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新年の挨拶でさえ興味深いBTSでしたね。あくまで極々個人的な感想ですが。

6月の会食↓から早半年。

 

 

今回の彼らの言葉を中間報告のように私は受け取りました。

 

・2013年から描いているロードマップの力で早くも迷路から抜け出しつつあるナムジュン

・自分のことには一切触れず「形式的な」ジン

・依然、静かな野心を感じさせるユンギ

・やりきった感がみなぎるホソク

・喪失感から抜け出せず郷愁に浸るジミン

・プライベート重視?の欧米化したテテ

・成長のタイムラグについて説明しながら眠いグク

 

心配なのはもちろん会食?釜山コン?以降、時間が止まってしまって切り替えられないまま新年を迎えたかのような印象を受けるジミン。映像自体は11月末頃?に撮ったものと思われますが、weverseのメッセージも同じような印象でしたね。しかもジミンの口から聞くと努力という言葉がこんなに重く感じられるのはなぜなんだろう。「ジミンももう努力しなくていいから、気楽に生きればいいのにね」と母に言うと、「その言葉、そのままそっくりあなたにお返します」と言われてしまったのですが、自分への励ましも込めて言うなら、完璧な努力を求めない方がフットワークが軽くなるし、結果としていろんなことが成し遂げられて楽しくなることは間違いないですよね。

 

Life Goes On のタイトルを決める時に、Carry On などいかにも前向きなタイトル案が飛び交う中で「あんまり前向きだとそれをプレッシャーに感じる人もいるかもしれない」とただ一人懸念していたジミン。

 

無理に一歩を踏み出す必要はないのかもしれないし、アルバムが出れば一気にスッキリするのかもしれないけれど。とにかく、自分を誰とも比較することなく、自分のペースで、程々の努力ができるといいね。

 

***

 

以前、いただいたコメントの中に玉置浩二さんに言及したものがあって。私は正直、彼のことも安全地帯のこともあまり知らないのですが、帰国した際に母が、彼が出演する「SONGS」を見ていたので少しだけ便乗してみたんです。

 

結果。すごく好きになりました。まず歌詞の日本語がとても美しいし、歌い方が、とても胸を打つものがあるというか、ベテランなのに、がむしゃらで、脇目も振らず感がすごくいいというか、人によってはもしかすると若干引いちゃうぐらいの暑苦しい感じも、とても好きになりました。番組中、旭川の母校の小学校?で歌うシーンがあったのですが、あれを見た学生は、何事も心をこめることが大事なのであって、カッコつけなくてもいいんだ、泥臭くてもいいんだって思ったんじゃないですかね。

 

私はと言えば、彼の歌う姿を見て、なぜか昔のバンタンを思い出していました。昔というか、プレダイナマイトの彼らなのかな。ダイナマイト以降の彼らはスマートになりすぎてしまったというか、これは完全に好みの問題なんだけれど、すっかり洗練されてしまう前の彼ら特有の魅力ってやっぱりあったよなぁと思うわけで(リアタイではほとんど知らないのに偉そうにすみません汗)

 

まさにグクの rather be dead than cool の意味するところというか。


引用元のNirvanaの楽曲からすると、直訳は「カッコつけるぐらいなら死んだ方がまし」という意味なのは確かで、「情熱を失うぐらいなら死んだ方がまし」というグクの解釈が私はイマイチぴんと来ていなかったのですが、玉置浩二さんを見ていたら、カッコつけるって結局、情熱を手放すことなのかもしれないと思ったり。そう考えたら、グクの解釈がスッと腑に落ちて。

 

そのぐらい玉置さんはどのステージも一生懸命だったし、インタビュー中も目がキラキラしていて。

 

クールになってしまったBTSも(いや、何度も言いますがクールなのが悪いわけじゃないんです!それぞれソロになって新たな情熱を見つけたりもしているだろうし、私の個人的な感じ方の問題だと思います)、一周回ればこんな風にまた暑苦しくなっていくのかもしれないと、そんなことをぼんやり考えながら聞いた楽曲↓

 

 

 

石コロけとばし 夕陽に泣いた僕
夜空見上げて 星に祈ってた君
アブラにまみれて 黙り込んだあいつ
仕事ほっぽらかして ほおづえつくあの娘
何もできないで
誰も救えないで
悲しみひとつもいやせないで
カッコつけてないで
やれるもんだけで
毎日 何かを 頑張っていりゃ
生きていくんだ それでいいんだ
ビルに飲み込まれ 街にはじかれて
それでも その手を 離さないで
僕がいるんだ みんないるんだ
愛はここにある 君はどこへもいけない

