こんにちわ!

自社株式の承継支援を得意とする司法書士の「松井」です。

 

5月31日~6月1日の3日間、水だけの断食をしてきました。

 

断食の目的は、健康のため(体中の毒素を抜くこと)です。

けして、ダイエットでは、ありません。(結果的にダイエットになりましたが・・・)

 

断食をするにあたり、

断食前にする準備食期間(3日間)と

断食後にする回復食期間(3日間)

があります。

 

準備食期間中は、肉や油物をとらないことです。

ここを怠ると、断食期間中に「なまこ」になります。

「なまこ」というのは、体がしんどくて、立つこともできなくなる状況です。

 

僕は、断食期間中、「なまこ」にはならずで、ひたすら眠かった。

眠くて、人の話を聞くことはできない。

1日14時間ぐらい、寝ていたと思う。

だから、食欲というのはわきませんでした。

むしろ、食べたくないというのがホンネ

この感覚、とても不思議でした。

この年になって、未体験なことを味わえるとは・・・

 

そして、断食後にする1回目の回復食

重湯がたまらなく、甘い!

 

そして、2日目には、お味噌汁(薄め)を飲むと、

塩分が体に染み入って、ほんとうに、お・い・し・いーーーー!

しんばく、じーんとして、思わず、目をつむってしまいました。

最高のご褒美!

 

断食をすると、日常とは異なるいろんな体験があふれている。

次回、健康のために、参加しよ。

ちなみ、体重は、9%ぐらい減りました。

 

こんにちわ!

自社株式の承継支援を得意とする司法書士の「松井」です。

 

ボクが同友会で、まわりの方からたくさん、経営のこと、人のこと

を勉強しています。以外に、ボクは、勉強が好きなのです。

 

勉強が好きになったきっかけは、友達からの影響です。

本当に大きい。

今日は、そんな内容です。

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小学5年生の5月、算数の授業を受けていました。

松浦先生が、「この間の算数のテストを返すぞ~」

テストをもらうと、56点とがっくり

 

僕の友達である、

ともひさ君に「テストどうだった?」

すると満面な笑顔。

なんと、100点

いつも僕とそんなに点数かわらなかったのに・・・

くやしい。

「どうして、100点とれたの?」

「塾に通いはじめたからだよ」

そんなんで、100点とれるのか?

でも、僕だけおいてかれるのはいやだ。

 

家に帰って、母親に直談判!

「僕、塾に行きたい。」

母は、「今まで、習い事していなかったのにできるの?」

と一言

「やる!」

 

それから、友達であるともひさ君と同じ塾に通いはじめました。

はじめて、算数の授業を衝撃的でした。

先生の授業は、図ばかりだったんです。

「めちゃめちゃ、わかりやすい」

 

できる気になって、問題集を取り組みました。

でも、とけません。

 

ともひさくんに「ここ、教えて!」

ともひさくんが、「これはこうだよ」

あざやかに図で回答してくれるところが

「すごい」と思いました。

ともひさくんといっしょに、勉強するようになりました。

 

だんだん、問題が解けるようになっていき、

大好きなゲームをやっているかのような感覚でした。

(ドラクエで、レベルがあがっているような感じ)

 

そして、学校でのテストがかえってくる日がきました。

先生から、「松井、よくがんばったな」

点数をみたら、100点だったんです。

思わず、ガッツポーズ!

ともひさくんも「おれも、100点」

ふたりでハイタッチ!

 

切磋琢磨できる、良い友達がいたからこそ、

今の自分があるんだな

ぐれている友達でなくてよかった。

 

お客様企業のベストスコア更新に寄り添う「経営キャディ」の猪子です。

 

現在私が所属している中小企業家同友会では、もっぱら「地域」という言葉がキーワードになっています。

そこで、今日は「地域と中小企業」というテーマで、オススメ本をレビューします。

紹介するのは、『驚愕!竹島水族館ドタバタ復活記~』著 小林龍二(竹島水族館館長)です。

この本は、愛知県蒲郡市の竹島水族館の復活劇を描いています。

 

本をレビューする前に、

 

「え、この分類おかしくない!?」

そんな場面に出くわすことがあります。

同級生の披露宴で指定された座席が自分だけ親族席、だったり。

レンタルビデオ屋で『タイタニック』が「パニック映画」のコーナーにあったり。

ちょっとバツが悪かったり、クスッと笑えたりするそんな場面をひそかにコレクションしていたりします。

 

さて、ご紹介する本は、ジュンク堂書店さんの分類ですと「理工:水棲哺乳類」の書棚に陳列されているようでしたが、

こちらは紛うことなきビジネス書であり、小分類においては中小企業の経営戦略論だと断言できます。

中小企業の経営者であれば一読する価値がある良書です。

 

