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冬休みに眺めていたいなぁ (^▽^;)

帰宅途中、駅ビルの本屋さん、有隣堂へ「宣伝会議」を買いに

いくも在庫なし。・・・他あたります。


いつもより早かったので、ちょっと店内散策。美術・デザインの

エリアで、気になったこの2冊。 




グランヴィル ―19世紀フランス幻想版画


まいちょいす。


紹介されている鹿島茂さんは、次に読もうとしている本「関係者以外

立ち読み禁止」の著者だった(憶えていたので)ので、表紙の名前に

思わずご縁を感じたりして、パラパラ立ち読みさせてもらいました。

フランス文学がご専門ですが、こちら方面もお詳しかったようです。





神秘なる挿絵画家 エドマンド・デュラック


まいちょいす。


好きな人は好きなデュラック。アラビアンナイトで有名ですね。

デュラックは、挿絵画家ということから、洋の東西を問わない

イラストが多くて、わたしは彼の描く東洋人が大好きです。

ドンピシャのカットが多くて、欲しくなりました。

でも、さすがに財布とチト、相談。


 ・・・困るなぁと言われました(爆)



飲み会つづきだし、今までに一度もない、自分へのクリスマス・

プレゼントも今年は買ってしまいましたので。やっぱりやめまし

た、(とりあえず)。


図版、絵画、グラフィック系の本は、まず計画的に買うことは

ないように思います。ほぼすべて衝動買いでしょう。

で、こういう場合、今度行って、もしもまだこの2冊が並んでい

たら、買ってしまおう!とその場を引き下がるのが常です。




この季節、こういう“絵本”のたぐいを、温かくて美味しいコーヒー

でも飲みながらパラパラと、時にじっくりと、眺めているのが

いやしのヒトトキとなります。“複数冊”あることがけっこう重要

だったりします (^∇^)v


花笑鉄心。

読了
浅田次郎 【 ま、いっか。】


まいちょいす。

集英社 2009年2月






浅田さんのエッセイ。でも、大半は物語りとして楽しめます。

ほっこりさせられるイイお話しが読めます。約60のお話しが4章に。



・座右の銘を尋ねられ困窮のあげく自作の格言 「花の笑み、鉄の心」


・おばあちゃんの鉄漿(おはぐろ)の想いでにつながる 「正月の記憶」


・少年時代の淡く切ないお話し  「雨の記憶」


・初めての作品は川端康成のエピゴーネンと言われ 「十六歳の原稿」


・吹奏楽部の慕っていた先輩の死に心がゆれる  「十六歳のスコア」


・アパレル系で仕事されていてファッションのお話し  「下衆と横着者」




 「下衆と横着者」ピックアップ。
祖父母のファッション感覚は、清潔感とセンスだったとおっしゃいます。
それは汚れやシワがないか、色柄が適切であるかどうかという点に集

