お葬式手配 | Lancashire スローライフ

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今まで、イギリスに来てから、私は、かなりお葬式には参列してきました(親戚やボンの知り合い等既に8回程で、今回が9回目かな?)が、お葬式の段取りをする側になったのは、今回が初だったので、少しだけ記録の為にも残しておこうと思います。

 

①葬儀屋さんの手配。

私達の住む町のうちからも近いところに2軒、葬儀屋があり、オンラインの評判が良かった1軒に行ってみました。

実は、私もボンももう1軒は、昔からあるのを知ってたんですが、評判の良かった方は知らず、予約して行ってみたら、2年前にオープンしたとか。

それで、あ〜、そう言えば、コロナ禍で、かなりの人が亡くなってた頃、家に葬儀屋の広告が入ってた事があって、こんな時期に葬儀屋オープンで、広告入れるって、なんか気分良くないねってボンと話した事を思い出し、実はその葬儀屋でしたあせる

たまたまオープンしようと準備してて、コロナ禍になってしまい、最初は、あまり宣伝もできずにオープンしたての頃は、ちょっと大変だったと言ってました。

こちら、女性の葬儀屋さんですが、家族にプレッシャーをかけずに寄り添ってくれながら、わからない事等は、色々教えてくれるし、こちらでできない事は、代わりにやってくれると言った感じ。

 

まずは、どんなお葬式にしたいのか?どこでするか?

(土葬か火葬か?宗教色の強い物か弱い物か?教会か火葬場か?)

故人がどんな人だったのか?

教会式ではなく、火葬希望で、火葬場でのお葬式で、牧師さんではなく、執行者に頼んでの執行司祭と言う形のお葬式をする事になり、この葬儀屋さんが手配してくれた執行司祭であるクレアと言う女性が担当してくれ、後日うちに来て、打ち合わせをしました。

火葬場もうちから近いところだとプレストンと郊外に1つあったのですが、今までプレストンの火葬場には何度か行ってるので、そちらの方が馴染みがあると言う事で、プレストンの火葬場を手配してもらいました。
 

(お花は、ママの葬儀で使った物)

 

②死亡確認。

ママが亡くなった翌日にすぐ病院のGrief and Breavementとかというところから電話があり、ママの死亡確認等され、もしかすると死亡解剖(皮下血腫ができてたので)が必要になりそうな話をされましたが、翌々日に別の人から電話があって、CTスキャンの結果からも死因は明らかだと言う事で解剖はなくなり、その日のうちにレジストリーオフィスに死亡診断書を送付できると思うと言う話でした。

週末だったので、結局は月曜の夕方に電話が来たけど、ボンがその電話を受けられず、折り返し電話したけど、その日は繋がらず。

結局、翌日火曜の昼頃にレジストリーオフィスから電話があって、死亡診断書ができたから、取りに来る日を予約と言う事で、翌日の水曜の午後に予約し、取りに行きました。

ママが亡くなってから、ちょうど1週間後でした。

 

ママの死亡診断書に書かれていた死因が、一つじゃなかったのが興味深かったです。

死因Ⅰ:肺炎、脳血管性認知症

死因Ⅱ:コロナ感染、皮下血腫、過去の脳溢血による身体の衰え

こんな風に書かれてました。

日本だと死因って通常、1つかと思うんですが、こちらは、関連のある事は全て記入すると言う感じの様です。

 

そして、死因の一番の原因が肺炎と脳血管性認知症と言う事だったんですが、元々救急車で病院に運ばれたのが、体調を崩し、もどした物を誤嚥(食べ物や飲み物が間違って器官に入ってしまうこと)したからだったので、その誤嚥は、認知症に因るものが大きいと言う事の様です。

 

その次にコロナ感染、そしてコロナ感染から皮下血腫ができた事、後は35年前位に脳溢血で倒れ、それ以来、左半身に麻痺が残っており、身体が弱ってたと言う事も今回の死因になってました。

 

ママの死因は、私達は、コロナ感染したから、肺炎になって、こういう結果になったと思ってましたが、この死亡診断書では、コロナ感染よりも肺炎、認知症が一番の原因になってたのが興味深かったです。

 

そして、この死亡診断書は、なんと1通£11と有料でした。

官庁等への知らせは自動で行われる様なので、住民登録?年金等の手続きは、自動で解約される様です。

この死亡診断書は、遺産相続や生命保険等に必要かと思います。

うちは、この死亡診断書を持って、銀行に行き、ママの口座を閉じる位かな?と。

 

 

③遺体引き取り。

葬儀屋さんからは、死亡診断書ができたら、グリーンフォームと言うのが取れるので、それをすぐに欲しいと言われてました。

そのグリーンフォームをもらって、遺体を病院の安置所から、葬儀屋さんに移送する事ができる様になるとの事。

レジストリーオフィスで、葬儀屋の手配済みで、どこの葬儀屋かを伝えて、そのグリーンフォームを直接葬儀屋さんにe-mailで送ってもらいました。

その翌日、葬儀屋さんから、遺体が葬儀屋さんに無事に移送された事を確認しました。

 

 

④執行司祭クレアとの打ち合わせ

クレアがうちに来てくれて、打ち合わせをしましたが、彼女、まだ若く20代後半か30代前半と言う感じですが、実は、牧師さんの資格も持ってる人なんだそうです。

今回は、Celebrantと言う形で宗教色の強くないお葬式の進行を頼みましたが、彼女は、牧師の資格を持ってるので、どちらのお葬式でも対応できる様です。

まずは、ママがどんな人だったのか?