本との出会いは先月4月下旬した。

その日は妻の地元である蒲郡市に里帰りし、温泉処の西浦町は「温泉喫茶si no no me」を散歩がてら訪れました。

足湯につかれたり、ブックカフェになっていたりと、長居できるいい感じのお店でした。

お店の本棚で偶然この本を手に取り「なるほどこれは面白い」、と半分ほど一気読みした後、名古屋へ帰ってからジュンク堂で購入。

 

概要メモ

・年間入館者数12万5千人で閑散日のアシカショーはお客さん1人

→47万人への超V字成長

 

・リソース(ヒトモノカネ)の無い企業ならではの工夫

→コストカットと新規設備投資(海洋生物と触れ合える「さわりんぷーる」の導入)

 

・顧客研究により低コストで実現する差別化

→誰も読まない学術解説からちょっと笑える手書きの解説看板(この魚食べたら美味いか、も含む。)へ

 

・「キモチワルイもの見たさ」というニーズ把握と「失敗を魅せる」というショーマンシップ

→タカアシガニやグソクムシやウツボへ当てるスポットライト、そして「何もできない」カピバラショー

 

・地元企業とコラボした商品開発

→菓子屋さん、包装材屋さん、、デザイン会社との共同開発し、

リアルな海洋生物パッケージの「グソクムシ煎餅」や「ウツボサブレ」、カピバラのお尻からチョコがでてくる「カピバラの落とし物」など。

 

・地元企業や金融機関、自治体や学生まで巻き込んだ地元イベントの開催

→がまごおり深海魚まつりにて地元にたくさんの笑顔をつくる

 

どれも創意工夫に富んでいて、仲間と協力して社会に提供する価値や楽しみや笑顔を増やしていく取り組みは痛快であり心を打ちます。

そして、自分のビジネスにも転用できないだろうか、と考えさせられます。

 

最後に、私に一番刺さった一節を引用します。

「ボクたちは魚が好きで好きでたまらない半魚人です。水族館に勤めるのが夢で、水族館の勉強、水族館に勤めるための勉強、魚の勉強などを必死にしてきた人間です。(~中略~)自分が気づかないうちに「型」ができてしまいます。(~中略~)客観的に見ると、それは井の中の蛙なのかもしれません。世界はもっと広く、もっと大きな視野でモノゴトを見るとおかしなことにも気づくのです。(~中略~)当然の感覚(先入観)で毎日仕事をすると間違う恐れがあり、そうならないためには「お客さんの常識、お客さんの当たり前」を考えて仕事をすることが大切な要素になるのではないか(~以下略~)」 本書 90頁~91頁

 

余談ですが、竹島水族館へは過去訪れたことがあるものの、本書を読んだ後での再訪はまた違った楽しみ方ができるでしょう。

さらに、ボロボロだった建物が令和6年4月にリニューアルオープンされたとのことで、建立された「グソクムシ御殿」を拝みに行ける日が待ち遠しいです。

こんにちわ

自社株式の承継支援を得意とする司法書士の「松井」です。

 

来年に開催される大阪万博のことをテレビで見ていたら、

ボクが小学生のとき、

母親が、世界デザイン博(名古屋で開催)で、

迷子で大変だという話から思い出しました。

 

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小学4年生の秋、おかあちゃんとデザイン博の白鳥会場にでかけました。

白鳥会場につくと、たくさんの人でいっぱい。

おああちゃんに「人でいっぱいだな。目を離すなよ」

僕は「はーい」と返事。

 

空飛ぶ車がみたくて、トヨタグループ館に行きました。

たくさんの人が並んで、待ち時間は1時間以上。

でも、僕は見たくて並ぶことにしました。

 

上映がはじまると、空飛ぶ自動車のかっこよさ、

大人になったら、空に飛べるんだ!

わくわくどきどきがおさまりませんでした。

 

上映がおわり、場内が明るくなりました。

わくわくどきどきをしながら、たくさんの人と会場をでました。

 

そのあと、わくわくどきどきという高いテンション保ったまま、

いろんなパビリオンに行っていました。

 

そんなときでした。

ふと気づくと

おかあちゃんは?あれ、いないじゃん!

まわりぐるぐる見てもいません。

 

それから、いろんなパビリオンに探しに行ってもいないんです。

そんなとき、放送で「迷子の案内です。」

やった。これでおかあちゃんに会える!

しかし、「田中浩二君のお母さん・・・」と流れ、違う人に案内

 

でも、迷子センターに行けば、お母ちゃんが来るかも・・・

そして、迷子センターに行きました。

迷子センターに待てど、一向に来ません。

お母ちゃん、遅いなあ・・・

 

仕方なく、会場に入口で待っていようと移動しました。

入口でも待っても、お母ちゃんは来ない。

どうしよう!どうしよう!

