統一原理の生活化 -7ページ目

統一原理の生活化

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改めて思う事がある。私の祈りは間違っているのでは?

今の祈りは自分の名前で報告する祈り。「お願います」「導いてください」「助けてください」ではなく、「〜します」「〜しました」となる。

ところが、私の祈りは、いつの間にか「報告」から「お願い」になっていた。絶対善霊は言われなくても、地上人より真剣で、必死である。もう死んでいるが(笑)。

だから、お願いするのではなく、自分の歩みを報告すればいい。もし方向性が違えば、正しい方向へ導く。

そして今は復帰時代ではなく、創造本然の完成時代である。だから全ては成されている。創造前は無だったが、無の中に有があるから創造された。

現実は現れていなくても、既に成されている。
お父様は興南の時、完成された理想世界を見ながら作業に出られた。

だから祈りも「〜してください」でも「〜します」でもなく、「〜出来てありがとうございます」となる。

人間の5%を頑張りますではなく、神様の95%に感謝するのである。み言には「自分を主として、自分が動機となるときには5%の責任が必要であり、神様を主として動機となるときには5%の責任はないのです」とある。

理想世界実現に向けて必死で歩む苦労の道ではなく、完成した理想世界に向けて歩む楽しい道なのである。

最近、祈りを変えた。「〜勝利させてくださり、ありがとうございます」「明日も勝利させて下さる事に感謝です」と報告すると、心の中から笑顔と喜びが湧いてくる。

絶対信仰という言葉は厳しく感じるが、言葉を変えれば、「既に成された事に感謝する」となる。神様の全知全能に感謝するのみである。
(南蔵院の林覚乗住職の話)

何年か前、5月の連休中のこと、あるご夫婦がライトバンのレンタカーを借りて、佐賀から大分県の佐伯市を目指して出かけました。

佐伯市からは夜11時に四国行きのフェリーが出ていたからです。

有料道路も整備されていなかった時代なので、充分な時間の余裕をもって出かけたつもりでしたが、迷いに迷ってしまい、大分の湯布院に着いたときは、夜の9時でした。


ご主人はこれでは間に合わないとあせって、大分南警察署に飛び込み、佐伯までの近道を聞きました。

警察官は「我々、大分の慣れた人間でも、佐伯までは距離があり、山道で複雑なので、道に迷ったり、事故にあうかもしれません。

今晩はあきらめて、ゆっくりここへ泊まり、明日出かけたらどうですか?」とアドバイスしました。

しかし、ご主人は「それは、できません。実は、私たちの19歳になる娘が、高知県でウインドサーフィンをやっている最中に溺れて亡くなった、という知らせを今日受けたのです。

生きた娘に会いにいくのなら、明日でもいいのですが、死んでしまった娘ですから急いで駆けつけてやりたいのです」と正直に事情を話しました。

それを聞いた、警察官はそういうことなら「全力をあげて、何とか努力だけはしましょう」と言いました。

そして、すぐにフェリーの会社に電話をし、事情を説明して、出港を待って欲しいと頼んだが「公共の乗り物でもあるし、キャンセル待ちが何台もあり、難しい。とにかく10時半までには来て下さい」と断られたと言いました。

そのやり取りをしている間、もう一人の警察官が署長に了解を取り、車庫のシャッターをあけ、しまってあったパトカーを出してきました。そして、赤色灯をつけ、レンタカーの前にぴったりつけ「今から、この車をパトカーで先導します。

このレンタカーの運転もベテランの警察官が運転しますので、ご夫婦は後ろの席にかわってください」と言いました。そして、ものすごいスピードで大分市内まで降りてきて、
「我々はここから先は送れませんが、とにかくこの10号線をまっすぐに南に下ってください。そうしたら佐伯に必ず出られます。どうか、頑張って運転してください」と言って、敬礼をして戻って行きました。

佐伯に着くと、警察官の再三再四の要請に、船会社も動いてくれ、一台分のキャンセル待ちのスペースを空けて待っていてくれました。

そして、フェリーになんとか乗ることができ、娘さんの遺体を収容して帰ってくることができました。

娘さんを亡くされたご夫婦は、その後何日間かは、あまりの悲しみで呆然とし、何もできませんでした。

しばらくして、気持も落ち着き、「あの時、もし船に間に合わなかったら、どんな気持で一日待っただろうか」と思うと、いてもたってもいられなくなり、大分南警察署にお礼の手紙を出した。

そして、その手紙で、皆の知るところとなった、そのときの若い警察官は表彰され、こう言ったといいました。

「我々だけじゃないと思いますが、人と人との出会いは損か得かじゃありません。損か得かだったら、こういうことは一歩も進みませんから」




(介護士の知人より)

「ニルマル・ヒルダイ(清い心の家)」には死を待つ人の家と呼ばれ、多くのインドスラム街から送られてきた患者五万人。

市民はそれでも反対した、ヒンズー教徒をカトリックに改宗させているに違いないと。

警察所長もそうだと考えていたから立ち退ぞかせるためにやってきた。
マザー・テレサやシスターたちはおかまいなく仕事をしていた。

死んだ人を綺麗に洗いその人の宗教でお祈りして埋葬していたのに驚いたのでした。

シスターたちはいろんな宗教のお祈りを勉強していたのです。

またヒンズー教の僧侶がコレラで死んだので道端に放置していたのをマザーはかついで帰っていったのです。

警察所長は市民にいったのです、マザーを追い出しましょう。

しかし、君たちの母さんか娘さんが代わりをしてくれたらと条件をつけたら皆だまって帰っていったのでした。