統一原理の生活化 -8ページ目

統一原理の生活化

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「信仰者なのに、こんな事をして」と言う人がいる。信仰者は善人で人格者だと思うのが普通の考え。相対的には、そう言える。

しかし善人になろうと思い信仰に入るのが通常なので善人ではない。信仰者は自分が善人ではないとわかっている事は偉いと思う。

こう言う言葉がある。「悪人が善人になるより、善人が悪人だと気づく方が難しい」

食口はどうだろう。堕落性を自覚しているだけでも良いかも。ところで食口にも色々な人がいる。とんでもない犯罪を犯す人もいる。

私達は歴史の結実体なので歴史の悪も受け継いでいる。祝福双にも使命がある。6500双は日韓の恩讐を清算する立場。6000双は人類歴史の結実である。

だから同じ6000双でもある人は善の歴史を担当する者、悪の立場を担う者、悲惨な悲しい部分を受け持つ者など色々ある。

その為に同じ祝福家庭なのに、なぜこんな悲惨な道を歩むのかと思う人もいる。表面を見ただけではわからない。

ある霊能者の話では刑事になる人の中には先祖がヤクザだった人が多いと。その為、異常に悪を憎みながら、一方では悪業をしたくなる心も起こると。

宗教家も同じだろう。代々立派な信仰者の血統もいれば、悪の清算の為、信仰に導かれた血統もある。その為、より善悪の矛盾で闘う。

自分の歴史的立場がわからなくても、どんな環境に送られても、人類歴史の代表として公義に生きる姿勢が必要。全てに感謝する時、初めて歴史上の恨みと怨みが解かれていくのだろう。
仏教では「嘘も方便」と言う話がある。法華経にある三車火宅の喩えから生まれた言葉である。ある長者が、火の燃えさかる家にいる三人の子供達にいくら「火事だ!出てこい!」と叫んでも出てこないので、嘘をついて、それぞれが好む羊車、鹿車、牛車を与えよう約束して出てきたという話。(話では出てきた子供たちにそれぞれに最も良い大白牛車を与えたとある)。

この説話で、長者の知恵で嘘をついたと言う話である。ガン患者にガンではないと伝えるのも嘘も方便。動機が善か悪かの問題としている捉え方である。

教会の中でもヤコブがエソウを騙したのも善の動機で神も認めていると言う考え方。私は嘘は善悪の問題以外の考え方も持っている。

嘘という漢字は「口と虚」と書くが虚は中身がないもの、実力がない、実が入っていないとなる。いわゆる「張子の虎」である。

原理的に考えると外的から内的になる。責任者の位置を与えて責任的な人間になる。条件を立ててから実体になるなど。

ヤコブはなぜエソウを騙してでも位置を奪ったのか?アベルとしてカインを復帰する人格も実力がなかったからである。そのままヤコブとエソウが一緒にいたら、イサクが亡くなる前に長子権を復帰できなかったかも知れない。その為、神も許可したのかも知れない。

しかし嘘をつくと言うのは、一時的には簡単に復帰てきる。しかし蕩減にはならない。その為、ヤコブはラバン叔父さんの所に行き、10度も騙されながら、苦労する中で人格を磨きアベルとなった。

何故10度も騙されたのか?これは1度の嘘の償いのため10倍蕩減で騙されるからだ。嘘は悪いと言うより、嘘をついて何かを上手くやっても、最終的には実質的な歩みをしないといけないのだ。

教会では良く条件的に勝利した立場に立てられるが、それでは最終的な勝利にはならない。氏族メシアも本来の勝利基準は430家庭の氏族を食口として自分が祝福する事になる。今は実体の時代であるので、実質的な基準を立てる事を認識するべきだと思う。



窪田順生さんの統一教会に関する本と、正論12月号が出たあたりから少しずつ世論の変化を感じる。

X(旧ツイッター)をやってるといろんな話を聞くが、統一教会の聖歌を聴いてモヤモヤしてた気分が晴れたので教会を信じるという人、バッシングをされてる最中でも会員になって喜んでる人、一番驚いたのは、小川さゆりさんの記者会見を見て、そして小川さんの本も読んで教会を訪ねて会員になったという人がいる。

ユーチューブでも、どう言う所かと教会を訪ねたり、清平に行ったりして、恐ろしい所と思ったが、普通の常識的で礼儀正しい人達だったと話す人達もいる。

またある食口の投稿によると、教会がこのような状況でも伝道は進んでおり会員が増えてると言っていた。本当かどうかは定かではないが。

教会には賛成をしないけど、政府の対応の仕方とかマスコミの執拗な報道などに世の中は疑問を感じ始めているようだ。

2024年からは外的に活動を始める時だから、外に向かって動き出そう。