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熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

日本人精神を復古させ、日本人が真のリーダーシップを発揮し、世のため人のため活躍出来るよう、語学教育とリーダーシップ研修を通して皆様と大きな力を作り上げていく熱血講師 ショーン・近藤の公式ブログです!

私達は、毎年815日終戦の日には、どこかのテレビ局が終戦の日を特集していて、先の大戦いついて顧みる機会を持っています。この時、たいてい昭和天皇の終戦の詔勅を聞きます。所謂、玉音放送ですね。

 

皆さんが聞いたことがあるのは、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び~」の一節だと思います。でも、この節は、終戦の詔勅の中盤のほんの一節です。

 

終戦の詔勅があるということは、開戦の詔勅があるのです。

 

物事には、始まりがあって終わりがあるのです。

 

開戦の詔勅で昭和天皇は何を述べられていたのかを振り返ってみましょう。

天皇の御言葉は、かなり難しいため、現代訳にて見ていきましょう。

 

 

開戦の詔勅

 

「神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

 

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

 

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

 

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。

 

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

 

まことにやむをえない事態となった。

 

このような事態は、私の本意ではない。 

 

中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

 

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。

 

帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

 

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

 

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

 

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

 

ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

 

皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 

昭和16128日」

 

 

皆さん、いかがでしたか?この開戦の詔勅の天皇の御言葉に全てが詰まっているのではないでしょうか?

 

多くの日本人は、この詔勅を耳にする機会も読む機会もありません。これも米国の策略です。でも、これが、本当の日本が戦争を行わなければならなかった理由なのです。私達は、これを機に、様々歴史を学び直す必要があるのです。そして、日本人としての誇りを取り戻し、先の大戦でお亡くなりになった英霊の勇気・勇敢さ・慈愛・責任感そして愛国心を称え、彼らの万分の一の想いでもいい、それを持って国の為、人の為に努力していくことが重要なのではないでしょうか。

 

愛を知り、共に弥栄える道を私達は探る必要があるのです。私達は、精神性を取り戻し、リーダーシップを発揮して、友愛の世界を作っていかなければならないのです。

 

 

今日は文化の日。

 

 

私達の文化を振り返ってみれば、その根幹には「和」の精神があります。「和」の精神を尊んできたが、その想いを曲げなければならなかった天皇の御言葉を今日は胸に抱いて、日本の歴史と先人に想いを馳せていただきたいと思います。

 

 

続く

さて、前回までABCD包囲網についてお話を進めて参りました。日本に対する米国主導の経済制裁包囲網です。この制裁によって日本は息をするのがやっとの状態に追い詰められていました。この包囲網は、日中戦争勃発後に発効されます。つまり、1937年頃から1941年までに紆余曲折を経て完成されるのです。鉄、ゴム、そして石油といった資源が全く輸入できない状態でした。

 

日本は、西欧列強からのアジアの独立と人種差別撤廃を考えていましたので、これから日本が生き残っていくためには、日本がリーダーシップを握って、植民地化されているアジアの国々と共に立ち上がり、一致団結して独立を勝ち取っていく道しか残されていないと考えるようになっていったのです。

 

この考えが、大東亜共栄圏に繋がっていったのです。この考えの根本には、「八紘一宇」というものがあります。これは、「多様な世界を一つの家のように統一する」といったものです。そして、大東亜共栄圏の構成の為、日本は戦っていくことになるのです。

 

そうしなければ、生きていくことが出来なかった。自衛の為の戦いだったのです。

 

そこに米国から、最後通牒とも言われる「ハルノート」が突き付けられました。

 

日本は、この最後通牒を受け取る前、約8か月間、米国政府と戦争回避のための交渉を続けていたのです。何とか戦争を回避しないと本当に日本は亡国となる、と考えられていたからです。特に、政府高官や、陸軍海軍の当時の将軍や高級将校は、外国に留学し、外国の国力をつぶさに見てきていましたから、米国との戦争には反対しておりました。かの、山本五十六閣下や皆さんもよくご存じの映画「硫黄島からの手紙」で有名になった栗林中将などは、米国をその目で見てきているため、国力の差を本当に知っていました。これら知米将校は、開戦反対の為に動いていたのです。

 

天皇陛下も同様で、何とか戦争回避を考えられておりました。

 

