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介護生活を終え、セカンドライフ満喫中のアラ還主婦ミセスラベンダーです。
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2年前、私は10年余りの介護生活に追いつめられていました。正確には、介護そのものではなく、毒母との生活に…。
介護が辛いんじゃなくて…何でも自分の思い通りに私を動かしたい母の支配欲が辛かった
でも、いつ終わるのかわからない、そんな暗闇のような日々は、突然終わりを告げました。
その頃の状況は、以前投稿していた
記事に詳しく綴ってます
緊急入院
2年前、5月も終わろうかという頃、母は土曜日から腰の痛みを訴えました。
原因は、朝早くからベッドの柵を外そうとガタガタ鳴らして持ち上げたから。
1時頃にオムツ替えをしたので私は眠かった。土曜日だしと7時まで寝ていたら、母の部屋からガチャガチャと物音が…。
慌てて起きていくと、ベッドに座り柵を掴んで「お腹空いたんや!」と不機嫌そうな物言いでにらむ母。
前日、晩御飯をいらない!と食べなかったからでしょう。
慌てて朝ごはんを用意して、母を起こそうとした時、「痛い、痛い!」と言い始めました。
その日、清拭のために来た訪問看護師さんに診てもらい、湿布を貼ってしばらく様子見することになりましたが、月曜日は透析に行くのも四苦八苦
なんとかヘルパーさんとドライバーさん、私の3人がかりで車に乗せて送り出し、透析センターでは筋肉痛の薬を塗ってもらって帰宅しました。
そして翌日、いつものように訪問看護師さんが清拭のためやって来た。
腰の痛みは更に強くなっていて、もしかして圧迫骨折かも…と看護師さんは整形外科の受診を勧めてきました。
でも、近所の整形外科に連れて行こうにも痛がって動けない。車椅子にも乗れそうにない。
看護師さんは、身動きできず透析に通えないと命に関わるからと🚑️救急車を呼ぶよう進言してくれました。
心臓で入院したことのある総合病院に電話し、2時間後には病院に到着。
結果、圧迫骨折
この状態では透析に通えないと整形の先生に相談すると「こんな状態で通院透析していたの⁉️」と驚かれた。
心臓が悪く、よく家でも意識消失してたけど、この日もレントゲンを撮るのに動かした時、意識が薄くなったらしい。
どんなに私に負担をかけても、「自分は自宅で過ごす!透析は通院で!」…が母の希望だったからね。通院透析のためにヘルパーさん2名体制で来てもらってたし、意識消失したらおんぶして車に運んでくれたり、ほんと大変だった。
食事は食卓に行く!と言い張り、車椅子でダイニングに移動させると途中で意識消失。
心臓が悪くなってて不整脈を起こしたり、血中酸素が下がったりするから、車椅子の上でよく失神した。そういう時は弛緩するからか脱糞する。脱力した大きな母の体をベッドに戻すのに痛めた膝を酷使して、そのままオムツ替え、ベッドで口に運んで食事させる…そんな日々。
出口の見えない母の介護。
そんな日々から突然解放された。
母は入院。圧迫骨折はコルセットして在宅で療養できるけど、母の場合は透析に通えなくなるからと入院させてもらえた。
そして、入院中にもまた別の箇所を圧迫骨折。
入院は長引きましたが、急性期病棟だから入院2ヶ月を過ぎた頃、そろそろ退院を検討しなくては…と病院の相談員さんからお話がありました。
そう、退院後どうするか?
「心臓も弱っているし、この状態で透析を続けるなら、療養病棟に移られますか? 数は少ないですが、透析センター併設の介護施設を探されますか?」と。
「えっ 家で介護
しなくていいの」
その頃の私は💦まだ呪縛が解けず、退院後はまた自宅で介護するものだと思っていたから、相談員さんからのお話に驚き、心の中に押し込んでいた感情が溢れ出たのを覚えています。
続きは次の投稿で
最後まで ご覧いただき、
ありがとうございました