さて、前回までABCD包囲網についてお話を進めて参りました。日本に対する米国主導の経済制裁包囲網です。この制裁によって日本は息をするのがやっとの状態に追い詰められていました。この包囲網は、日中戦争勃発後に発効されます。つまり、1937年頃から1941年までに紆余曲折を経て完成されるのです。鉄、ゴム、そして石油といった資源が全く輸入できない状態でした。
日本は、西欧列強からのアジアの独立と人種差別撤廃を考えていましたので、これから日本が生き残っていくためには、日本がリーダーシップを握って、植民地化されているアジアの国々と共に立ち上がり、一致団結して独立を勝ち取っていく道しか残されていないと考えるようになっていったのです。
この考えが、大東亜共栄圏に繋がっていったのです。この考えの根本には、「八紘一宇」というものがあります。これは、「多様な世界を一つの家のように統一する」といったものです。そして、大東亜共栄圏の構成の為、日本は戦っていくことになるのです。
そうしなければ、生きていくことが出来なかった。自衛の為の戦いだったのです。
そこに米国から、最後通牒とも言われる「ハルノート」が突き付けられました。
日本は、この最後通牒を受け取る前、約8か月間、米国政府と戦争回避のための交渉を続けていたのです。何とか戦争を回避しないと本当に日本は亡国となる、と考えられていたからです。特に、政府高官や、陸軍海軍の当時の将軍や高級将校は、外国に留学し、外国の国力をつぶさに見てきていましたから、米国との戦争には反対しておりました。かの、山本五十六閣下や皆さんもよくご存じの映画「硫黄島からの手紙」で有名になった栗林中将などは、米国をその目で見てきているため、国力の差を本当に知っていました。これら知米将校は、開戦反対の為に動いていたのです。
天皇陛下も同様で、何とか戦争回避を考えられておりました。
しかし、ハルノートが来たのです。これは、当時の米国国務長官ハルが出してきたものです。しかし、このハルノートを作成したのは、ハリーホワイトという人物で、彼はソ連のスパイでした。
その内容は、以下の通り。
1 日本軍の支那、仏印からの完全撤退
2 支那における蒋介石政府以外の政府の否定(日本が支援していたのは南京国民政府)
3 日独伊三国同盟の死文化
これは、日本にとって飲めない要求ばかりでした。つまり、米国は中国大陸での覇権を握るため日本が邪魔だったのです。従って、邪魔者の排除のための第1・2項です。そして、同盟国と協調も許さない、といった3項目です。日本は、この最後通牒を受け取るまでの交渉で、自由貿易の受容を米国に求めてきました。それが許容されるのであれば、日本は、軍を大陸や仏印から撤収させるという条件を提示してきたのです。しかし、米国は、あまりに自己中心的な回答しか日本に提示してきませんでした。つまり、日本に対し、「明治維新前の日本に戻れ」という一方的な命令です。
日本は、人種差別と闘い、西欧列強の侵略に対抗するため、そして世界と肩を並べるために必死に努力し、そして多額のお金をかけ、日本を近代化し、そして人民を教育してきました。また、多くの有能で勇敢な武士道精神を宿した日本兵を戦いの中で失ってきたのです。これまでの努力があって、世界が日本に対し一目置くようになり、人種差別撤廃の第一歩を踏むことが出来るところまで来たのです。
しかし、米国は、それを許さなかったのです。「いやいやいや、日本は侍の時代に戻りなさ~い。」という命令を出してきたのです。更に小賢しいことに、経済制裁に関する文言は一切ありません。つまり、このハルノートの要求を日本が飲んでも、経済制裁解除をしてくれる保証は全くなかったということです。
これを、受け政府はもめにもめました。結論、「事態ここに至る。座して死を待つより、戦って死すべし。」となったのです。
勿論、これは米国の罠です。米国の世論としては、「戦争不参加」でした。大恐慌からようやく立ち直りかけていたからです。しかし、米国は首脳陣は、盟友英国がドイツにやられて大ピンチの時に助けるためにはどうすればよいか、思案を巡らせていました。ドイツの同盟国、日本を挑発し、日本に先制攻撃をさせ、大義名分が成ったのを見計らって戦争突入し、英国を助け、ドイツ、日本を打倒しようと考えていたのです。
日本を取り巻く状況はかなり複雑で、米国の思惑、ソ連の覇権構想、英国の苦境、ドイツの暴走、等々様々な思惑があったのです。
日本は、ナイーブだったのです。しかし、信義を貫いていく国家の道を歩んでいたのです。でも、西欧列強の狡猾な罠に落ちたのです。そして真珠湾攻撃に進んでいったのです。これも決してだまし討ちではありませんでした。しかし、わざと米国はだまし討ちにされたという状況を作為したのです。最後に掲げたのは「リメンバー・パールハーバー」です。米国は、それまで「リメンバーアラモ(テキサス州サンアントニオ)」とか、いつも「リメンバー~」で戦争を始めてきた歴史があります。そこで国民の感情をコントロールし、大義名分をもって戦争をしかけていったのです。
これってどうなんですか?
私は、米国で沢山のことを学ばせていただきました。また、善良な米国の友人を沢山持つこともできました。人々や学びには感謝しております。米国の度量にも感謝していますが、米国がやってきたことには複雑な感情も持っています。国を悪い方向に動かしているフィクサーがいました。今でもいます。そのフィクサーによって、日米は悲しい道を歩んだのです。
続く