エレファントカシマシ CONCERT TOUR 2012 “MASTERPIECE” | ラフラフ日記

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エレファントカシマシ CONCERT TOUR 2012 “MASTERPIECE”
2012年6月27日(水)28日(木) Zepp Tokyo


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「キーボードがないとこんなに違うんだぁ」

と思わず呟きそうになってしまいハッとした。エレカシのライブなんて、キーボードがないのが当たり前だったから。

そこでちょっと考えてみたんだけど、一体いつからキーボードが入るようになったんだ? そしたら驚いた。自分が行ったライブの記憶を辿ると、2007年5月の野音からキーボードが入っているのだ。もう5年も! 調べるのに時間かかっちゃったよ。

その間、私が観たエレカシのライブは(イベントも含めて)、すべてキーボードあり。まず、そのことに驚いた。そして、2007年末の COUNTDOWN JAPAN からサポートギターが加わり、6人体制となった(ミヤジ曰く「エレファントカシマシS」)。

もう5年間も「エレファントカシマシS」を観ていて、そして、「エレファントカシマシS」しか観ていないことに驚いた。前は、エレカシのライブといったら、メンバーの4人だけ、4人でやるのが当たり前だったのに。

それが今や、キーボードがないことに新鮮さを感じ、うっかり「キーボードがないとこんなに違うんだぁ」なんてことを呟きそうになってしまうくらいに、「エレファントカシマシS」に慣れ親しんでいた自分に驚く。な~にが “俺の道至上主義” だっ!

「エレカシはもともと生粋のギターバンドだったじゃないか!」
な~に寝ぼけたこと言ってるんだよっ!……という自分の声が聞こえた気がした。

そうなのだ。今回、キーボードがいなかった。サポートギターが昼海幹音さんから藤井謙二さん(元MY LITTLE LOVER、現在The Birthday)に代わり、5人体制であった。当然の如く、「ギターバンド然り」、というより、「俺たちぁ、ギターバンド!」というようなライブだった。大体は。

もし、「エレファントカシマシS」のライブを観ていなくて(4人のエレカシしか観ていなくて)、久しぶりにエレカシのライブを観たのなら、「いつもどおりのエレカシ」と思っただろうか。(サポートギターは入ってるけど)
もしくは、「エレファントカシマシS」になってからのライブしか観ていなくて、このライブを観たら、「いつもと違うエレカシ」と思っただろうか。

剥き出しのバンド・サウンド。
キーボードやらストリングスやらで聴いたあのフレーズも、ギターバンドによって奏でられていく。

「またバンドを鍛え上げていくんだ」

私はそう思った。熱量でいうと、『風』(2004年)のころのライブに近い感じがした。そのちょっと前くらいの時期も浮かんだが、「平成理想主義」とかをやっていたころに近い温度を感じた。

「新しいエレカシ。進化するエレカシ」

そうね。確かにそうね。私もそう思う。

だけど、ちょっと待てー! これを簡単に “進化” と呼びたくない自分がいるのはなんなんだ。エレカシはもともとこうだったよ? これがエレカシ本来の姿であり、これを “進化” と呼ぶにはあまりにも失礼じゃないか? ずっとこうだったよ!

じゃあ、これは “原点回帰” なのか?

いや、そんなに簡単でもなかった。なぜなら、『MASTERPIECE』を聴いてごらんなさいよ。
このツアーは “MASTERPIECE” と銘打たれているように、『MASTERPIECE』から全曲やったのですが、これが、CD とライブぜんぜん違う。CD とライブの「違い度数」みたいなのがあったら、今回は断トツじゃないかしら。

同じような理由で “原点回帰” と感じた、『DEAD OR ALIVE』(2002年)や『俺の道』(2003年)の時期との決定的な違いはここにある。
エレカシは『DEAD OR ALIVE』や『俺の道』でバンド・サウンドに回帰したんだけど、CD に込められたその音とライブでの音が、同じ道のりを辿っていたというか、ライブで再現可能な音が CD に入っていたというか、ライブのときのエレカシがほぼそのまま CD に込められていたというか、込めようとしていたというか、ナンというかカンというか。

だけど、今回は違う。きっぱりと違う。CD とライブ、ぜんぜん違う。だから、これは “原点回帰” なんていう単純なもんじゃないんだろう。

じゃあ、今エレカシはライブで「CD の再現」を目指しているのか? CD に収められてる『MASTERPIECE』が完成形で、それを再現することをエレカシは今、目指しているのか?

んなわけない!

今回、面白くてさ。ミヤジがキーボード弾いたの。トミの後ろに銅鑼(中華料理屋さんとかに出てきそうなやつ)があって、ドワーンって叩いたりもしたのよ。藤井さんがなんだかキュイーンって音を出してた気もするわ。実験して、冒険してる4人(あ、5人)にドキドキしたよ。

うまく言えないんだけどね、CD の再現ではないんだけど、CD で掲げた理想を追いかけてるんだなって思ったのよ。ということは同時に、CD も完成形ではないんだなって確信したの。CD もライブも目指しているものは同じで、同じなんだけど、道のりが違っていて、で、どちらも完成形ではない。CD もライブも未完成。いや、もしかしたら、その理想さえも未完成なのかも知れない。

完成度でいったら、CD の『MASTERPIECE』に比べて、ライブはまだまだ未完成だったかも知れない。でも、じゃあ、CD の忠実な再現をやれば、それで完成度の高いライブができるのかといったら、それは「エレカシにおいては」違うんだなということが改めてわかったんだよね。CD を忠実に再現し、それが素晴らしいライブになるというアーティストもいるよ。それはそれで正しいし、素晴らしい。でも、エレカシはそこには収まり切らないバンドなんだなということがよ~くわかったの。

