大東亜戦争への道 その5(援蒋ルート遮断~ABCD包囲網) | 熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

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さて、前回、帝国陸軍は援蒋ルートの遮断を狙い南方へ展開していったというお話をしました。

 

この援蒋ルートは、世にも複雑怪奇な補給幹線でした。この幹線、米国と蒋介石の思惑が入り混じって出来上がったものだったのです。本来、蒋介石は、孫文の作った中華革命党(中国の近代化を日本と共に成立させることが大目的)の流れを汲み中国国民党を立ち上げ、孫文の思想を受け継ぎ中国の近代化に奮闘するかに思われていました。しかし、蒋介石は、自分の権力基盤を確実なものにするために内戦を繰り返し、自分の権力強化に励む始末。結局、近代化は遠のいてしまったのです。そんな、蒋介石を毛沢東率いる共産党が彼を捕まえます。蒋介石は、ソ連のコミンテルンの指示により、助命され、結果、本来手を組むはずであった日本と戦うことになったのです。彼は、日本とは戦いたくはありませんでした。本当は、憎き共産党を打倒したかったのです。しかし、それが出来ない状況であるため、蒋介石は日本との戦いを餌に米国から支援を受け続け、力を蓄えることにしたのです。蒋介石は、ことあるごとに米国に対し、「日本と手を握るぞ!」と脅し、散々支援を引き出していったのです。

 

アメリカは、蒋介石を応援することによって、日本を中国大陸から排除し、中国における覇権を握ろうと考えていました。この時代、米国はまだソ連の共産党の力と思惑に対し脅威を抱いてはおりませんでした。脅威を感じていたのは日本に対してです。清に勝ち、露西亜に勝った日本は脅威の的でした。日本が満州国を建国したときは、まだ米国も黙っていたのです。

 

何故か?

 

満州国は、万里の長城より北の地域だったからです。

 

しかし、日本は、万里の長城を超えて南進してきました。せざるを得なかったのです。それは、中国共産党の思惑で蒋介石率いる国民党と戦わなければならなかったからです。日本は、様々な思惑に踊らされていたのです。

 

日本は、そのような思惑を何とか断ち切り、西欧列強の占領政策からアジアを守ろうと奮闘していました。蒋介石が起こした内戦や内乱の後片づけをし、そして人民解放軍として、中国国民を助け、復興支援作戦を展開し、中国国民の協力を得て、近代化に励んでいました。しかし、いくら奮闘しても蒋介石は力尽きません。また、その後ろには共産党がいます。日本軍も探りを入れ、情報収集し、援蒋ルートの存在を知り、その遮断を視野に入れ更なる南方展開作戦を立案します。日本は、フランス領であったベトナムに軍を進駐させました。これは、フランス政府から許可を取っての行動です。しかし、米国は、この日本軍の南下について抗議し、最終的に、アメリカ、イギリス、中国、オランダによるABCD包囲網を設定しました。これは、アメリカ主導による経済制裁です。今の北朝鮮も同じような状況に陥っています。日本は、この経済制裁により海外からの資源輸入が断たれ、自国の存亡が危うくなるほどのものでした。

 

この経済制裁によって日本の経済状況は最悪のところまで落ちていったのです。まさに、死ぬ寸前です。今も米国主導で経済制裁は行われますが、当時日本に対して行ったほどではありません。当時の米国は、本気で日本を潰しにかかっていたのです。それほど、憎い存在だったのです。白人ではない黄色人種ごときが、何故、ここまで覇権を広げているのか?許されるものではなかったのです。はっきり言っていじめ以外の何物でもありません。

 

最終的に、日本は戦争に負けます。しかし、米国は、国際法である戦争法規を無視する一般市民に対する攻撃を幾度もしかけてきました。市街地に対する攻撃は禁止されているのも関わらずです。米国は、勝つためには手段を選びません。原爆投下などもっての他です。米国は、自分たちがしてきたことを正当化することは出来ないのです。従って、東京裁判などは茶番であり、また、戦勝国が勝手に言っているA,B、C級戦犯など甚だおかしいことなのです。日本の存亡の為に命を賭けて戦った人々をそのように裁くことなど通常あってはならないことなのです。アメリカは、ことあるごとにアメリカの正当性を主張する手段としてメディアを使い、そして教育を曲げ、自虐歴史観を日本人に植え付けていきました。それを、今の70代以下の日本人は信じ、「日本は悪徳国家で侵略国家であった。先人達は、無実の他国の人々を殺戮した残虐な人間だった」と。

 

いつまでも、そんなのを信じてはいけません。罠を見抜き、今一度本当の歴史を知り、日本の先人達の武士道を根幹としたリーダーシップを学ぶべきです。勿論、戦時の究極な状況において、全ての日本軍人が素晴らしい行動をしていたとは言いません。しかし、多くの軍人は、礼節を重んじ、義をもって忠誠を尽くし、国の為、郷土の為、家族の為、またアジアの為、彼らは戦っていったということを知らなければならないのです。この事実をきちんと理解していれば、我々、現代を生きる日本人は、今の自由を謳歌できる幸せを感謝して靖国神社に詣で、手を合わせることを自然にできなければならないのです。

 

続く