ひだまりのなか がむしゃらに走る僕
そろばんはじいて 頭かかえてた君
からのミルクビンに タンポポさすあいつ
道をはずれちゃって とほうに暮れるあの娘
何もうばわないで
誰も傷つけないで
幸せひとつも守れないで
そんなに急がないで
そんなにあせらないで
明日も何かを頑張っていりゃ
生きていくんだ それでいいんだ
波に巻き込まれ 風にとばされて
それでも その目を つぶらないで
僕がいるんだ みんないるんだ
そして君がいる 他に何ができる

生きていくんだ それでいいんだ
ビルに飲み込まれ 街にはじかれて
それでも その手を 離さないで
僕がいるんだ 君もいるんだ
みんなここにいる 愛はどこへもいかない

 

これがリリースされた96年頃というのは、日本で若年者の自殺が増加傾向にあって、応援歌を書きたいという思いで作ったというこの歌。バンタンの、自らの物語を全面的に押し出したラップ歌詞とは対照的に、汎用性のある歌詞が魅力ですが、興味深いことに、玉置さんもナムジュン同様、自分の歌手としての姿を、花火に重ねて語った一幕があったようです。

 

「(花火というのは)バーンっていって、音がすごくて、綺麗。ふわーっと終わっていくじゃないですか。「命尽きるまで歌うぞ」みたいな感じになるんですよね。歌えなくなる日が来るんだったら、余計なこと考えないで、その日が来るまで歌おう(と思った)。何とも言えない儚い美しさでしたね。痛かったです、何かが。何だろう、あの痛さは。嬉しくて痛いんですね、きっと。」

 

ナムジュンが、BTSを一瞬で消えてしまう儚い花火と考え、これからはそっと咲く野花になって巡る季節に寄り添いたいという発想になっているのに対して、玉置さんにとっての歌は今も花火のままのようで。彼の場合はむしろ今だから花火になったのかもしれないけれど、私が今の玉置さんを見て、かつて必死だった頃のバンタンを思い出したのは、あながち偶然ではなかったのかもしれないと思いました。

 

で、なぜ新年早々こんな話をするかと言うと。家族や恋人などの大切な人と過ごすことが通例とされているこの季節って、逆にそういう環境にない人のことも気になりませんか?

 

今年94歳になる我が祖母がまさにそのような状況で。元競輪選手の夫が卒中で急逝してから、20年以上にわたって細々と自転車屋の商売を継続し、数年前に長男が卒中に倒れて施設に入所してからも、ダンス仲間や近所の友人と旅行をして新年を過ごしていた彼女なのですが、昨年末には自身も軽い卒中を起こし、現在もリハビリ病院に入院中です。昨年の冬に一緒に旅行をした時に私が最期の時の話をしたら、老衰というシナリオ以外考えられないという風で、そんな話をするのも少し不愉快という様子だったのだけれど、、、

 

今回一時帰国したのは彼女に一目会うためでもあったのですが、築70年の自宅を訪れると、さすがにもう新しい自転車は残っていなかったものの、何年も前から店の壁に貼られていたブリジストンのポスターがさらに色褪せた状態でそのままそこにありました。部屋に上がると、卒中後の叔父の写真が真っ先に目に入ったのですが、食卓の向こうには、私のために必ずブドウジュースやらを冷やしておいてくれた冷蔵庫があって、畳の部屋には曽祖父母の写真と共に仏壇も変わらずそこにあって、居間には父が子供の頃に少しだけ弾いたピアノの上に、私が小学校に入学した時の集合写真も飾ってあって、奥の部屋に祖母の寝床がありました。

 

救急車を呼ぶまでしばらく具合が悪いままそこで耐えていた形跡が残っていて。庭からわずかに差し込む光でうっすら明るくなった部屋で、1ヶ月間そのままになっていた布団を畳んだり、カビが生えたティッシュを捨てたりするついでに、押入れの中を覗いてみたら、綺麗に整理された寝具があり、その隣のガラス棚にはいつも使うバッグが並べられ、その下にいわゆる思い出エリアがあることに気づきました。

 

アルバムの背表紙には祖母の字でタイトルが付けられていて「〇〇(夫の名前)との思い出」「〇〇旅行の思い出」「〇〇と〇〇の結婚式」などと書かれた中に「らじこの思い出」というのもあって。それに手をつける時間はなかったのですが、埃が積もった箱の方を開けてみると戦時中のものと思われる教科書?やさらに古いセピア色の写真や、父の幼稚園?のアルバムなどもあり、決して孤独を口にしない祖母がそうやって思い出をそばに置いた部屋で毎晩眠りについていた様子が目に浮かびました。

 

2階には、かつて叔父と父が過ごした部屋があり、私たち家族は帰省するたびにそこで川の字になって寝ていたのですが、祖父が亡くなった時に父が突然嗚咽を漏らして泣き出したその部屋も、ついに何年も使用されぬまま置き去りにされ、背表紙が色褪せた昭和の本が本棚に何冊も並ぶ中で、フロイトの精神分析学の本だけが机の上に取り残されたように置かれていました。

 