だってさ、ライブだけじゃなくて、CD も未完成なんだもの。

例えば、この日もやった、「ファイティングマン」や「珍奇男」や「ガストロンジャー」。
「ファイティングマン」なんて 1988年の曲だけど、やっと良くなってきたなんて本気で言ってるんだよ!? どれだけ気の遠くなることか!!
「ガストロンジャー」も、飽きてきたなんて声もちらほら聞こえてきますが、まだ完成していないんだよ!! 大体あれ、一時はあまりやらなかったけど、毎回あのテンションで歌えるだけでも凄いわ。でさ、最近は、歌詞より、間奏部分の宮本さんの「だがだじゃがじゃばらじかゆいおがpciaoiuga!!」とバンドとのコール&レスポンス、宮本さんのキーボード弾き叩き&踊り&舞い&地団駄といった、バンドセッション(?)を観に来てるのだと思うようになってきたわけなんだけど、これって凄くない!? だってさ、「ガストロンジャー」といったら、宮本さんの怒涛の言葉が武器だったわけじゃない? それが今や、それよりもバンドの演奏ってな具合になってるわけだからさ。
「珍奇男」はもう、人間国宝(いや、世界伝統?)だしさ。

なんか書きながら、一体誰がどこに完成形があるのかわからなくなってきた。

つまりね、『MASTERPIECE』の曲においても、「ファイティングマン」や「珍奇男」や「ガストロンジャー」のようなことをやろうしているのではないかってことなのよ。

誰かが昔、バンドは「CD とライブの追いかけっこで成長していく」と言っていた。なるほどと思った。

が、エレファントカシマシは如何だろう。

私は昔、エレカシのライブは素晴らしい、このライブの熱が CD にも収められれば!と思っていた。エレカシに限らず、他のバンドでもそう思うことは多くて、実際、多くのバンドがそこに四苦八苦しているのではないかと思った。そして、エレカシでいえば、前述の『俺の道』などはライブの熱が入っていると感じた。逆に、CD は良いけれど、ライブがあんまりというバンドもいるのだろう。そして、バンドの演奏力を磨く。

「CD とライブの追いかけっこ」

エレカシはそのもっと先の景色を見せてくれた。

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今回、久しぶりに「この人達は何をやっているんだ!?」っていうのと「私は何を観に来ているんだ!?」っていうのが感じられてとても嬉しかったです。

例えば、27日にやった「金でもないかと」。

“ああ このまま まさかこのまま
 しわをふやして 髪の毛もぬけて”


私はわざわざお金を払ってお台場まで来て、何ゆえ「しわをふやす」ことや「髪の毛もぬける」ことをこんな全力で聴かなければならないんだ! 私は何を観に来ているんだ!!

他にも「ゲンガク Get Up Baby」(27日)とか「優しい川」(28日)とか、『エレファントカシマシⅡ』(1989年)から何曲かやった。エピック時代の中でも、「エレファントカシマシのバンド・サウンドの原型」を感じるアルバムだと思うから、「ギターバンド」である自分達に立ち返ったことでの選曲なのかな。

そして、『MASTERPIECE』からの「穴があったら入いりたい」。

も~う、オッサンが何をやっているんだ!っていうか、この人達は何をやっているんだ!!

もう最高。「世界伝統のマスター馬鹿」も最高。凄すぎるよこれ。ジュース飲みながら聴いたら吹き出すよこれ。

GG10 のときに ACIDMAN には「笑い」がないって言ったんだけど、こういうことよ。もうこの、「笑える」っての、なかなかないんだから。あゆくらいしか…(ぼそっ)

思ったけど、こういうエレカシの「面白さ」が、音楽に昇華されてきてるんじゃないかと。

いやね、前からエレカシは面白かったよ。だけどさ、宮本浩次ってのは、なんにもしなくても面白いんだもんさ。だから、それがちゃんと全部「音楽」に昇華されていたかっていったらさ、そりゃ部分部分ではあっただろうけどさ、ブツブツ。『good morning』の記事で書いていた、「トーク(キャラ)はめちゃくちゃ面白いのに」ってやつだよ。

むしろ、それがかえって弱点となってね、キャラクターが面白すぎて話の内容が伝わりにくいとかさ、そういうのがあるわけよ。面白いんだったらそれで良いのかも知れないけど、やっぱそれがちゃんと「音楽」で伝わった方が良いわけで。そういうのがさ、こう、出てきてる気がするなぁ。これからがますます楽しみになっちゃったよ、こりゃ。

そして結局、『MASTERPIECE』の記事で、「バンド幻想を超えた」とか書いたわけだけど、結局その先に、「剥き出しのバンド・サウンド」があって。「中学高校の友達バンド」の殻を破ったと言ったけど、「中学高校の友達バンド」以外の何者でもなくて。

だからエレカシは、「逆マトリョーシカ」みたいなバンドなんじゃないかと思った。

化けの皮を剥がす度に、大きくなり、自分自身(エレファントカシマシ)になる。

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ところで、「穴があったら入いりたい」の “表通りだけが人生じゃないだろうが”

この一文だけ見れば、「表通りだけが人生じゃないだろ?(裏通りだって立派な人生だろ!)」と思えるが、流れで見ると、「表通りだけが人生じゃないだろうけどよ(裏通りにばかり隠れてるなよ!)」とも聴こえる。他にも何通りもの捉え方があるかも知れない。

そりゃあ、表通りだけが人生じゃないだろうからね!