作家 吉井春樹 366の手紙。 -1533ページ目

[やる気]まさに夢を。

いくつ見てもいい。

なんど見てもいい。

何回も、何回でも、

馬鹿みたいに

挑戦したり、浮かれていい。

馬鹿のままでいい、

そのままがいい。

叶えること、掴むこと。

それが大切だと言える。

でも夢を見ることを、

実現すること、始めることこそが、

なによりもまず先に、

実現しなきゃいけないことだと、

そう思うのです。

目を閉じてたら、

何もはじまらない。

目が覚めたら、

さあ、動き出そう。

[やる気]どうでもよくないんじゃないかしら。

嘘であれ、ほんとであれ、

口癖であれ、出まかせであれ、

どっちでもいいとか、どうでもいいとか、

たぶん、やめたほうがいいと思うわけです。

もったいないのです。つくづく。

"ぜったいに"どっちでもいい。

"何がなんでも"どうでもいい。

どうせなら、これくらいの

勢いのある優柔不断でいきたいところ。

せっかくの自分の選択だから。

隠しているつもりでも、

さらけだしてるつもりでも、

自分で気づいてるはずです、

弱いことも、逃げてることも、臆病なことも、知っている。

さらに、それを認めてるつもりで、

認めてないことも知っている。

気にしてないフリはやめて、

気づいてないフリもやめて。

白か黒か。右か左か。好きか嫌いか。

勝ちか負けか。

自分の中でいいから、はっきりした目的地を。

ゴールだなんて呼んでもいい。

このまま、今のままだと、

たとえ一本道だとしても、

いつまでも迷いつづけるだけです。

だから、無理やりでもいい、

もっと、自分をはっきりと。

[やる気]やめつづけられる?

始めることは簡単。

続けることは困難。

で、始めたことをやめることは、

続けた時間が長いほど困難。

で、始める前の思いが強いか、

やめるときの考えが浅いかで、

やめ続けることは、どんどん困難。

後悔っていうのは、

しない人はしないし、する人はする。

要するに、後悔に対する捕らえ方が、

その人その人で違うと思うわけです。

始めたいと思えば始めればいいし、

終わらせたければ終わらせればいい。

そしてまた始めたくなれば、始める。

またやめたくなったら、やめる。

つまり、何かを終わらせたつもりでも、

何かを始めたつもりだとしても、

それらは実は違う見方をすれば、

意味や価値すら変われど、

表面的な部分に関しては、

それほど変化しないんじゃないかと思うわけです。

一回目より、二回目のほうが、

二回目よりは、十回目のほうが、

それよりもちろん百回目のほうが、

きっとうまく続けられる可能性は高い。

でもそれと同時にやめる可能性も高まる。

まったくトリトメがないけれど、

無理にやめ続けなくてもいいよ、って思ったので。