矛盾の中に生きる信仰者 | 統一原理の生活化

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「信仰者なのに、こんな事をして」と言う人がいる。信仰者は善人で人格者だと思うのが普通の考え。相対的には、そう言える。

しかし善人になろうと思い信仰に入るのが通常なので善人ではない。信仰者は自分が善人ではないとわかっている事は偉いと思う。

こう言う言葉がある。「悪人が善人になるより、善人が悪人だと気づく方が難しい」

食口はどうだろう。堕落性を自覚しているだけでも良いかも。ところで食口にも色々な人がいる。とんでもない犯罪を犯す人もいる。

私達は歴史の結実体なので歴史の悪も受け継いでいる。祝福双にも使命がある。6500双は日韓の恩讐を清算する立場。6000双は人類歴史の結実である。

だから同じ6000双でもある人は善の歴史を担当する者、悪の立場を担う者、悲惨な悲しい部分を受け持つ者など色々ある。

その為に同じ祝福家庭なのに、なぜこんな悲惨な道を歩むのかと思う人もいる。表面を見ただけではわからない。

ある霊能者の話では刑事になる人の中には先祖がヤクザだった人が多いと。その為、異常に悪を憎みながら、一方では悪業をしたくなる心も起こると。

宗教家も同じだろう。代々立派な信仰者の血統もいれば、悪の清算の為、信仰に導かれた血統もある。その為、より善悪の矛盾で闘う。

自分の歴史的立場がわからなくても、どんな環境に送られても、人類歴史の代表として公義に生きる姿勢が必要。全てに感謝する時、初めて歴史上の恨みと怨みが解かれていくのだろう。