しかし、ハルノートが来たのです。これは、当時の米国国務長官ハルが出してきたものです。しかし、このハルノートを作成したのは、ハリーホワイトという人物で、彼はソ連のスパイでした。

 

その内容は、以下の通り。

 

1 日本軍の支那、仏印からの完全撤退

2 支那における蒋介石政府以外の政府の否定(日本が支援していたのは南京国民政府)

3 日独伊三国同盟の死文化

 

これは、日本にとって飲めない要求ばかりでした。つまり、米国は中国大陸での覇権を握るため日本が邪魔だったのです。従って、邪魔者の排除のための第1・2項です。そして、同盟国と協調も許さない、といった3項目です。日本は、この最後通牒を受け取るまでの交渉で、自由貿易の受容を米国に求めてきました。それが許容されるのであれば、日本は、軍を大陸や仏印から撤収させるという条件を提示してきたのです。しかし、米国は、あまりに自己中心的な回答しか日本に提示してきませんでした。つまり、日本に対し、「明治維新前の日本に戻れ」という一方的な命令です。

 

日本は、人種差別と闘い、西欧列強の侵略に対抗するため、そして世界と肩を並べるために必死に努力し、そして多額のお金をかけ、日本を近代化し、そして人民を教育してきました。また、多くの有能で勇敢な武士道精神を宿した日本兵を戦いの中で失ってきたのです。これまでの努力があって、世界が日本に対し一目置くようになり、人種差別撤廃の第一歩を踏むことが出来るところまで来たのです。

 

しかし、米国は、それを許さなかったのです。「いやいやいや、日本は侍の時代に戻りなさ~い。」という命令を出してきたのです。更に小賢しいことに、経済制裁に関する文言は一切ありません。つまり、このハルノートの要求を日本が飲んでも、経済制裁解除をしてくれる保証は全くなかったということです。

 

これを、受け政府はもめにもめました。結論、「事態ここに至る。座して死を待つより、戦って死すべし。」となったのです。

 

勿論、これは米国の罠です。米国の世論としては、「戦争不参加」でした。大恐慌からようやく立ち直りかけていたからです。しかし、米国は首脳陣は、盟友英国がドイツにやられて大ピンチの時に助けるためにはどうすればよいか、思案を巡らせていました。ドイツの同盟国、日本を挑発し、日本に先制攻撃をさせ、大義名分が成ったのを見計らって戦争突入し、英国を助け、ドイツ、日本を打倒しようと考えていたのです。

 

日本を取り巻く状況はかなり複雑で、米国の思惑、ソ連の覇権構想、英国の苦境、ドイツの暴走、等々様々な思惑があったのです。

 

日本は、ナイーブだったのです。しかし、信義を貫いていく国家の道を歩んでいたのです。でも、西欧列強の狡猾な罠に落ちたのです。そして真珠湾攻撃に進んでいったのです。これも決してだまし討ちではありませんでした。しかし、わざと米国はだまし討ちにされたという状況を作為したのです。最後に掲げたのは「リメンバー・パールハーバー」です。米国は、それまで「リメンバーアラモ(テキサス州サンアントニオ)」とか、いつも「リメンバー~」で戦争を始めてきた歴史があります。そこで国民の感情をコントロールし、大義名分をもって戦争をしかけていったのです。

 

これってどうなんですか?

 

私は、米国で沢山のことを学ばせていただきました。また、善良な米国の友人を沢山持つこともできました。人々や学びには感謝しております。米国の度量にも感謝していますが、米国がやってきたことには複雑な感情も持っています。国を悪い方向に動かしているフィクサーがいました。今でもいます。そのフィクサーによって、日米は悲しい道を歩んだのです。

 

続く

 

 

さて、前回、帝国陸軍は援蒋ルートの遮断を狙い南方へ展開していったというお話をしました。

 

この援蒋ルートは、世にも複雑怪奇な補給幹線でした。この幹線、米国と蒋介石の思惑が入り混じって出来上がったものだったのです。本来、蒋介石は、孫文の作った中華革命党(中国の近代化を日本と共に成立させることが大目的)の流れを汲み中国国民党を立ち上げ、孫文の思想を受け継ぎ中国の近代化に奮闘するかに思われていました。しかし、蒋介石は、自分の権力基盤を確実なものにするために内戦を繰り返し、自分の権力強化に励む始末。結局、近代化は遠のいてしまったのです。そんな、蒋介石を毛沢東率いる共産党が彼を捕まえます。蒋介石は、ソ連のコミンテルンの指示により、助命され、結果、本来手を組むはずであった日本と戦うことになったのです。彼は、日本とは戦いたくはありませんでした。本当は、憎き共産党を打倒したかったのです。しかし、それが出来ない状況であるため、蒋介石は日本との戦いを餌に米国から支援を受け続け、力を蓄えることにしたのです。蒋介石は、ことあるごとに米国に対し、「日本と手を握るぞ!」と脅し、散々支援を引き出していったのです。

