お立ち寄りいただきありがとうございます♡

いいね、コメント、メッセージもありがとうございます。今日はお返事のためにログインしたつもりが、何となく記事を書き始めてしまいました。前回は特に皆さんのいろんなご経験に触れさせていただき、またユーモアもたくさんいただいたように思います♡

 

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ビクトルフランクルの「夜と霧」に出てくる一節で、収容所を生き延びた人間は、自分の苦しみに何らかの意味付けをして希望を持ち続けることができたという点が共通していた、というような内容があったように思います。たとえば、自分が苦しむことで、収容所のどこか別の場所にいる母の苦しみが軽くなる、というように信じこむことができた人間は、それが生き延びるための強さになったというのです。

 

私自身はもちろん収容所生活なんて経験したこともありませんが、小さい頃から似たような発想がありました。つまり、何か耐えないといけない時には、自分が耐えることで、未来の何かがよくなるはずだと、漠然と信じていたし、そこから転じて、心配事がある時には、あえて辛い課題を自分に課して、それさえ頑張っていれば、心配なことも解決に向かうと信じ込むようにしていたように思います。

 

今でもそれが少し残っているというか、たとえば、私の生活とジミンの体調なんか、世界がひっくり返ったって何の因果関係もないわけですが、自分が真面目に生きれば、それが巡り巡ってジミンに何らかの福が及ぶのではないかと、心のどこかでほんのりと信じているのです。

 

そんなわけで、ここ数日、仕事も筋トレも自炊も真面目にやっている私です。いつまで続くことやら。。。

 

そんな中、わけあって今月は精神科で研修をしているのですが、慢性的な希死念慮を抱える患者さんに、昨日、指導医がとある研究の内容を紹介していました。ゴールデンゲートブリッジあるいはサンフランシスコオークランドベイブリッジから飛び降り自殺を図って生き延びた8人を対象にした1970年代の古い研究。指導医曰く、いずれの人間も、橋から手を放して宙に舞った瞬間に同じことを思ったというのです。「今までの自分の過ちはいずれもやり直すことができたはずだけれど、たった今犯した過ちだけはどうしようもない」と。

 

1937年に建設されて以降、1700人以上が自殺しているゴールデンゲートブリッジ。当時、そこから飛び降りた場合の生存率は1%に満たなかったと言います。それでも、風の強さや方向、水深など様々な条件が重なって偶然にも生き延びた8人。空き時間に論文を探してざっと読んでみたのですが、私が見逃していないとすれば、指導医が要約したような内容はどこにも出てきませんでした。Suicide Survivors (nih.gov)

 

代わりに書いてあったのは、8人の生存者が例外なく、落下の工程を、「とても美しく心地よい感覚だった」と表現していたということでした。走馬灯のごとく過去のイベントが脳裏を掠めるというような体験をした者は一人もいませんでしたが、多くが時間感覚を失い、何時間も、場合によっては「永遠に」宙に浮いているような感覚になったと証言しています。

 

「サンフランシスコの街並みが一瞬見えて、お別れをしなきゃ、と思いました。サンフランシスコに別れを告げるということは、世界に別れを告げるということですから。鳥になったような感覚でした。安堵に包まれて。私の頭の中では、一つの世界からもう一つの世界へ移行しているような感覚でした。そこに葛藤はありませんでした。私は完全に諦めていたのです。そして次にやってくる何かを楽しみにしていました。今だって、ある意味、新しい何かを楽しみにしています。私は未だに、橋と水面の間のあの場所にいるのです。」

 

「私は生き延びたことによって、神様に選ばれている存在のように感じるようになりました。私は深く感謝していました。まわりを助けたいという心境になっていました。神様にを前にしては、私たちの存在はごく小さなものであり、私たちは身を任せるしかないのだと思えるようになったのです。」

 

「神様なんか信じたことのない私が神様を信じるようになったのです。より近くに感じるようになったというか。」

 

「私はあれ以降、新しい希望と生きている意味を感じるようになったのです。生きていることの奇跡を、たとえば鳥が飛んでいる様子を見るだけでも、味わいます。失いそうになって初めて気づく『意味』があるのです。すべてのものと一体化するような感覚というか、すべての人と一つになれた気がしています。いろんな人の痛みも理解できるようになりました。」

 

なんだか、新興宗教の入信者たちの証言のようですが、飛び降り体験を「超越体験」や「生まれ変わり現象」と彼らが証言したことは、当時の精神科学会に大きな衝撃を与えました。そして、わざわざ飛び降りなくても、何らかの「象徴的な死」を体験できるようにすることで、自殺を防ぐことはできないだろうか、と一部の精神科医は考えたようです。「部分的な死」、すなわち、喪失や失敗、拒絶などを通して自分の一部を失う体験をすることによって、「ゴールデンゲートブリッジ飛び降り効果」が得られるのではないかというわけですね。

