海岸で拾った石のたたり@宮古島 4 の続きです


 
 
 

↑こちらも拾った石です。
 こちらは他の方が持ち帰りました。
 
 
 
たたりの展開度合い~~~~~☆★?
突然に身動きが取れない呼吸が乱れる~
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「石」を拾い自宅に帰った私は
 
 
 
即座に
間髪も入れずに
様々な不幸な出来事に襲われました。
 
考えるゆとりも与えられない程に
物凄い展開スピードです。
呼吸は乱れっぱなしでした。
 
 
地球の自転(24時間)の速度は
日本で時速1.500kmと言われています。
(緯度で多少誤差があります)
これは、新幹線の5倍の速度です。
(ちなみに飛行機は、時速900km)
 
この速度よりも早く感じたのですね。
つまり、冷静に考える時間的ゆとりがなかったのです。
 
 
 
不幸の連鎖は
全てを空回りさせます。
そして、経済的なことにまで及びます。
 
 
身の回りに起きる事もですが、自宅の様々な家電及びライフワーク機器の故障、特に水回りの故障は顕著でした。要した修理費用は、約100万近くの出費が余儀なくされました。
その他の機器、身の回りに起きた事等も入れると更に加算でいきます。
 
何よりも
体調崩しての療養及び入院は、辛かったです。
勿論、手術も、、、、
 
 
しかし、その中であっても良い出会いに恵まれ、パワーを頂きました。
詳細には触れませんが
病院のスタッフや新たに出会った人たちで環境が変わる都度に自らの行為など反省させられました。
不思議ですね。
反省すれば、する程に環境は、変わり好転していくのです。
 
 
飛躍しすぎですが
まるで、宮沢賢治の銀河鉄道のようですね。
数多の星々に比べると
私の心の渇きなど些細な事です。
たおやかでしなやかな生き方
模索する私を発見しています。
 
 
 
 
 
たたりの正体(原因)~~~~~☆★?
歴史に翻弄された人々のなげきの声~
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それでは、何故にその様な事
不運な日々が起きたのでしょうか?
 
 
それは、その「石」の由来に着目しています。
 
 
169年前のお話です。
1853年(ペリー来航の年)でした。
 
大胆予測ですが
宮古島沖で、海難事故で沈没したイギリス船に由来すると推測しています。
 
 
 
詳細なお話はこちらご覧ください。
吉野海岸沖海底遺跡と検索すれば、出てきます。
 
 
きっかけは、親戚のお兄さんを介して、ヒントがもたらされました。
 
調べる中において、
海難事故で沈没という予期せぬ事態に対応出来ず道半ばで尊い命を落とした243名のやるせない思いが石に宿ったのでは、と感じているのです。
 
 
 
さらに海難事故の真相を調べました。
 
169年前
1853年(ペリー来航の年)の頃、、、、
 
アメリカ西海岸のカリフォルニア州で金脈が発見され世界中を興奮の渦に誘ったゴールドラッシュ事件のお話です。
 
ゴールドラッシュで湧いた頃、西部開拓が進展して西部と東部を結ぶ大陸鉄道が進められます。その際、世界各国から多くの労働力が投下されます。
 
宮古島沖で遭難した船もその中に入ります。
 
当時、中国からは、苦力(クーリー※中国語が語源)と呼ばれる奴隷の様な人たちが数多く移住させられていました。建築資材を沢山積載した船と共に、苦力(奴隷)として、広州から出港するイギリス船で送られました。(香港は1881年1月26日~1997年6月30日までイギリス統治下)
 
 
遭難した船に、乗船していた人たちの内訳は
 
船員30名、苦力(奴隷)243名です。
中国の広州を出港しサンフランシスコに向かいます。ところが台風に遭遇して宮古島新城村後之浦(現在の吉野海岸近く)より500m沖合で座礁、沈没したとされます。この事故の生存者は、船員 6名、苦力(奴隷)24名で、犠牲者は、船員24名、苦力(奴隷)219名の命が奪われてしまったのです。
 
 
単純算定で船員 8%、苦力(奴隷)90%の尊い人命が失われているのです。
 
 
この船に積載されていた建築資材は石です。
吉野海岸海底遺跡を調査された方の画像からは、計り知れないところですが、、、、石の種類は花岡石との事です。一応、撮影して置いたので確認してみました。同類ですね。(石には詳しくありません)
 
この「石」
私が拾った「石」は、この中国の広州から出港したイギリス船に積まれた建築資材だった可能性があるのです。
遭難した地は、拾った海岸の近くでした。
 
169年の歳月を経て辿り着いたのでしょうか?
海流や波の刺激で割れて
元の形を形成しない状態で~
 
 
 
 海岸で拾った石のたたり@宮古島 6 に続きます