と焦る気持ちでいっぱい。

そして、ついにお母ちゃんが入口にやってきました。

おかあちゃんに抱き着き、「おかあちゃん!」に大泣き。

おかあちゃんに、よしよしと頭なでてくれました。

 

それ以来、おかあちゃんから目を離していけないと悟りました。

出典:漫画『SLAM DUNK』井上雄彦 第9巻より 

 

 お客様企業のベストスコア更新に寄り添う「経営キャディ」の猪子です。 

 何を投稿しようか考えたところ、たまたま私達は法律科目試験をパスした法律屋さんであり、かつ、たまたま憲法記念日だったということで、ベン図の重なり合うままに「憲法」及び「法律」についての話をしようかと思います。

 数ヶ月前に、愛知県は知多半島南端を周遊してきました。日間賀島の古き良き宿に宿泊後、常滑にて焼きものを物色し、西尾市の一色で鰻を食し帰宅するという1泊2日旅でした。

 メインイベントであった日間賀島紀行として、今回はそのノーヘル事情について法律学をしていきたい。

 例によってあらかじめ断りをいれると、ルポルタージュ的投稿をして島の現状を告発し、それを取り締まらない島における警察権力の腐敗までを追求せんとするような熱きジャーナリズムは残念ながら持ち合わせていません。

 事実として、島に上陸して驚くのが原チャリを移動手段とする島民の多さと、その運転者のノーヘル率の高さである。おそらく80パーセントを超えていたように思います。中でも、おそらく70代(ヘタすりゃ80代)のお婆様方がノーヘル2ケツで出動していくたくましい姿に度肝を抜かれました。
 

 さて我が国は法治国家であり、当然ながら日間賀島においても道路交通法は適用されます。
 具体的にいうと、同法第71条の4第2項には「原動機付自転車の運転者は、乗車用へルメットをかぶらないで原動機付自転車を運転してはならない。」と定められています。

 ここで、国民としては「原付き運転時にはヘルメットをかぶりなさい」という行動規範を与えられているのですが、このルールについてどのようスタンスを取るべきでしょうか。

 この点について、憲法学者の長谷部恭男教授の、原理・憲法・実定法に関する次の指摘は示唆に富むように思えます。
 

「「この状況で人として本来すべきことは何か」を最終的に判断するのは、いつも自分自身である。実定法の条文は、所詮、実践的な判断の補助手段である。物神として条文を崇め、自分の判断を放棄することは、人であることを放棄することである。」
「憲法も原理も、結局は理由によって支えられ、支えられる理由によって射程が限定される。いかなる法も憲法も原理は、人がいかに行動すべきかを究極的に決定するわけではない。決定するのは理由である。いかに行動すべきかの判断を実定法や憲法の規定に丸投げすることは、人であることを放棄することである。」
『長谷部恭男著 憲法学の虫眼鏡「その16 憲法よりも大切なもの」より抜粋』

 引用しておきながらもなるほど難解なので、そんなときはサブカルチャーに目を向けたい。

 つまり、漫画『スラムダンク』の「鉄男を鉄男たらしめているもの」である。
 

 また拡大解釈すれば、映画『戦場にかける橋』で捕虜となったニコルソン大佐の生き様が思い出される。
 「この状況で人として本来すべきことは何か」
 すなわち、大佐は、当初ジュネーブ条約を根拠に将校の捕虜としての労働従事を拒否しながら、共に捕虜となった部下たちを守る目的のもと積極的に敵国を利する架橋を手伝うようになる。そして、最終的には自らの存在意義の拠り所となった「橋」への自国の橋爆破作戦を妨害するに至るのである。

 余計にわからなくなったところで話を日間賀島に戻します。
 ほとんどの自由は、最小限度で制約されうる。これが日本国憲法のスタンスです。
 道路交通法上、ノーヘル運転の違反点数は1点である。そして、反則金は0円である。
 これが、ノーヘルに対する我が国の最小限度の制約である(これが軽いか重いかは個人の評価にゆだねられる)。


 この程度の制約である「理由」は、ノーヘル運転が自己加害的行為であり、かつ、依存性等とも無関係な行為であることなどでしょう。


 しかして、この制約と天秤にかけられる自由は「自己責任のもとヘルメットを外し風を感じて原チャリで走る自由」である。
 「島」というある意味でわかりやすい状況下で、自由を選択する余地を自分の中に残すことが自分を自分たらしめるのである。   

 場合によっては死ぬかもしれんけど。