約されていたとのこと。けっして“高価”な衣服が前提ではなかったと。


思いを江戸までさかのぼれば、参勤交代やらで地方から集まるお侍さ

んが人口の半分だったそうですから、それは着る物にも気を使わない

と“田舎侍”扱いされてしまうわけですね。浅田さんいわく、江戸の時代
世界中でもトップレベルのファッションタウンだったと。


「独眼竜の子孫たち」のお話しでは、伊達藩六十二万石の藩祖、独眼

竜正宗の登場。“伊達オトコ”の語源となる正宗のおしゃれ度は、相当

なもので、江戸にあっても皆が仙台藩士を真似ていたらしいんですね。




だから今でもメンズファッションのアンテナショップ、売れ線のアタリは、

仙台の町で決まるのだそうです。“下衆”は、清潔感やセンスを差し置

いてブランドネームに頼る服装。“横着”というのは、服装に気を配らず

そこいら(手短に、横に放ってあるような)の服を着ること。


ファッション感覚はコストでは磨けない。値段も要素ではあるけれど、
一番ではないと次郎さんに同じく、わたしも思います。その上で、ブラ

ンド品の品質は、一様の基準にはなってくれるとも思います。




 「雨の記憶」、「十六歳のスコア」 など、青春の思い出。すごく共感。


 「花笑鉄心」 浅田さんのオリジナル格言。



  自分のために笑い


  人のために笑顔でいる


  そしていつも背筋を伸ばし


  鉄の心を忘れない



鉄の心を保てたから、浅田さんは学生時代から目指していた文筆家に

なれたわけですきっと。カショーテッシン、わたしも座右の銘とおきたい。


 (ぎっちょでも“座右”でいいのかい! (^▽^;)ヾ )

ヤマハさんからニューモデル。

ヤマハさんから今月ニューモデル登場。


「Aシリーズ」と呼ぶエレクトリック・アコースティックギター。

先週、本八幡のシマムラさんで弾かせてもらいました。



まいちょいす。



グレードについて尋ねても店員さん分からず ^ ^;


調べてみたところ、このモデルAC1Mは、最も安価な設定の一本。

店頭価格は5万円ちょっと切るぐらいでした。 (定価は6万程度)