祖母は、生前の祖父に、涙も流さず白状な奴だと言われたと自分でも話していて、感傷とは一番遠いところにいるような人なので、私はどちらかと言えば、この生家を手放すことについて父がどう思うかを気にしながら、祖母の生活の跡を観察したり、かつて彼女が愛用していたミシンやその側に放置されたカラフルな毛糸を眺めたりしていました。

 

すると、ますます小さくなった祖母が父に手を引っ張られてヨロヨロと部屋に入って来て。転院前に少しだけ自宅に立ち寄ることを許されて戻ってきた状態だったわけですが、必要最低限のものを慌ただしくバッグに詰めて込んで転院先に向かう準備を手伝いながら、私は、人生の終わりってこういう風景なんだなと少し愕然とする気持ちがありました。

 

病院に勤めていると、このストーリーのほんの一部しか見られないというか、気づかないことがたくさんあるのですが、祖母が病棟に上がる前に、看護師さんに最後の別れの挨拶をと言われ、(もちろん今生の別れという意味ではなかったにせよ)私が祖母に声をかけると彼女は何を思ったのか、急に息子(私の父)のことをよろしくと頼み、さらに私の手を握ったかと思えば、「らじこは小さい頃から私はお医者さんになるって言ってただよ」と言うので、私も「頑張ってなったよ」と返すしかなく、それを見ていた看護師さんが涙を拭うというワンシーンがあって。私にとっても胸熱シーンではあったのですが、それ以上に彼女の退院後のこととか、現実問題がいろいろあって、当たり前だけど、人間は死ぬその瞬間まで生きているわけで、生きていくって最後まで大変だなとそんなことを考えていました。

 

昨年の今頃は、1年後にこんなことになっているとも知らずに、いつもにも増して暑苦しい記事を書いていたようなのですが、1年ぶりにざっと読んでみて気づいたのは、メンバーに対する印象は、どの時期の彼らを見るかによっても大きく異なるし、彼らを見るときの自分自身の精神状態によっても一人ひとりに抱くイメージは少し変わるのかもしれないということです。

 

 

自殺関連ではこちらの方がむしろ興味深い内容かもしれません↓

 

今年は何だかジミンの名前を挙げてしまいましたが、新年を迎えようとしている今、改めて感じるのは、花火だろうが野花だろうが、彼らはすでに自身が花として咲く以上に、本当に多くの人に、ナムジュンが言うところの(タンポポの)種を植えてきたのではないかということ。

 

翻って、90年以上生きてきた祖母は、ひょっとすると玉置さんの歌でさえピンと来ないかもしれないぐらい飄々と生きてきた人なのですが、その彼女が、一生をかけて、蒔いているとも気づかずに少しずつ蒔いた種は、中には花として咲きそびれてしまったものもあったかもしれないし、逆に一生懸命咲かせたはずだった花に裏切られたと思う場面も一度と言わずあったように思います。そしてかつては誰かから種をもらった彼女自身も、歳を重ねるごとに、いろんな人に頼りながら、与えられた場所で咲く術を見つけてきたわけですが、最期まで自宅でと願う気持ちが叶わなくなってしまった今、病院で新年を迎えながら、来年からのケアハウスでの生活に思いを馳せているものと思われます。

 

というのも、自宅で死にきれなかった以上、何らかの形で咲き続けなければならないことは彼女も理解しているわけで。しっかり水を与えもらえて、光を注いでもらえて、突然の風に花びらが落ちた時には、一人で痛みや寒さに耐えなくてもいいような環境で生活してほしいという我々家族の気持ちを彼女は理解しているはずで。そんな手助けを家族ができれば一番なのだけれど、それができない我々の不甲斐なさも、(それに納得しているかは別として)理解しようとしていることは確かで。反対に、野垂れ死んでも自宅で、という覚悟を抱くほどには自分の現状を理解できていないのもまた事実で。

 

BTSが飛ばす種というのは孤独な人にこそ届きやすい気がするし、受け取るべき人にはどういうわけかイイ感じのタイミングで届く種のような気がします。それらが花として開くときというのを彼ら自身が目撃することは意外と少ないのかもしれないけれど、今だって新しい花が咲いて、あるいはすでに咲いた花が新たな種を落としているかもしれない。

 

私自身は、今まで祖母を含めいろんな人にたくさん種をもらいながらも、いい歳をして恥ずかしいことに、まだ上手く咲けていないと感じることの方が多いです。でも今年こそは、そんなことを言っていないで少しでもいいから種を落とせるようになりたいと思います。

 

そのためにも、グクとお揃いのタトゥーを前腕に!というわけにはいきませんが、rather be dead than cool を心に刻んで、でもたまにはカッコつけることも学びながら、あるいは祖母のように軽いフットワークで飄々と、少しずつでもいいから頑張ろうかなと思っています。

 

2023年が皆様にとって健康で温かい1年になりますように。