の汚物視も地球秩序の愛の欠如や自由の破壊同様に、葬り去らねばならない秩序の闇です。
性欲の汚物視の弊害の大きさに気付くのが私一人とは、何と愚かな事でしょう。
私はこれまで星改革のプロとして活躍してきましたし才能もある方ですから、才能や経験がものを言っている面が大きいですが、私も初めからプロだった訳ではなく、高いプロ意識を持って自己研鑽してきたからこそこの域に至る事ができたのです。
自分達で秩序の間違いを自立的自発的に見つけ出し、根本から覆していこうというプロ意識が凡人に余りに不足している事が最大の問題です。
神性とはこのプロ意識を土台に、正当な理論と適正な感覚、及びその連動を加えた、左脳と右脳とその連動を駆使した脳味噌を最大限に使う事が挙げられます。
これまでこうやったからうまく行ったという様な経験則も重要ですが、それだけに傾倒した過去のデータのみに従う人が世を動かす傾向が地球では非常に強くそれが社会改善の邪魔になっているので、これからはそれらの経験則に加え脳味噌を最大限に使い、賢く鋭く聡明に社会秩序を改善していく事が欠かせません

人は自分を責めて病気や自殺で潰れるタイプ、他を憎んで犯罪に走るタイプに分けられます。
どちらも原因は秩序の歪みですし、そう判断して秩序ごと改善していかねば根本的解決は有り得ません
それが正義です。
何でも仕方が無いと割り切って悩まないタイプ、機械の様に秩序に従順で何も感じないタイプはそういう状態に陥りませんが、そういう人には何の解決能力もありません。
皆が共に幸せに生きられる世界には病気も自殺も犯罪もなく、皆で幸福を謳歌しているんですから。
そういう世界を目指し、皆で協力して突き進んでいきましょう