価格帯としては実勢で10万を切る程度までのラインナップだと思

われます。5万円でお釣りがくるなら、学生さんたちでもちょっと頑

張れば買える (買ってもらえる)お値段かな。


販売価格は、メーカーの入れ込み具合と、卸し、小売りの力関係

から標準価格、つまりメーカーが希望する店頭販売価格と、実勢

価格との差が開きます。はなっから8掛け近いというのは、ヤマハ

さん、「Aシリーズ」ってそんなに強気の投入ではないのかしら。




試奏以前にギター雑誌で知っていましたが、デザインについて、

あぁ・・・と思った方は、きっと多かっただろうなー、と思いました。

まいちょいす。

今やマーティン、ギブソンと肩を並べるどころか、すでにトップブランド

と呼べる人気絶頂のボブ・テイラーさんとこの意匠にそっくり。

(借用phは314ce) ボディは、このグランド・オーディトリアムに近く、

ヘッドとサドルに至っては、初見で伝わる雰囲気はほぼ、同じでしょう。

詳しくない方が見れば、勘違いする方もいるかも。AC1Mのほうがボデ

ィは厚いです。ピックガードはオリジナル(同社歴代モデル)とのメッセ

ージがありますが、それも質せばギブソンの亜流だったりするような ^ ^


さらに、時代をさかのぼれば、巷のギターのオリジナルは、マーティン

(+ギブソンのJ)にあるわけで、たとえばドレッドノートと呼ばれる大型

のボディ、マーティンのDモデルは、リズムパート楽器として音量をか

せぐためにそれまでのボディよりも、大きくして体積を稼いだもの。

今やこのDモデルは、世界中のアコギの基準となっています。




試奏しての感想。

小振りでトップの面積に比べてるとボディ厚がある。FGとかと比較して

も、きっと深いと思います。体積をかせぐためでしょうが出音は、生鳴り

よりもライン重視。価格を考えればそれこそ出来たばかりのギターでも

あって生音もこの程度かもしれません。アンプからのナチュラルな音色

はさすがヤマハのギター。高音弦の独特のシャリ感。この個性はやっ

ぱり大事にされているのだなぁと感じました。ネックも角張った感じは無

くて、このあたりもルックス同様にテイラーに似通う傾向なのかも。

ピックアップマイクが内蔵されている場合、音作りとアンプの個性とセッ

ティングでいかようにもなる、と言えばなってしまうので、ギターの造りさ

えしっかりしていれば、あとはデザインの好み、ということになるでしょう。

ピックアップと材のグレードが上がる上位モデルも弾いてみたくもありま

した。


テイラーは高くて買えないけど、できれば似ているギターが欲しい場合、

まず選ばれるモデルでしょう。しっかりしたつくり。コストパフォーマンス

も十分。最初の一本からこんなギターを弾けるのならいいなぁ。楽しみ

ながらきっと上手くなれると思います。




音だし。アンプはAAD。フィル・ジョーンズの「カブII」100ワット。興味が

あって音だしさせてもらいましたが、う~ん。ちょっと大味というかパワフ

ルではあるけど、筐体が小さいというのはやはり無理があるのかなーと

いう感想。店員さんも、あまりおススメ感なし。


そのあとローランドの「AC-33」30ワット。ローズウッド調の新色も登場

で人気の一台。安くならないですね。ローランドさんつおい!ちょっと凝

り過ぎと思えるぐらいの音造り。生音感はよいと感じます。小さなライブ

ハウスなら十分鳴らすだけで使えそう。でもやっぱり、AC-60のほうが

余裕もって鳴らせるかなぁ。どこまでも好みが基準になるところではあり

ますが。ともに2chモデルで弾き語りには助かるところです。


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週の初めから飲み会。昨晩はバタンキュ~ ^ ^;

・・・週末23日も出社となりましたー。


公演間近 『W(ダブ・リュウ)の喜劇』


長男、リュウ。


まいちょいす。



まいちょいす。


はい、よくできましたっ。  (^∇^)


始まるから終わるのでない。

読了
ヴィスワヴァ・シンボルスカ 【終わりと始まり】


まいちょいす。


未知谷 1997年6月
訳    沼野充義






詩は18篇。続いてシンボルスカさんのノーベル文学賞(1996年)受賞記念

講演が紹介されていました。聴衆を前にした語りというのは、詩人の人間味

もあらわになっているので、それはそれで作品への興味もまた、深まる気が

しました。あー、世のポエットは、こんな見方なのかぁと、使命感も含めて考

えさせられました。 (シンボルスカさん独自のというのもありましょうが。)




作品タイトルの「終わりと始まり」。冒頭は以下。



  戦争が終わるたびに

  誰かが後片付けをしなければならない


  物事がひとりで

  片付いてくれるわけではないのだから・・・




今の日本人はみな、この詩を読むと感じるところきっとあると思います(´□`。)



普通なら、“始まって、そして終わり”なのですが。でも、終わりって、本当は

無い。この世が続く限り、終わりって無い。終わったと思ったとしても、それは

必ず、始まりである、ということを訳者の沼野さんは書かれています。

これは、とってもポジティブにものごとをとらえることができてすごくイイ発想

法ともとれます。ナニゴトも終わりは無い、ネバーエンディング!ってイイ♪





それにしても作品が少ない。訳者の沼野さんによると、5年とか10年に一刊

程度らしいです。そしてまた詩の創作以外の文芸にも手を出されなかった。

先に紹介したノーベル文学賞受賞のインタビューでは、静かな生活が乱され

るのが怖いのです、とおっしゃったそうで、研ぎ澄まされた精神(自己抑制的

ということではなくて)から創作されているんだろうなぁ、と感じました。


繰り返し読むことで、楽しめる作品と思います。でも善意の攻撃性を感じます。

一、二回読んでも理解に及ばない作品が多いとも(笑)でも、深読みじゃなく

て感じるトコロがあれば、それだけでもいいとも思います。詩はとくに。

負け惜しみじゃなくて。 (^∇^)


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詩人の話しでちょっと遡りまして。。。


先日の五木寛之さんの「知の休日」“本と遊ぶ”の章で、ロシアの女流詩人
アンナ・アフマートヴァさんのお話しがありました。スターリンの独裁統治時

代ですから、ポーランドのシンボルスカさんより少し古いですね。

詩人が生きづらい時代であったと同時に体制側も扱いにくいわけです。言葉

を美しく紡ぐ詩人たちのメッセジは、反体制、プロパカンダの揶揄であったに

しても二重、三重にも折り重ねられていて、易々とは手が出せないわけです。


アンナさんは創作を禁じられた軟禁状態にあって3冊の本を繰り返し読んで

いて、一冊は聖書。一冊はプーキシンの詩集、そしてシェークスピア。さすが

の国家保安局もこの3冊を禁じることはできなかったわけで、五木さんはその

場で自宅の山のような蔵書を処分しよう!と心に決めて帰国されます。でも、

できなかった(笑) この精神は煩悩、欲望の抑制に用いられているようです。



 しゃんはいさんも、考えてみました (^▽^;)