お葬式の段取りを相談し、Eulogyは誰が書いて、誰が読み上げるか?

(これは、ボンが書いて、クレアに送って、少し修正が入って、当日は、クレアに読んでもらいました。)

そして、家族等が個人の思い出を語って、詩を読んでもらったりするといいと言う事で、詩は、ボンの従姉が読んでくれる事になり、叔母と従姉で詩を選んでくれました。

最初は、ママとの思い出は、歌を歌ってくれたRに頼んでて、思い出を語って、歌を歌ってもらうと言う話もしてたんですが(やはり親族だと感傷的になって、最後まで読めなくなったりする事も多いので)、最終的には、別のボンのスクールフレンドが子供の頃の思い出を語ってくれる事になって、それが、ママがまだ脳溢血で倒れる前の元気な時の事だったので、すごく良かったかなと。

私も知らないママでした。

 

(今回、花瓶が足りず、あまり出番のなかったこちらの花瓶も使ってみました)

 

 

⑤お葬式準備

後は、お葬式で使う棺桶を決めたり、お花をどうするか?、こちらでは日本で言う香典と言うのはないのですが、故人にお花を贈りたい等という人からお花を受け付けたり、お花は受け付けないけど、その代わりに寄付団体に寄付をしてもらうと言う形を取るのが一般的で、私達は、お花は家族のみで、後は寄付してもらう形にしました。

(これが、一般的の様です)

今回は、ボンの知り合いTが、ウクライナへの支援でボランティアしてると言う事で、ウクライナ支援への寄付にする事にしました。

今回は、お葬式に参列できなかった友人達や参列してくれた人からも沢山の寄付金を戴きました。

Tは、リヴァプール在住ですが、パートナーがポーランド人で、ウクライナからのポーランドへの難民支援の為に現在、ポーランドに行って、難民支援をしているので、その彼にこの寄付金は送ります。

ウクライナから逃避してきてる方々が、戦争が終わって落ち着くまで仮生活している施設があって、そこでの食費や生活必需品に充ててもらおうと、その施設に寄付する事になりそうです。

 

それとお葬式で使うミュージックを3曲、私達で選ぶ事。

最初に棺が入場する時の曲、式の間で1曲、最後のお別れの時の曲と3曲選んで欲しいと言われました。

これが、実は決めるのに一番時間がかかったかもしれません。

ママが好きだった曲が幅広く、叔母・叔父達に相談したら、みんなバラバラキョロキョロ

Youtube等で、歌詞も見ながら、曲を聞いて、歌詞はいいけど、曲調が違うかな?とか色々。

でも、最終的には、上手く選曲できてた気がします。

 

 

特に式の途中の1曲は、友達に歌ってもらった曲ですが、これは、本当に聞き応えもあったし、参列者達からも大好評で、歌ってくれたお友達にも感謝です。

 

(叔母がくれたバタフライラベンダー)

 

⑥ママとご対面

お葬式の数日前、葬儀屋さんに収容されてるママと最後のご対面を済ませてきました。

日本では、告別式に出棺する前にお棺を開けて、故人の棺にお花を入れたりして、故人の顔を見ますが、こちらではお葬式では、棺を開ける事はないので、故人の顔は見る事なく、終わるので、ボンは、今回初めて、死んだ人とご対面したと言ってました。

葬儀屋さんから、ママに着せたい服があれば(生前、気に入ってた服等)持って来て欲しいと、もしなければ、ガウンを着せる事もできると言われてたんですが、私達は、ケアホームでも着てた服をママに着せてもらう様に事前に持って行ってたので、その服を着て、安らかな顔をして眠ってました。

まるで、私達がケアホームに会いに行った時に、眠ってる様で、少し待ってたら、今にも目が開きそうな感じでした。

ボンもお葬式準備をしていても意外と元気にして、友達と笑ったりできてましたが、やはりご対面した時は、ちょっとこみ上げてくる感情があった様ですが、最後にご対面してきて良かったと。

最後に病院で会ったママは、ちょっと辛そうだったから、その姿より、安らかな顔をして眠っているママを見れて、なんかホッとした様です。

 

叔母がくれたバタフライラベンダーは、フレンチラベンダーとも言われてると思います。

祖父(ママの父)が急死し、それから1週間、祖母の家の窓のところにバタフライが毎日やって来て、祖母には、それがお祖父ちゃんだったと。それ以来、祖母がバタフライ好きで、バタフライの物を好む様になり、家族間でもバタフライの付いた物等をプレゼントとかする様になってました。

祖母が亡くなった後、兄弟姉妹がママの家に集まって、庭でお葬式の打ち合わせをしていたら、2匹のバタフライが飛び交っており、みんなでおばあちゃんも天国でおじいちゃんに会えて、子供達に会いに来たんだねと言ってました。

それで、バタフライラベンダーと呼ばれるラベンダーは、トップの花びらみたいのがバタフライみたいに見えるって事で、バタフライラベンダーと呼ばれてるみたいで、叔母がもう一人の妹にもプレゼントしたそうで、私達にも。

ママもバタフライになって、うちの庭を飛び交うかもしれないですねニコニコ