Suicide Survivors: Psychotherapeutic Implications of Egocide* - Rosen - 1976 - Suicide and Life-Threatening Behavior - Wiley Online Library

 

ここから先は有料だったので読んでいないのですが、私はこの50年近く前の研究内容を読みながら、ジミンの虫垂とセレンディピティと彼自身のことをぼんやりと考えていました。

 

Monoceros 」 [CAP] - 承 Her 'Serendipity' | Bts laptop wallpaper,  Serendipity, Jimin wallpaper

 

SerendipityのMVの中で、夜空に張り出す飛び込み台からジミンが飛び降りる場面が出てきますよね。夜空に背を預けて包まれるように落ちていくあの場面。時間軸が伸びる様子が伝わってきます。

 

これはどれも偶然なんかじゃない

ただ何となく そう感じるんだ

世界が昨日とはまったく違う

ただ何となく 君の喜びのせいで

君に呼ばれると

僕は君の花になる

待ちわびていたかのように

僕たちは痛いほどに咲く

もしかすると宇宙の摂理

そうなるはずだったんだ

君も僕もわかってる

君は僕で 僕は君

 

ドキドキするほどに少し不安

運命が僕らに嫉妬してるから

君がそうであるように僕も怖い

君が僕を見る時 僕に触れる時

宇宙が僕らのために動いた

少しのズレもなく

僕らの幸せは運命だった

君は僕を愛し 僕は君を愛しているから

 

君は僕のペニシリン

僕を救ってくれる

僕の天使であり僕の世界

僕は君の三毛猫

君に会いに来たから

今僕を愛して 僕に触れて

 

ただ君を愛させて

 

宇宙ができたその時から

すべては決まっていた

 

だからこのまま君を好きでいさせて

 

飛び降りシーンに当たる歌詞の直訳は「僕に君を愛させて」となりますが、ここには「I wanna love you」とか「I'm gonna love you」とか、ありふれた能動的な表現をいくらでも当てられたはず。それをあえて「(運命のままに)愛させて」と言っているのは、この楽曲の世界観をきれいに反映していますが、一方でジミン自身は、私の記憶が正しければ、「運命は決まっているというような考え方は好きではない」と何度か発言していると思います。

 

実際、彼はこの楽曲の作詞に関わっていないようですし、数ヶ月前も運命についてこのように語っています。

 

「運命は探し出すべきものではないかと思っています。運命が決まっていると思えば楽ですが、現実にはそうではないので。ちゃんとした道が探せるときより、道に迷い彷徨うときの方が多い気がします。でも迷ったからといって諦めたら、運命も力を失ってしまうと思いますし、逆に、探し出してみせると思えば、迷ったすべての時間も運命になると思っています。」

 

翻って、今回偶然にもグラミーが延期になったことで休暇中に自国で虫垂炎の治療をすることになったジミン。しかもそのタイミングでのコロナ感染。これらがすべて運命だったかはわからないし、そもそも休暇がなければいずれにも罹患しなかった可能性もあるかもしれない。でも、神様が用意したシナリオはこれだったわけで。

 

虫垂なんてきっと意識したこともなかったであろう自分の一部。でも炎症を起こせば、もちろん痛みをきたすし、治療のために取り除けば、身体的な痛みに伴って、あるいは小さな傷を見るたびに、小さな喪失感を味わっているかもしれない。

 

ARMYの温かい声はもちろん届いているだろうし、とっくのとうに離床を促されてフツウに動いているはずだし、フツウに食べられているみたいだけれど、一人隔離された病室でベッドに横たわって目を閉じる時、そこに「BTSのジミン」はいないかもしれない、なんて思ったりもします。

 

強い信念を張り詰めて休まず歩んできた彼が、ようやく夜空に身を預け、運命のままに落ちていくとき。

 

その瞬間は、ジミンももしかすると少しばかりの「ゴールデンゲートブリッジ飛び降り効果」を体験しているかもしれない。橋と水面の間で永遠を経験した彼らが、いろんな運命のいたずらで生き延び、「生まれ変わった」ように、きっとジミンも今、生まれ変わろうとしているはず。

 

だから心置きなくゆっくり休んで、おいしいものを食べて、元気になってほしいし、そうであってこそ、この先思いっきり羽を広げることができるのではないかと思います。

 

あのはらぺこあおむしが蝶になったように。

 

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最後まで読んでくださってありがとうございます♡