 

アメリカは、蒋介石を応援することによって、日本を中国大陸から排除し、中国における覇権を握ろうと考えていました。この時代、米国はまだソ連の共産党の力と思惑に対し脅威を抱いてはおりませんでした。脅威を感じていたのは日本に対してです。清に勝ち、露西亜に勝った日本は脅威の的でした。日本が満州国を建国したときは、まだ米国も黙っていたのです。

 

何故か?

 

満州国は、万里の長城より北の地域だったからです。

 

しかし、日本は、万里の長城を超えて南進してきました。せざるを得なかったのです。それは、中国共産党の思惑で蒋介石率いる国民党と戦わなければならなかったからです。日本は、様々な思惑に踊らされていたのです。

 

日本は、そのような思惑を何とか断ち切り、西欧列強の占領政策からアジアを守ろうと奮闘していました。蒋介石が起こした内戦や内乱の後片づけをし、そして人民解放軍として、中国国民を助け、復興支援作戦を展開し、中国国民の協力を得て、近代化に励んでいました。しかし、いくら奮闘しても蒋介石は力尽きません。また、その後ろには共産党がいます。日本軍も探りを入れ、情報収集し、援蒋ルートの存在を知り、その遮断を視野に入れ更なる南方展開作戦を立案します。日本は、フランス領であったベトナムに軍を進駐させました。これは、フランス政府から許可を取っての行動です。しかし、米国は、この日本軍の南下について抗議し、最終的に、アメリカ、イギリス、中国、オランダによるABCD包囲網を設定しました。これは、アメリカ主導による経済制裁です。今の北朝鮮も同じような状況に陥っています。日本は、この経済制裁により海外からの資源輸入が断たれ、自国の存亡が危うくなるほどのものでした。

 

この経済制裁によって日本の経済状況は最悪のところまで落ちていったのです。まさに、死ぬ寸前です。今も米国主導で経済制裁は行われますが、当時日本に対して行ったほどではありません。当時の米国は、本気で日本を潰しにかかっていたのです。それほど、憎い存在だったのです。白人ではない黄色人種ごときが、何故、ここまで覇権を広げているのか?許されるものではなかったのです。はっきり言っていじめ以外の何物でもありません。

 

最終的に、日本は戦争に負けます。しかし、米国は、国際法である戦争法規を無視する一般市民に対する攻撃を幾度もしかけてきました。市街地に対する攻撃は禁止されているのも関わらずです。米国は、勝つためには手段を選びません。原爆投下などもっての他です。米国は、自分たちがしてきたことを正当化することは出来ないのです。従って、東京裁判などは茶番であり、また、戦勝国が勝手に言っているA,B、C級戦犯など甚だおかしいことなのです。日本の存亡の為に命を賭けて戦った人々をそのように裁くことなど通常あってはならないことなのです。アメリカは、ことあるごとにアメリカの正当性を主張する手段としてメディアを使い、そして教育を曲げ、自虐歴史観を日本人に植え付けていきました。それを、今の70代以下の日本人は信じ、「日本は悪徳国家で侵略国家であった。先人達は、無実の他国の人々を殺戮した残虐な人間だった」と。

 

いつまでも、そんなのを信じてはいけません。罠を見抜き、今一度本当の歴史を知り、日本の先人達の武士道を根幹としたリーダーシップを学ぶべきです。勿論、戦時の究極な状況において、全ての日本軍人が素晴らしい行動をしていたとは言いません。しかし、多くの軍人は、礼節を重んじ、義をもって忠誠を尽くし、国の為、郷土の為、家族の為、またアジアの為、彼らは戦っていったということを知らなければならないのです。この事実をきちんと理解していれば、我々、現代を生きる日本人は、今の自由を謳歌できる幸せを感謝して靖国神社に詣で、手を合わせることを自然にできなければならないのです。

 

続く