  ・あふれる靴を処分しないとなりません。  残す3足はどれ!?

  ・一週間で楽しめるテレビ番組が限定されます。3つならどれ!?

  ・ケータイ通話先は3人だけと決まりました。     だ、だれっ!?

  ・この先一生涯食事のメニューは3つと決まりました。何食べよぅ!?




この先、一生本は3冊しか読めません!そう法律で決まりました。

だとしたらば、どんな3冊を選びましょう。


寝ながら考えてみたいと思います (笑)


夜汽車で嫁いだ時代。


花嫁 / 坂庭 省悟




「はしだのりひことクライマックス」の花嫁が有名。
もちろん、リードボーカルの端田さんの歌で有名に。



作曲者の坂庭省悟さんが歌うと、こんなんなります。

弾き語りのこの「花嫁」もいいでしょう?と言うよりも、
オリジナル忘れるぐらい聴いたとたん、もー俄然イイし!


作詞きたやまおさむ。1971年に
「はしだのりひことクライマックス」はこの曲で、
紅白歌合戦に出場しました。

この想い。

この想い / 坂庭 省悟



 (2000年ぐらいのNHK大阪ホールらしいです。)






Tom Paxton - The Last Thing On My Mind (1966)



(願船寺保育園で粘土細工に没頭していた時代だなw)





どちらがどう、という問題ではゼンゼン無くて。。。


トム・パクストンのオリジナルもイイ。
そして、省悟さんの歌もギターもイイ、イイ
(´□`。) ...カッコエエ

省悟さんにはもっともっと歌って欲しかった。



どっちのバージョンもちゃんと歌えるようになりたいなぁ。

退屈


読了

五木寛之 【知の休日 - 退屈な時間をどう遊ぶか】


まいちょいす。

集英社 1999年12月





集英社新書判のシリーズ開始の本。今年、五木さんの本は「他力」再読して

ます。ちょっと時代を感じましたが、テーマである休日の過ごし方について。

10年余の月日は変わらないかな。・・・いや、やっぱりインターネットの存在

は大きいかなぁ。


寒さをしのぐために靴を履いて寝るというほどの赤貧時代もありながら、好き
な車も一時は8台を保有。時計や靴に一家言お持ちの五木さんは、年が変

わると御歳八十歳。当時、免許証の更新されていますが現在どうなのかなー。
もう運転されていないのかな。






“退屈”とはなんでしょう。



  することがなくて、時間をもてあますこと。また、そのさま。 (大辞泉) 




贅沢な時間の過ごし方。なにもしない時間。

視点を変えると、 時間のもてあまし=贅沢とも取れると思います。


普通に考える贅沢。例えば旅先の旅館(^∇^) 景観よければもうそれだけで

贅沢。陽の高いうちからお風呂に入って、浴衣にこの季節ならドテラを羽織っ

て、窓側の板敷き間にある籐かなんかで出来たリビングセットの椅子に腰か

けて、山並みでも水平線でも湯気昇る河川でもいいから視界の広い景色を

何も考えずに(ココ大事なところw)、ぼぅと眺めているという時間が過ごす。

とすれば、それがきっとイチバンの贅沢かなー。そう思います。

“退屈”に行く旅なんて最高(笑) なかなかできませんが。




時間をもてあましたくないから本を読むということなのかも知れません。

何かしていないともったいないってことだとけっこう、しみったれってことか!

