私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
↓
33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
2歳と5歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
↓
そして…
↓
旦那を失う前にも…
↓
これの続きです
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旦那が亡くなった。
35歳の若さで亡くなった。
ずっと一緒に居た、
パートナーが亡くなった
それなのに…
私は旦那のそばに
ずっと一緒には居られなかった
手続きや…、連絡…、
続々と会いに来てくれる
友達の対応…、
やらなくてはならないことが
沢山あった。
そして私は、
そんな時でも、
子ども達のお母さんでいないといけなかった。
今、振り返ると…
そんなやるべきことなんて放棄して、
ずっと旦那のそばに居ればよかった…
とも思います。
母親として凛として…、
嫁として、
義母からの言葉にも
まったく動じないように振る舞い…
旦那の友達や先輩方…、
病院の方々に、
変な姿は見せられない…
と、気丈に振る舞っていた。
私が泣き崩れていたら、
みなさんに迷惑をかけてしまう。
しっかりしなくては。
妻として、
母として、
嫁として、
やるべきことを
しっかりやらなくては…。
私は、
大切な人を亡くしたというのに、
とにかく動じないないように、
頑張っていた
そんな時に…、
旦那がずっと、
リハビリでお世話になっていた
作業療法士さん2人が、
廊下にいた私の元に、
駆け寄ってきてくれました。
そして…、
これを、
手渡してくれたのです
私は…、
脳腫瘍に侵された身体で、
一生懸命作ってくれた、
そのガタガタな小物入れと…
認知力が著しく低下しながらも、
一生懸命書いてくれた、
正しい文章が書けていない
手紙を見て…
それまで抑えていた涙が…
溢れてきて、
止まらなくなってしまいました。
ちょうど…
子ども達もそばに居ない、
他の人も居ない廊下だったのもあったからかもしれません。
その時私は、
プチンと、
張り詰めていた、
糸のようなものが切れたのを
感じました
それからは…
完全に…、
涙腺崩壊…。
しゃべりたくても
もうしゃべれない旦那から…
「ありがとう」
と…
言ってもらえた
それがたまらなく
嬉しくて…
悲しくて…
寂しくて…
切なくて…
愛おしい…
そう感じたら…、
途端に、
「だ…
旦那に…
会いたい
会いたいよ〜」
そこで私は初めて、
旦那が死んでしまった現実を
目の当たりにしたのです。
でも…
あの時泣けて…
よかった
今は…、
あの時に、あのタイミングで渡しに来てくれた
作業療法士さん達に感謝の気持ちでいっぱいです。
これは今でも私の宝物です
つづきます