 (^▽^;)


退屈したくない。時間をもてあますほど贅沢は無い、という意識があるみたい。

何もしないというのは、行動だけではなくて考えることもしない思考停止状態。
実際のところ、何も考えないっていうのはなかなかムズカシイ。

五木さんは、そんな完全に弛緩しきるような休日の過ごし方はイカンとおっしゃ

っています。

過度ではない適度な緊張の中で、頭も体も休めてまた迎える緊張、ストレスに

立ち向かっていきましょう!ということです。



あるべき、というウンチクも受け入れられるのは、相手によります。


五木さんならオッケーです(笑)

いったい何人と一緒に観たろう。


とりあえず撮影しましたので。   (´□`。) サムカッター


まいちょいす。


千葉県鎌ヶ谷からの皆既食最大のころ。


全国、お天気はよかったようなので、どこからでも

同じように観えたようですね。




メガピクセルとはいえ、ハンディカメラ。

とりあえず光学ズームは10倍。


我ながら、三脚なしでよく撮れました (^▽^;)







手振れ写真  (^▽^;)


まいちょいす。

・・・まるで、“ぶどう球菌”みたい。


まいちょいす。


マクロとミクロの世界。

手振れ写真も捨てたものじゃない。


仰ぎ見る天空の月と、

マイクロメートルの世界に何を見るか。



わたしたちは、

“どこ”に暮らしているのか。




ぽぽぽぽーん!


読了
宮澤章二 【行為の意味~青春前期のきみたちに】


まいちょいす。

ごま書房新社 2010年7月





詩集。初版が昨年の7月。手元の刷りは今年の5月で6刷目です。
読まれる方が多いのは、ACジャパンのコマーシャル。 “こころは

だれにも見えないけれど・・・”の影響でしょうね。3.11以降、TV

コマーシャルの自粛から、しばらくはACジャパンのメッセージが

頻繁に流されていて一種異様でした。ぽぽぽぽーん!とか、金子

みすずさんの“こだまでしょうか”など。完全に意識にすり込まれて

いるみたいです。


それでも少しずつ、つまらない番組も戻ってきて、合い間のACの
コマーシャルとの落差に、なんとも遣る瀬無い気持ちになったのを
思い出します。今や、コマーシャルだけではなく、番組にあっても

「詳しくはウェブで!」 なんてあたりまえに流れています。テレビは、

インターネットに随伴するメディアになっているんだなーとつくづく

思わされます。デジタル放送の利点をもっともっと、活かして欲しい

なぁと思います。・・テレビメディアはやっぱり強力ですけれど(^▽^;)





ティーンエイジャーへ向けた詩です。教材として学校でも使われて

いるんですね。平易なことばが選ばれているから、難なくスルッと
伝わってきます。オトナが読んでも全然いいでしょう。


後書きに代えて「使命」。ご子息の鏡一さんの散文は、本文のメッ

セージへの答酬であり、賞賛でもあります。お父様を“詩人”と指し

て、回想されています。すごくいい、後書きだなと。





  行為の意味 
                     宮澤章二




   あなたの〈こころ〉はどんな形ですかと


   ひとに聞かれても答えようがない


   自分にも他人にも〈こころ〉は見えない


   けれど ほんとうに見えないのであろうか



   確かに〈こころ〉はだれにも見えないけれど


   〈こころづかい〉は見えるのだ


   それは 人に対する積極的な行為だから



   同じように胸の中の〈思い〉は見えないけれど


   〈思いやり〉は だれにでも見える


   それも人に対する積極的な行為なのだから



   あたたかい心が あたたかい行為になり


   やさしい思いが やさしい行為になるとき


   〈心〉も〈思い〉も 初めて美しく生きる


   それは 人が人として 生きることだ




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ご縁があって、宮澤さんの詩を毎月一回は、“歌い”ます。

勤め先の社歌を作詞して頂いているからです (^∇^)